本日は年末年始のお酒を買いに高槻へ。
お店に着くと佐藤黒一升と白黒小瓶が普通に店頭に置いてあったので、
有難くゲットしました。
佐藤黒一升が定価単品で店頭に置いてあるなんて初めて見ましたよ。(^^
多分、年末年始だけのサービスだと思うけど。
気分良く店を後にし以前から気になっていたカトリック高槻教会(高山右近記念聖堂)へ向かう。
この私が何で教会なんかに?と思われることでしょう。
かくいう私もです。(^^;
理由は戦国時代末期の高槻城主でありキリシタン大名の高山右近所縁の教会だからです。
高山右近という男を知れば知るほど魅力を感じるんですよね。
それでカトリック高槻教会へ向かった訳だが、
近くに印象的な建物が見える本行寺というお寺を見つけたので先に参拝。
こちらには参拝者専用の駐車場があります。
所在地:大阪府高槻市大手町2-43
宗旨:日蓮宗
御本尊:題目宝塔、釈迦多宝二仏
創建:不明
開山:不明
中興:慶長元年(1596年)
中興:日重
【歴史】
その昔、高槻大蔵司村付近の丘陵に岡本寺という寺があり、
文武天皇の時代(白鳳時代)の豪族の氏寺と推定されます。
その寺跡に日蓮宗本照寺が建立され戦国大名の三好元長、
細川晴元の外護を受けて隆盛をきわめますが、
法華一揆に続く天文法華の乱に、あえなく焦土と化しました。
三好長慶により毘沙門堂として再興されますが、
高山右近公の時代に、その堂宇ことごとく焼き討ちされ、
住職は上の山の祖師像(本行寺に現存)をもって備前(岡山)に逃れたとされています。
後に復帰がかなうのですが、他宗との折り合いがつかず、
現地復帰及び元の寺号の呼称が許されませんでした。
しかし、慶長元年(1596年)一如院日重上人(後に身延山二十世法主)が、
弾圧下の法華の住民と協力一致尽力して高槻城下に日蓮宗を再生させ常智山本行寺と号しました。
その後、本行寺は高槻城主祈願所となり連綿として打ち続き、
「病を除く寺」として現在に至ります。
【山門】
もともとこの門は高槻城の一角にあった高麗門だそうです。
【法華経守護神の塔】
これが車に乗ってる時に気になった建築物。
四方に四天王像が見え、
他に平等院鳳凰堂にある雲中供養菩薩像のような仏像がありました。
【鐘楼堂】
【豊六地蔵】
これほどプリティなお地蔵さんは見たことがありません。
【妙見堂】
【本堂】
堂内に上がらせていただいた。
予想以上に美しい堂内を見て息を飲む。
【本堂御宝前】
御本尊の題目宝塔と宝塔を挟む釈迦多宝二仏が祀られていました。
二尊院のように立像では無く坐像でした。
日蓮宗ということで般若心経は唱えられないので南無妙法蓮華経だけ唱えました。
写真撮影OKでした。
【日蓮聖人像】
本堂横のお堂に1メートルぐらいの大きさの高槻三面大黒天神が祀られていました。
写真撮影が失敗したのでUP出来ませんが、
三面のお顔で大黒天・毘沙門天・弁才天が合体したお姿をされていました。
尚、こちらには御朱印をいただけますが、
さすがに年末で忙しそうにされておりましたのでいただきませんでした。
また参拝する時がきたら御朱印をいただくとしよう。
お店に着くと佐藤黒一升と白黒小瓶が普通に店頭に置いてあったので、
有難くゲットしました。
佐藤黒一升が定価単品で店頭に置いてあるなんて初めて見ましたよ。(^^
多分、年末年始だけのサービスだと思うけど。
気分良く店を後にし以前から気になっていたカトリック高槻教会(高山右近記念聖堂)へ向かう。
この私が何で教会なんかに?と思われることでしょう。
かくいう私もです。(^^;
理由は戦国時代末期の高槻城主でありキリシタン大名の高山右近所縁の教会だからです。
高山右近という男を知れば知るほど魅力を感じるんですよね。
それでカトリック高槻教会へ向かった訳だが、
近くに印象的な建物が見える本行寺というお寺を見つけたので先に参拝。
こちらには参拝者専用の駐車場があります。
所在地:大阪府高槻市大手町2-43
宗旨:日蓮宗
御本尊:題目宝塔、釈迦多宝二仏
創建:不明
開山:不明
中興:慶長元年(1596年)
中興:日重
【歴史】
その昔、高槻大蔵司村付近の丘陵に岡本寺という寺があり、
文武天皇の時代(白鳳時代)の豪族の氏寺と推定されます。
その寺跡に日蓮宗本照寺が建立され戦国大名の三好元長、
細川晴元の外護を受けて隆盛をきわめますが、
法華一揆に続く天文法華の乱に、あえなく焦土と化しました。
三好長慶により毘沙門堂として再興されますが、
高山右近公の時代に、その堂宇ことごとく焼き討ちされ、
住職は上の山の祖師像(本行寺に現存)をもって備前(岡山)に逃れたとされています。
後に復帰がかなうのですが、他宗との折り合いがつかず、
現地復帰及び元の寺号の呼称が許されませんでした。
しかし、慶長元年(1596年)一如院日重上人(後に身延山二十世法主)が、
弾圧下の法華の住民と協力一致尽力して高槻城下に日蓮宗を再生させ常智山本行寺と号しました。
その後、本行寺は高槻城主祈願所となり連綿として打ち続き、
「病を除く寺」として現在に至ります。
【山門】
もともとこの門は高槻城の一角にあった高麗門だそうです。
【法華経守護神の塔】
これが車に乗ってる時に気になった建築物。
四方に四天王像が見え、
他に平等院鳳凰堂にある雲中供養菩薩像のような仏像がありました。
【鐘楼堂】
【豊六地蔵】
これほどプリティなお地蔵さんは見たことがありません。
【妙見堂】
【本堂】
堂内に上がらせていただいた。
予想以上に美しい堂内を見て息を飲む。
【本堂御宝前】
御本尊の題目宝塔と宝塔を挟む釈迦多宝二仏が祀られていました。
二尊院のように立像では無く坐像でした。
日蓮宗ということで般若心経は唱えられないので南無妙法蓮華経だけ唱えました。
写真撮影OKでした。
【日蓮聖人像】
本堂横のお堂に1メートルぐらいの大きさの高槻三面大黒天神が祀られていました。
写真撮影が失敗したのでUP出来ませんが、
三面のお顔で大黒天・毘沙門天・弁才天が合体したお姿をされていました。
尚、こちらには御朱印をいただけますが、
さすがに年末で忙しそうにされておりましたのでいただきませんでした。
また参拝する時がきたら御朱印をいただくとしよう。
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