Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

赤穂大石神社 其の一(2013年2月23日参拝)

2013-04-05 | 神仏霊場巡拝の道
赤穂城跡のすぐ近くに鎮座するのが大石神社。

京都の山科にある大石神社もそういえば参拝したなぁ。

やはりこちら赤穂にある大石神社の方が本家なんでしょうか。


<2012年5月1日参拝>

http://blog.goo.ne.jp/05100625/e/6877bf8d33dc3f4a73e43c1880550aeb



所在地:兵庫県赤穂市上仮屋旧城内
主祭神:大石内蔵助良雄以下四十七士命
配祀神:浅野家三代士霊、赤穂森家七代士霊
社格:県社・別表神社
創建:明治33年(1900)
札所:神仏霊場巡拝の道76番(兵庫11番)


【由緒】
元禄14年(1701)春3月、江戸城中松の廊下で勅使接待役の浅野内匠頭長矩が、
指南役の高家筆頭吉良上野介義央に刃傷に及ぶという一大事件が起こった。

長矩は将軍綱吉の独裁を持って即日切腹、浅野家は取り潰しとなるが、
吉良方には何のおとがめもなかった。
これが第一の事件である。

それから1年9ヵ月後、即ち元禄15年(1702)の12月14日の夜、
長矩の家臣大石内蔵助良雄ら四十七士の忠義の武士が、
本所松坂町の吉良の屋敷へ討ち入り美事義央の首を打って主君の怨みを晴らし、
幕府の失政に一矢を報いる事件が起こった。

そして、2ヵ月後、義士達は武士にとっては最高の名誉である切腹という処分をうけた。
これが赤穂浪士の復讐事件といわれる第二の事件で、
この二つの事件を合わせたものが世に言う「忠臣蔵」である。

大石神社は明治天皇の勅旨を契機として明治33年(1900)神社創立が公許せられ、
まず大石邸長屋門の保存修理から始まって義士を崇敬追慕する多くの方々からの浄財によって
本殿以下社殿が竣工し大正元年(1912)11月、四十七義士を祀る神社としてご鎮座になった。


【鳥居】


広い無料駐車場に車を停めていざ。


【赤穂47義士像】





【義芳門】


神戸の湊川神社の神門を昭和17年に移築されたもの。


【恵比須様】



【大黒様】


それぞれ2メートルは優に超えるである大きな木像です。

やらしい話、
これを造ってもらったら目が飛び出るぐらいの値段を請求されると思います。(^^;


【忠臣蔵大絵馬】



【石碑】



【大石内蔵助像】



【さざれ石】



【拝殿】






いよいよ拝殿のお出まし。

なかなか美しい拝殿です。

やはり人気の神社だけあって、
この日も御祈祷を受けている方々が沢山いました。


【狛犬】


なんか首と胴体が分割したのをくっつけたように見えるのですが。


【本殿】



【石像】


これは何の意味があるのでしょうか。

よく分かりません。


【合祀殿】


国助稲荷社、天満宮等が祀られていました。


【淡嶋神社】



【刃傷松の廊下】


忠臣蔵ものがたりとして色々な場面が描かれていました。


【赤穂城】



【天塩うどん】


寒いので境内の中にある食事処で食う。

赤穂は塩が名産ですが、
塩味のうどんは珍しい。

簡単に言えば塩ラーメンのうどんバージョンですね。

なかなか美味しかったですが、
健康を考えるとスープは全部飲み干しませんでした。(^^;

でも、冷えた身体には最高でした。


とりあえず長くなったので其の二に続く。


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