永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1262)

2013年05月31日 | Weblog
2013. 5/31    1262

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その54

「『さりとも、思し出づることは多からむを、つきせず隔て給ふこそ心憂けれ。ここには、かかる世の常の色あひなど、久しく忘れにければ、なほなほしく侍るにつけても、昔の人あらましかば、など思ひ出で侍る。しかあつかひきこえ給ひけむ人、世におはすらむや。かく亡くなして見侍りしだに、なほいづこにかあらむ、そことだにたづね聞かまほしく覚え侍るを、行くへ知らで、思ひ聞こえ給ふ人々侍らむかし』とのたまへば」
――(尼君が)「それにしましても、思い出されることはたくさんおありでしょうに、いつまでも隔てがましくお思いなのが辛うございます。私は世間の人の着る美しい色合いの着物など、長らく手にしませんので、上手に縫えませんが、それにつけても、亡くなった娘が生きていてくれたなら、などと思い出します。あなたには、そのようにあなたを大切にお世話なさった親御が、おいでにならないのでしょうか。私のように死なせてしまってさえ、やはりどこにいるのかしら、せめてどこそことだけでも聞きたいと思いますのに。こうして行方知れずになられたのでは、さぞ心配していらっしゃる方々もおられましょうに」とおっしゃいますと――

「『見し程までは、一人はものし給ひき。この月ごろ亡せやし給ひぬらむ』とて、なみだの落つるをまぎらはして、『なかなか思ひ出づるにつけて、うたて侍ればこそ、え聞え出でね。隔ては何事にか残し侍らむ』と、言ずくなにのたまひなしつ」
――(浮舟が)「一所に居りました時は、母がひとりございました。この頃はもう亡くなっているかもしれません」と、涙が落ちるのを紛らわして、「なまじ思い出しますと悲しくなりますので、それで申し上げないのです」と言葉少なく言い繕うのでした――

「大将は、このはてのわざなどせさせ給ひて、はかなくもやみぬるかな、とあはれにあぼす。かの常陸の子どもは、かうぶりしたるは蔵人になし、わが御つかさの蒋監になしなど、いたはり給ひけり。童なるが、中にきよげなるをば、近く使ひ馴らさむとぞ思したりける」
――薫大将は、浮舟の一周忌の法要などを営まれて、浮舟との縁もあっけなく終わってしまったことよ、としんみりとお思いになります。あの常陸の守の子どもたちは、元服した子は蔵人(くろうど)にしたり、ご自分の役所(右近衛府)の蒋監(ぞう)にしたりして、約束通り何くれとなく面倒を見ておられます。また、まだ元服せず、兄弟中でもきれいな子を、ご自分の手元において召使おうと考えていらっしゃいます――

「雨など降りてしめやかなる夜、后の宮に参り給へり」
――さて、大将は、雨などが降ってしめやかな夜に、后の宮(明石中宮の御殿)に参上されました――

◆6/6までお休みします。では6/7に。

源氏物語を読んできて(1261)

2013年05月29日 | Weblog
2013. 5/29    1261

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その53

「忘れ給はぬにこそは、と、あはれに思ふにも、いとど母君の御心のうちおしはからるれど、なかなかいふかひなきさまを、見え聞えたてまつらむは、なほいとつつましくぞありける」
――(浮舟は)大将殿は、わたしのことを忘れてはいらっしゃらないのだ、と、懐かしくもうれしくも思いますにつけても、あれほど私の仕合せを願ってくださった母上のお心の内が、ひとしお偲ばれて、なまじこのような尼姿をお見せしたり、お聞かせしたりするのは、何とも辛いものと思うのでした――

「かの人の言ひつけしことなどを、染めいそぐを見るにつけても、あやしうめづらかなる心地すれど、かけても言ひ出でられず。断ち縫ひなどするを、『これご覧じ入れよ。ものをいとうつくしうひねらせ給へば』とて、小袿の単たてまつるを、うたて覚ゆれば、心地あしとて手も触れず臥し給へり」
――あの紀伊守の頼んで行った仕事などを、急いで染めたりして準備しているのを見ますと、浮舟は、これは自分の法事の支度かと、不思議な気がしますが、とてもそのような事は口に出せません。裁ったり縫ったりしていますと、尼君が、「これを手伝ってください。たいそう裁縫がお上手ですから」といって、小袿(こうちぎ)の単(ひとえ)を差し上げますのを、われとわが法事の料と思いますと妙な気がして、気分が悪いとおっしゃって、手にも触れず臥しておしまいになります――

「尼君、いそぐことをうち棄てて、『いかが思さるる』など思ひみだれ給ふ。紅に桜の織物の袿重ねて、『御前にはかかるをこそ奉らすべけれ。あさましき墨染なりや』と言ふ人あり」
――尼君は急ぎの仕事もうち捨てて、「いかがでしょう、ご気分は」と、心配していらっしゃる。紅に桜の織物の袿を重ねて、「これこそ姫君がお召しになるべきですのに、墨染とはほんとうに情けない」と言う人がいます――

「『あまごろもかはれる身にやありし世のかたみの袖をかけてしのばむ』と書きて、いとほしく、亡くもなりなむのちに、ものの隠れなき世なりければ、聞きあはせなどして、うとましきまで隠しける、とや思はむ、などさまざま思ひつつ、『過ぎにし方のことは、絶えて忘れ侍りにしを、かやうなることを思しいそぐにつけてこそ、ほのかにあはれなれ』とおほどかにのたまふ」
――(浮舟の歌)「尼衣に変わった今の身に、昔用いた衣を重ねて、当時を偲んでみようかしら」などと書いて、お気の毒にも、私が死んだ後にでも、何ごとも知られてしまう世の中ですから、あれこれ聞き合せて、よくもこうまでひた隠しに隠していたものよ、と、尼君は思うであろうと、さまざまに思い乱れて、浮舟は、「過ぎ去ったことはすっかり忘れておりましたのに、こうした華やかな衣裳のご用意をなさるのを見ていますと、何とはなしに悲しくなります」とおっとりとおっしゃいます――

◆ひねらせ給へば=「ひねる」は単衣を2枚重ねて一枚のように見せて仕立てる用語。

では5/31に。


源氏物語を読んできて(1260)

2013年05月27日 | Weblog
2013. 5/27    1260

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その52

「かのわたりの親しき人なりけり、と見るにも、さすがにおそろし。『あやしく、やうのものと、かしこにてしも亡せ給ひけること。昨日もいとふびんに侍りしかな。川近き所にて、水をのぞき給ひて、いみじう泣き給ひき。上にのぼり給ひて、柱に書きつけ給ひし、『見し人はかげもとまらぬ水の上に落ちそふなみだいとどせきあへず、となむ侍りし』
――(浮舟はお心の中で)さては、この紀伊守は、あの御あたりへ親しく出入りしている、薫の従者だったのだ、と思いますに、もしや今の身の上を知られはすまいかと、さすがに恐ろしくてなりません。紀伊守は続けて、「不思議にも御姉妹がこともあろうに、同じ宇治で亡くなられました。昨日も大そうお気の毒なご様子でした。殿は宇治の川辺に降り立たれて、水面をお覗きになって、ひどく泣いていらっしゃいました。やがてお部屋にお上りになって、柱にお書きつけになったお歌は、「かつて愛した浮舟は、面影も映さぬ水に上に、落ちては流れる私の涙は、抑えようにも抑えられない」と、ございました――

さらにつづけて、

「『言にあらはしてのたまふことは少なけれど、ただけしきには、いとあはれなる御さまになむ見え給ひし。女は、いみじくめでたてまつりぬべくなむ。若く侍りし時よりも、優におはすと見たてまつりしみにしかば、世の中の一の所も、何とも思ひ侍らず、ただこの殿を頼みきこえさせたなむ、過ぐし侍りめる』と語るに、殊に深き心もなげなるかやうの人だに、御ありさまは見知りにけり、と思ふ」
――「お言葉にお出しになるわけではありませんが、ただご様子はいかにも悲しげにお見えでした。殿は世にも類いない御方ですから、女ならばさぞかしお慕いしない者はいおりますまい。私も若い頃から、薫の君をご立派な方だと思い込んでおりますので、天下第一の権勢家も何とも思わずに、ただこの殿をお頼り申して参りました」と話しています。浮舟は、ことさら考え深そうなこの種の人でさえ、薫のご立派さは、よく分かったのであろうと思うのでした――

「尼君、『光君と聞こえけむ故院の御ありさまには、えならび給はじ、と覚ゆるを、ただ今の世に、この御族ぞめでられ給ふなる。右の大殿と』とのたまへば、」
――尼君が、「光の君とか申し上げた、故六条院の御有様には、とても比べられまいと存じますが、今の世では、あの御一族だけがもてはやされておいでだそうですね。左大臣殿とはいかがでしょう」とおっしゃると――

「『それは、容貌もいとうるはしうけうらに、宿徳にて、際ことなるさまぞし給へる。兵部卿の宮ぞいといみじうおはするや。女にてなれ仕うまつらばや、たなむ覚え侍る』など、教へたらむやうに言ひつづく。あはれにもをかしくも聞くに、身の上もこの世のこととも覚えず。とどこほることなく語り置きて出でぬ」
――「それはそれは、ご容姿もすぐれてご立派で美しく、貫録もおありになって、見るからに高徳でご身分も格別のご様子です。お美しい点では、兵部卿の宮が実に大したものでございますよ。女になってお側近くにお仕えしたいほどの心地がしますよ」などと、まるで浮舟に聞かせるために、だれかが教えでもしたように話つづけています。しみじみと悲しくも面白くも聞いていますと、浮舟はわが身の上の出来事が、この世のこととも思えないのでした。紀伊守は、よどみなく話してしまうと、帰って行きました――

◆おとり腹=劣り腹=妾腹

◆右の大殿=夕霧のことで、左大臣になっているはず。

では5/29に。

源氏物語を読んできて(1259)

2013年05月25日 | Weblog
2013. 5/25    1259

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その51

「『年月に添へては、つれづれにあはれなることのみまさりてなむ。常陸はいと久しうおとづれきこえ給はざめり。え待ちつけ給ふまじきさまになむ見え給ふ』とのたまふに、わが親の名、と、あいなく耳とどまるに、また言ふやう、」
――(尼君は)「年月が経つにつれて、何となく悲しいことばかりがつのって参ります。常陸のほうは長らくお便りがないようです。大尼君の御容態では、あの方のご上洛までは、とても生きてはいらっしゃれないでしょう」とおっしゃるのを、浮舟は、ご自分の親の名と同じなので、はっとして聞くともなく聞いていますと、紀伊守はさらに続けて――

「『まかり上りて日ごろになり侍りぬるを、公事のいと繁く、むつかしうのみ侍るに、かかづらひてなむ。昨日もさぶらはむと思う給へしを、右大将殿の宇治におはせし御供に仕うまつりて、故八の宮の住み給ひし所におはして、日くらし給ひし。故宮の御女に通ひ給ひしを、先づ一所は一年亡せ給ひにき』」
――「上洛しましてからは、かなりの日数が経っていますが、公の御用がいろいろと立てこんでいまして、面倒な事ばかりが多く、それにかかり合っておりました。昨日も伺おうと存じましたが、右大将の宇治にいらっしゃるお供をいたしました。故八の宮のお住みになっていらした所で、一日お過ごしになられたのです。故宮の姫君にお通いになっておいででしたが、まずお一人の方は先年、お亡くなりになりました」――

 さらに、

「『その御おとうと、また忍びてすゑたてまつり給へりけるを、去年の春また亡せ給ひにければ、その御はてのわざせさせ給はむこと、かの寺の装束一領調じ侍るべきを、せさせ給ひてむや。織らすべきものは、いそぎせさせ侍りなむ』と言ふを聞くに、いかでかはあはれならざらむ。人やあやしと見む、とつつましうて、奥に向かひて居給へり」
――「そのお妹君を、また密かにそこに住まわされてお置きになりましたところ、その方も去年の春に亡くなってしまわれました。その一周忌のご法要をなさるので、あちらの寺の律師にすべてのことをお言ひつけになって、私もそのための女の装束を一そろい調えなくてはなりません。こちらで誂えていただけないでしょうか。織るものは急いで織らせましょう」と言っていますのを聞いて姫君は、どうして心が騒がずにいられましょう。浮舟は、はたの人が自分の態度を怪しみはしないかと気が引けて、奥の方を向いて座っておいでになります――

「尼君、『かの聖の親王の御女は、二人と聞きしを、兵部卿の宮の北の方は、いづれぞ』とのたまへば、『この大将殿の御後のは、おとり腹なるべし。ことごとしくももてなし給はざりけるを、いみじうかなしび給ふなり。はじめのはた、いみじかりき。ほとほと出家もし給ひつべかりきかし』など語る」
――尼君は、「そういえば、あの聖の僧とおっしゃられた親王(八の宮)の御姫君はお二人と聞いておりましたが、兵部卿の宮(匂宮)の北の方はどちらの御方でしょう」とおっしゃると、「この大将殿の、後にお通いになられたというのは、妾腹の娘でしょう。大将殿はあまり大切におもてなしになられなかったのですが、その亡くなり方に対して、今となっては、ひどく悲しんでおられるそうです。始めの姫君の時も大変な悲しみ方でしたが、今度も、ほとんど出家でもなさりそうなご様子で」などと話しています――

では5/27に。


源氏物語を読んできて(1258)

2013年05月23日 | Weblog
2013. 5/23    1258

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その50

「若菜をおろそかなる籠に入れて、人の持て来たりけるを、尼君見て、『山里の雪間のわかな摘みはやしなほ生ひさきの頼まるるかな』とてこなたに奉れ給へりければ、『雪ふかき野辺のわかなも今よりは君がためにぞ年もつむべき』とあるを、さぞ思すらむ、とあはれなるにも、『見るかひあるべき御さまと思はましかば』と、まめやかにうち泣い給ふ」
――若菜を質素な籠に入れて、人が持って来ましたのを尼君が見て、(歌)「山里の雪の間に生えた若菜を摘んで賞美するにつけましても、あなたの生い先を楽しみにしています」と浮舟にお贈りになりますと、浮舟から、(歌)「雪深い野辺に生えた若菜も、今後は、ただあなたの御長寿のために摘みましょう」とご返歌がありました。尼君は、なるほどそうお思いになる事であろうと、あわれに思うのでした。それにつけても、この方がお世話のし甲斐のある、世の常のお姿でいらっしゃったならと、心底から悲しく、尼君はお泣きになるのでした――

「閨のつま近き紅梅の、色も香も変らぬを、『春やむかしの』と、こと花よりもこれに心寄せのあるは、飽かざりしにほひのしみにけるにや。後夜に閼伽奉らせ給ふ。下の尼の少し若きがある、召し出でて花を折らすれば、かごとがましく散るに、いとどにほひ来れば、『袖ふれし人こそ見えね花の香のそれかとにほふ春のあけぼの』」
――寝所の軒端に近い紅梅が、色も香りも昔と変わらないのを、「春や昔の春ならぬ」と思って、他の花よりも紅梅に心惹かれるのは、えも言われぬ匂宮の(又は薫の説も)お袖の香りが今も身に沁みているからでしょうか。浮舟は、後夜(ごや)の閼伽(あか)をお供えさせます。下働きの尼で、少し年の若いのを呼んで、その花を折らせますと、何かをかこつような、恨み言でも言うように散りながら、いっそう匂ってきますので、ふと口ずさまれるのでした。「その昔、袖を触れたお方は見えませんが、まるでその人の香でもあるように花の香が漂う春のあけぼのですこと」――

「大尼君の孫の紀伊守なりけるが、この頃上りて来たり。三十ばかりにて、容貌きよげに誇りかなるさましたり。『何ごとか、去年一昨年』など問ふに、ほけほけしきさまなれば、こなたに来て、『いとこよなくこそひがみ給ひにけれ。あはれにも侍るかな。残りなき御さまを、見たてまつること難くて、遠き程に年月を過ぐし侍るよ。親たちものし給はでのちは、一所をこそ御かはりに思ひ聞え侍りつれ。常陸の北の方は、おとづれきこえ給ふや』と言ふは、妹なるべし」
――(ところで)母尼君の孫の紀伊守(きのかみ)が、最近任国から上京してきました。三十歳くらいで、容姿も美しく整い、得意げな様子です。「何か変ったことでもございませんでしたか。去年、一昨年は」などと尋ねますが、大尼君は呆けてしまったふうですので、妹の尼君のところに来て、「大尼君は大分呆けておしまいになりましたね。おいたわしいことです。もうあまり長生きはできそうにないとお見受けしましたが、お世話もできぬ有様で、遠国で長い年月を過ごしてしまいました。私の両親が亡くなってからは、大尼君お一人を親がわりにお頼り申して来ました。常陸の介の北の方はお便りを下さいますか」と言っているのは、守の妹のことらしい(浮舟の母君とは別人)――

◆後夜に閼伽(ごやのあか)=夜半の勤行に仏前に水を供える。梵語。

では5/25に。


源氏物語を読んできて(1257)

2013年05月21日 | Weblog
2013. 5/21    1257

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その49

「『心深からむ御物語など、聞き分くべくもあらぬこそくちをしけれ』といらへて、この厭ふにつけたるいらへはし給はず」
――(浮舟は)「意味深そうなお話などは、とても聞き分けられないのが残念でございます」とお答えして、この「厭ふ」と詠まれたお歌についての返歌はなさらない――

「思ひ寄らずあさましきこともありし身なれば、いとうとまし、すべて朽ち木などのやうにて、人に見棄てられてやみなむ、ともてなし給ふ」
――(浮舟は)思いもかけず浅ましい事もあった身の上でしたので、われながら疎ましく、何もかも殊に男女のことなども厭で、ただもう朽ち木などのようにして、人には相手にされず世を終わりたいと、そのように振る舞っていらっしゃるのでした――

「されば、月ごろたゆみなく結ぼほれ、ものをのみ思したりしも、この本意のこし給ひてのちより、すこしははればれしうなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、碁打ちなどしてぞあかしくらし給ふ」
――その様なわけで、今までは何カ月もただ塞ぎこんで物思いばかりしておいでになりましたが、出家の本意が叶ってからは、少し晴れ晴れとして、尼君とちょっとした冗談も言い交わしたり、碁を打ったりなどして、明かし暮らしておいでになります――

「行ひもいとよくして、法華経はさらなり、こと法文なども、いと多く誦み給ふ。雪深く降り積み、人目絶えたるころぞ、げに思ひやるかたなかりける」
――勤行も大そうよくなさり、法華経はもちろん他の経文なども、たくさんお読みになります。とはいえ、やがて雪が深く降り積って、人の姿も見えなくなる頃には、やはり気の晴らしようもないのでした――

「年もかへりぬ」
――年も改まって――

「春のしるしも見えず、氷りわたれる、水の音せぬさへ心細くて、『君にぞ惑ふ』とのたまひし人は、心憂しと思ひ果てにたれど、なほその折などのことは忘れず。『かきくらす野山の雪をながめてもふりにしことぞ今日も悲しき』など、例の、なぐさめの手習ひを、行ひのひまにはし給ふ。われ世に亡くて年へだたりぬるを、思ひ出づる人もあらむかし、など、思ひ出づる時も多かり」
――春の兆しも見えず、凍ったままで川音もしないのさえ心細く、「君にぞ惑う」とおっしゃった匂宮のことは、つくづく厭わしいと思い捨てはしましたものの、やはりあの時の思い出の橘の小島に伴われたことが忘れられず、(歌)「空を暗くして降りしきる野山の雪を眺めるにつけても、過去のことを思うと、今日もなお悲しい」などと、勤行の合間には、いつものように気晴らしの手習いをしておいでになります。自分が姿を消してからもう一年が経ってしまったのに、思い出してくれる人があるだろうか、などと思い巡らすことも多いのでした――

◆ 浮舟23歳、薫28歳、匂宮29歳。

では5/23に。


源氏物語を読んできて(1256)

2013年05月19日 | Weblog
2013. 5/19    1256

十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その48

「尼なりとも、かかるさましたらむ人はうたても覚えじ、など、なかなか見どころまさりて心苦しかるべきを、忍びたるさまに、なほ語らひとりてむ、と思へば、まめやかに語らふ。『世の常のさまには思しはばかることもありけむを、かかるさまになり給ひにたるなむ、心やすう聞えつべく侍る。さやうに教へ聞こへ給へ。来し方の忘れがたくて、かやうに参り来るに、また今ひとつ志を添へてこそ』などのたまふ」
――尼姿であっても、これほどの美人なら厭な感じはしない。帰って俗体より見栄えがして、心は怪しく燃えてくるのでした。中将はこっそりと、やはり自分の手に入れていまいたいと、尼君にねんごろに相談するのでした。中将が、「あの方が俗体の頃は対面を遠慮なさる事情もあったでしょうが、尼姿におなりになった今は、却って気楽にお話もできると存じます。そのようにお教えになってください。亡き妻を忘れかねて、こうしてお伺いして参りましたが、これからは
その上に浮舟への愛情を加えて、もうひとつの志を添えさせてください」などとおっしゃる――

「『いと行く末心細く、うしろめたきさまに侍るめるに、まめやかなるさまに思し忘れず訪はせ給はむ、いとうれしくこそ思う給へ置かめ。侍らざらむのちなむ、あはれに思う給へらるべき』とて、泣き給ふに、この尼君も離れぬ人なるべし、誰ならむ、と心得がたし」
――(尼君が)「行く末のことがまことに心細く、心配でなりませんが、あなたさまがまめやかにお心にかけてくださるならば、どんなにか安心なことでしょう。私が亡くなりました後の、この方のが、どうなりますか、不憫におもわれまして」と言ってお泣きになります。中将は、この尼君もあのお方の縁につながる人らしいけれど、あの姫君は一体誰なのだろうと思うものの、心当たりがないのでした――

「『行く末の御後見は、命も知り難くたのもしげなき身なれど、さ聞えそめ侍りなば、さらにかはり侍らじ。たづねきこえ給ふべき人は、まことにものし給はぬか。さやうのことのおぼつかなきになむ、はばかるべきことには侍らねど、なほへだてある心地し侍るべき』とのたまへば、」
――(中将が)「将来のお世話は、私もいつ死ぬか分からない頼りない身ですが、一旦そう申し上げた上は、決して変ることはありますまい。その方の行方をお探しする筈の人は、本当にいらっしゃらないのですか。その辺の事がはっきりいたしませんのが、何もそれで遠慮すべきではありませんが、やはりどうも、しっくりしない気持ちがいたしますが」とおっしゃると、――

「『人に知らるべきさまにて世に経給はば、さもやたづね出づる人も侍らむ。今はかかる方に、思ひ限りつるありさまになむ。心のおもむけもさのみ見え侍るを』など語らひ給ふ」
――(尼君は)「人に知られてもよい風に過ごしておられるならば、そのように探しに来る人もおりましょう。今はこのように出家して、この世を諦めた状態ですからね。それはまた、ご本人のご意志のようでもございますし」などとお話になります――

「こなたにも消息し給へり。『おほかたの世をそむきける君なれど厭ふによせて身こそつらけれ』ねんごろに深く聞え給ふことなど、多く言ひ伝ふ。『兄弟と思しなせ。はかなき世の物語なども聞えて、なぐさめむ』など言ひ続く」
――中将は浮舟にも挨拶をなさる。(歌)「憂き世を厭うて出家なさったとは存じますが、なにか私を嫌ってなさったようで、この身が辛くてなりません」このような心をこめて、思いやり深くおっしゃることなどを、尼君は細々とお取り次ぎをして、「兄弟とお思いになってください。はかない浮世の物語など申し上げて、お慰めしましょう」などと、中将の言葉を、取り次ぎの者はなおも続けるのでした――

では5/21に。

源氏物語を読んできて(1255)

2013年05月17日 | Weblog
2013. 5/17    1255

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その47

「薄鈍色の綾、中には萱草など、澄みたる色を着て、いとささやかに、やうだいをかしく、今めきたる容貌に、髪は五重の扇を広げたるやうに、こちたき末つきなり。こまかにうつくしき面やうの、化粧をいみじくしたらむやうに、紅くにほひたり」
――(浮舟の)そのご様子は、薄い鈍色の綾、その下には萱草色(紅黄色)などの落ち着いた色のものを重ね、たいそう小柄で姿かたちもよく、当世風なはなやかな顔立ちに、髪は五重(いつえ)の扇を広げたように裾の方が房々として、多すぎるほど豊かでいらっしゃる。整って難のない顔かたちは、まるで上手にお化粧をしたように、ほんのりと赤く艶やかでいらっしゃる――

「行ひなどし給ふも、なほ数珠は近き几帳にうち掛けて、経に心を入れて誦み給へるさま、絵にも画かまほし。うち見るごとに涙のとどめ難き心地するを、まいて心かけ給はむ男は、いかに見たてまつり給はむ、と思ひて、さるべき折にやありけむ、障子のかけがねのもとにあきたる孔を教へて、まぎるべき几帳など引きやりたり」
――勤行をなさるにも、まだやはり恥かしげに、数珠は近くの几帳に懸けておいて、一心にお経を読んでいらっしゃる。そのご様子が、絵に画きたいようです。少将の尼は見るたびに涙が止まらない心地がしますのに、ましてや、思いを寄せていらっしゃる男君は、どんなお気持ちであろうかとお察しして、丁度よい機会でもあったのでしょうか、襖障子の掛金のところに孔(あな)があいていますのを中将にお教えして、邪魔になる几帳などを脇へ押しやりました――

「いとかくは思はずこそありしか、いみじく、思ふさまなりける人を、と、わがしたらむあやまちのやうに、惜しくくやしく悲しければ、つつみもあへず、もの狂ほしきけはひも聞えぬべけえば、退きぬ」
――まさか、これほどのご器量とは思いも寄らなかった。実にまあ申し分なく理想的な人だったものを、まるでご自分が出家などおさせしたかのように、口惜しくて悲しくて、思わず取り乱しそうになりましたのを、そのような気配を気付かれでもしたら、とやっとの思いで堪えて、その場を離れたのでした――

「かばかりのさましたる人を失ひて、たづねぬ人ありけむや、また、その人かの人の女なむ、行方も知らず隠れにたる、もしはもの怨じして、世を背きけるなど、おのづから隠れなかるべきを、など、あやしうかへすがへす思ふ」
――(中将はお心の中で)それにしても、これほどの美しい人を行方知れずにして、探し求めない人が一体いるだろうか。また、誰それの娘が行方も知れず、跡をくらましたとか、あるいは嫉妬のために尼になったとか、そういうことならば、自然に噂が立つ筈なのに、と、どう考えても腑に落ちないのでした――

では5/19に。

源氏物語を読んできて(1254)

2013年05月15日 | Weblog
2013. 5/15    1254

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その46

「かひなきことも言はむとてものしたりけるを、紅葉のいとおもしろく、ほかの紅に染めましたる色々なれば、入り来るよりぞものあはれなりける」
――言っても甲斐のない浮舟への想いを、せめて繰り言ででも語ろうと訪ねて来たのですが、こちらの紅葉の色がたいそう美しく、他所の山よりもひとしお色濃く見えましたので、分け入って来る早々、感に堪えないあはれをもよおすのでした――

「ここにいと心地よげなる人を見つけたらば、あやしくぞ覚ゆべき、など思ひて、『暇ありて、つれづれなる心地し侍るに、紅葉もいかにと思う給へてなむ。なほ立ちかへり旅寝もしつべき木のもとにこそ』とて、見出だし給へり」
――このような所に大そう陽気そうな女を見出したなら、さぞかしちぐなぐな気がするにちがいない、などと思い感に堪えない様子で、「毎日、暇をもてあましてつれづれですので、紅葉の色もいかがと存じまして、やはり昔に立ち返って、旅寝をしたいような、こちらの美しい木陰ですね」と、外の景色を見やっておいでになります――

「尼君、例の、涙もろにて、『木枯らしの吹きにし山のふもとにはたち隠るべきかげだにぞなき』とのたまへば、『まつ人もあらじと思ふ山里のこずゑを見つつなほぞ過ぎうき』
――尼君が、いつものとおり涙もろく、(歌)「木枯らしが吹き散らした、娘も亡く姫君も出家してしまったこの山里には、あなたのお泊まりになる木陰さえございません」とおっしゃると、中将の返歌、「今は私を待ってくれる人も居ないと分かっていても、やはり思い出深いこの山里は、そのまま通り過ぎることができません」

「いふかいひなき人の御ことを、なほつきせずのたまひて、『さまかはり給へらむさまを、いささか見せ給へよ』と、少将の尼にのたまふ。『それをだに、契りししるしにせよ』と責め給へば、入りて見るに、ことさらにも人に見せまほしきさましてぞおはする」
――今更言っても甲斐のない人(浮舟)のことを、なおも尽きせずおっしゃって、「尼姿におなりになったところを、少しでもいいですから見せてください」と少将の尼にせがむのでした。「いつぞやの約束もあったことですし、せめてその位のことは、よいでしょう」としきりにお責めになりますので、少将の尼が奥に入ってみますと、浮舟は、殊更にも人にお見せしたいようなお姿でいらっしゃる――

では5/17に。

源氏物語を読んできて(1253)

2013年05月13日 | Weblog
2013. 5/13    1253

五十三帖 【手習(てならひ)の巻】 その45

「『今はただ御おこなひをし給へ。老いたる若き、さだめなき世なり。はかなきものに思しとりたるも、ことはりなる御身をや』とのたまふにも、いとはづかしうなむ覚えける。『御法服あたらしくし給へ』とて、綾、うすもの、絹、などいふもの、奉りおき給ふ」
――(僧都は)「今はただ、お勤めをなさい。老若不定(ろうにゃくふじょう)、どちらが先立つとも分からないのがこの世です。世の中を、はかないものと悟られたのも、もっともなお身の上ですものな」と仰ることも、浮舟は、宇治で発見された当時を思って、たいそう恥かし気がなさるのでした。僧都は、「御法服をお作りになるように」と言って、綾、羅(うすもの)、絹などをお贈りになります――

「『なにがしが侍らむかぎりは、仕うまつりなむ。なにか思しわづらふべき。常の世に生ひ出でて、世間の栄華に願ひまつはるるかぎりなむ、ところせく棄てがたく、われも人も思すべかめる。かかる林の中に行ひ勤め給はむ身は、何ごとかはうらめしくもはづかしくも思すべき。このあらむ命は、葉の薄きがごとし』と言ひ知らせて、『松門に暁到りて月俳徊す』と、法師なれど、いと由由しくはづかしげなるさまにて、のたまふことどもを、思ふやうにも言ひ聞かせ給ふかな、と聞き居たり」
――(僧都は)「私が生きております間は、お世話いたしましょう。何のご心配があるものですか。無常なこの世に生まれ出でて、世間の栄華に執着している限りは、差し障りが多く、棄てにくく、誰しも世を棄てることは難しいと考えるようです。このような静かな山奥で勤行しておられるあなたは、何一つ恨めしくも恥かしくもお思いになることはありません。この世の命は草木の葉のように薄いものです」と言い聞かせて、「松門に暁到りて月俳徊す」と白氏文集の句を、法師ながらも、たいそう趣き深く、奥ゆかしげにおっしゃることどもを、浮舟は、私の望み通りに教え訓してくださることと思って聞いているのでした――

「今日は、ひねもすに吹く風の音もいと心細きに、おはしたる人も、『あはれ山伏しは、かかる日にぞねは泣かるなるかし』と言ふを聞きて、われも今は山伏ぞかし、ことわりにとまらぬ涙なりけり、と思ひつつ、端の方に立ち出でて見れば、遥かなる軒端より、狩衣姿いろいろ立ち交じりて見ゆ」
――今日は一日中、吹きつのる風の音も心細く、立ち寄られたお客様の僧都も、「ああ、こういう日こそ、山住みの修行僧は声を立てて泣きたくなるそうですよ」と仰っていますのを聞きますにつけても、浮舟はお心の中で、私も今はその山伏と同じですもの、涙が止まらないのも、尤もなことだと思いながら、遠く見渡せる軒端に出てみますと、向こうの方に、色とりどりの狩衣姿の人影が入り交じって見えます――

「山へのぼる人なりとても、こなたの道には、通ふ人もいとたまさかなり。黒谷とかいふ方より歩く法師の跡のみ、まれまれは見ゆるを、例の姿見つけたるは、あいなくめづらしきに、このうらみわびし中将なりけり」
――比叡のお山に上る人々といいましても、小野から上る道を行く人はめったにいません。黒谷とかいう所から来る法師の一行が、ごくたまに見えるだけですのに、俗界の人の姿を見つけたのは、何と珍しい事と思って見ていますと、それは、言っても仕方のない恨みわびた、あの中将なのでした――

では5/15に。