Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

鏡神社(2012年6月8日参拝)

2012-07-09 | 神社
本日は有給休暇が取れましたので、
西国の観音正寺を参拝しようと滋賀県へ。

名神高速竜王ICで降りて8号線を右折しなければならないところを、
間違って左折してしまった。(^^;

そんな時に源義経元服の地という幟が見えた。

あれ?義経って滋賀県で元服したの?って感じで、
気になったので近くの神社に寄ってみた。





所在地:滋賀県蒲生郡竜王町鏡1289
主祭神:天日鉾命
配祀神:天津彦根命、天目一箇神
創建:不明


【由緒】
当社の創始年代は不祥であるが主祭神天日槍尊は日本書紀による
新羅國の王子にして垂仁天皇三年の御世(BC31)来朝し多くの技術集団
(陶物師、医師、薬師、弓削師、鏡作師、鋳物師など)を供に近江の国へ入り集落を成し、
吾国を育み文化を広めた祖神を祀る古社である。

天日槍は持ち来たる神宝の日鏡をこの地に納めたことから「鏡」の地名が生まれ、
書紀にも「近江鏡の谷の陶人は即天日槍の従人なり」と記されている。

鏡山の麓は渡来集団に関わる地名も多く須恵器を焼いた古窯址群も広く現存する。

延喜の御世には大嘗会に鏡餅を献上した火鑽の里であり、
鏡路は鏡山と共に万葉の歌枕として百五十余首詠まれ、
宮廷巫女の歌人額田王や鏡王女にも所縁の地である。

現社殿は室町時代に再建された三間社流れ造りにして
屋根は「こけら葺き」の貴重な建築様式は国の重要文化財である。

承安四年(一一七四)牛若丸こと源氏の遮那王は京都鞍馬から奥州への旅路、
この鏡の宿に泊まり境内宮山の岩清水を盥に汲み自ら烏帽子をつけ元服した。

鏡神社へ参拝した十六歳の若者は「吾こそは源九郎義経なり」と名乗りをあげ
源氏再興と武運長久を祈願した武将元服の地である。

以後岩清水は源義経元服池と称し現在も清水を湛えている。
義経公を偲ぶ「とがらい祭り」は十一月二の午夕刻に男児を主役に斎行される。



【源義経 烏帽子掛けの松】




お~、これは道を間違って正解だったようです。
義経が私を呼んでいるんだなきっと。(^^


【鳥居】


唐破風の屋根が珍しい鳥居です。


【境内】


なかなかいい雰囲気です。


【拝殿】



【中門】



【本殿】


南北朝時代の建築といわれ重要文化財に指定。

祭神の天日槍命は金工、製陶技術を教えた新羅王子と伝えられています。
この地に製陶業を興し村の発展に努めたので祖神として祀られ崇敬・護持されてきたそうです。


【境内社】





【祓戸神】



【八幡神社】


こちらに応神天皇と共に源義経公が祀られています。

応神天皇は五世紀頃の天皇で誉田別尊とも言われます。
この尊は兵法にすぐれ国を栄えさせ学術技芸を栄えさせた長寿の天皇とあります。
したがって源九郎義経公に合い通じる神と共に合祀されたものと思われます。

他の境内社と異なり京都鞍馬の方角に向けられています。

それにしても質素な境内社ですね。


御朱印の有無は不明です。
恐らくないと思われます。


【元服の池】




鏡神社から少し離れた所に元服の池があります。


承安4年(1174)3月3日、牛若丸は京の鞍馬で遮那王と称してひそかに源氏の再興を志していました。
鞍馬をこっそり抜け出し近江の「鏡の宿」(現在の滋賀県竜王町鏡)に入り、時の長者の屋敷に泊まります。

その夜、稚児姿で見つかりやすいのを避けるために元服することを決意。
そこで地元「鏡」の烏帽子屋五郎大夫に源氏の左折れの烏帽子を作らせ、
鏡池の石清水を用いて前髪を落とし元結の侍姿を池の水に映し元服をしたと伝えられています。

鏡神社より西側へ130mのところに池がありそばに石碑が建っています。
これが義経の「元服池」とよばれている池で義経はこの池の水を元服の時に使ったといわれています。