Gomaler's~神社仏閣巡り~癒しを求めて

主に関西の神社仏閣巡りと御朱印集めが趣味です。

功山寺(2012年3月11日参拝)

2012-04-11 | 中国三十三観音霊場
ツアー二日目の一発目は下関市の長府って所へ。
結構観光地になっているようですね。

個人的に気になったのが国宝の仏殿がある功山寺と乃木神社。
滞在50分なので忙しくなりそうです。


壇具川沿いに石畳を10分くらい歩いたら到着。




所在地:山口県下関市長府川端1丁目2-3
宗派:曹洞宗
御本尊:千手観音菩薩
創建:嘉暦2年(1327年)
開基:北条時直
開山:虚庵玄寂
札所:中国三十三観音霊場19番、山陽花の寺9番


【歴史】
嘉暦2年(1327年)虚庵玄寂を開山として臨済宗の長福寺として創建。
開基は北条時直と推定されている。

仏殿の建立は上記創建年より早い元応2年(1320年)。
正慶2年(1333年)に後醍醐天皇の勅願寺となり、
建武3年(1336年)には足利尊氏から寺領が寄進されるなど朝野の尊崇を得て栄えた。

室町時代には大内氏の庇護を得、文明8年(1476年)には大内政弘によって復興。
弘治3年(1557年)周防大内氏最後の当主大内義長が境内で自害した後、寺は一時衰退する。

慶長7年(1602年)長府藩主毛利秀元が金岡用兼を招聘し曹洞宗の笑山寺として再興。
慶安3年(1650年)秀元の没後、功山寺に改名された。

幕末の文久3年(1863年)七卿落ちで京を逃れた7名の公卿のうち5名が滞在。
高杉晋作は当寺で挙兵した(回天義挙)。


【総門】


仏殿の建立につづいて古く室町時代の建造物と考えられる。
平成16年6月15日に国の登録文化財(再現することが容易でないもの)に指定。


期待通り渋いです。
本当に雰囲気がいいです。


【地蔵堂】


木造地蔵菩薩半跏像が祀られています。

以前は延命地蔵として仏殿に安置されていたそうです。


【山門】




長享元年(1487)に暴風雨により倒壊。
10代藩主毛利匡敬の寄付により安永2年(1773年)再建。


まさにいぶし銀の渋さ。

春は桜、新緑の緑、秋の紅葉、冬の雪と季節毎に素晴らしい景観になるんだろうなぁ。
一番映えない時期に来てしまったな。(^^;


【仏殿】




国宝。

寺伝では嘉暦2年(1327)創建となっていますが、
仏殿南側来迎柱の墨書により元応2年(1320年)の建立と判明。

御本尊千手観音坐像が祀られているそうです。

残念ながら内部に入ることが出来ませんでした。


【法堂】


天明8年(1788)10代藩主毛利匡敬の寄付により建立。

二十八部衆立像や韋駄天立像などが祀られているそうです。


【高杉晋作挙兵像】



【功山寺挙兵】
元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作が、
長州藩俗論派打倒の為に功山寺で起こしたクーデター。
回天義挙とも呼ばれる。

これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。


功山寺に集結したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけであった。

死を覚悟した高杉は白石正一郎の末弟である大庭伝七に遺書を託して、
功山寺の三条実美ら五卿に「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と挨拶をし、
この挙兵が私利私欲からなるものでないと断った上で下関新地会所を襲撃し占拠。

そして18名からなる決死隊で三田尻の海軍局に攻め入ると、
「丙辰丸」など軍艦3隻を無血にて奪取した。


【鐘楼】


元禄8年(1695)建立。


【輪堂】


長府藩主11代毛利元義公が藩祖秀元公150回忌供養の為に建立し、
8角形の回転式経庫に鉄眼一切経1600冊を納める。

観音開きの扉には16羅漢図が描かれています。


【毛利家墓所】




慶安3年(1650)毛利秀元死去。
法号の智門寺殿功山玄誉大居士にちなんで以後毛利家の香華寺となり、
功山寺と改められました。


【御朱印】



思ってた通りいいお寺でした。
時間があれば法堂や書院を拝観出来たのだが。

そこだけが悔やまれるが、
またこのお寺を訪れたいという欲求になったからいいかな。(^^