永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて  (35)

2018年02月25日 | 枕草子を読んできて
二二    すさまじきもの  その1 (35) 2018.2.25

 すさまじきもの 昼ほゆる犬。春の網代。三四月の紅梅の衣。ちごの亡くなりたる産屋。火おこさぬ火桶、地火炉。牛死にたる牛飼。博士のうちつづき女子うませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。まして節分はすさまじ。
◆◆不調和で興ざめなもの (夜ほえるものの)昼吠える犬。(冬氷魚をとる道具の)春まで残っている網代。(11月から2月まで着るのに)三、四月に着る紅梅の着物。乳飲み子が亡くなっている産屋。火をおこさない丸火鉢、地火炉。牛が死んでいる牛飼い。博士がひきつづいて女の子を生ませているの。方違えに行っているのに、もてなしをしないところ。ましてそれが節分違えであるときは興ざめだ。◆◆

■すさまじきもの=季節外れ、期待外れなど、すべて不調和感から生じる興ざめな感じをいう。

■博士=大学寮・陰陽寮の教官。世襲であるが女子にはその資格がない。

■節分違へ=立春、立夏、立秋、立冬の前日。その夜は「節分違へ」をした。



 人の国よりおこせたる文の物なき。京のをもさこそ思ふらめども、されど、それは事も書きあつめにある事も聞けばよし。人のもとにわざと清げに書きたててやりつる文の返事見む、今は来ぬらむかしと、あやしくおそきと、待つほどに、ありつる文を、結びたるも立て文も、いときたなげに持ちなして、ふくだめて、上に引きたりつる墨さへ消えたるを、「おはせざりけり」もしは「物忌とて取り入れず」など言ひて、持て帰りたる、いとわびしくすさまじ。
◆◆地方からこちらに送って寄こしてしる手紙に贈り物がついてないの。京から手紙もそう思っているかも知れないけれど、それは知りたいことをも書き集め、世間の出来事をも聞くのだから、よい。人の所にわざわざ見た目もきれいに書き上げて送ってやった手紙の、返事を見よう、いまはもの来ているだろうと、それにしては遅いと待つうちに、さっきの手紙を、結んであるのをも、立て文のをも、わざとひどく汚らしくして持って、ぶくぶくに紙をそそけさせて、結び目の上に引いてあった墨までも消えているのを、「おいでにならなかったのでした」とか、あるいは、「物忌みだということで受け取りません」などと言って、持って帰っているのは、たいへんがっかりさせられる感じで興ざめである。◆◆


 
 また、かならず来べき人のもとに車をやりて待つに、入り来る音すれば、さなンなりと、人々出でて見るに、車宿りざまにやりいれて、轅ほうとうちおろすを、「いかなるぞ」と問へば、「今日はおはしまさず。わたりたまはず」とて、牛の限り引き出でていぬる。また、家ゆすりて取りたる婿の来ずなりぬる、いとすさまじ。さるべき人の宮仕へするがりやりて、いつしかと思ふも、いとほいなし。
◆◆また、必ず来るはずの人の所へ牛車を迎えに遣わして待つのに、入って来る音がするので、どうやら来たようだと、人々が出てみると、牛車を車庫のほうにおくり入れて、轅をポンとうちおろすのを「どうしたのだ」とたずねると、「きょうはいらっしゃいません。こちらへお越しになりません」と言って、牛だけを引き出して去るの。また、家中大騒ぎして迎え取った婿が来なくなってしまうのは、ひどく索漠として興ざめである。しかも、それがしかるべき身分の女で、宮仕えする人なのだが、そういう女のもとに婿を行かせて(そのまま取られて)、いつこっちに帰って来るのか、早く帰ってきてほしいと思うのも、とても不本意である。◆◆


枕草子を読んできて(34)

2018年02月22日 | 枕草子を読んできて
二一   生ひさきなく、まめやかに   (34) 2018.2.22

 生いさきなく、まめやかに、えせざいはひなど見てゐたらむ人は、いぶせくあなづらわしく思ひやられて、なほ、さりぬべからむ人のむすめなどは、さしまじらはせ、世ノ中のありさまも見せならはさまほしう、内侍などにてもしばしあらせばやとこそおぼゆれ。
◆◆これといった将来の見込みもなく、ただ真面目に、本物でない幸福を幸福などと思ってじっと座って暮らしているような人は、(私にとっては)うっとうしく、軽蔑すべき人のように思いやられて、やはり、相当な身分の人の娘などは、人の仲間入りなどさせて、世間のありさまも見せて慣れさせたく、内侍などにも、しばらくさせておきたいものだと思われる。◆◆



「宮仕へする人は、あはあはし」など、わろき事に思ひ言ひたる男こそ、いとにくけれ。さる事ぞかし。よにかしこき御前をはじめたてまつり、上達部、殿上人、四位、五位、六位、女房さらにもいはず、見ぬ人はすくなくこそはあらめ。女房の従者ども、その里より来る者ども、をさめ、御厠人、たびしかはらといふまで、いつかはそれを恥ぢ隠れたりし。殿ばらなどは、いとさしもあらずやあらむ。それも、ある限りは、さぞあらむ。
◆◆「宮仕えをする人は軽薄だ」などと、よくないことに思ったり、言ったりしている男性こそは、ひどくにくらしい。まあそうは言っても、そう思うのももっともだ。(宮仕へすれば)この上なき尊い主上をはじめてたてまつって、上達部、殿上人、四位、五位、六位、同輩の女房は言うまでもなく、顔を合わせない人は少ないであろう。女房の従者たち、そうした女房の里の家から来る者たち、後宮に仕える身分の低い女、厠の世話をする者、とるにたらない物の数でもない者まで、いつ、それらの人たちを宮仕え人は恥ずかしがって隠れているということがあったろうか。でも一方、宮仕えした女性を悪く言う殿方などは、そんなふうにいろいろな人に会わないのであろうか。それらの殿方でも、宮中にお仕えしているかぎりは、多分同じであろう。◆◆


 うへなどいひて、かしづきすゑたるに、心にくからずおぼえむ、ことわりなれど、内侍のすけなどいひて、をりをり内へまゐり祭の使ひなどに出でたるも、面立たあしからずやはある。
 さて籠りゐぬる人、はたいとよし。受領の五節など出だすをり、さりともいたうひなび、見知らぬ事人に問ひ聞きなどせじかしと、心にくきものなり。
◆◆宮仕えをしたことのある人を、「奥方」などと言って、大切に世話している場合、奥ゆかしさが乏しく感じられるのは道理だけれど、内侍のすけなどといって、時々参内し、賀茂の祭の使いなどに出ているのも、名誉でないことがあろうか。
 宮仕えのあとで、家庭に籠ってどっかと腰をすえてしまう人は、それなりにたいへんよろしい。受領などが五節などを差し出す折に、北の方がそのような人なら、いくらなんでも、ひどく田舎くさく、自分の見知らないことを人にたずね聞いたりなどはしまいと、そういう人は奥ゆかしいものなのだ。◆◆


■えせざいはひ=にせの幸い。

■いぶせくあなづらわしく=うっとうしく、軽蔑する

■内侍のすけなど=内侍の司の女官(尚侍・典侍・掌侍)の総称。

■男(をとこ)=「をとめ」に対する語。「をと」は「をつ」(若返る)と同源。「若い男性」が原義。中古では男性一般。

■さる事ぞかし=他人に顔を見られる点で淡淡しいと思われるのはもっともだ。

■をさめ=後宮に仕える身分の低い女官

■たびしかはら=「礫(たびし=粒石の転)瓦」が語源で物の数でない卑しい者の意という。

■受領の五節(受領のごせち)=新嘗会・大嘗会の折の童女舞の公事。公卿・受領(国守)から、それぞれ二、三人の舞姫を奉る。



枕草子を読んできて (33)  

2018年02月16日 | 枕草子を読んできて
二十   清涼殿の丑寅の隅の   その3  (33) 2018.2.16

 「村上の御時、宣耀殿の女御と聞こえけるは、小一条の左大臣殿の御むすめにおはしましければ、たれかは知りきこえざらむ。まだ姫君におはしけるとき、父おとどの教へきこえさせたまひけるは、『一には御手を習ひたまえ。次には琴の御琴を、いかで人に弾きまさむとおぼせ。さて古今二十巻をみな浮かべさせたまはむを御学問にはせさせたまへ』となむ聞こえさせたまひけると、聞こしめしおかせたまひて、御物忌みなりける日、古今を隠してわたらせたまひて、例ならず御几帳を引き立てさせたまひければ、女御、あやしとおぼしけるに、御草子をひろげさせたまひて、『その年その月、何のをり、その人のよみたる歌はいかに』と問ひきこえさせたまふに、かうなりと心得させたまふもをかしきものの、ひが覚えもし、忘れたるなどもあらば、いみじかるべき事と、わりなくおぼし乱れぬべし。
◆◆中宮様が「村上天皇の御代に、宣耀殿の女御と申し上げた方は、小一条にお住いの左大臣殿の御むすめでいらっしゃたので、どなたか知らない人はいません。その方がまだ姫君でいらっしゃった頃、父君の大殿(おとど)がお教えあそばされたことは、『第一にはお習字をなさい。次には琴の御琴を、人より上手に弾こうとお思いなさい。そうして次に古今集の二十巻を全部空(そら)でお思い浮かべあそばされようことを御学問になされませ』と申しあげあそばされなさったと、帝はかねてお聞きあそばされて、宮中の御物忌みであった日に、『古今集』を隠し持ってお越しあそばれて、いつもと違って御几帳を女御との間にお引きあそばされまあしたので、女御は変だとお思いになっていたところ、帝は御草子をお広げあそばされて、『何の年、何の月、何の折、だれだれが詠んだ歌はどうか』とおたずね申しあげあそばされるので、女御は『なるほどこういうことなのだ』と合点がおゆきあそばされるのもおもしろいとはいうものの、一方では、間違って思い出しもし、また、忘れていることもあったならば、たいへんなことになるはずだと、むやみとお思い乱れになってしまわれたに違いない。◆◆


 その方おぼめかしからぬ人二三人ばかり召し出でて、碁石して数を置かせたまはむとて、問ひきこえさせたまひけむほど、いかにめでたくをかしかりけむ。御前に候ひけむ人さへこそ、うらやましけれ。せめて申させたまひければ、さかしうやがて末までなどはあらねど、すべてつゆたがふ事なかりけり。
あさましく、なほすこしおぼめかしく、ひが事見つけてをやまむと、ねたきまでおぼしめしける。十巻にもなりぬ。『さらに不用なりけり』とて、御草子に夾算して、御とのごもりぬるも、いとめでたしかし。いと久しうありて起きさせたまへるに、『なほ、この事左右なくおてやまむ、いとたろかるべし』とて、『下十巻、明日にもならば、ことをもぞ見たまひ合はする、今宵定めむ』とて、御との油近くまゐりて、夜ふくるまでなむよませたまひける。されど、つひに負けきこえさせたまはずなりにけり。うへわたらせたまひて後、かかる事なむと、人々殿に申したてまつりければ、いみじうおぼしさわぎて、御誦経などあまたせさせたまひて、そなたに向かひてなむ、念じくらさせたまひけるも、好き好きしくあはれなることなり」など語り出でさせたまふを、
◆◆(帝は)歌の方面について暗くない女房を二、三人お召し出されて、碁石で誤りの数を置かせあそばされようというわけで、女御にご質問申しあげあそばされたという、その間の御様子は、どんなにすばらしくおもしろかったことであろう。その御前に伺候していたであろう人までが、うらやましい。お答えなさるよう帝が強いて申し上げあそばされたので、利口ぶってそのまま終わりの句までなどではないけれど、お答えはすべて少しも違うことはなかったのだった。(帝は)意外で、しかしやはり少し曖昧な感じで間違っているようなことを見つけて、それで終わりにしようと、むきなまでにお思いあそばされたのであった。とうとう十巻にもなってしまった。(帝は『「まったく無駄だったなあ」とおっしゃって、御草子に夾算(けさん)を挟んで、ご一緒に御寝あそばしてしまうのも、とてもすばらしいことである。それから長い時がたってからお起きあそばされたが、『やはり、このことの勝負がつかないで終ろうというのは、たいそう良くないだろう』ということで、『あとの十巻を、明日にでもなったら、女御が
別の本をお調べ合わせになるといけない。今夜のうちに決めよう』ということで、大殿油をお近くにお灯もしになって、夜が更けるまでお読みあそばされたのであった。けれど、最後まで女御はお負けあそばされずに終わってしまったのであった。帝が女御のところへお越しあそばされたあとで、『こういうことがございます』と人々が女御の御父の殿に申し上げたので、たいへん心配して大騒ぎなさって、多くの寺に御誦経などたくさんおさせになって、内裏の方に向かって、一日中祈念して、お過ごしあそばされたことも、風流でしみじみ趣深いことだ」などとお言葉にだしてお話しあそばされるのを◆◆


 うへ聞こしめして、めでさせたまひ、「いかでさおほくよませたまひけむ。われは三巻四巻だにも、えよみ果てじ」と仰せらる。「昔は、えせ者も、すきをかしうこそありけれ。このごろ、かやうなる事やは聞ゆる」など、御前にふ人々、うへの女房のこなたゆるされたるなどまゐりて、口々言ひ出でなどしたるほどは、まことに思ふ事なくこそおぼゆれ。
◆◆帝がお聞きあそばされて、おほめあそばされ、「村上の帝はどうしてそんなにたくさんお読みあそばされたのだろう。私は三巻、四巻でさえも読み終えることができないだろう」と仰せになる。「昔はつまらぬ者も、風流でおもしろみがあったのですね。このごろは、こんなことは耳にするでしょうか」などと御前に伺候する人々や、帝にお仕えする女房で中宮の所に伺うのを許されている人などが参上して、口々に話などしている時のありさまは、本当にすこしも屈託がなく、すばらしく感じられる。◆◆


■琴の御琴(きんのこと)=琴(きん)は七弦の琴。琴(こと)は弦楽器の総称。

■夾算(けさん)して=本などに挟んで読みさしの印とするもの。竹製。

■宣耀殿の女御(せんようでんのにょうご)=左大臣藤原師尹(もろただ)の娘芳子。この逸話は『大鏡』にも見える。

■御との油=大殿油(おおとなぶら)宮中や貴人の家の灯油の灯。
                       


枕草子を読んできて  (32)

2018年02月13日 | 枕草子を読んできて
二十   清涼殿の丑寅の隅の   その2  (32) 2018.2.13

 陪膳つかまつる人の、をのこどもなど召すほどもなくわたらせたまゐぬ。「御硯の墨すれ」と仰せらるるに、目はそらにのみ、ただおはしますをのみ見たてまつれば、ほとほとつぎめもはなちつべし。白き色紙を押したたみて、「これにただいまおぼえむ古ごと書け」と仰せらるるに、外にゐたまへるに、「これはいかに」と申せば、「とく書きてまゐらせたまへ。をのこは言まずべきにもはべらず」とて、さし入れたまへり。御硯取りおろして、「とくとくただ思ひまぐらさで、難波津も何も、ふとおぼえむを」と責めさせたまふに、などさは臆せしにか、すべて面さへ赤みてぞ思ひ乱るるや。
◆◆陪膳にお仕えする人が、台盤を下げる男の人たちなどをお召しになるかならないうちに、主上はこちらにお越しあそばされてしまいました。中宮様が「御硯の墨をすれ」とお命じあそばされるが、(私は)目はただうわの空で、ひたすら主上のおいであそばすご様子だけお見申しあげているので、あやうく墨鋏と墨との継ぎ目も離してしまいそうである。中宮様は白い色紙を押したたんで、「これに、いますぐ、頭に浮かんでくる古歌を書け」とお命じあそばされるので、外に座っていらっしゃる大納言殿に、「これはいかがなさいますか」と申し上げると、「あなた方が早く書いてさしあげなさい。男子は口出しすべきでもございません」と言って、その色紙を御簾の中に差し入れてお返しになった。中宮様は硯をこちらへお下げおろしなさって、「早く早く、ただもう思案しないで、難波津でもなんでも、ただ浮かんでくるものを」とお責めあそぼされるのに、どうしてそんなに気おくれしたのか、全く顔まで赤くなって思い乱れることよ。◆◆



 春の歌、花の心など、さいふに、上臈二つ三つ書きて、「これに」とあるに、
 年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし
といふことを、「君をし見れば」と書きなしたるを、御覧じて、「ただこの心ばへどものゆかしかりつるぞ」と仰せらるるついでに、「円融院の御時、御前にて、『草子に歌一つ書け』と殿上人に仰せられけるを、いみじう書きにくく、すまひ申す人々ありける。『さらに手のよさあしさ、歌、をりに合はざらむをも知らじ』と仰せられければ、わびてみな書きける中に、ただいまの関白殿の三位中将と聞こえけるころ、
 しほの満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわれ
といふ歌を、末を『たのむやはわれ』と書きたまへりけるをなむ、いみじくめでさせたまひける」と仰せらるるも、すずろに汗あゆる心地ぞしける。若からむ人は、さもえ書くまじき事のさまにやとぞおぼゆる。例の、ことよく書く人々も、あいなくみなつつまれて、書きけがしなどしたるもあり。
◆◆春の歌や、花についての気持ちなど、そうは言いながらも上席の女房たちが、二つ三つ書いて、次に(私に)「ここに」ということなので、
年ふればよはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし(年月がたったので、年はとってしまっている。そうではあるけれど、花を見ると、何の物思いもない。
という古歌を、「君をし見れば」とわざと書きかえてあるのを(中宮が)御覧あそばして、「ただ、こうしてそなたたちの心の働きがみたかったのだよ」と仰せになるついでに、「円融院の御代に帝の御前で、『この草子に歌を一つ書け』と殿上人にお命じあそばしたので、たいへん書きにくくて、お断り申しあげる人々があった。『いっこう、字の上手下手や、歌が季節に合わなかろうのもかまわないことにしよう』と仰せになったので、困ってみなが書いた中に、ただいまの関白殿が、三位の中将と申しあげた頃、
 しほの満ついつもの浦のいつもいつも君をば深く思ふやはわれ(潮の満ちてくるいつもの浦の「いつも」という名のように、いつもあなたをば深くおもうことよ、私は)
という歌を、末の句を、『たのむやはわれ』とお書きになっていたのを、たいへんおほめあそばされたのだった」と仰せになるのも、むやみに汗の出る気持ちがしたのだった。年の若い人だったら、そうも書けそうにもない事態であったろうか、と感じられる。いつもの、言葉をたいへん上手に書く人たちも、どうしようもなく皆遠慮されて、書きよごしなどしているのもある。◆◆


 古今の草子を御前に置かせたまひて、歌どもの本を仰せられて、「これが末はいかに」と仰せらるるに、すべて夜昼心にかかりておぼゆる、け清くおぼえず、申し出でられぬことは、いかなる事ぞ。宰相の君ぞ十ばかり。それもおぼゆるかは。まして五つ、六つ、三つなど、はたおぼえぬよしをぞ啓すべけれど、「さやはけにくく、仰せ言を、はえなくもてなすべき」と言ひ、くちをしがるも、をかし。知ると申す人なきをば、やがてよみつづけさせたまふを、「さてこれはみな知りたることぞかし。などかくつたなくはあるぞ」と言ひ嘆く。中にも古今あまた書き写しなどする人は、みなおぼえぬべきことぞかし。
◆◆『古今集』の綴じ本を中宮様は御前にお置きあそばされて、いろいろな上の句を仰せになって、「これの下の句はどうだ」と仰せになるのに、すべて夜も昼も念頭にあって自然とうかんでくる歌が、まるっきり浮かんで来ず、口に出して申しあげられないのはどうしたことか。宰相の君が十首ほど、やっと申し上げる。それくらいでは、それも「自然と思い浮かぶ」などと言えたものではない。まして五首、六首、三首などは、思い浮かんでもやはり、思い浮かばないということをこそ申し上げるのが当然なのだけれど、「そんなにそっけなく、仰せ言を、仰せつけ映えがないように取り扱って、よいものでだしょうか」と言って、残念がるのもおもしろい。知っていると申し上げる人のいない歌は、そのまま下の句をお詠みつづけあそばされるのを、「その句のとおりで、これはみなが知っているうたですよね。どうしてこんなに鈍いのかしら」と(女房たち)嘆いている。その中でも、『古今集』をたくさん書き写しなどする人は、全部でも当然そらに思い浮かんできていい筈のことである。◆◆
 


■陪膳(はいぜん)つかまつる人=御給仕役。上臈四位の役の由。

■さもえ書くまじき事のさまにやとぞおぼゆる。=(作者は)老年者として「よしはいは老いぬ」などといういう歌をかいたからとみる説。年功者としての自分の機転を自賛したとみる説などがある。

枕草子を読んで来て  (31)

2018年02月10日 | 枕草子を読んできて
二十   清涼殿の丑寅の隅の  その1 (31)  2018.2.10

 清涼殿の丑寅の隅の、北のへだてなる御障子には、荒海のかた、生きたるものどものおそろしげなる、手長足長をぞかかれたる。うへの御局の戸押しあけたれば、常に目に見ゆるを、にくみなどして笑ふほどに、高欄のもとに、青きかめの大きなるすゑて、桜の、いみじくおもしろきが五尺ばかりなるを、いとおほくさしたれば、高欄のもとまでこぼれ咲きたるに、昼つかた、大納言殿、桜の直衣にすこしなよらかなるに、濃き紫の指貫、白き御衣ども。うへに濃き綾の、いとあざやかなるを出でして、まゐりたまへり。
◆◆清涼殿の東北の隅の、北の隔てである御障子には、荒海の絵や、生きている物たちの恐ろしい様子をしているもの、すなわち手長足長が描かれている。弘徽殿の上の御局の戸を押しあけてあるので、それがいつも目に入るのを、いやがったりして笑っている間に、高欄の所に、青磁の瓶の大きいのを据えて、とても晴れやかにうつくしい枝の五尺くらいのを、とてもたくさん挿してあるので、高欄のあたりまで咲きこぼれている折から、昼ごろ、大納言殿(中宮定子の兄伊周。当時二十一歳)が、桜の直衣の少ししなやかになっているのに、濃い紫の指貫をはき、幾枚かの白い御下着を着て、上には濃い紅の綾織物の、とても鮮やかなのを出だし衣にして、参内していらっしゃる。◆◆



うへのこなたにおはしませば、戸口の前なるほそき板敷にゐたまひて、物など奏したまふ。御簾の内には、女房桜の唐衣どもくつろかにぬぎ垂れつつ、藤、山吹など、いろいろにこのもしくて、あまた小半蔀の御簾より押し出でたるほど、昼の御座の方に、おものまゐる足音高し。けはひなど、「おしおし」と言ふ」声聞ゆ。うらうらとのどかなる日のけしき、いとをかしきに、果ての御盤持たる蔵人まゐりて、おもの奏すれば、中戸よりわたらせたまふ。
◆◆上(一条天皇、当時十五歳)が、こちらにおいであそばしますので、上の御局の戸口の前にある細い板敷にお座りになって、お話など申し上げなさる。上の御局のの御簾の内には、女房たちが、桜の唐衣を一同ゆったりとすべらして着て、藤襲(ふじかさね)や、山吹襲など、さまざまな色合いも感じよくて、たくさん小半蔀の御簾から袖口を押し出しているころ、昼の御座では、主上の御膳をお運び申し上げる蔵人たちの足音が高い。その気配など、「おしおし」という声が聞こえる。うらうらとのどかな春の日の様子が、とてもおもしろい折から、最後の御高坏盤を運んでいる蔵人がこちらに参上して、お食事の用意の整ったことを奏上するので、中の戸から主上は昼の御座にお出ましあそばされる。◆◆


 御供に大納言まゐらせたまひて、ありつる花のもとにかはりゐたまへり。宮の御前の御几帳押しやりて、長押のもとに出でさせたまへるなど、ただ何事ともなく、よろづにめでたきを、候ふ人も、思ふことなき心地するに、「月日もかはりゆけども久に経るみむろの山の」と、「宮高く」といふ事をゆるやかにうちよみ出だしてゐたまへる、いとをかしとおぼゆる。げにぞ千年もあらまほしげなる御ありさまなるや。
◆◆主上のお供に大納言殿が参上あそばされて、さきほどの桜の花のもとに、今までとは座を変えて座っていらっしゃる。中宮様(このとき十八歳)が御前の御几帳を押しやって、下長押のもとにお出ましあそばされていらっしゃるご様子など、ただもう何がどうということもなく、万事につけてすばらしいのを、伺候する人もおもうことのない満ち足りた心地がするのに、大納言殿が、「月日もかはりゆけども久に経るみむろの山の」と、「宮が高くそびえるように、中宮様がすえながく、お栄えあそばすように」ということを、ゆったりと口に出して誦んじながら座っていらっしゃるのが、とても素晴らしいとかんじられる。なるほど本当に千年もこのままであってほしいようにお見上げする中宮様のご様子であるよ。◆◆

■丑寅(うしとら)=東北

■高欄=建物の外回りをめぐる欄干

■小半蔀(こはじとみ)=小型の半蔀。半蔀は下半を格子または板にし、上半を蔀として外側に上げるように作った戸。

■昼の御座(ひるのおまし)=清涼殿の母屋にある天皇の昼間の御座所。

■「おしおし」=「ををしし」の表記で、しかも「をーしー」と読むべきかともいう。

枕草子を読んできて(23)(24)(25)(26)(27)(28)(29)(30)

2018年02月07日 | 枕草子を読んできて
十二   峰は     (23)  2018.2.7

 峰は、つるはの峰。あみだの峰。いや高の峰。
◆◆峰は、つるはの峰(未詳)。阿弥陀の峰(京都)。いや高の峰(弥高=滋賀と岡山両県にある)。これらがおもしろい。◆◆


                            
十三   原は      (24)

 原は たか原。みかの原。あしたの原。その原。萩原。あはづの原。なし原。うなゐごが原。あべの原。篠原。
◆◆原は、たか原(未詳)。みかの原(京都)。葦田の原(奈良)。園原(長野)。萩原(定めがない)。粟津の原(滋賀)。なし原(奈良)。うなゐごが原(未詳)。あべの原(大阪か)。篠原。これらがおもしろい。◆◆



十四   市は      (25)

 市は、たつの市。つば市は、やまとにあまたあるなかに、長谷寺に詣づる人の、かならずそこにとどまりければ、観音の御縁あるにや、心ことなり。おふの市。しかまの市。飛鳥の市。
◆◆市は、たつの市(奈良・辰の日に立つ)。つば市(奈良・海石榴市、椿市)は、大和にたくさんある市の中で、長谷寺に参詣する人が、必ずそこに泊まるのであったから、観音の御縁があるのだろうか、特別な気がする。おふの市(未詳)、しかまの市。飛鳥の市がおもしろい。◆◆

                              

十五   淵は      (26)
 
 淵は、かしこ淵。いかなる底の心を見えて、さる名をつきけむと、をかし。ないりその淵。たれにいかなる人の教へしならむ。青色の淵こそをかしけれ。蔵人などの身にしつべくて。いな淵。かくれの淵。のぞきの淵。たま淵。
◆◆淵は、かしこ淵(未詳)。いったいどんな底の心を見られて、人がそんな名をつけたのだろうかと、おもしろい。ないりその淵(大阪・勿入りそ)。だれに、どんな人が「入るな」と教えたのだろうか。青色の淵(未詳)こそおもしろい。蔵人などが身につけてしまいそうで。いな淵(奈良・稲淵か)。かくれの淵(未詳)。のぞきの淵(未詳)。たま淵(未詳)。どれもおもしろい。◆◆



十六   海は      (27)

 海は 水うみ。与謝の海。かはぐちの海。伊勢のうみ。
◆◆海は、水うみ(淡水の海、琵琶湖を指すか)。与謝の海(京都・宮津湾)。かはぐちの海(大阪、淀川口か)。伊勢のうみ(三重県)。これらがおもしろい。◆◆



十七    みささぎは      (28)

 みささぎは うぐひすのみささぎ。かしは原のみささぎ。あめのみささぎ。う
◆◆みささぎは うぐひすのみささぎ(仁徳陵の別名説があるが未詳)。かしは原のみささぎ(京都、桓武柏原陵か)。あめのみささぎ(未詳)。がおもしろい。◆◆



十八    わたりは      (29)

 わたりは しかすがのわたり。みづはしのわたり。
◆◆渡し場は、しかすがのわたり(さすがの意。心の迷いを表す名が舟渡りの心細さにつながる。愛知県)。みづはしのわたり(みづ橋は富山県)がおもしろい。



十九    家は      (30)
 家は 近衛の御門。二条、一条よし。染殿の宮。せかゐ。みかゐ。すが原の院。れぜいの院。とう院。小野宮。紅梅。あがたのゐど。東三条。小六条。
◆◆家は 近衛の御門(陽明門、一説に九重の御門の誤り)。二条(二条院、村上帝母后藤原穏子の領)、一条(一条院、藤原伊尹邸)がおもしろい。染殿の宮(藤原良房邸、のち娘明子(染殿后)の御所)。せかゐ清和院。清和帝母后(染殿后)の御所)。みかゐ(未詳)。すが原の院(菅原道真か父の邸)。れぜいの院(嵯峨帝以来累代の後院)。とう院(東院か)。小野宮(惟喬親王邸、のち藤原実頼が伝領)。紅梅(道真が「東風吹かば」と詠んだ邸か)。あがたのゐど(県の井戸)。東三条(藤原良房邸、のち兼家伝領)。小六条(北院をさすという)。がおもしろい。◆◆


枕草子を読んできて  (19)(20)(21)(22)

2018年02月05日 | 枕草子を読んできて
八    正月一日  三月三日は     (19)  2018.2.5
 
 正月一日、三月三日は、いとうららかなる。五月五日、曇りくらしたる。七月七日は、曇りて、七夕晴れたる空に、月いと明かく、星の姿見えたる。九月九日は、暁がたより雨すこし降りて、菊の露もこちたうそぼち、おほひたる綿など、もてはやされたる。つとめてはやみにたれど、曇りて、ややもすすれば、降り落ちぬべく見えたる、をかし。
◆◆正月一日、三月三日は、たいそううららかなのがいい。五月五日は一日中曇っている。七月七日は、曇って、七夕のころになって晴れている空に、月がたいへん明るく、星の姿が見えている。九月九日は、夜明け方から雨が少し降って、菊の花におおってある綿などが、自然にいっそうその香りをたかめている。早朝にはやんでしまっているけれど、曇って、ともすれば降り落ちてきてしまいそうに見えるのは、おもしろい。◆◆


■正月一日、三月三日=諸本いずれも漢字表記である。シャウグワチツイタチ、サングワチミカ、というふうに読む。

■五月五日=五月の節供。菖蒲を屋根に葺き、薬玉をつくる。

■九月九日=重陽の節供。この前日菊に綿をかぶせて、九日に露で濡れた綿で身を拭うと、老いを防ぐという。

                     

九    よろこび奏するこそ     (20)  

 よろこび奏するこそをかしけれ。うしろをまかせて、笏取りて、御前の方に向ひて立てるを。拝し舞踏し、さわぐよ。
◆◆(官位昇進の)御礼を主上に申し上げる姿こそ、いいものだ。裾をうしろに長く引くままにして、笏を取って、主上の御座の方に向かって立っている姿のすばらしさ。それから拝礼をし舞踏の礼をしてはげしく立ちうごくよ。◆◆


■よろこび=官位昇進の御礼奏上の作法。

■うしろをまかせて=下襲(いたがさね)の裾(きょ)をそのまま引いて。


                   

十    今内裏の東をば     (21)

 今内裏の東をば、北の門とぞいふ。楢の木のはるかに高きが立てるを、常に見て、「いく尋あらむ」など言ふに、権中将の、「もとよりうち切りて、定澄僧都の枝扇にせさせばや」とのとまひしを、山階寺の別当になりて、よろこび申しの日、近衛司にて、この君の出でたまへるに、高き屐子をさへはきたれば、ゆゆしく高し、出でぬる後こそ、「などその枝扇は持たせたまはぬ」と言へば、「物忘れせず」と笑ひたまふ。
◆◆(仮の)新内裏の東は、北の門という。楢の木のはるかに高いのが立っているのを、いつも見て、「いく尋(ひろ)あるかしら」などと言うのに、ある時、権の中将が「根もとから切って、定澄僧都(じょうちょうそうず)の枝扇(えだおうぎ)にさせたいものだ」とおっしゃったが、僧都が山階寺(やましなでら=奈良の興福寺)の別当になって、御礼奏上の日、近衛の役人として、この権の中将の君が出ていらっしゃっているときに、僧都は高い足駄をまでもはいているので、おそろしく背が高い、僧都が退出してしまったのちにはじめて、わたしが、「どうしてあの枝扇はお持たせになりませんか」と言うと、「物忘れしないね」とお笑ひになる。◆◆


■今内裏(いまだいり)=一条大宮院。内裏焼失のため、長保元年(999)六月ここに行幸、翌年二月まで仮皇居。定子は長保二年二月十一日から三月二七日、八月八日から二十七日の間滞在。

■北の門=本内裏の清涼殿にならって仮内裏でも左(東)の門を北と呼んだ。


                         

十一    山は     (22)

 山は、小倉山。三笠山。このくれ山。わすれ山。いりたち山。かせ山。ひえの山。かさとり山こそは、いかならむとをかしけれ。いつはた山。のち瀬山。かさとり山。ひらの山。床の山は、「わが名もらすな」と御門のよませたまひけむ、いとをかし。
◆◆山は、小倉山(京都・紅葉の名所)。三笠山(奈良)。このくれ山(未詳)。わすれ山(未詳)。いりたち山(未詳)。かせ山(鹿背山・京都と奈良の境)。ひえの山(比叡の山)。これらがおもしろい。かさとり山(片去り山?未詳)こそは、いったいどう脇へ寄るのだろうかとおもしろい。いつはた山(五幡・敦賀市)。のち瀬山(後瀬山・小浜市)。かさとり山(笠取山・京都)。ひらの山(比良山・滋賀県)。床の山(床は滋賀県か)は、「わが名洩らすな」と帝がお詠みあそばしたのが、おもしろい。



 いぶせの山。あさくら山、よそに見るがをかしき。いはた山。をひれ山も、臨時の祭の使ひなど思ひ出でらるべし。手向山。三輪の山、いとをかし。音羽山。まちかね山。たまさか山。耳なし山。末の松山。葛城山。美濃のを山。柞山。位山。吉備の中山。嵐山。更級山。姨捨山。小塩山。浅間の山。かたため山。かへる山。妹背山。
◆◆いぶせの山(未詳)。朝倉山(福岡県)は、よそに見るのがおもしろい。いはた山(未詳)。小領布山(未詳)も、石清水八幡の臨時の祭の勅使などが自然思い出されるにちがいない。手向山(奈良県)。三輪の山(奈良県)はとてもおもしろい。音羽山(京都)。まちかね山(兵庫県)。邂逅山(たまさか=兵庫県)。耳成山(奈良県)。末の松山(宮城県)。葛城山(奈良と大阪の境)。美濃のを山。柞山(ははそ山・京都府)。位山(岐阜県)。吉備の中山(岡山県)。嵐山(京都)。更級山(長野県)。姨捨山(長野県)。小塩山(京都府)。浅間の山(長野県)。かたため山(未詳)。かへる山(帰る山=福井県)。妹背山(和歌山と奈良の境)。これらもおもしろい。


■「わが名もらすな」=古今集「犬上の鳥籠(とこ)の山なる名取川いさと答へよわが名洩らすな」



枕草子を読んできて(18)

2018年02月03日 | 枕草子を読んできて
七    うへに候ふ御猫は   その3  (18) 2018.2.3

 御前にもおぢわらはせたまふ。人々まゐりあつまりて、右近の内侍召して、「かく」など仰せらるれば、笑ひののしるを、うへにも聞こしめして、わたらせおはしまして、「あさましう、犬どもも、かかる心あるものなりけり」と笑はせたまふ。うへの女房たちなども、聞きて、まゐりあつまりて、呼ぶに、ただいまぞ立ち動く。なほ顔など腫れたンめり。「もののてをせさせばや」と言へば、「これをついでに言ひあらはしつる」など、笑はせたまふに、忠隆聞きて、台盤所の方より、「まことにやはべらむ。かれ見はべらむ」と言ひたれば、「あなゆゆし。さるものなし」と言はすれば、「さりとも、つひに見つくるをりはべりなむ。さのみもえ隠させたまはじ」と言ふなり。
◆◆皇后さまにおかせられても、怖くもお笑いあそばされる。女房たちも御前に伺い集まって、右近の内侍をお召しになって、「こうこう」などと仰せになるので、みんなで笑って大騒ぎするのを、主上もお聞きあそばれて、こちらにお渡りになって、「あきれたことに、犬どもも、こうした心があるものなんだ」とお笑いあそばす。主上付きの女房たちも、これを聞いて、御前に伺い集まって、翁まろを呼ぶと、今こそは立って動く。やはり顔などは腫れているように見える。「手当をさせたいものです」わたしが言うと、皇后さまが、「そなたの翁まろびいきをこの機会に白状してしまったね」などと皇后さまはお笑いあそばせるのに、忠隆が聞きつけて、台盤所の方から、「ほんとうでございましょうか。それを見させていただきましょう」と言っているので、「まあ恐ろしい。そんなものはいない」と言わせると、「それでも、おしまいにみつける時がきっとございましょう。そうばかりお隠しあそばすことはできますまい」と言っているとのことだ。◆◆



 さて後、かしこまり勘事ゆるされて、もとのやうになりにき。なほあはれがられて、ふるひ鳴き出でたりしほどこそ、世に知らず、をかしくあはれなりしか。人々にも言はれて、なきなどす。
◆◆それから後、おとがめや勘当もゆるされて、もとのようになってしまった。やはり、わたしから可哀そうにおもわれて、震えて鳴きながら出てきた時の様子こそ、この世に類がないほど、おもしろくも、またしみじみとかわいそうでもあった。この翁まろは他の人にも言葉をかけられて、鳴きなどすることだ。◆◆


■おぢわらはせたまふ=「いみじく鳴く」声に恐れを覚えながら笑うの意。

■ののしる=大声をあげて騒ぐ。

*一条帝の猫の寵愛ぶりは異常なほどであったらしい。