Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

松陰神社(2012年3月11日参拝)

2012-04-15 | 神社
長府からバスで191号線をひた走り萩市へ移動。
山口って名前だけあって本当に山が多いですね。

山の風景がとても良くて癒されます。


所在地:山口県萩市椿東1537
主祭神:吉田寅次郎藤原矩方命(吉田松陰)
社格:県社
創建:明治40年(1907年)


萩市に到着するとまずは萩焼の窯元を見学。









萩焼って備前焼きに次いで好きなんですよね。


見学後、松陰神社へ。
萩市滞在がたった40分とか泣けてくる。


【由緒】
松陰神社の御祭神、吉田矩方命(以下松陰先生)が殉節されてから
31年後の明治23年(1890)8月、松下村塾出身者などの手により松下村塾の改修が行われました。
このとき松陰先生のご実家、杉家の人々の手で松陰先生の御霊を祀る土蔵造りのほこらが建立。
これが松陰神社の前身であります。

明治40年(1907)松下村塾出身の伊藤博文や野村靖が中心となって、
このほこらを公の神社として創建しようと山口県に請願書が提出されました。
同年10月4日に、当時の社格制度の中で県社の社格をもって創建が許可され、
土蔵造りのほこらを松下村塾南隣に移して本殿としました。
萩城の鎮守で当時廃社となっていた宮崎八幡宮の拝殿を譲り受け移築するなど、
境内の整備が進められましたが大東亜戦争が激しさを増し御遷座されないまま終戦。

戦後、社会情勢が落ち着くと厚東常吉などが中心となり事業を再開し、
新社殿に昭和30年に遷座され現在に至る。


【鳥居】



【境内】



【孝行竹】







【松下村塾】









松下村塾は木造瓦葺き平屋建ての小舎で当初からあった八畳の一室と、
後に杉家の母屋を増築した十畳半の部分からなっている。

1842年(天保13年)に松陰の叔父、玉木文之進が自宅で私塾を開き松下村塾と名付けた。
ついで松陰の外叔、久保五郎左衛門がその名を継承し子弟の教育にあたった。

1857年(安政4年)に藩校明倫館の塾頭を務めた吉田松陰がこれを引き継ぎ、
1858年(安政5年)に松陰が野山獄に再投獄され廃止された。


【吉田松陰幽囚ノ旧宅】








天保年間に建てられたといわれ瀬能吉次郎の持家を借りて住んでいたそうで、
安政2年(1955)12月、萩城下の野山獄より出牢した松陰は、
この邸内の3畳半の1室に幽囚されます。


【拝殿】






明治40年(1907)創建。
現社殿は昭和30年(1955)に創建されたもの。


【本殿】



【花月楼】








江戸時代の茶室。
松下村塾出身の品川弥二郎がこれを建設した萩藩第7代藩主毛利重就の遺徳を偲び、
自邸内に保存していたのを昭和34年(1959)神社境内に移築したものです。


【石碑】





【勧学堂】




松陰先生の御分霊がお祀りされています。
安政4年(1857)の松陰先生主宰の松下村塾の開設日にちなみ、
毎年11月5日に勧学堂祭が斎行されます。

この御堂は元々品川神社といわれ萩市椿東の松本川そばの品川弥二郎生誕地にあり、
品川弥二郎命がお祀りされていましたが後にこれを松陰神社境内に移し、
品川弥二郎命は松門神社に合祀し御堂は勧学堂と命名されました。


【松門神社】




現社殿の竣功に伴いそれまでの松陰神社社殿を移築し、
松陰先生の塾生・門下生を御祭神として昭和31年(1956)に創建。


【梅花】









【御朱印】