東大阪市にある大龍禅寺を訪れに日下町を歩いていると、
市の有形民族文化財に指定されている旧河澄家が公開されていたので見学。
無料というのも嬉しい。
河澄家は江戸時代に日下村の庄屋を務めた旧家で、
第19代当主の雄次郎が教育に情熱を傾け、
明治初期に私財を投じて小学校設立に尽力するなど、
代々地域の発展に貢献されたそうです。
駐車場に車を停めると小さい名もないような神社がある。
その小さな祠に猫が気持ち良さそうに寝ていた。
写真をこっそり撮ったらおこしちゃったようで、
気持ちよく寝てるのに何おこしてんねん、ボケ!とでも言いたげな顔で睨まれました。(^^;
外観も意外に立派です。
ほほう、
中々雰囲気がいい。
旧河澄家の奥座敷「棲鶴楼」は寛政10年(1798)に「雨月物語」の作者で知られる
上田秋成が訪れた史跡であり近郷文人たちの文芸サロンだったそうです。
部屋の中にある扉を開けると昔の化粧道具や茶道具などが、
ガラスケースも無しに展示されていました。
奥には土蔵もありました。
渋いですね。
枯山水庭園も綺麗に手入れされておりました。
庭園は江戸時代初期の枯池式枯山水で棲鶴楼の鶴に対して亀石組を組んで鶴亀とし、
西側に大滝、南側に小滝を造り、南面に蓬莱山を構成した不死・不老の祝儀思想に
もとづく作庭となっています。
推定樹齢500年のかやの大木です。
昭和51年に「日下のかや」として市の天然記念物に指定しています。
いや~、こんなところにこんな旧家の建物があるとは思ってもいなかった。
訪れて良かったです。
見学後、大龍禅寺へ向かう途中で見つけたお地蔵さん。
立派に祀られていて地元の人々の信仰も篤いようですね。
市の有形民族文化財に指定されている旧河澄家が公開されていたので見学。
無料というのも嬉しい。
河澄家は江戸時代に日下村の庄屋を務めた旧家で、
第19代当主の雄次郎が教育に情熱を傾け、
明治初期に私財を投じて小学校設立に尽力するなど、
代々地域の発展に貢献されたそうです。
駐車場に車を停めると小さい名もないような神社がある。
その小さな祠に猫が気持ち良さそうに寝ていた。
写真をこっそり撮ったらおこしちゃったようで、
気持ちよく寝てるのに何おこしてんねん、ボケ!とでも言いたげな顔で睨まれました。(^^;
外観も意外に立派です。
ほほう、
中々雰囲気がいい。
旧河澄家の奥座敷「棲鶴楼」は寛政10年(1798)に「雨月物語」の作者で知られる
上田秋成が訪れた史跡であり近郷文人たちの文芸サロンだったそうです。
部屋の中にある扉を開けると昔の化粧道具や茶道具などが、
ガラスケースも無しに展示されていました。
奥には土蔵もありました。
渋いですね。
枯山水庭園も綺麗に手入れされておりました。
庭園は江戸時代初期の枯池式枯山水で棲鶴楼の鶴に対して亀石組を組んで鶴亀とし、
西側に大滝、南側に小滝を造り、南面に蓬莱山を構成した不死・不老の祝儀思想に
もとづく作庭となっています。
推定樹齢500年のかやの大木です。
昭和51年に「日下のかや」として市の天然記念物に指定しています。
いや~、こんなところにこんな旧家の建物があるとは思ってもいなかった。
訪れて良かったです。
見学後、大龍禅寺へ向かう途中で見つけたお地蔵さん。
立派に祀られていて地元の人々の信仰も篤いようですね。