永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1151)

2012年08月31日 | Weblog
2012. 8/31    1151

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その59

 右近は、返事もできずに奥へ入って、

「『さりや、聞えさせしにたがはぬことどもを聞し召せ。もののけしき御覧じたるなめり。御消息も侍らぬよ』と歎く。乳母はほのうち聞きて、『いとうれしく仰せられたり。盗人多かんなるわたりに、宿直人もはじめのやうにもあらず、皆、身のかはりぞ、と言ひつつ、あやしき下衆をのみ参らすれば、夜行をだにえせぬに』とよろこぶ」
――「やはりそうでございました。私が申し上げたとおりになりました模様をお聞きなさいませ。殿は何かお気づきになったのでございましょう。道理でお便りがございませんでしたよ」と歎いています。乳母はそれを片耳に聞いて、「良い事を言ってくださった。この辺は盗人が多いと聞いていますのに、宿直人も初めのようによく番をしてくれず、みな、自分の代理だと称しては、賤しい下衆ばかり宿直に伺わせるので、夜回りさえできないのですもの」と喜んでいます――

「君は、げにただ今いとあしくなりぬべき身なめり、と思すに、宮よりは、『いかにいかに』と、苔の乱るるわりなさをのたまふ。いとわづらはしくてなむ。とてもかくても、一方一方につけて、いとうたてあることは出で来なむ、わが身ひとつの亡くなりなむのみこそやすからめ」
――浮舟は、なるほど右近が言ったとおり、たった今にも破滅してしまうに違いないわが身であるらしい。匂宮からは、「どうしますか、どうしますか」と逢う日を待ち切れない遣る瀬無さを言ってお寄こしになります。まったくどうしようもなく、匂宮に従っても、薫の方に従っても、どちらにしてもひどく面倒な事が起きるに違いない。自分一人が消えてしまうのが一番無難であるらしい――

 さらに、浮舟は煩悶して、

「昔は、懸想する人のありさまの、いづれとなきに思ひわづらひてだにこそ、身を投ぐるためしもありけれ、ながらへばかならず憂きこと見えぬべき身の、亡くならむは、なにか惜しかるべき、親もしばしこそ歎きまどひ給はめ、あまたの子どもあつかひに、おのづから忘れ草摘みてむ、ありながらもてそこなひ、人わらへなるさまにてさすらへむは、まさるものおもひなるべし、など思ひなる」
――昔は、想いを寄せた二人の男を、どちらをどうと決めかねて、ただそれだけで身を投げた女の例もあったらしい。それなのに自分は、すでに二人の御方に身をまかせた上、そのいずれと定めかねている。この先、生き長らえて辛い目に遭うにちがいない身であれば、死んで何の惜しい事があるだろうか。母君も、私が死んだら当分は悲嘆なさろうが、大勢の子どもの世話に紛れて、自然私のことを忘れてしまうだろう。このまま生き長らえて身を持ち崩し、物笑いのまま流浪するとしたなら、死に増さる歎きをおかけすることになる。などと考えるのでした

「児めきおほどかに、たをたをと見ゆれど、けだかう世のありさまをも知るかたすくなくて、おふし立てたる人にしあれば、すこしおずかるべきことを、思ひ寄るなりけむかし」
――(浮舟は)子供っぽく、おうようで、たおやかに見えますが、親が田舎者でしたので、ただ上品にとばかり、世間のことを知らさずに育て上げられた人なので、普通なら怖がりそうなこと(自殺のような)も、気強く考えついたのでしょう――

◆9/10まで休みます。では9/11に。


源氏物語を読んできて(1150)

2012年08月29日 | Weblog
2012. 8/29    1150

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その58

「殿よりは、かのありし返りごとをだにのたまはで、日ごろ経ぬ。このおどしし内舎人といふ者ぞ来る。げにいと荒々しく、ふつつかなるさましたる翁の、声嗄れ、さすがにけしきある、『女房にものとり申さむ』と言はせたれば、右近しも会いたり」
――薫からは、あの時の文のお返事さえくださらずに、日が経っていきます。先頃、右近が恐ろしそうに話していた内舎人(うどねり)という者がやって来ました。なるほど荒っぽく粗野な様子の年寄りで、声もしわがれ、さすがにどこか一癖ありげな男が、「女房にちょっと申し上げたいことがございます」と、取り次がせましたので、右近が出て会いました――

「『殿に召し侍りしかば、今朝参り侍りて、ただ今なむまかり帰り侍りつる。雑事ども仰せられつるついでに、かくておはします程ひ、夜中暁のことも、なにがし等かくてさぶらふ、と思して、宿直人わざとさしたてまつらせ給ふこともなきを』」
――(その男が)「殿からお召しがありましたので、今朝参上して、たった今戻りました。様々な御用事を仰せつけられましたついでに、こうして姫君(浮舟)が宇治におられる間、夜中や早朝の見廻りのことなども、拙者どもどもがこうして勤めていると思召して、宿直の者を特に差し向けなさる事もなかったのに――
 
と、続けて、

「『このごろ聞こし召せば、女房の御許に、知らぬ所の人々通ふやうになむ聞こし召すことある、たいだいしきことなり、宿直にさぶらふ者どもは、その案内聞きたらむ、知らではいかがさぶらふべき、と問はせ給ひつるに、うけたまはらぬことなれば、なにがしは身の病重く侍りて、宿直仕うまつることは、月ごろおこたりて侍れば、案内もえ知りはんべらす』」
――「近頃女房のもとに、誰とも知らぬ京の人々が通うとか、お耳にされることがあるとのこと。怠慢も甚だしい。宿直をする者どもは、その素性を知っていよう、何で知らずに済まされる、と仰せられましたが、全然知らぬことなので、また拙者は身体の具合がひどく悪く、宿直をしばらく休ませて頂いていますので、様子をよく存じません」――

 さらに、

「『さるべき男どもは、けだいないくもよほしさぶらはせ侍るを、さのごとき非常のことのさぶらはむをば、いかでか承らぬやうは侍らむ、となむ申させ侍りつる。用意してさぶらへ、びんなきこともあらば、重く勘当せしめ給ふべき由なむ、仰言侍りつれば、いかなる仰言にか、と恐れ申しはんべる』といふを聞くに、ふくろうの鳴かむよりも、いとものおそろし」
――「警備に当たる者どもには、油断なく勤めるように言いつけてありますから、そのようなもってのほかのことがありましたら、どうして手前が知らぬ事がありましょうと申し上げました。すると、よく気をつけて勤めるよう、不都合な事でも生じたら、厳重に処罰なさるとの由、ご命令がありました。どうしてこのようなお言葉があったのかと恐れ入っています」というのを聞きますと、右近は、ふくろうが鳴くのを聞くよりも恐ろしい気がするのでした――

では8/31に。

源氏物語を読んできて(1149)

2012年08月27日 | Weblog
2012. 8/27    1149

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その57

「君、なほわれを、宮に心よせたてまつりたる、と思ひて、この人々の言ふ、いとはづかしく、心地にはいづれとも思はず、ただ夢のやうにあきれて、いみじく焦られ給ふをば、などかくしも、とばかり思へど、頼みきこえて年ごろになりぬる人を、今はともて離れむ、と思はぬによりこそ、かくいみじとものも思ひ乱るれ、げによからぬことも出で来たらむ時、と、つくづくと思ひ居たり」
――浮舟は、侍女たちがやはり自分のことを、匂宮に心をお寄せしたものと決めて、こういうのが大そう恥かしく、内心では匂宮、薫のどちらとも分からずに居るのでした。ただ夢見心地にとりとめもなく、匂宮がひどくじれていらっしゃるのを、どうしてこうまで、とは思いますが、一方では、契り初めてからもう久しくお頼り申している薫の君と、これ限りにお別れしようとは思わないからこそ、このようにひどく思い乱れているのに。成る程、右近の言う通り、良からぬことが起こりでもしたらと、その時はどうしたらよいのかしら、と思案に暮れるのでした――

「『まろは、いかで死なばや。世づかず心憂かりける身かな。かく憂きことあるためしは、下衆などの中にだに多くやはあなる』とて、うつぶし臥し給へば」
――(浮舟は)「私は、何とかして死んでしまいたい。世間知らずで、並はずれた身の上が又とあろうか。こんな苦労をする例は、身分の低い者のなかにでも多くはあるまいに」といって、うつ伏していらっしゃる――

「『かくな思し召しそ。やすらかに思しなせ、とてこそ聞こえさせ侍れ。思しぬべきことをも、さらぬ顔にのみ、のどかに見えさせ給へるを、この御ことののち、いみじく心焦られをせさせ給へば、いとあやしくなむ見たてまつる』と、心知りたるかぎりは、皆かく思ひ乱れ騒ぐに、乳母、おのが心をやりて、もの染め営み居たり」
――(右近が)「そのようにご案じなさいますな。お気を楽にお持ちになるようにと、あのように申し上げたのでございます。以前には、当然ご心配なさる筈のことでも、ただもう平気でのんびりとしていらっしゃいましたのに、この御事(匂宮とのこと)がございましてからは、ひどく苛々なさいますので、一体そうしたことかと、お見上げ申しているのでございます」と、事情を知っている侍女たちは皆同じように心配していますが、乳母は一人満足そうに染物などをしております――

「今まゐり童などのめやすきを呼び取りつつ、『かかる人御覧ぜよ。あやしくてのみ臥させ給へるは、もののけなどの、妨げきこえさせむとするにこそ』と歎く」
――新参の女童の見苦しくないのを呼び寄せては、「こんな子を新しく抱えました。お気に入るかどうかお相手なさいませ。ただ不思議な有様で臥していらっしゃってばかりなのは、物の怪などが邪魔をしているのでございましょう」と言って歎いています――

では8/29に。


源氏物語を読んできて(1148)

2012年08月25日 | Weblog
2012. 8/25    1148

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その56

さらに、右近が、

「『宮も御志まさりて、まめやかにだに聞こえさせ給はば、そなたざまにも靡かせ給ひて、ものないたく歎かせ給ひそ。痩せおとろへさせ給ふもいとやくなし。さばかり上の思ひいたづききこえさせ給ふものを、ままがこの御いそぎに心を入れて、まどひ居て侍るにつけても、それよりこなたに、と聞こえさせ給ふ御ことこそ、いと苦しくいとほしけれ』といふに」
――「匂宮もご愛情が増してこられて本気におっしゃってさえくださるならば、そちらの言う通りになられて、あまりひどくお悩みなさいますな。くよくよして痩せ衰えなさってもつまらないことですもの。あれほど母上様が貴女さまを大事にしていらっしゃいますのに、乳母が(薫への)お引越しの準備に熱中して騒いでおりますにつけましても、それよりも先に匂宮が御自分の方へ引き取ろうと申しておられることが、実に御痛わしくお気の毒ですもの」といいますのに――

 「いま一人、『うたておそろしきまでな聞えさせ給ひそ。なにごとも御宿世にこそあらめ。ただ御心のうちに、すこし思し靡たむ方を、さるべきに思しならせ給へ。いでや、いとかたじけなく、いみじき御けしきなりしかば、人のかく思しいそぐめりし方にも御心もよらず。しばしは隠ろへても、御おもひのまさらせ給はむによらせ給ひね、とぞ思ひえ侍る』と、宮をいみじくめできこゆる心なれば、ひたみちに言ふ」
――もう一人の侍従が「まあ、いやな、そんな恐ろしい程の申し上げ方はおやめなさいませ。何ごとも前からの御縁によるのではないでしょうか。ただ姫君がお考えになって、少しでも心の魅かれるほうへ、そうなる御縁だとお思いなされませ。それにしましても、まあ匂宮のご態度があまりにもご立派ぢしたので、皆さんがああして引越しの準備をしておられる薫の君の方には、お心が向かないのです。当分は身を隠してでも、ご愛情の深いお方ににお定めになったらと存じます」と、匂宮を一方ならず素晴らしいと思っていますので、熱心におすすめするのでした――

「『いさや、右近は、とてもかくても、事無くすぐさせ給へ、と、初瀬石山などに願をなむ立て侍る』」
――(右近は)「いえね。私はとにかくどちらでもようございますから、無事にここをお乗り切りになりますようにと、初瀬や石山の観音にも願をかけております」

 そして、薫の荘園の人々がひどく乱暴者たちで、上に立つ者達はそう思わなくても、落ち度のないようにと張り切って宿直人になっていますから、とつづけて、

「『ありし夜の御ありきは、いとこそむくつけく思う給へられしか。宮はわりなくつませ給ふとて、御供の人も率ておはしまさず、やつれてのみおはしますを、さる者の見付けたてまつりたらむは、いといみじくなむ』と、言ひ続くるを」
――「いつぞやの夜、匂宮が川向うの家においでになりました時は、まことに危ないことと恐ろしく存じました。宮はただもう人目を憚ろうと、御供もお連れにならず、お姿までおやつしになってお出かけになりましたが、そういう乱暴者がみつけましたら、それこそ一大事でございますよ」と言い続けているのを――

では8/27に。


源氏物語を読んできて(1147)

2012年08月23日 | Weblog
2012. 8/23    1147

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その55

「文見つらむと思はねば、異ざまにて、かの御けしき見る人の語りたるにこそは、と思ふに、『誰かさ言ふぞ』などもえ問ひ給はず。この人々の見思ふらむことも、いみじくはづかし。わが心もてありそめしことならねども、心憂き宿世かな、と思ひ入りて寝たるに、侍従と二人して」
――(浮舟は)返事を遣るときに、右近が途中で御文を見たであろうとは思ってもみないので、他の方面で薫のご様子を知る人が告げたのであろうと思いますものの、「誰がそんなことを言って聞かせたのか」などともお訊ねになれません。こちらの右近やその他の侍女たちが、どのような目で見ているのか、何と思っているのかと、それも恥かしい。匂宮との関係は、浮舟自身から進んでしたことではないけれども、それにしても嘆かわしいわが宿世であると、思い沈んで横たわっていますと、右近と侍従とが二人で――

 こんなことを話しています。右近が、

「『右近が姉の、常陸にても人二人見侍りしを、程々につけては、ただかくぞかし、これもかれもおとらぬ志にて、思ひ惑ひて侍りし程に、女は、今の方にいますこし心よせまさりてぞ侍りける。それに妬みて、つひに今のをば殺してぞかし。さてわれも住み侍らずなりにき。国にもいみじき兵士一人失ひつ…』」
――「私の姉が常陸で二人の男を持っていたのですが、身分の上下にかかわらず、こういうことがあるものですね。二人ともどちらも負けず劣らず尽すものですから、姉は迷っていますうちに、新しい男に心が傾くようになりました。前の男がそれを嫉妬して、とうとう後の男を殺してしまったのです。そうしておいて自分も通って来なくなりました。常陸の国府としても、立派な武士を一人失くした訳です」――

 つづけて

「『またこの過ちたるも、よき郎等なれど、かかる過ちしたるものを、いかでかはつかはむ、とて、国のうちをも追ひ払はれ、すべて女のたいだいしきぞ、とて、館のうちにも置い給へざりしかば、東の人になりて、ままも今に恋ひ泣き侍るは。罪深くこそ見給ふれ。…』」
――「また過まちを犯した男もよい家来でしたが、こんな間違いをした者をどうして使用できようかというので、国を追いだされてしまいました。すべて女が軽はずみだったからだと、国司の邸内にも置いて下さらなくなりましたので、東国の人のなり果てましたので、今でも母は恋しがって泣いております。これは本当に罪深いことだと、私には思われます」――
さらに、右近がつづけます。

「『ゆゆしきついでのやうに侍れど、上も下も、かかる筋のことは、思し乱るるはいとあしきわざなり。御命までにはあらずとも、人の御程々につけて侍ることなり。死ぬるにまさる恥なることも、よき人の御身には、なかなか侍るなり。一方に思し定めてよ…』」
――「このような折に不吉なことを申し上げるようですが、身分の尊い方も卑しい人も、この道で思いわずらうのは一番良くないことなのです。お命までは関わりませんでも、それぞれのご身分に応じての不仕合せは起こってくるものです。死ぬにもまさる恥かしい事も、ご身分の高い方には却ってあるものです。どちらかお一方にお決めくださいませ」――

◆ままも今に恋ひ泣き侍るは=「まま」は浮舟の乳母で右近の母。

では8/25に。

源氏物語を読んできて(1146)

2012年08月21日 | Weblog
2012. 8/21    1146

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その54

「御返りごとを、心得顔に聞こえむもいとつつまし、ひがごとにてあらむもあやしければ、御文はもとのやうにして、『所違へのやうに見え侍ればなむ。あやしくなやましくて何ごとも』と書き添へてたてまつれつ」
――(浮舟は)ご返事を差し上げますのにも、この御歌の意味が分かったような顔で差し上げるのは、さすがに気がとがめ、もし何かの間違いでもあれば妙なことにもなりますので、御文を元のように結び直して、「宛先違いのように見えますのでお返事致しません。ひどく気分がすぐれませんので、何も申し上げられません」と書き添えて差し上げます――

「見給ひて、さすがにいたくもしたるかな、かけて見及ばぬ心ばえよ、と、ほほ笑まれ給ふも、にくしとはえ思し果てぬなめり」
――(薫は)お返事を御覧になって、さすがに巧いものだ、思いがけなくも機転が利いているよ、と、ついにっこりなさるのも、憎みきれないお気持だからなのでしょう――

「まほならねどほのめかし給へるけしきを、かしこにはいとど思ひ添ふ。ついにわが身は、けしからずあやしくなりぬべきなめり、といとど思ふところに、右近来て『殿の御文は、などて返したてまつらせ給ひつるぞ。ゆゆしく、忌み侍るなるものを』『ひがごとのあるやうに見えつれば、所違へかとて』とのたまふ」
――まともにではないけれど、お恨みのご様子を仄めかされて、浮舟のところでは一層不安が募るのでした。自分は、結局これで人前ににも出られなくなるに違いない、とますます胸を痛めているところに右近が来て、「殿の御文を、どうしてお返しになったのです。御文をそのままお返しするのは、不吉な忌むべき事だそうですのに」と言いますので、「間違いがあるように見えましたので、宛先が間違ったのでは、と思って」とおっしゃる――

「あやしと見ければ、道にてあけて見けるなりけり。よからずの右近がさまやな。見つとは言はで、『あないとほし。苦しき御ことどもにこそ侍れ。殿はもののけしき御覧じたるべし』といふに、おもてさとあかみて、ものものたまはず」
――(右近は)お返事をやるとき、おかしいと思ったので、実は途中で開けて見ていたのでした。よくない右近の仕業ですこと。けれども、見たことは言わずに「まあ、お気の毒ですこと。つらい事ばかりでございます(匂宮にとっても、薫にとっても)。殿は大方のことをお知りになったのでございましょう」と言いますので、浮舟は、さっとお顔を赤らめて何もおっしゃらない――

では8/23に。

源氏物語を読んできて(1145)

2012年08月19日 | Weblog
2012. 8/19    1145

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その53

「われすさまじく思ひなりて棄て置きたらば、かならずかの宮の呼び取り給ひてむ、人のため、のちのいとほしさをも、ことにたどり給ふまじ、さやうに思す人こそ、一品の宮の御方に人二三人参らせ給ひたなれ、さて出で立ちたらむを見聞かむ、いとほしく、など、なほ棄てがたく、けしき見まほしくて、御文つかはす」
――ここで自分が浮舟を見限って棄て置いたなら、必ず匂宮が呼び寄せて仕舞われるだろう。宮はこの女の将来のためなどとは別に深く考えておやりにもなるまい。そういうふうな愛しかたをされた女を、御姉宮(匂宮の姉)の許に侍女として二、三人上げられたと聞いたが、あの浮舟がそんな女房になって宮仕えに出るのを見聞きするのも可哀そうだ、などとお思いになりますと、やはりそのままにはして置けないので、様子も知りたいとお思いになって文をおやりになります――

「例の随身召して御手づから人間に召し寄せたり。『道定の朝臣は、なほ仲信が家にや通ふ』『さなむ侍る』と申す。『宇治へは、常にやこのありけむ男は遣るらむ。かすかにて居たる人なれば、道定も思ひ懸くらむかし』とうちうめき給ひて、『人に見えでをまかれ。をこなり』とのたまふ」
――(薫は)例の御随身を人の居ない折にご自分でお召し寄せになって、「道定(大内記)の朝臣は、今もやはり仲信の家に通っているのか。(仲信は大内記の舅)」とお聞きになりますと、「そのようでございます」と申し上げます。薫が「宇治へは、いつもあの先日の男を使いにやるのだろうか。浮舟はひっそりと暮らしている女だから、大内記も私の物とは知らずに懸想するのだろうよ」と溜息をおつきになって、「人にみつからないようにして行け。見られては愚かしいからな」と仰せになります――

「かしこまりて、少補が常にこの殿の御こと案内し、かしこのこと問ひしも思ひ合はすれど、もの慣れてもえ申し出でず。君も下衆にくはしくは知らせじ、と思せば、問はせ給はず」
――御随身は畏まって、あの大内記がいつもこちらの殿のことを探り、宇治のことを尋ねたことも、そうだったかと思い合わせますが、馴ら馴れしく薫大将に申し上げる事も出来ず、また薫も下人の者に詳しい事情は知らせたくないとお思いになりますので、お訊ねにもなりません――

「かしこには、御使ひの例より繁きにつけても、もの思ふことさまざまなり。ただかくぞのたまへる。『波こゆるころとも知らず末の松待つらむとのみ思ひけるかな。人に笑はせ給ふな。』とあるを、いとあやしと思ふに、胸ふたがりぬ」
――浮舟のところでは、薫の使者がいつもよりしげしげとやって来るにつけても、あれこれと物おもうことが多いのでした。この御文には、ただこう書かれております。「あなたが心変わりする時分とも知らずに、私を待っていてくれるものとばかり思っていましたよ」私を人の笑いものにして下さるな」とありますのを、浮舟は、これはおかしなことを、と思いますにつけ、胸が塞がる思いです――

◆手づから人間に=手ずから人間(ひとま)に=人のいない折に

では8/21に。


源氏物語を読んできて(1144)

2012年08月17日 | Weblog
2012. 8/17    1144

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その52

「対の御方の御ことを、いみじく思ひつつ、年ごろ過ぐすは、わが心の重さ、こよなかりけり、さるは、それは今はじめて、さまあしかるべき程にもあらず、もとよりのたよりにもよれるを、ただ心のうちの隈あらむが、わがためも苦しかるべきによりこそ、思ひ憚るもをこなるわざなりけれ」
――中の君の御事を私がこんなにお慕いしながら、長年我慢してきたのは、われながら何と慎重であったことか、といっても、中の君に対する私の恋は、今が今始まったというような不体裁なものでもなく、昔からの縁によるものだけれど、ただ内心にやましい点のあるのが自分としても苦しい気がして、それにご遠慮しているのだが、それもこうなってみれば、馬鹿馬鹿しいことであった――

「このごろかくなやましくし給ひて、例よりも人しげきまぎれに、いかではるばると書きやり給ふらむ、おはしやそめにけむ、いとはるかなる懸想の道なりや、あやしくて、おはしどころ尋ねられ給ふ日もあり、と聞こえきかし、さやうのことに思し乱れて、そこはかとなくなやみ給ふなるべし」
――近頃は明石中宮があのような御不例で、いつもより一層人の出入りが多く、取り込んでいますのに、匂宮はどうしてはるばる遠い宇治までも手紙を書いてやられたのだろうか。もしや、すでに通い初められたのではないか。何という遠い恋の通い路であろうか。そういえば、匂宮の行方が分からず、捜し廻られたことがあると聞いた事があった。そのようなことにお心が乱れて、何となくご気分も悩ましくいらっしゃったのであろう――

「昔を思し出づるにも、えおはせざりし程の歎き、いといとほしげなりきかし、と、つくづくと思ふに、女のいたくもの思ひたるさまなりしも、片端心得そめ給ひては、よろづ思し合sるに、いと憂し」
――昔を思い出すにつけても、宇治の中の君の許にお通いになれなかった時の歎きは、本当にお気の毒なほどであったと、しみじみ考えますと、先日、浮舟がひどく物思いに沈んでいたらしかったのも、理由の一端が分かりかけてみれば、いろいろと思い合わされるにつけ、大そう辛い――

「ありがたきものは、人の心にもあるかな、らうたげにおほどかなりとは見えながら、色めきたる方は添ひたる人ぞかし、この宮の御具にては、いとよきあはひなり、と、思ひもゆづりつべく、退く心地し給へど、やむごとなく思ひそめはじめし人ならばこそあらめ、なほさるものにて置きたらむ、今はとて見ざらむはた、こひしかるべし、と、人わろく、いろいろ心のうちに思す」
――難しいのは人の心というものだなあ、浮舟は無邪気でおっとりしているように見えながら、浮気なことろのある女だったのだ、この宮のお相手にはちょうど良い人だったのだ、と、ご自分は譲って身を退きたい気もなさいますが、最初から正妻として扱うつもりであったのならとにかく、そういう女ではなかったのだから、今のままにして置こう、これきりで逢えなくなるのも残念でならないし、と、見ぐるしいほどいろいろとお心の内でお思いになるのでした――

では8/19に。


源氏物語を読んできて(1143)

2012年08月15日 | Weblog
2012. 8/15    1143

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その51

「君、あやしと思して、『その返りごとは、いかやうにしてか出だしつる』『それは見給へず。異かたより出だし侍りにける。下人の申し侍りつるは、赤き色紙の、いときよらなる、たなむ申し侍りつる』と聞ゆ。思し合はするに、たがふことなし。さまで見せつらむを、かどかどしと思せど、人々近ければ、くはしくものたまはず」
――(薫の君は)不思議に思われて、「その返事の文は、どのようにして渡したのか」「それは見ませんでした。私の居たところとは違う方から渡しておりました。下人が申しますには、紅い色の紙の、大そう綺麗なものだった由でございます」と申し上げます。薫は思い合わされると、先刻匂宮が見ておられた文に間違いがない。随身がそこまでも見届けたとは、よく機転が利いているとお思いになりますが、人々が近くにいますので、詳しくはおっしゃらない――

「道すがら、なほいとおそろしく、隈なくおはする宮なりや、いかなりけむついでに、さる人ありと聞き給ひけむ、いかで言ひ寄り給ひけむ、田舎びたるあたりにて、かうやうの筋のまぎれは、えしもあらじ、と思ひけるこそ幼けれ」
――(薫は)お帰りの道すがら、やはりあの匂宮は恐ろしく素早くて、抜け目のないお方だ、一体どんな機会に、浮舟のような人がいると耳にされたのだろう、どんな風に言い寄られたのだろう、宇治は田舎のことであるから、このような間違いは、まさか起こるまいと思っていたのは、全く浅はかなことだった――


「さても、知らぬあたりにこそ、さるすきごとをものたまはめ、昔より隔てなくて、あやしきまでしるべして、率てありきたてまつりし身にしも、うしろめたく思し寄るべしや、と思ふに、いと心づきなし」
――それにしても匂宮は、全然私の知らない女であったなら、そうした恋をしかけても構わないが、私との間は昔から親密であって、傍目にはおかしい程の、中の君への手引きまでしてお連れして回った、その私に対して、そのような後ろ暗い事を思いつかれるとは、とお考えになりますと、不愉快でならないのでした――

では8/17に。


源氏物語を読んできて(1142)

2012年08月13日 | Weblog
2012. 8/13    1142

五十一帖 【浮舟(うきふね)の巻】 その50

「引きあけて見給ふ。くれなゐの薄様に、こまやかに書きたるべし、と見ゆ。文に心入れて、とみにも向き給はぬに、大臣も立ちて外ざまにおはすれば、この君は、障子より出で給ふとて、『大臣出で給ふ』と、うちしはぶきて、おどろかいたてまつり給ふ。引き隠し給へるにぞ、大臣さしのぞき給へる」
――匂宮は開けて御覧になります。紅の薄い紙に細々と書いてあるらしい、と、その手紙に気を取られて、薫の方に急にはお向きになろうとはなさらない、丁度そのとき、左大臣(夕霧)も御前を立って外に出て来られましたので、薫は障子口からお出になろうとして、
『大臣がお通りになります』と、咳払いをして匂宮にご注意申されます。匂宮が御文をお隠しになったところへ大臣(夕霧)が顔をお出しになりました――

「おどろきて御紐さし給ふ。殿つひ居給ひて、『まかで侍りぬべし。御邪気の久しくおこらせ給はざりつるを、おそろしきわざなりや。山の座主ただ今請じにつかはさむ』と、いそがしげにて立ち給ひぬ」
――匂宮は驚かれて、直衣の襟の紐をお結びになります。大臣もひざまづかれて、『私も失礼いたしましょう。中宮は例の物の怪が久しく起こりませんでしたのに、恐ろしいことです。すぐ山の座主をお招きするように、人を遣わしましょう』と忙しそうに、お立ちになりました――

「夜更けて皆出で給ひぬ。大臣は、宮をさきに立てたてまつり給ひて、あまたの御子どもの上達部君達ひき続けて、あなたにわたり給へひぬ。この殿はおくれて出で給ふ」
――夜更けてみな中宮の御殿を退出されました。夕霧大臣は匂宮を御先にお立て申されて、その夕霧はご子息の上達部を大勢お連れになって、ご自身の御殿の方へ(同じ六条院内)お渡りになりました。薫は少し後からご退出になります――

「随身けしきばみつる、あやし、と思しければ、御前など下りて火ともす程に、随身召し寄す。『申しつるはなにごとぞ』と問ひ給ふ」
――(薫は心の中で)出掛けに随身が何やら仔細ありげな様子であったのを、不審におもわれたので、御先駆の者が下りて松明を灯している間に、お呼び寄せになって、「先刻申したのは何ごとか」とお問いになります――

「『今朝、かの宇治に、出雲の権の守時方の朝臣のもとに侍る男の、紫の薄様にて、桜につけたる文を、西の妻戸によりて、女房にとらせ侍りつる、見給へつけて、しかじか問ひ侍りつれば、言たがへつつ、そらごとのやうに申し侍りつるを、いかに申すぞ、とて、童べして見せ侍りつれば、兵部卿の宮に参り侍りて、式部の少輔道定の朝臣になむ、この返りごとはとらせ侍りける』と申す」
――(随身は)「今朝、あの宇治に、出雲の権の守時方の朝臣の許に仕える男が、紫の薄様で、桜の枝につけた文を、西の妻戸に寄って女房に渡しているのを見つけまして、仔細を訊ねましたところ、言葉を濁して、どうも嘘らしいことを申します。どうしてそう申すのかと、童をやって跡をつけさせましたところ、その男は匂宮の御邸へ参りまして、式部の少輔道定の朝臣(大内記のこと)にその返事をお渡ししました」と申し上げます――

では8/15に。