続きましてはもの凄い本堂(大聖堂)がある香園寺へ。
近くに札所が固まっているので助かります。(^^
大型無料駐車場がありました。
所在地:愛媛県西条市小松町南川甲19
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
開基:(伝)聖徳太子
創建:(伝)6世紀末
札所:四国八十八箇所
【縁起】
用明天皇の病気平癒を祈願して皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。
太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、
本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、天皇からは教王院の勅号を賜った。
天平年間(729-749)には行基菩薩が訪れ、
弘法大師が訪れたのは大同年間(806-810)であった。
ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。
お大師は栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。
すると婦人は元気な男子を無事に出産した。
これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、
再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る
「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。
以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが、
天正の兵火で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。
明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、
明治7年には子安講を創始して、全国の行脚はもとより、
東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。
【大聖堂】
こちらは山門がありません。
いきなり見えてきます。
これは予想以上にでかい。
というかモダン過ぎるでしょ。(^^;
このお寺の資金力はかなり凄いですね。
他の札所とは桁が違う。
1階正面に恐らく大日如来が祀られ、
屏風と掛け軸が安置されていました。
本堂は二階です。
【本堂・大師堂】
堂内に入ると予想以上に荘厳な雰囲気。
やっぱりお寺はこうでなくっちゃ。
でも、700席もの椅子がありちょっとしたライブが出来そうですが。(^^;
御本尊の大日如来です、と言いたいところですが、
残念ながら御前立です。
御本尊のみならず不動明王、子安大師は秘仏だとか。
どうりで写真撮影OKなわけだ。
観音像。
弘法大師が祀られていました。
【子安大師堂】
【聖徳殿】
聖徳太子が祀られていました。
【地蔵尊】
【本地堂】
釈迦如来、地蔵菩薩、観世音菩薩が祀られています。
【五重塔】
【鐘楼堂】
【御朱印】
近くに札所が固まっているので助かります。(^^
大型無料駐車場がありました。
所在地:愛媛県西条市小松町南川甲19
宗派:真言宗
御本尊:大日如来
開基:(伝)聖徳太子
創建:(伝)6世紀末
札所:四国八十八箇所
【縁起】
用明天皇の病気平癒を祈願して皇子である聖徳太子が建立したと伝えられる。
太子の前に金の衣を着た白髪の老翁が飛来して、
本尊の大日如来像を安置したとも伝えられ、天皇からは教王院の勅号を賜った。
天平年間(729-749)には行基菩薩が訪れ、
弘法大師が訪れたのは大同年間(806-810)であった。
ある日、門前で身重の婦人が苦しんでいた。
お大師は栴檀の香を焚いて加持、祈祷をした。
すると婦人は元気な男子を無事に出産した。
これが機縁となり、大師は唐から持ち帰った小さな金の大日如来像を本尊の胸に納め、
再び栴檀の香を焚いて安産、子育て、身代わり、女人成仏を祈る
「四誓願」の護摩修法をされて寺に遺し、霊場に定められた。
以来、安産、子育ての信仰を得て栄え、七堂伽藍と六坊を整えたが、
天正の兵火で焼失、寺運は明治・大正になって復興している。
明治36年に晋山した山岡瑞園大和尚により、大正3年に本堂を再興し、
明治7年には子安講を創始して、全国の行脚はもとより、
東南アジアやアメリカまで足を延ばし、講員の拡大と寺の隆盛に尽力している。
【大聖堂】
こちらは山門がありません。
いきなり見えてきます。
これは予想以上にでかい。
というかモダン過ぎるでしょ。(^^;
このお寺の資金力はかなり凄いですね。
他の札所とは桁が違う。
1階正面に恐らく大日如来が祀られ、
屏風と掛け軸が安置されていました。
本堂は二階です。
【本堂・大師堂】
堂内に入ると予想以上に荘厳な雰囲気。
やっぱりお寺はこうでなくっちゃ。
でも、700席もの椅子がありちょっとしたライブが出来そうですが。(^^;
御本尊の大日如来です、と言いたいところですが、
残念ながら御前立です。
御本尊のみならず不動明王、子安大師は秘仏だとか。
どうりで写真撮影OKなわけだ。
観音像。
弘法大師が祀られていました。
【子安大師堂】
【聖徳殿】
聖徳太子が祀られていました。
【地蔵尊】
【本地堂】
釈迦如来、地蔵菩薩、観世音菩薩が祀られています。
【五重塔】
【鐘楼堂】
【御朱印】