旧閑谷学校をたっぷりと堪能した後は備前の伊部へ向かって
2号線を走っていると三重塔が見えた。
うん?こんな所にお寺なんかあったか?と思っていると本当にお寺があった。
今まで何回か2号線を通っていたのに気付かなったなんて。
まぁ、以前は神社仏閣巡りしてなかったから見えなかっただけなのかな。(^^;
数百メートル走ってUターンして参拝。
所在地:岡山県備前市西片上1513
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・天平11年(739年)
開基:伝・行基
札所:和気郡八十八箇所5番、備前四十八箇寺
【沿革】
寺伝によれば行基により奈良時代の天平11年(739年)に創建されたとされ、
行基が造立した薬師如来が安置されたといわれている。
天平勝宝年間(749年~757年)に報恩大師が孝謙天皇の勅命により、
備前四十八箇寺の一つに加えたという。
南北朝時代には兵火のために衰微するが室町時代の応永年間(1394年~1428年)に
良宗法印が中興した。
しかし戦国時代に再び衰退した。
江戸時代になると岡山藩の保護を受け再び復興した。
当初、山号は小滝山と称していた。慶長7年(1602年)心王院勢恵上人が仁和寺に招かれ、
その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り山号を御瀧山と改称した。
現在、自性院・花蔵院の2院が塔頭として残っている。
【境内】
駐車場は学校の砂の校庭のような境内に停めれます。
【本堂】
重要文化財。
残念ながら堂内に入ることは出来ませんでした。
【三重塔】
重要文化財。
瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築されたもの。
まさかこんな所でこのような素晴らしい三重塔があるとは。
備前まで来て良かった。(^^
【大師堂】
【石仏】
【鎮守社】
【地蔵尊】
【鐘楼堂】
奥に見えるのが塔頭・花蔵院の山門です。
花蔵院で御朱印をいただけるようですが、
参拝した時は御朱印をいただける雰囲気で無かったし、
とにかく番犬がうるさくていただけませんでした。
私は犬から結構好かれるタイプなんですが、
ここの犬は番犬として仕事をきっちりする犬でした。(苦笑)
尚、このお寺には仁王門があるのですが、
参拝した時は気付きませんでした。
仁王門は2号線と線路を超えた反対側にあるらしい。
またいずれ備前に訪れた際は仁王門を拝見して、
御朱印をいただくとしよう。
2号線を走っていると三重塔が見えた。
うん?こんな所にお寺なんかあったか?と思っていると本当にお寺があった。
今まで何回か2号線を通っていたのに気付かなったなんて。
まぁ、以前は神社仏閣巡りしてなかったから見えなかっただけなのかな。(^^;
数百メートル走ってUターンして参拝。
所在地:岡山県備前市西片上1513
宗派:高野山真言宗
御本尊:阿弥陀如来
創建:伝・天平11年(739年)
開基:伝・行基
札所:和気郡八十八箇所5番、備前四十八箇寺
【沿革】
寺伝によれば行基により奈良時代の天平11年(739年)に創建されたとされ、
行基が造立した薬師如来が安置されたといわれている。
天平勝宝年間(749年~757年)に報恩大師が孝謙天皇の勅命により、
備前四十八箇寺の一つに加えたという。
南北朝時代には兵火のために衰微するが室町時代の応永年間(1394年~1428年)に
良宗法印が中興した。
しかし戦国時代に再び衰退した。
江戸時代になると岡山藩の保護を受け再び復興した。
当初、山号は小滝山と称していた。慶長7年(1602年)心王院勢恵上人が仁和寺に招かれ、
その際に仁和寺の別称である「御室」から一字を賜り山号を御瀧山と改称した。
現在、自性院・花蔵院の2院が塔頭として残っている。
【境内】
駐車場は学校の砂の校庭のような境内に停めれます。
【本堂】
重要文化財。
残念ながら堂内に入ることは出来ませんでした。
【三重塔】
重要文化財。
瀬戸内市牛窓町の蓮華頂寺にあったものを慶長18年(1613年)に移築されたもの。
まさかこんな所でこのような素晴らしい三重塔があるとは。
備前まで来て良かった。(^^
【大師堂】
【石仏】
【鎮守社】
【地蔵尊】
【鐘楼堂】
奥に見えるのが塔頭・花蔵院の山門です。
花蔵院で御朱印をいただけるようですが、
参拝した時は御朱印をいただける雰囲気で無かったし、
とにかく番犬がうるさくていただけませんでした。
私は犬から結構好かれるタイプなんですが、
ここの犬は番犬として仕事をきっちりする犬でした。(苦笑)
尚、このお寺には仁王門があるのですが、
参拝した時は気付きませんでした。
仁王門は2号線と線路を超えた反対側にあるらしい。
またいずれ備前に訪れた際は仁王門を拝見して、
御朱印をいただくとしよう。
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