永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(35)(36)

2015年05月30日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (35) 2015.5.30

「かかるほどに、祓のほどもすぬらん、七夕はあすばかりと思ふ。忌みも四十日ばかりになりにたり。日ごろなやましうてしはぶきなどいたうせらるるを、物の怪にやあらん、加持もこころみん、狭ばどころのわりなく暑きころなるを、例もものする山寺へのぼる。」
◆◆こうしているうちに、六月三十日の夏越えの祓えも過ぎて、七夕は明日当りだと思う。物忌みも四十五日のうち四十日が過ぎていきました。最近は気分がすぐれず、咳がひどく出て、物の怪なのでもあろうか、加持祈祷もしてみようと、狭苦しくて(父倫寧邸)夏の暑い頃でもあるので、いつも出かける山寺にのぼりました。◆◆


「十五六日になりぬれば、盆などするほどになりにけり。見れば、あやしきさまに荷なひいただき、さまざまにいそぎつつ集まるを、もろともに見てあはれがりも笑ひもす。さて心地もことなることなくて、忌みもすぎぬれば京にいでぬ。秋冬はかなうすぎぬ。」
◆◆十五、六日になり、盂蘭盆会などの供物をするころになってしまったのでした。見ていると、下衆の者が盆供を頭の上に乗せて運んだりして、さまざまな支度をして集まってくるのを、あの人と一緒に見ては、感心したり、笑ったりしたものでした。たいして私の気分も別条なく、物忌みも終わったので京に出発しました。秋と冬も取り立てて言うことも無く過ぎていったのでした。◆◆

■山寺=鳴滝の般若時


蜻蛉日記  上巻 (36) 2015.5.30

「年かへりて、たでふこともなし。人の心のこたなることなき時は、よろづおいらかにぞありける。このついたちよりぞ、殿上ゆるされてある。禊の日、例の宮より、『物見られば、その車に乗らん』との給へり。御文の端に、かかることあり。
<わかとしの…>
例の宮にはおはせぬなりけり。」
◆◆次の年になりましたが、取り立てて変化もありません。あの人の気持ちが私の方に向いているときは、万事が穏やかな日々なのでした。この四月一日より昇殿もゆるされていて、賀茂の祭りのための賀茂川での斎院の禊の日、兵部卿章明親王から、「見物にお出での折には、私も便乗したいが」と言ってこられました。お手紙の端にこんなことが書かれてありました。
(兵部卿章明親王の歌)「わかとしの…」
けれども、伺ってみますといらっしゃいません。◆◆


「町の小路わたりかとてまゐりたれば、うべなく『おはします』と言ひけり。まづ硯乞ひて、かく書きて入れたり。
<きみがこのまちの南にとみにおそき春には今ぞたづねまゐれる>
とて、もろともに出でたまひにけり。」
◆◆町の小路(宮の通い処か)のあたりに伺いますと、案の定「いらっしゃいます」とのこと。あの人はまず硯を所望して、このように書いて差し入れました。
(兼家の歌)「町の小路の南のお宅に、やっとお探し申して、時節遅れですがご挨拶に参上いたしました」
といって、宮様もごいっしょにお出かけになったのでした。◆◆

蜻蛉日記を読んできて(34)

2015年05月25日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (34) 2015.5.25
「雨間に例の通ひどころにものしたる日、例の御文あり。[『おはせず』といへど、『なほ』とのみ給ふ]とて、入れたるを見れば、
『<常夏にこひしきことやなぐさむと君が垣ほにをると知らずや>さてもかひなければ、まかりぬる』とぞある。
◆◆雨の晴れ間にあの人が時姫のところへ出かけた日、宮様から御文がありました。取次ぎの者に「兼家は不在です」と言わせますが、「それでもこれをどうぞ」と一心におっしゃいますのを、取ってみますと、
(兵部卿章明親王の歌)『「いつに変わらぬあなたへの恋心が慰むかと思って、隣に居て垣根の撫子を手折っているのをご存知ですか」それにしても甲斐がないので退出しますよ』とあったのでした。◆◆


「さても二日ばかりありて見えたれば、『これ、さてなんありし』とて見すれば、『程へにければ、便なし』とて、ただ『このごろは仰せごともなきこと』と聞こえられたれば、かくのたまへる、
『<水まさり浦も渚のころなれば千鳥の跡をふみはまどふか>とこそ見つれ。うらみ給ふがわりなさ。「みづから」とあるは、まことか』と、女手にかき給へり。男の手にてこそ苦しけれ、
<浦隠れみることかたき跡ならば汐干をまたんからきわざかな>
また、宮、
『<うらもなくふみやるあとをわたつみの汐のひるまも何にかはせん>
とこそ思ひつれ、異ざまにもはた』とあり。
◆◆それから二日ばかりして、あの人が見えたので、「このお手紙が、このような次第でありました」といってお見せしますと、「時が経ちすぎたので、今さら返歌するのも変だ」と言って、「近頃はお手紙も頂戴いたしませんね」とあの人から申し上げますと、このようなお手紙で、
『「(兵部卿章明親王の歌)長雨で増水し、浦も渚も無いころなので、千鳥の足跡のような私の筆跡は消えてしまったようだ」と見ていますが、お恨みになるなどとは筋違いですよ。ご自身でお見えくださるとあるのは本当でしょうか』と女手で書かれていました。あの人は男の手で心苦しいけれど、
(兼家の歌)「行方不明で見ることができないお手紙ならば、ふただび出てくるのを待ちましょう、辛いことですが」
又、宮様から、
『「(兵部卿章明親王の歌)「深い意味もない手紙ですから、見てもどうということはない筈ですよ」と思っていますが、それにしても変なふうにお取りになって」とありました。◆◆


■女手=草仮名より簡略にくずした仮名
■男の手=漢字を仮名として用いた真仮名で書いたか?


蜻蛉日記を読んできて(32)(33)

2015年05月22日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (32)2015.5.22

「さて、かの心もゆかぬ司の宮より、かくの給へり。
<乱れ糸の司ひとつになりてしも来ることのなど絶えにたるらん>
御かへり、
<絶ゆといへばいとど悲しき君により同じ司にくる甲斐もなく>
又、たちかへり、
<夏引きのいとことわりや二め三めよりありくまにほどの経るかも>
御かへり、
<七はかりあるもこそあれ夏引きのいとまやはなき一め二めに>
又、宮より、
『<君と我なほ白糸のいかにして憂き節なくて絶えんとぞ思ふ>二め三めは、げに少なくしてけり。忌あればとめつ』との給へる御かへり、
<世を経とて契りおきてし中よりはいとどゆゆしきことも見ゆらん>
ときこえらる。」
◆◆ところで気の染まらぬ役所の兵部省で、長官である宮の兵部卿章明(のりあきら)親王から、こう言ってこられました。
(兵部卿章明親王の歌)「同じ勤めになったというのに、どうしてふっつりと出仕しないのか、わたしが気に入らないのでは」
お返事。
(兼家の歌)「あなたがおいでになるからこそ私は参りましたのに、絶えたなどとおっしゃられると悲しくなります」
またのお手紙に、
(兵部卿章明親王の歌)「もっともなことだ。二人三人と隠し妻の元に寄り道しているのでは、時が経ってしまうのでしょう」
お返事に、
(兼家の歌)「はばかりながら、夏引きの糸は七ばかりと申します。わたしは一人二人の妻だけなので、出仕の時間が無いわけではありません」
又、宮様から
(兵部卿章明親王の歌)「おやおや、それにしても妻が二人三人とは随分少なめに見積もったことだ。たくさんの妻を持つあなたとは上手に別れたいものだ。(自分を女性になぞらえる)。これから物忌みに入るので、これで失礼」
と、おっしゃられたお手紙にお返事として、
(兼家の歌)「長年連れ添った男女ならいざ知らず、私どもは男同士、絶えるなどと縁起でもないことがありましょうか。今後ともよろしくお願いします」
と申し上げたのでした。◆◆


蜻蛉日記  上巻 (33)2015.5.22

「そのころ、五月廿よ日ばかりより、四十五日の忌みたがへむとて、県ありきのところに渡りたるに、宮、ただ垣を隔てたるところに渡り給ひてあるに、六月ばかりかけて、雨いたう降りたるに、たれも降り籠められたるなるべし、こなたには、あやしきところなれば、漏り濡るるさわぎをするに、かくの給えるぞいとどものくはしき。
<つれづれのながめのうちにそそくらんことの筋こそをかしかりけれ>
御かへり、
<いづこにもながめのそそくころなれば世に経る人はのどけからじを>
又、のたまへり。
『のどけからじとか、<あめの下さわぐところもおほみづにたれもこひぢに濡れざらめやは>
◆◆そのころ、五月二十日過ぎのあたりから、四十五日の物忌みを避けるために、父の住んでいるあたりに移りましたところ、宮さまのお住まいも垣根を隔てた近くで、そこにおいでになっていました。六月にかけて雨がひどく降ったので、宮様もあの人もみな降り籠められたことでしょう。私どもの方は粗末な家なので、雨漏りがして濡れるなどの騒ぎの最中に、こうおっしゃったのは、ちょっとあきれる感じがしたものでした。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨のために所在なくしている最中に、雨漏りで大騒ぎする様子は、なにやら面白く聞こえます」
(兼家の歌)「誰も長雨(眺め=物思い)の時節ですので、あなたのようにのんびりとは暮せないはずですが」
また、宮様からは、こうおっしゃった。
(兵部卿章明親王の歌)「長雨ゆえ、世間では大水で泥んこにまみえるように、愛人に逢えない嘆きで袖をぬらさない人はいないでしょう。あなたもね。(泥=こひじに恋路をかける)」◆◆


「御かへり、
<世とともにかつみる人のこひぢをも乾すよあらじと思ひこそやれ>
又、宮より、
<しかもゐぬ君ぞ濡るらんつねに住むところにはまだこひぢだになし>
『さもけしからぬ御さまかな』など言ひつつ、もろともに見る。
◆◆お返事に、
(兼家の歌)「いつでも愛人を持っている人は、その恋路のために涙の乾く暇もないでしょう。宮様におかれましても」
また、宮様から、
(兵部卿章明親王の歌)「そのように一所に腰をすえていないあなたなら、さぞかし恋路の涙にくれていることでしょうね。いつも変わらず一人の妻を守り続けている私には、恋路などは無縁のことです」
あの人は「まったく妙なおっしゃりかただなあ」と言うのを聞きながら、私も一緒に拝見したのでした。◆◆


蜻蛉日記を読んできて(30の3)(31)

2015年05月20日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (30の3)


「使ひあれば、かくものす。
<なつくべき人も放てばみちのくのむまや限りにならんとすらん>
いかが思ひけん、たちかへり、
<我がなををぶちの駒のあればこそなつくにつかぬ身ともしられめ>
かへし、また、
<こまうげになりまさりつつなつけぬをこなたはたえずぞ頼みきにける>
又、かへし、
<白河の関のせけばやこまうくてあまたの日をばひきわたりつる>
あさてばかりは逢坂とぞある。
――使いの者が返事を待っているのでこのように書きました。
(道綱母の歌)「馴れ親しむ筈の父親(兼家)がこんなふうにお見限りなので、この子の行く末もこれでおしまいでしょうか」
あの人はどう思ったのか、すぐに返事があって、
(兼家の歌)「あなたの名前が尾ぶちの悍馬で、勝手に荒れ狂うのだから、いくら飼いならそうとしてもなつかない。自分を反省しなさい」
私はまた返事に、
(道綱母の歌)「あなたの足はますます遠のきますが、あの子はあなたを頼りにしているんです」
またの便りは、
(兼家の歌)「白河の関が拒んでいるせいか、どうもそなたのところへは行きにくい。それで日数がたってしまうのだ」明後日ごろは逢坂の関あたりだ。とありました。――


「時は七月五日のことなり。ながき物忌みにさしこもりたるほどに、かくありし返りことには、
<天の川七日を契る心あらば星あひばかりのかげをみよとや>
ことわりにもや思ひけん、すこし心をとめたるやうにて、月ごろになりゆく。」
――七月五日ごろのことでした。あの人は長い物忌みに入っていたので、この返事にはこう言ってやりました。
(道綱母の歌)「天の川で牽牛と織女が逢う七月七日を約束なさるとは、一年に一度の逢瀬で我慢せよとおっしゃるのですか」
私の言い分をもっともと思われてか、少し心にかけている様子で、数ヶ月が経っていきました。――


蜻蛉日記  上巻 (31)

「めざましと思ひし所は、いまは天下のわざをしさわぐと聞けば、心やすし。昔よりのことをばいかがはせん、たへがたくともわが宿世の怠りにこそあめれなど、心を千千に思ひなしつつありふるほどに、少納言の年へて四の品になりぬれば、殿上も下りて、司召に、いとねぢけたる者の大輔などいはれぬれば、世の中をいとうとましげにて、ここかしこ通ふよりほかのありきなどもなければ、いとのどかにて二三日などあり。」
――あの目に余る町の小路の女のところでは、兼家が通ってこなくなってそれを取り戻そうと大騒ぎしているそうで、そんなことを耳にすると私はそれ見ろという気持ちになります。昔のことを思ってくよくよしても仕方がない、こうなったのも私の持って生れた不運なのだからと思って、あれこれと心を砕いて暮しているときに、あの人は少納言(五位)という六年を経て四位に昇りましたので、殿上の出仕も解かれ、司召に、自分としては不満な役所(兵部省)の次官というので、世の中が面白くなく、あちらこちらの女のところへ通う以外は出歩きもせず、たいへんのんびりと二三日わたしのところにいることがありました。――


■少納言=詔勅・宣旨などの清書、及び、除目・叙位・その他の儀式などを担当します。天皇の側近で五位相当。兼家は天暦十年に(956年)少納言に任じ、以後六年この職にあった。

■四の位=四位をいう。兼家は応和二年(962年)正月、従四位下に昇った。

■司召=つかさめし=在京諸司の官吏を任命する儀式。

■大輔=たゆう、だいふ=このとき兼家は兵部大輔。次官。



蜻蛉日記を読んできて(30の2)

2015年05月18日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (30の2)

「例のほどにものしたれど、そなたにも出でずなどあればゐわづらひて、この文ばかりを取りて帰りにけり。さてかれよりかくぞある。
<をりそめし ときのもみぢの さだめなく うつらふ色は さのみこそ あふ秋ごとに つねならめ なげきのしたの 木の葉には いとどいひおく 初霜の 深き色にや なりにけん おもふおもひの たえもせず いつしかまつの みどりごを 行きては見むと 駿河なる 田子の浦波 たちよれど 富士の山べの 煙には ふすぶることの たえもせず 雨雲とのみ たなびけば たえぬわが身は 白糸の 
まひくるほどのを おもはじと あまたの人の えにすれば 身ははしたかの すずろにて なつくる宿の なければぞ 古巣にかへる まにまには とひくることの ありしかば ひとりふすまの 床にして ねざめの月の 真木の戸に ひかりのこさず 洩りてくる 影だにみえず ありしより うとむ心ぞ つきそめし 誰か夜妻と あかしけん いかなる罪の 重きぞと いふはこれこそ 罪ならし 今は阿武隈の 逢ひもみで かからぬ人に かかれかし なにの岩木の 身ならねば おもふこころも いさめぬに 浦の浜木綿 幾重ね 隔て果てつる 唐衣 涙の川に そぼつとも 思ひしいでば 薫物の このめばかりは かわきなん かひなきことは 甲斐の国 速見の御牧に あるる馬を いかでか人は かけとめんと おもふものから たらちねの 親としるらん 片飼ひの 駒や恋ひつつ いなかせんと おもふばかりぞ あはれなるべき>
とか。
――あの人は例のごとく大分間をおいて来た時に、わたしはそちらへも行かず知らん顔をしていると、居づらくなったのでしょう。あの手紙だけを持って帰っていきました。
そしてのちの返事には、
(兼家の長歌)「折り初めた秋の紅葉(新婚)が時と共に色あせていくのは世の常のことではないか。だが私は違う。陸奥に旅立つそなたの父上が、悲嘆にくれるそなたをくれぐれも頼むと言って行かれた言葉が身にしみて、そなたへの愛情は増していったのだ。気持ちが絶えるどころか、私の行くのを楽しみにしているあの子を、一刻も早く訪ねてやりたいと、田子の浦波のように何度も何度も立ち寄ってみたけれど、富士の山辺の煙ではあるまいに、しきりにやきもちを焼いて、天雲とばかりよそよそしく私に背をむけているではないか。それでも私がそ知らぬ顔で途絶えないように通って行くのに、周りの者達が愛情がないと恨み言を並べたてるので、私はとりつくしまもなく、居心地が悪いのだ。
といって私には馴染みの女とてないので、すごすごと自分の邸に帰るしかない。そうした合い間にも、やはりそなたへと足が向くのだが、いつぞやなどは、出迎えてもくれず、私はそなたの家でわびしくひとり寝をしたものだ。真木の板戸から差し込むのは寝覚めの月ばかりで、そなたは影さえも見せてはくれなかった。そんなことから、そなたを疎む心が萌えそめたのだ。誰が隠し女と夜を明かしたりするものか。それなのに自分のことは棚に上げて、「前世にどんな罪を犯したのでしょう」と恨みつらみを言うのは、それこそ罪というものだ。こうなったからには、父上の上京を待つまでもなく、もっとましな人を見つけて頼るがよい。そなただって木石の身ではないのだから、どう考えようと止めはしない。浦の浜木綿のように二人の仲が幾重にも隔たって、涙の川に泣き濡れようと、昔のことを思い起こしたならば、その思ひの「火」できっと乾くだろう。
今さら言っても仕方がないが、甲斐の国の速見(へみ)の牧場に荒れ狂う馬のようなそなたを、人はどうして繋ぎ止めることができようか。勝手に振る舞えばよいとは言うものの、物心がついて、私を父親だと知っているあの子を、片親育ちにして父親恋しさに泣かせるようなことにもなろうかと思うと、それが不憫でならないのだ」
とか言って返して寄こしたのでした。――


蜻蛉日記を読んできて(30の1)

2015年05月15日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (30の1) 2015.5.15

「かくて又、心のとくる世なく嘆げかるるに、なまさかしらなどする人は、『わかき御こころに』など、かくては言ふこともあれど、人はいとつれなう、『我やあしき』など、うらもなう罪なきさまにもてないたれば、いかがはすべきなどよろづに思ふことのみ繁きを、いかでつぶつぶと言ひ知らするものにもがなと思ひみだるるとき、心づきなき胸うちさわぎて、もの言はれずのみあり。」
――こうしてまた、心の休まるときとてなく嘆き暮していると、お節介めいたことを言う者(侍女の一人)が、「少し幼すぎます。もっと世慣れなければ」などと言ったりするけれど、あの人(兼家)は、「わしのどこが悪いのか」とけろっと、悪びれた様子もなく振舞っているので、いったいどうしたら良いのかと悩みばかりが募るので、私はこの悩みを何とかつぶさに分らせてやりたいと心を砕くものの、その鬱屈した心のうちは煮えたぎるばかりで、言葉にさえ出来ないでいました。――


「なほ書きつづけても見せんと思ひて、
<おもへただ むかしもいまも わがこころ のどけからでや はてぬべき みそめし秋は
言の葉の うすき色にや うつろふと なげきのしたに なげかれき 冬は雲居に わかれゆく 人ををしむと はつしぐれ くもりもあへず ふりそぼち こころぼそくは ありしかど
君にはしもの 忘るなと おひおきつとか ききしかば さりもとおもふ ほどもなく とみに遥けき わたりにて 白雲ばかり ありしかば こころ空にて へしほどに 霧もたなびき
たえにけり またふるさとに 雁がねの 帰るつらにやと 思ひつつ ふれどかひなし かくしつつ わがみむなしき 蝉の羽の いましも人の うすからず 涙の川の はやくより かくあさましき そこゆゑに ながるることも たえねども いかなる罪か 重からん ゆきもはなれず かくてのみ 人のうき瀬に ただよひて つらきこころは 水の泡の 消えば消えなんと 思へども かなしきことは みちのくの つつじのをかの くまつづら くるほどをだに 待たでやは 宿世たゆべき 阿武隈の あひ見てだにと おもひつつ なげく涙の 衣手に かからぬ世にも 経べき身を なぞやとおもへど あふはかり かけ離れては しかすがに こひしかるべき 唐衣 うちきて人の うらもなく なれしこころを 思ひては うき世をされる かひもなく 思ひいで泣き われやせん と思ひかくおもひ 思ふまに 山と積もれる しきたへの 枕の塵も ひとり寝の 数にし取らば 尽きぬべし なにか絶えぬる たびなりと おもふものから 風ふきて 一日もみえし 雨雲は 帰りしときの なぐさめに 今来んといひし ことのはを さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも きくごとに 人わらへなる なみだのみ わが身をうみと たたへども みるめもよせぬ 御津の浦は かひもあらじと しりながら 命あらばと たのめこし ことばかりこそ 白波の たちもよりこば 問はまほしけれ>
と書きつけて、二階の中におきたり。」
――それでもやはり、この胸のうちを書き連ねて見せてやりたいと思って、
(道綱母の長歌)「思ってみてください。昔も今も心の休まるときとてなく、わたしはこのまま一生を終えてしまうのでしょうか。あなたと初めてお逢いした(結婚した)あの秋は、あなたのねんごろな言葉も、折からも木の葉のように時ならず移ろってゆくだろうと、こころひそかに嘆かれたことでした。その冬は遠い陸奥へ赴任する父との別れを惜しんで、泣き濡れて心細さに打ちひしがれておりました。
けれども父はあなたに「娘を決してお忘れなく」と言い置いて行かれたと聞いていましたので、そうであると思っていたのもつかの間、急に通って来られる事も遠のき(町の小路の女の件)、私はすっかりうつろな気持ちでいるうちに、本当にすっかり隔たって音沙汰なくなってしまいました。でもそのうち私の所に雁が季節がくれば再び帰ってくるように、住み慣れた私の所に帰ってきてくれると思っていましたが、結局その甲斐もありませんでした。
このように今の私は蝉のぬけがらのようにむなしく暮していますが、あなたの薄情さは今に始まったことではなく、そんな見こみ違いのあなたでしたから、私の涙の絶える事はありませんでした。いったい私は前世でどんな重い罪を犯したというのでしょう。あなたとの縁から逃れることもできず、ただこうして浮世に漂ってつらい毎日を過ごしています。
いっそ消えてしまえるなら消えたいと思うものの、悲しいのは遠い陸奥にいる父のこと、その父が任務を終えて上京するのを待たずには、どうして死ねましょう。せめて一日なりと父に会ってからと思いながら悲嘆にくれて心も沈んで涙が袖にぬれてくることです。
このようなつらい思いをするならば、出家という道もあるでしょうが、それではあなたとすっかり離れてしまうと思うと、やはり恋しくてならないでしょう。あなたがこられた時の思い出を思い起こしては、世を捨てた甲斐もなく、涙にむせぶようなことになりかねません。
あれこれと思っているうちに、私の寝屋戸に積もる枕の塵が山となり、その塵の数もひとり寝の夜数に比べたら物の数にならないでしょう。
いやこれは一時的な夜離れだと自分に言い聞かせてはみるものの、あの野分のあとの一日、あなたが見えて帰りがけに、「またじきに来るよ」と気休めに言ったあの一言を真に受けて、幼いあの子(道綱)がいつも口真似をしていますが、それを聞くたびに人の見る目も恥ずかしいほど、わが身の憂さを嘆く涙があふれてなりません。もうすっかりお見限りの私のところへは、お立ち寄りくださるはずもないとは思いながらも、「命ある限り、私を頼め」と約束されたあのお言葉が、ご本心なのかどうか、こちらにいらした時には、是非とも伺いたいものです」
と書き付けて、二階棚の中に置きました――


■二階=二段になっている戸棚


蜻蛉日記を読んできて(28)(29)

2015年05月13日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (28) 2015.5.13

「また十月ばかりに、『それはしも、やむごとなきことあり』とて出でんとするに、時雨といふばかりにもあらずあやにくにあるに、なほ出でんとす。あさましさにかく言はる。
<ことわりのをりとは見れどさよふけてかくや時雨のふりは出づべき>
と言ふに、しひたる人あらんやは。」
――また十月の頃に、あの人が「そういえば、やむにやまれぬ用事があって」と言って帰ろうとしているときに、時雨というよりかなりの雨になおも帰ろうとします。あきれてこう言いました。
(道綱母の歌)「やむにやまれぬ御用とは思いますが、夜も更けてこんなに雨が降っているのに、帰って行かなくても良いでしょうに」
と言っているのに、強引に帰って行く人がいるものでしょうか。――


蜻蛉日記  上巻 (29) 2015.5.13

「かうやうなるほどに、かのめでたき所には、子をうみてしよりすさまじけに成にたべかめれば、人にくかりし心思ひしやうは、命はあらせてわが思ふやうにおしかへしものを思はせばやと思ひしを、さやうになりもていく。はてはうみののしりし子さへ死ぬるものか。」
――こうして過ごしているうちに、あの羽振りの良い町の小路の女のところでは、出産してからというもの、全く兼家の熱が冷めたようで、あの女を憎んでいた私の気持ちでは、命を永らえさせて私が苦しんだ思いを同じように味わわせてやりたいと思っていたことが、実際そのようになって行ったのでした。京中大騒ぎさせて生んだ子が何と死んでしまったと言うことです――


「孫王の、ひがみたりし親王の落し胤なり。いふかひなくわろきことかぎりなし。ただこのころの知らぬ人の、もてさわぎつるにかかりてありつるを、にはかにかくなりぬれば、いかなるここりかはしけむ。わが思ふにはいま少しうちまさりて嘆くらんと思ふに、いまぞ胸はあきたる。いまぞ例のところにうち払ひてなど聞く」
――あの女は天皇の孫むすめですが、それもろくでもない皇子の落し胤です。全くお話にもならないみっともない(兼家にとって)限りです。ただ事情を知らないこの頃の人が、あの女をもて騒ぐのに甘えていたのでしょうが、急にこんなことになってしまったので、どんな気持ちでいることか。私の苦しみよりも数倍嘆いていることだと思うと、やっと胸がすうっとします。今ではまた元のお方(時姫)のところへよりを戻したとか言うことです。――


「されどここには例のほどにぞ通ふめれば、ともすれば心づきなうのみ思ふほどに、ここなる人、片言などするほどになりてぞある。出づとてはかならず「いま来んよ」と言ふも聞きもたりて、まねびありく。」
――けれども私のことろへは相変わらずたまにしか通って来ませんので、何かにつけて不満は募るばかりで、そうこうするうちに、ここの子(道綱)は片言を言う歳になったのでした。あの人が帰るときに必ず「そのうちまた来るよ」と言うのを聞き覚えて、いつもその口真似をしたりしています――

■成にたべかめれば=成(なり)にたるべかんめれば=兼家の寵が衰えたらしく

■うち払いてなど=夜離れを重ねた寝床に積もった塵を払って(時姫)のところへ行くことになった。


蜻蛉日記を読んできて(26)(27)

2015年05月11日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (26) 2015.5.11

前栽の花いろいろに咲き乱れたるを見やりて、臥しながらかくぞ言はるる、かたみにうらむるさまのことどもあるべし。
<百草にみだれてみゆる花のいろはただ白露のおくにやあるらん>
とうち言ひたれば、かく言ふ。
<身の秋をおもひみだるる花の上の露のこころはいへばさらなり>
など言ひて、例のつれなうなりぬ。
――前栽の花々が咲き乱れているのを見ながら、お互いに横になったまま、こんな歌が口をついて出たようで、お互いにわだかまりがあってのことだったのでしょう。
(兼家の歌)「あなたが千々に心乱れて見えるのは、わたしのせいではない。そなたに隔て心があるからいけないのだ」
と言ったので、私は、
(道綱母の歌)「あなたに飽きられたわが身を思い悩む私のこころは、言うまでもないこと。ご自分の胸にお聞きください」
など言って、またしてもよそよそしくなっていまったのでした。――


「寝待の月の山の端出づるほどに、出でむとする気色あり。さらでもありぬべき夜かなと思ふ気色や見えけむ、『とまりぬべきことあらば』など言へど、さしもおぼえねば、
<いかがせん山の端にだにとどまらでこころも空にいでむ月をば>
かへし、
<ひさかたの空にこころのいづといへば影はそこにもとまるべきかな>
とて、とどまりにけり。
――寝待の月が山の端から上りはじめるころ、あの人は帰るそぶりを見せはじめました。帰らなくてもよさそうな(月の美しい)夜なのに、と思う気持ちが私にみえたのか、「私がここに留まるにちがいないような言の葉(歌)を詠んだなら」と言うのでした。それほどの気持ちでもなかったけれど、
(道綱母の歌)「うわの空で山の端にさえ留まらぬ月(兼家をたとえる)ですもの、どうして私の言の葉(歌)で引き止めることができましょうか」
返歌は
(兼家の歌)心が空に抜け出して行くというなら、影は水底に宿る筈だ。今夜はそなたのところに泊まらずばなるまい。」
といって泊まっていったのでした。――

■寝待(ねまち)の月=陰暦十九日の月をいう



蜻蛉日記  上巻 (27) 2015.5.11

「さて又、野分のやうなることして二日ばかりありて来たり。『一日の風はいかにとも、例の人はとひてまし』と言へば、げにやと思ひけん、ことなしびに、
<言の葉はいりもやするととめおきて今日は身からもとふにやあらぬ>
と言へば、
<散りきてもとひぞしてまし言の葉を東風はさばかり吹きしたよりに>
かく言ふ。」
――さてまた、台風のような日が過ぎて二日ほどにあの人がきました。「あの日の風雨は大変でも、あの女のところへは見舞いがあったのでしょう」と言うと、自分の不利を取り繕うように、
(兼家の歌)「言の葉(手紙)は野分で散ったら困ると思って手許にとどめ、今日は私自身が訪問しているではないか」
と言うので、
(道綱母の歌)「手紙は風に散らされても私のところに届いたはずです。こちらに吹いた東風に運ばれて」


「<こちといへばおほぞううなりし風にいかがつけてはとはんあたら名立てに>
まけじ心にて、又、
<散らさじと惜しみおきける言の葉をききながらだにぞ今朝はとはまし>
これはさも言ふべしとや、人ことわりけん。」
――(兼家の歌)「東風(こちら)などといういい加減な風にどうして手紙を託せようか。別人のところへ散って、口惜しい浮名を立てられるのがおちだ」
わたしは、またやり返して、
(道綱母の歌)「風に散らすまい(人目に触れないように)と大切にとっておいた言葉なら、今朝は来てすぐに言ってくれればいいものを」
これにはなるほどと、あの人は思ったことでしょう――



蜻蛉日記を詠んできて(24)(25)

2015年05月05日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (24) 2015.5.5

「七月になりて相撲のころ、ふるきあたらしきと一領づつひき包みて、『これ、せさせ給へ』とてはあるものか。見るに目くるるここちぞする。古体の人は、『あないとほし。かしこには、えつかうまつらずこそはあらめ』、なま心ある人などさし集まりて、『すずろはしや、えせでわろからんをだにこそ聞かめ』などさだめて、返しやりつるもしるく、ここかしこになん持て散りてすると聞く。かしこにもいとなさけなしとにやあらん、二十よ日おとづれもなし。」
――七月になって丁度相撲の節会のころ、仕立物の古いのと新しいのと一そろいずつ包んで、町の小路の女から「これを仕立ててください」と言ってくるなんてまあ、あきれて目もくらくらする心地です。古風な母親は、「まあ気の毒な、あちらでは兼家の衣装を縫って差し上げられる人がいないのでしょうね」と言っています。心から仕えている侍女たちが集まって、「なんて馬鹿馬鹿しい。あちらでは仕立てができず世間体のわるい噂でも聞きましょうとも」などと決めて、突っ返してやりましたところ、案の定あちらこちらに頼んでなんとかしたと聞きました。あの人(兼家)もこちらの態度を随分薄情と思ったのか、二十日以上も音沙汰がないのでした。――
  

■相撲のころ=相撲の節(すまひのせちえ)の略。朝廷の年中行事で、毎年七月、諸国より強力の者を召して、宮中で競技を披露する。

■ふるきあたらしきと一領づつ=一領(ひとくだり)。新旧の衣一そろいずつ。

■すずろはしや=気に食わない。


蜻蛉日記  上巻 (25) 2015.5.5

「いかなる折にかあらん、文ぞある。『まゐり来まほしけれどつつましうてなん。たしかに来とあらば、おづおづも』とあり。返りごともすまじと思ふも、これかれ『いとなさけなし。あまりなり』などものすれば、
<穂に出でていはじやさらにおほよそのなびく尾花にまかせてもみむ>
たちかへり、
<穂に出でばまづなびきなん花薄こちてふ風の吹かむまにまに>
使ひあれば、
<嵐のみ吹くめる宿に花薄ほにいでたりとかひやなからん>
などよろしう言ひなして、また見えたり。
――どんなときだったでしょう、このような文が来ました。「お伺いしたいが、どうしたものか。必ず来て欲しいというなら、恐る恐るにも」と。返事などするまいと思っていましたが、侍女たちが、「それではあまりにも情がなさすぎます」と言うので、
(道綱母の歌)「言葉に出して来てくださいとは決して申しません。あなたの心からの気持ちにお任せしてみましょう」
返事は
(兼家の歌)「言葉に出して来て欲しいというなら、何をおいてもその言葉に従おうものを」
使いの者が返事を待っているので、
(道綱母の歌)「あなたに冷たくあしらわれてばかりのわが家に、来てくださいと言っても無駄ではないでしょうか」
などと、私の方で折れた形になったので、またあの人が見えたのでした。――

■尾花=すすき、「穂」「なびく」は、縁語。





蜻蛉日記を読んできて(22)(23)

2015年05月02日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (22) 2015.5.2

「年また越えて春にもなりぬ。このごろ読むとて持てありく書とり忘れてあるを、取りにおこせたり。つつみてやる紙に、
<ふみおきしうらも心もあれたれば跡をとどめぬ千鳥なりけり>
――こうして翌年になって早くも春になりました。あの人はこの頃読むために持ち歩く書(ふみ)を忘れていたのを、使いの者に取りによこしたのでした。包んでやる紙に、
(道綱母の歌)「書物を置いていた我が家に愛想をつかしたので、荒波の浦の千鳥のように、あなたはわが家に足跡を残すまいとするのですね」――


「返りごと、さかしらにたちかへり、
<心あるとふみかへすとも浜千鳥うらにのみこそ跡はとどめ目>
使ひあれば、
<浜千鳥あとのとまりをたづぬとてゆくへもしらぬうらみをやせむ>
など言ひつつ、夏にもなりぬ。」
――別に返事をもらうようなことでもないのに、わざとらしく書いてある手紙は、
(兼家の歌)「私の心が離れたからといって書物を返してきても、私はいずれあなたのところへ戻っていくだろう」
兼家の使いの者が待っているので、また返事に、
(道綱母の歌)「後になって私を捜し求めても、行方知らずで困ることでしょう」(恨みに浦みをかける。)
こんなやりとりをしつついるうちに、夏になったのでした。――


蜻蛉日記  上巻 (23) 2015.5.2

「この時のところに、子うむべきほどになりて、よき方えらびて、ひとつ車にはひのりて、一京ひびきつづきていと聞きにくきまでののしりて、この門の前よりしも渡るものか。われはわれにもあらず、物だに言はねば、見る人、使ふよりはじめて、『いと胸いたきわざかな。世に道しもこそはあれ』など、言ひののしるを聞くに、ただ死ぬるものにもがなと思へど、心にしかなはねば、今よりのちたけくはあらずとも、たえて見えずだにあらん、いみじう心憂し、と思ひてあるに、三四日ばかりありて文あり。」
――このところ、兼家が夢中になっている町の小路の女が、出産近くになったとかで、無事に出産をと良き方角を選んで、一つ車に一緒に乗って、京じゅうに響き渡るほどの車を連ねて、聞くに堪えないほどの先払いをさせて、こともあろうに、わが家の門の前を通って行くとは。あまりの仕打ちに私はあきれてただ呆然としていると、侍女たちはじめ下仕えの者たち皆が、「胸もはりさけるなさりようですこと。他に道がないわけじゃなし」などと、大声で言い立てています。それを聞いている私は、いっそのこと死んでしまいたいと思うけれど、それもままならぬゆえ、
これからというもの、たいして抵抗は出来ずとも、顔も見せてやるものかと心も煮えくり返っていると、三、四日ほどして手紙がきました。――


「あさましうつべたましとおもふおもふ見れば、『このごろここにわづらはるることありて、えまゐらぬを、昨日なん平らかにものせらるめる。けがらひもや忌むとてなん』とぞある。あさましうめづらかなることかぎりなし。ただ、『給はりぬ』とてやりつ。使ひに人問ひければ、『をとこ君になん』と言ふを聞くに、いと胸ふたがる。」
――あきれたことだ、なんと冷酷な仕打ちだと思い思いしながら読むと、「このごろこちらでお産で臥せっている人がいて、そちらへ伺えなかったが、昨日無事に出産が終わったようだ。穢れた身ではご迷惑かと思い、失礼した」とありました。こんな報告をしてくるなんてこれもあきれたこと。(愛人の出産を報告するなどということは前代未聞)返事にただ「お手紙は頂戴しました」とだけ言ってやりました。使いの者にどちらが生まれたのかと聞くと、「男君でした」と言うのを聞いて、ほんとうに胸もつぶれる思いでした。――


「三四ばかりありてみづからいともつれなく見えたり。なにか来たるとて見入れねば、いとはしたなくて帰ること、度々になりぬ。」
――三、四日ほどしてあの人本人が、いとも平気な顔をして来ました。何のつもりで来たのかと相手にしないでいると、あの人はとりつくしまもなく格好もつかず、すごすごと帰って行きました。こんなことが度々ありました。――


■つべたまし=恐ろしい、気味が悪い。