永子の窓

趣味の世界

枕草子を読んできて(55)その3

2018年04月27日 | 枕草子を読んできて
四二  小白川といふ所は   (55)その3 2018.4.27

 後に来たる車の、ひまもなかりければ、池に引き寄せて立てたるを、見たまひて、実方の君に、「人の消息びびしく言ひつべからむ者一人」と召せば、いかなるにからむ、選りてゐておはしたるに、「いかが言ひやるべき」と、近くゐたまへるばかり言ひ合はせて、やりたまはむ事は聞こえず。いみじく用意して、車のもとに歩み寄るを、かつは笑ひたまふ。しりの方に寄りて言ふめり。久しく立てれば、「歌などよむにやあらむ。兵衛佐、返し思ひまうけよ」など、笑ひて、いつしか返事聞かむと、大人、上達部まで、みなそなたざまに見やりたまへり。げに顕証の人は見るも、をかしうありしを。
◆◆あとから来ている女車で、そこには入り込ませる隙間がなかったので、池に近く引き寄せて立ててあるのを、中納言が御覧になって、実方の君に、「人の口上を立派に伝えられそうな者を一人呼べ」とお召しになると、どういう人であろうか、実方の君が選んで連れていらっしゃったところ、「どう言い送ったらよいだろうか」と、中納言の近くにいらっしゃる方々だけがご相談になって、しかし、その内容はこちらには聞こえない。たいへん気を使って、使いの者が女車の方に歩みゆくのを、うまくいくか、それともとお笑いになる。使いは車の後ろの方に寄って口上を言うようである。しばらくの間使いが立っているので、「あちらでは、歌など詠むのだろうか。兵衛の佐よ、返しの歌を今から考えておけ」などと、笑って、早く返事を聞きたいものだと、年のいった人、上達部までが、皆そちらの方へ目にやっていらっしゃる。まったく、車に乗らずにそのまま見ている人々は、おもしろいことであったよ。◆◆



 返事聞きたるにや、すこし歩み来るほどに、扇をさし出でて呼び返せば、歌などの文字を言ひあやまちてばかりこそ呼び返さめ、久しかりつるほどに、あるべきことかは、なほすべきにもあらじものをとぞおぼえたる。近くまゐりつくも心もとなく、「いかにいかに」と、たれも問ひたまへど、ふとも言はず。権中納言見たまへば、そこに寄りてけしきばめ申す。三位中将「とく言へ。あまり有心過ぎて、しそこなふな」とのたまふに、「これもただ同じ事になむ侍る」と言ふは聞こゆ。藤大納言は、人よりもけにさしのぞきて、「いかが言ひつる」となたまふめれば、三位中将「いとなほき木をなむ押し折りたンめる」と聞こえたまふに、うち笑ひたまへば、みな何となくさとうち笑ふ声聞こえやすらむ。
◆◆返事を聞いたのであろうか、使いが少し歩いてこちらに来た時に、女車から扇を差し出して呼び返すので、歌などの言葉を言い間違えた時ぐらいにこそ呼び返しもしようが、それも待たせて長い時間かかった場合、そんなことはあってはならないことだと私はおもった。使いが近くにきて参上するのも待ち遠しく、「どうだ、どうだ」と、誰も誰もお聞きになるけれども、急にも答えない。権中納言が使いを見ていらっしゃるので、使いはそこに寄って態度を気取らせてもうしあげる。三位の中将(道隆)が、「早く言え。あまり風情を見せすぎて、返事をやりそこなうな」とおっしゃると、「申し上げることも(実は返事はもらえなかったのだから)返事をやりそこなったと同じ事でございます」と言うのは聞こえる。藤大納言は、人よりもとりわけて覗き込んで、「どう言ったのか」とおっしゃる様子なので、三位の中将が、「至極まっすぐな木を無理に押し折っているようなものです(強いて興を求めて、求めそこない、興ざめすることにたとえたものか)」と申し上げなさると、藤大納言はお笑いになるので、みな何となくざわざわと笑う、その声は女車の人に聞こえていることだろうか。◆◆


枕草子を読んできて (55)その2

2018年04月24日 | 枕草子を読んできて
四二  小白川といふ所は   (55)その2  2018.4.24

 すこし日たけるほどに、三位中将とは関白殿をぞ聞こえし、からの薄物の二藍の直衣、同じ指貫、濃き蘇芳の御袴に、はえたる白き単衣のいと鮮やかなるを着たまひて、歩み入りたまへる、さばかりかろび涼しげなる中に、暑かはしげなるべけれど、いみじうめでたしとぞ見えたまふ。細塗骨など、骨はかはれど、ただ赤き紙を、同じなみにうち使ひ持ちたまへるは、なでしこのいみじう咲きたるにぞ、いとよう似たる。
◆◆少し日が高くなっているころに、三位の中将とは今の関白殿を当時そう申しあげたのだが、その三位の中将が、唐綾の薄物の二藍色の直衣、同じ色の指貫、濃い蘇芳色の御下袴を召して、映えている白絹の単衣のとても鮮やかなのをお召しになって、こちらに歩いて入っていらっしゃるのは、あれほど軽快で涼しそうな装いの一座の方々の中で、暑苦しそうな感じがするはずなのに、とてもすばらしいとお見えになる。細塗骨(ほそぬりぼね)など、扇の骨は、他の人のとは違うけれど、ひたすら赤い地紙の扇を、人と同じように使ってお持ちになっていらっしゃるのは、なでしこが見事に咲いているのに、たいへんよく似ている。◆◆


■三位中将=関白道隆。中宮定子の父。当時従三位右中将で34歳。関白就任は正暦4年(993)4月。この段はそれ以降の執筆。


 まだ講師ものぼらぬほどに、懸盤どもして、何にかあらむ、物まゐるべし、義懐の中納言の御ありさまの常よりもまさりて清げにおはするさまぞ限りなき。上達部の御名などは書くべきにもあらぬを、たれなりけむと、すこしほど経れば、なるによりなむ。色合ひはなばなと、いみじくにほひあざやかなるに、いづれともなきなかの帷子を、これはまことにすべてただ直衣一つを着たるにて、常に車の方を見おこせつつ、物など言ひおこせたまふ。をかしと見ぬ人はなかりけむを。
◆◆まだ講師も講座にのぼらないうちに、懸盤(かけばん)をいくつか出しで、何であろうか、きっと物を召しあがるのであろう、義懐(よしちか)の中納言のご様子の、いつもよりもまさって、見る目にも美しく清らかでいらっしゃるご様子はこの上もない。高貴な上達部のお名前を書き記するべきでもないのだけれど、いったいだれっだのかしらと、少し時間が経つと、なるので、記しておく。誰もが色合いが華やかで、たいへん色艶うつくしく、鮮やかなので、どれがどうと優劣がつけがたいその中での帷子を、この方は、ほんとうにただ直衣ひとつを着ているといった様子であって、絶えず女車の方に視線を送り、使いをやってはそちらに言っておよこしになる。そのご様子をおもしろいと見ない人はいなかったであろうよ。◆◆


■懸盤(かけばん)=四脚の台の上に、折敷を載せかけるようにした膳。
■義懐(よしちか)=伊尹五男。当時権中納言。30歳。妹懐子は花山帝母。花山帝のもとで権勢があったが、帝の退位出家によって出家。この小白河の八講の五、六日後のことだった。

枕草子を読んできて (54)(55)その1

2018年04月21日 | 枕草子を読んできて
四一  菩提といふ寺に  (54) 2018.4.21

 菩提といふ寺に、結縁講ずるが聞きに詣でたるに、人のもとより、「とく帰りたまへ。いとさうざうし」と言ひたれば、蓮の花びらに、
 もとめてもかかる蓮の露おきて憂き世にまたは帰るものかは
と書きてやりつ。まことに、いとたふとくあはれなれば、やがてとまりぬべくぞおぼゆる。つねたうが家の人のもどかしさも忘るべし。
◆◆菩提という寺で、結縁講(けちえんこう)をする日に、聴聞に参詣したところが、人の所から、「早くお帰りください。とてもさびしくて」と言ってきたので、蓮(はちす、散華か)の花びらに
(歌)自分から求め望んでも掛かって濡れたい、こうした蓮の露のような尊い講会をさし置いて、どうしてつらい世の中に再び帰るはずがありましょうか
と書いて送った。本当にたいへん尊くしみじみと心打たれたので、そのままお寺に留まってしまいたく感じられる。あのつねとうの家の人のじれったさも忘れるに違いない。◆◆


■菩提という寺=東山の阿弥陀峰あたりにある寺か
■さうざうし=「佐久佐久し」の音便が「さうざうし」で、一人で座っていて心が楽しまない、相手がなく、なすこともなく心が満たされないの意。
■つねたうが家=不審。

                                       

四二  小白川といふ所は   (55)その1  2018.4.21

 小白川といふ所は、小一条の大将殿の御家。それにて上達部、結縁の八講したまふに、いみじくめでたき事にて、世ノ中の人のあつまり行きて聞く。
「おそからむ車は、寄るべきやうもなし」と言へば、露とともにいそぎ起きて、げにぞひまなかりける。轅の上に、またさし重ねて、三つばかりまではすこし物も聞こえねうべし。六月十余日にて、暑き事世に知らぬほどなり。池の蓮を見やるのみぞ、すこし涼しき心地する。
◆◆ 

■■小白川=小白河殿のこと。白河付近であろうが所在は確かではない。
■■小一条の大将殿=小一条左大臣師尹(もろただ)の二男藤原済時(なりとき)。この時46歳



左右のおとどたちをおきたてまつりては、おはせぬ上達部なし。二藍の直衣、指貫、あさぎの帷子をぞ透かしたまへる。すこし大人びたまへるは、青鈍の指貫、白き帷子も、涼しげなり。安親の宰相なども、わかやぎだちて、すべてたふとき事の限りにもあらず、をかしき物見なり。廂の御簾高くまき上げて、長押の上に上達部奥に向かひて、ながながとゐたまへり。そのしもには殿上人、若き君達、狩装束、直衣などもいとをかしくて、ゐも定まらず、ここかしこに立ちさまよひ遊びたるも、いとをかし。実方の兵衛佐、ながあきらの侍従など、家の子にて、いますこし出で入りたり。まだ童なる君達など、いとをかしうておはす。
◆◆左大臣、右大臣をお除きもうしあげては、おいでにならない上達部はいない。上達部がたは、二藍の直衣、指貫といった姿で、薄青色の帷子を透かしていらっしゃる。少し年齢の上の方は、青鈍の指貫に白い帷子といった姿も涼しげである。安親の宰相なども、若々しくふるまって、八講といってもすべてが尊いことだけでもなく、なかなか快い感じの物見である。廂の間の御簾を高く上げて、下長押の上に、上達部が奥に向かってながながと並んで座っていらっしゃる。その下座には、殿上人、若い君達が狩衣、直衣などを風情ある様子に着て、落ち着いて座っても居ず、あちらこちらに歩き回って遊んでいるのも、たいへんおもしろい。実方の兵衛佐、ながあきらの侍従などは、小一条の一門の方なので、いちだんと忙しく出たり入ったりしている。まだ元服前の君達なども、とても可愛らしい様子でそこにいらっしゃる。◆◆

■■左右のおとど=左大臣源雅信、右大臣藤原兼家
■■安親(やすちか)=藤原安親。ただし参議になったのは、この時から一年半後で官位は合わない。
当時65歳。
■■実方の兵衛佐(さねかたのひょうえのすけ)=左大臣師尹の孫。叔父済時(なりとき)の養子となる。当時は左近少将で官位は合わない。


枕草子を読んできて(53)その2

2018年04月14日 | 枕草子を読んできて
四〇  蔵人おりたる人、昔は  (53)その2  2018.4.14

 さはあらで、講師ゐてしばしあるほどに、さきすこしあはしおはする車とどめておるる人、蝉の羽よりもかげろなる直衣、指貫、生絹の単衣など着たるも、狩衣姿にても、さやうにては若くほそやかなる三四人ばかり、侍の者、また、さばかりして入れば、もとゐたりつる人も、すこしうち身じろぎくつろぎて、高座のもと近き柱のもとなどにすゑたれば、さすがに数珠押しもみ、きうに伏し拝みて聞きゐたるを、講師もはえばえしく思ふなるべし、いかで語り伝ふばかりと説き出でたり。
◆◆そんな蔵人の五位のような者ではなくて、講師が座ってしばらくいるうちに、控えめに前駆を追わせる声を申し訳ばかりにかけさせる牛車をとめておりて来る人々、それは蝉の羽よりも軽そうな直衣や、指貫、生絹(すずし)の単衣などを着ている人も、狩衣姿である人も、そんなふうで若くほっそりしている三、四人くらい、それにお供の者がまたそのくらいの人数で入って来るので、もともと座っていた人も、少し体を動かして、席にゆとりを作って、高座のそば近くの柱のもとなどに座らせると、ついでにちょっと立ち寄ったとはいえ、数珠を押しもみ、あわただしく伏し拝んで説経を聞いて拝んでいるのを、講師もきっと面目あることのように思うのだろう、どうかして世間に後々までにも語りつたえられるほどに、と一心に説きだしている。◆◆


 聴聞すると立ちさわぎ額づくほどにもなく、よきほどにて立ち出づとて、車どもの方見おこせて、われどちうち言ふも、何事ならむとおぼゆ。見知りたる人をばをかしと思ひ、見知らぬはたれたらむ、それにや、かれにやなど、目をつけて思ひやらるるこそ、をかしけれ。「説教し、八講しけり」など、人の言ひ伝ふるに、「その人はありつや」「いかがは」など、定まりて言はれたる、あまりなり。などかは、むげにさしのぞかではあらむ。あやしき女だにいみじく聞くめるものをば。されど、この草子など出で来はじめつ方は、かちありきする人はなかりき。たまさかには、壺装束などばかりして、なまめき化粧してこそありしか、それも物詣でをぞせし。説経などは、ことにおほくも聞かざりき。このごろ、その書き出でたる人の、命長くて見ましかば、いかばかりそしり誹謗せまし。
◆◆ところが、それらの貴公子たちは、説経を聴聞するとて忙しく行動して礼拝するのに似合わず、良いかげんのところで立ち出でて行くというときに、女車の方に視線を流して、自分たち同士で話をしているのも、一体何を話しているのだろうかと思われる。こちらで見知っている人の場合はおもしろいと思うし、見知らない人の場合は、だれだろう、あの人かしらこの人かしらなどと、推量をめぐらすようになるのこそ、おもしろい。「だらだれが説教し、八講をした」などと、人が伝えるときに、「だれそれはいたか」「どうしていない筈があろうか」などと、決まって言われてる人は、それは、あまり度がすぎている。どうして、説経の場所に全く顔を出さないでいようか。顔を出すのは結構なことだ。いやしい
女でさえ大層熱心に聞くようであるものを。だけれど、この草子ができ始めた頃は、(女は車で出かけて)徒歩で歩く人はいなかった。たまには壺装束などくらいをして、優雅にお化粧をしていたものだが、それにしてもそれは物詣をしたのだ。説経などは、ことに大勢出かけるようにも聞かなかった。この時点で、草子の中で私が書き記してある昔の人が、長生きをして、今の有様を仮に見たとしたら、どれほどか悪口を言い、非難することであろうのに。◆◆


■壺装束(つぼさうぞく)=身分のある女性の徒歩の外出姿。後ろの垂髪を袿(うちぎ)の中に入れ、袿を腰で紐で結び、両褄を折り前に挟み、市女笠をかぶる。

枕草子を読んできて(53)その1

2018年04月08日 | 枕草子を読んできて
四〇  蔵人おりたる人、昔は  (53)その1  2018.4.8

 蔵人おりたる人、昔は御前などいふ事もせず、その年ばかり、内わたりには、まして影も見せざりける。今は、さしもあらざンめる。「蔵人の五位」とて、それをしもぞいそがしくもてつかへど、なほ名残つれづれにて、心一つは暇ある心地すべかンめれば、さやうの所にいそぎ行くを、一度二度聞きそめつれば、常に詣でまほしくなりて、夏などのいと暑きにも帷子いとあざやかに、薄二藍、青鈍の指貫など、踏み散らしてゐたンめり。
◆◆蔵人を辞した人は、昔は、今のように行幸の御前駆などということもしないで、辞めたその年位は、遠慮して宮中のあたりには、まして影も見せないものであった。今はそうでもないらしい。「蔵人の五位」という名でよんで、そういう人も頻繁に起用するけれども、やはり蔵人退職のあとは所在ない感じで、心では暇があるように感じているはずであるようだから、そうした説経をする場所に急いで行くのだが、一度二度聞き初めてしまうと、いつもお参りしたくなって、夏のひどく暑い時でも、直衣の下の帷子をたいそうくっきりと透かせて、薄い二藍、青鈍の指貫などを無造作に踏みつけて座っているようだ。◆◆



 烏帽子に物忌みつけたるは、今日さるべき日なれど、功徳のかたにはさはらず見えむとにや、いそぎ来て、この事する聖と物語して、車立つるをかへぞ見入れ、ことにつきたるけしきなる。久しく会はざりける人などの、詣で会ひたる、めづらしがりて、近くゐ寄り、物語し、うなづき、をかしき事など語り出でて、扇広うひろげて、口にあてて笑ひ、装束したる数珠かいまさぐりて、手まさぐりにうちし、すがりを物言ふ拍子にこなたに打ちやりなどして、車のよしあしほめそしりなにかして、その人のせし経供養、八講と言ひくらべゐたるほどに、この説経の事も聞き入れず。何かは、常に聞く事なれば、耳馴れて、めづらしうおぼえぬにこそはあらめ。
◆◆烏帽子に物忌みの札をつけているのは、きょうは物忌みで謹慎すべき日であるけれど、説経聴聞という功徳の筋のためには、外出も差し障りがないように、はたの人たちに見られようというつもりだろうか、急いでやってきて、その説経するお坊さまとお話しをして、聴聞にきた女車を立てるのをまで世話をし、何かと場馴れしている様子である。長い間会わないでいた人で、この参詣で出会って、珍しがって、近くに寄って座り、話をし、頷いたり、おもしろいことなど話し出して、扇を広げて口に当てて笑い、飾りをつけた数珠をま探って、手でいじりまわし、、数珠のすがりを、ものを言うときの調子をとるために、話し相手のほうにぶつけてよこしなどして、車の良いの、悪いのを褒めたりけなしたりして、そんなことを、あれやこれやして、何の某(なにがし)が行った経供養や、法華八講と比較してどうのこうのと、座り込んで話してしるうちに、この説経のことも耳に入れようとしない。いや、なに、いつも聞くことなので、耳馴れて、きっと珍しくもないのであろう。◆◆


枕草子を読んできて(48)(49)(50)(51)(52)

2018年04月07日 | 枕草子を読んできて
三五   牛飼は   (48) 2018.4.7

 牛飼は、大きにて、髪あかしらがにて、顔赤らみて、かどかどしげなる。
◆◆牛飼いは、身体つきが大きくて、髪は赤毛の白髪で、顔が赤らんで、才気のありそうなのがよい。◆◆



三六  雑色随身は   (49)2018.4.7

 雑色隋身は、やせてほそやかなる。よき男も、なほ若きほどは、さる方なるぞよき。いたく肥えたるは、ねぶたからむ人とおぼゆ。
◆◆雑色や隋人は、痩せてほっそりしているの。身分のある男性も、やはり若いうちは、そうであるのが良い。ひどくふとっているのは、眠たげな人と感じられる。◆◆




三七  小舎人は   (50)2018.4.7

 小舎人は、小さくて、髪うるはしきが、裾さはらかに、すこし色なるが、声をかしうて、かしこまりて物など言ひたるぞ、りやうりやうじき。
◆◆小舎人童は、小さくて、髪をきちんとしていて、その髪の裾の方はさらっとしていて、少し翡翠色に光っているのが、明るくうつくしい声で、かしこまって何か言っているのこそ、物馴れて気がきいた感じだ。◆◆

■小舎人(こどねり)=小舎人童をいうのであろう。近衛の中・少将が召し連れる少年。
■りやうりやうじ=「労労じ」に同じか。巧者で美しい、ものなれていて才気があるなどの意という。



三八  猫は  (51)2018.4.7

 猫は、上のかぎり黒くて、ことはみな白き。
◆◆猫は、背中だけ黒くて、そのほかは白いのがよい。◆◆

                                

三九   説経師は   (52) 2018.4.7

 説教師は、顔よき。つとまもらへたるこそ、説くことのたふとさもおぼゆれ。ほか目しつれば、忘るるに、にくげなるは、罪や得らむとおぼゆ。このことはととむべし。すこし年などのよろしきほどこそ、かやうの罪得方の事も書きけめ、今は、いとおそろし。
 また、「たふとき事。道心おほかり」とて、説経すといふ所に、さいそにいにゐる人こそ、なほこの罪の心地には、さしもあらで見ゆれ。
◆◆説経師は顔の美しい人がいい。じっと見つめているのにこそ、説くことの尊さも感じられるものだ。さもないと余所見をしてしまうので、説経も聞きわすれるから、憎らしい顔の説経師は、おそらく罪を得ているのだろうと感じられる。このことは書かないでおこう。もう少し年が若かったころには、このような罪を得るような筋のことは書かなかったであろうが、今は仏の罰がおそろしい。
 また、「尊いことだ、私は道心が強いのだ」といって、説経するところに真っ先に行って座り込んでいる人こそは、やはり私のような罪深い気持ちからすると、実はそんなに尊くも信心深くもないように見える。◆◆

■説教師(せきょうじ)=法会で仏法の要義を講ずる僧。
■まもれへ=「まもらふ」は、注目する、凝視するの意。
■さいそ=最初
■いにゐる=往に坐る、か。


枕草子を読んできて(45)(46)(47)

2018年04月02日 | 枕草子を読んできて
三二   檳榔毛は   (45) 2018.4.2

 檳榔毛は、のどやかにやりたる。走らせたるはかろがろしく見ゆ。網代は、走らせたる。人の門よりわたるを、ふと見るほどもなく過ぎて、供の人ばかり走るを、たれならむと思ふこそをかしけれ。ゆるゆると行くは、いとわろし。
◆◆檳榔毛の車は、ゆっくりと進ませるのがよい。早く走らせるのは軽々しく見える。網代車は走らせるのが似合っている。人の家の門を通って行くのを、はっと目に止めるひまもなく過ぎて、供の人だけが後をはしるのが、今の車の主はだれかしらと思うのこそ、面白いものだ。網代車がゆっくりと通るのはひどくよろしくない。◆◆

■檳榔毛(びろうげ)=蒲葵(びろう)の葉を細かく裂いて白く晒したもので屋形を覆った牛車。貴人の正式の車。
■網代(あじろ)=網代で車体を葺いた車、四位、五位以下が用い、摂関等も略式の時は用いた。軽くて速度が出る。

 

三三  牛は  (46) 2018.4.2

 牛は、額いと小さく白みたるが、腹の下白き。足のしも、尾のすそ白き。
◆◆牛は、額に、たいへん小さく白みがかった部分のある牛で、腹の下が白いの。足の下の方や、尾の先が白いのがよい。◆◆ 



三四   馬は(47) 2018.4.2

 馬は、紫のまだらつきたる。葦毛。いみじく黒きが、足肩のわたりなどに白き所。薄紅梅の毛にて、髪尾などはいと白き、げに木綿髪といひつべし。
◆◆馬は、栗毛のまだらがついているのがよい。葦毛。たいそう黒い馬で、足や肩のあたりに白いところがあるの。薄紅梅色の毛で、たてがみや尾などはとても白いのは、なるほど「木綿髪」といっていいだろう。◆◆

■馬=「むま」と読む。
■紫=「紫」は栗毛のことという。
■葦毛=白毛に青・黒・濃褐色などの毛が混じったもの。
■木綿髪(ゆふかみ)=「木綿は」は楮の樹皮を剥ぎ、裂いて糸としたもの。白色。木綿のように白い髪の意であろう。