さらに深く追求すれば、サチの語源は何であろう? 大野晋説、日本語「t」と古代朝鮮語「l」の変化説があります。日本古代語の「t」が朝鮮語の「l」に対応するといいます。例をあげますと、
日本古代 朝鮮古代
pati 蜂 pol
kati 徒歩 kol
tati 複数 til
mitu 水 mil
kutu 口 kul
sati 矢 sal
(朝鮮語の発音記号 o と i には上に横点々がつきます)
これだけ語例が集まると、「なるほどサチは朝鮮語のサルから来ているのか」と思います。しかしサルでは「矢」であって、釣針・鉤の意味がみえません。
釣針の「鉤」は『古事記』の海サチ山サチにたびたび出て来ます。読みは常に「チ」です。古語では矢・箭は「サ」です。サルの末尾子音Lが落ちたのかもしれませんが、矢は「サ」で釣針の鉤は「チ」。ですから「矢鉤」が「サチ」と素直に考えるとわかりよいと思います。
また「チ」は血です。赤い血は生命力の象徴であり、神秘的呪術的な力を「チ」ともよびました。カグツチやオロチのチです。鉤を「チ」というのには、そのような思いが込められているのではないか、そのように考えています。
次回は『万葉集』から幸をみてみます。
<2012年7月28日>
烏丸線は昭和56年(1981)に京都駅と北大路間がまず開業し、後に延伸して北は国際会議場と南の竹田間。さらに近鉄に乗り入れて新田辺までつながりました。
東西線は平成9年(1997)に醍醐から二条間。そして後に東の六地蔵から西は太秦天神川まで伸びました。
しかし昭和56年の烏丸線開通をもって、京都はじめての地下鉄とするのは間違いです。実は昭和6年(1931)から京都には地下鉄があるのです。区間は短いですが、西院駅から大宮駅までのひと駅間。いまの阪急電車京都線ですが、この線は大阪の淡路経由で天神橋、そして十三と大宮の終点を結んでいました。
もともとの経営は京阪電鉄でした。京阪から阪急が引き継いだのは戦後、昭和24年です。それまでは京阪電車だったのです。当時をご存じの年配者は、阪急電車のことを新京阪といまでもよびますがその名残りです。
ということで戦前から京都には地下鉄があったのです。大阪の地下鉄の開通はそれより2年遅れでした。関西はじめての地下鉄は、京阪電車のこの区間だったわけです。
阪急はその後に延伸して、十三終点を梅田に、また大宮から地下で四条河原町までつなぎました。河原町までの地下貫通は昭和38年(1963)です。それまで新京阪、すなわち阪急電車の京都始発は大宮駅だったのです。
経営が京阪から阪急に移ったころ、京都にはアメリカ軍が進駐していました。当時もアメリカは世界最強の軍事経済大国です。国力は日本が足元にも及ばない超先進国でした。
しかしアメリカは広大です。米兵の多くが田舎の出身者です。GHQ京都司令部にテキサス州の片田舎出身の青年がいました。「京都を案内してほしい」と、彼は司令部のある大建ビルにつとめるある日本人に頼みました。アメリカの田舎者からすれば、京都は驚くばかりの先進の大都会なのです。空襲被害もわずかしか受けていませんでした。
行きたい先は清水寺か金閣寺、あるいは嵐山か? しかし意外なことに、彼が望んだのは「京都には地下鉄があるそうだな。平原を走る汽車は故郷でみたことはあるが、サブウェイは聞いたことしかない。土産話しに一度乗ってみたい。案内してくれないか」
大宮駅と西京極駅の間をふたりで往復したそうです。アメリカはとてつもない超強大国ですが、兵隊たちは文明を享受していない田舎出身の素朴なひとたちが大多数でした。
GIの彼が語った言葉は印象深い。「日本はこんなに技術の進んだ国なのに、なぜ戦争でアメリカに負けたのか。不思議だ」
<2012年7月21日>
日本ではそれらを「霊」と訳すが、本来の意味は<風><空気>である。日本人の言う霊とはいくらか異なる。むしろ言霊(ことだま)の「たま」とか、物の怪の「もの」に近いようだ。ここでいう風・空気は、息・呼吸・気・精・精神などの意味。英語「Breath」のようです。
山本は「プネウマ(アニマ・霊)といった奇妙なものが自分たちを拘束して、一切の自由を奪い、そのため判断の自由も言論も言論の自由も失って、何かに呪縛されたようになり、時には自分たちを破滅させる決定を行わせてしまうという奇妙な事実を、そのまま事実として認め、<プネウマ(霊)の支配>というものがあるという前提に立って、これをいかに考えるべきか、またいかに対処すべきか…」
<空気>に支配されている、特にわたしたち日本人は<空気主義>あるいは<空気神教>から脱却すべきである。西洋には日本ほどに強い<空気>はない。
明治時代までは空気に対して「水を差す」という言葉が、空気対抗語として存在していたという。「そうおっしゃいますが」「それは正論ですが」「ご意見ごもっともですが」「かつての経験によれば」。空気に対抗したのが「水を差す」だったのです。
また現代社会での具体的な「空気決定方式」への対抗策として、山本氏は「飲み屋の空気」活用を提案しておられる。会社の会議でそのように決まってしまったが、その後に飲み屋に行くと、先ほどまでの会議参加者からは異論が出て来る。「先ほどは空気で決まってしまったが、しかし……」。フリートーキングからさまざまの本音が出て来る。
議場と飲み屋の票を足す。両場二重採決方式が面白い。「会議での多数決と飲み屋の多数決を合計し、決議人員を二倍ということにして、その多数で決定すれば、おそらく最も正しい決定ができるのではなかろうか」
今宵の晩酌時には窓を開け放って<風>ルーア・プネウマ・アニマを呼び込み、精霊の酒神とともに<空気>のことを再考してみようと思う。ところがいま頭の痛い課題を抱え込んでいます。近々に開催される会議、家族会議のこと。あまりの難題に「郷に入れば郷に従い、長いものには巻かれようか」「空気を読みながら紛糾を避けようか」……。このような自分はあまりにも情けない。日常はきびしい。
<2012年7月19日>
オスプレイ型扇風機が今夏登場した。米軍が日本国内に配備しようとしているヘリ飛行機によく似ている。回転する羽根、プロペラは真上の天井に向くし、正面に方向転換して首を振って風を送る。上や斜め向きはクーラーからの冷気を拡散するのが目的で、空気循環に効率的なのだそうだ。この夏も暑さ本番を迎える。電力需給はいったいどうなるのであろう。
この扇風機は節電を目的に開発されたのだが、設計にかかわった工業デザイナー氏は「自慢の傑作オスプレイ扇風機です。1台いかがですか?」。しかしわが家にクーラーはあるが長年動かせたことがない。いつも窓を開け放って、「がまんがまん」をモットーに自然の風を招いている。彼には丁重にお断りした。居酒屋例会でのオスプレイ談義であった。
ところで<空気>だが、「その場の空気を読まなければいけない」と若者までもが説教口調で度々話すのには閉口する。自分の考えや意見でなく、その場その場、仕事や友人仲間の場において、何よりも大切なのは「その場の空気を読むこと」。そのように確信している方があまりに多い。風をいくらか送り込むならまだしも、ひとの顔色ばかりみて、淀んだ空気のなかで自己の主張をなおざりにする。
風見鶏ならまだ堂々と風上に向かう。旗色鮮明なだけに立派な姿勢かもしれない。空気読鳥は風見鶏の風下に着座すべきであろう。ところでわたしなど、これまで天邪鬼の異端鳥のような生き方を通してきた。場の空気など読む習慣も器用さもなく「読むなら天の大気、気象や偏西風や天気図や」などと気象予報士のようにほざいて来た。挙句の結論が現在であるが、熱心に空気を読むくらいなら風を呼べ、などといまも思う。
山本七平著『「空気」の研究』(文藝春秋)に戦艦大和の<空気>が出て来ます。あまりに無謀な沖縄戦への大和出撃について、山沢治三郎中将・軍令部次長は戦後「全般の<空気>よりして、当時も今日も大和の特攻出撃は当然と思う」
海も船も空も知り尽くした超エリートの専門家集団の意見を集約した挙句、また昭和16年以降、ずっと戦い続けた相手の実力も十分に把握しての結論である。何の友軍の援護もない大和の裸出撃であった。
出撃には戦略的必然性はない。この判断には何の科学的データもない。論理的にも科学的にもこの出撃を肯定する判断はありえない。大和出撃は、<空気>が決定したとしかいいようがない。
最高責任者の連合艦隊司令長官の豊田副武大将は後にこう語っている。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時、ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疎しようと思わない」。「そのときの<空気>を知らないものの批判には一切答えられない」
大和出撃のみにかかわらず、空気は特に日本において、まことに大きな絶対権をもった妖怪である、と山本七平氏は記している。
<2012年7月18日 南浦邦仁 続く>
有馬敲さんの著作『時代を生きる替歌・考―風刺・笑い・色気』を紹介します。2003年に人文書院から出ましたがいまも新本で入手可能。
つらく単調な労働、農民や炭鉱夫など重労働者の民謡に猥雑な替歌が多い。疲労や眠気をさまし、仲間たちとともに笑って元気を得る。またそれだけでなく、神を喜ばせ笑わせることで、あらたな生命力や豊穣や時間の更新がもたらされる。そう信じてもいた。若い男女が夜なべ作業するときには揃ってうたったというから、実に楽しい。いくつも紹介されている春歌から、わたしのお気に入りです。
臼のもと引き 大人にさせて 若い十七が 引きまわす
あんたならこそ 元まで入れて さしてくれます 商売を
娘十七八や 根深の白根 うまい所に 毛が生えた
若い娘と新造の船は だれも見たがる 乗りたがる
近ごろカラオケ・ボックスで「君が代」が歌われているそうです。十代や二十代の若者が愛唱しているというのには驚きます。ある通信カラオケ会社の調査では、手持ち全27000曲の内、2000番目くらいの順位だという。
かつて君が代が演奏されたのは、大相撲の千秋楽くらいで「君が代は相撲協会のテーマソングでしょう?」と勘違いされたりもしてした。それだけ国民が「君が代」に接する機会が増えたのでしょう。その「君が代」に替え歌がある。
つぎに紹介する「ひめがや」という「君が代」の替歌は、明治26年の新聞「團團珍聞」に掲載された。文部省が「祝日大祭ならびに楽譜」として「君が代」ほか8編を官報で公布した直後である。
娼(ひめ)がやへ 千夜に八千夜に かよう身の のろけとなりて 白痴(こけ)のむすまで
有馬氏は戦前において「君が代」替歌は非常に珍しい例という。明治時代の替歌資料を、ある大学図書館の地下倉庫で探しているときに偶然発見した。彼は「当時の民衆のおおらかさの一端が垣間見られる」、そして「なにか大きな発見をしたような気になった」
明治38年(1905)、松岡荒村が「君が代」を論評した著作は「安寧秩序を乱す」として発禁処分になった。松岡はつぎのように記していた。
「君が代は千代に八千代に」はきわめて陽気でおめでたいうたい出しだが、三句以降は一転、死物に過ぎない冷たい石を持ち出し、陰気な苔で締めくくるという寂寞感がある。
戦前戦中は「君が代」替歌は不敬罪であった。しかし戦後、替歌春歌として再生する。一例をあげてみよう。
キミが酔うは~~~ア 弥生に八千代を差され~エ 意思の嫌世(いやよ)となりて~~~エ 腰の抜けるまで~~~エ (詩人会議編アンソロジー『日本国憲法とともに』2000年所収)
ちなみにこの替歌は、1970年代に劇団「わらび座」が奄美大島にやって来たとき、団員のひとりが懇親会の席上で歌った。弥生も八千代も焼酎の銘柄。その後に地元では定着し、入学式や運動会、卒業式でもうたわれ続けたという。
いまカラオケで若者が歌っている「君が代」は替歌であろうか。もしそうであれば、日本の潜在活力も捨てたものではない。
「君が代」誕生前夜から変遷史を追えば、タブー化しつつある「君が代」の再生や時代の深相に迫れるかもしれない。『替歌・考』は一助になりそうです。
<2012年7月9日 もうひとつのコメント「青」も宿題です>
入場料はひとり500円ですが、私設植物園にしたら立派なものです。バラの花は800種、3500株もあります。わたしは単独でまず園内を一巡しました。そして見渡しても仲間が見当たらない。トイレかな、と思って探しましたら、全員がショップで物色しておられる。花の見学も二の次に、ずっとショップにいたそうです。これこそ「花よりショッピング」でしょうね。
「青いバラの花をみたことがありますか?」と聞いてみましたら、「そんなバラがあるわけがない!」。3人そろってわたしをバカにされる。そこで困ったときのスマートフォン。検索一発で画像も出ます(w
サントリーが14年の歳月をかけて開発した幻想の青いバラ。「ブルー・ローズ・アプローズ」という名だそうです。アプローズは喝采の意味。バラには青色色素をつくるための遺伝子がない。サントリーは試行錯誤の末、パンジーの青色遺伝子を使って、世界ではじめて青いバラを誕生させました。
この開発過程で青いカーネーションも生まれています。「ムーン・ダスト」ですが、南米の2000メートル超の高地で生産し空輸しているそうです。これはペチュニアの青色色素をつくる遺伝子を、カーネーションに組み込んだもの。
ところで先日、沖縄に旅して来ました。不在の間心配だったのが、残してきた愛犬と青アジサイの切り花。愛犬のんちゃんは近所の友人が預かってくださりあまり心配しなくてもよかったのですが、妖しいほど青い大輪アジサイが気になりました。
アジサイ3輪は近所の家に咲いている大きな株から、切り花を3本いただいたものです。見事な青色大輪なのでほめちぎりましたら、「花を楽しみ、後は挿し木にして育ててください」。それで3本プレゼントされました。
旅行で京都を留守にするため、アジサイの花は切って、茎は土に植えました。食器棚を探すと青色ガラスの大きな鉢が出てきました。これにアジサイ3輪とベランダで咲きぞめたばかりのキキョウの花1輪を、器に水を張って浮かべました。青ガラスに絶妙にマッチし、妖しい雰囲気をかもしたのには驚きです。
心配していたこの花4輪ですが、帰宅しても生き生きと水上花。花の留守番とは小粋ですが、切られた花も水に親しむと、実に強いものですね。
さて自宅の青花から、サントリーのブルーローズ・アプローズを思い出してしまいました。切り花が市販されていますが通販はなく、代理店でのみ販売しているそうです。京都市内では2軒の花屋さんが扱っておられる。電話で「青いバラはおいくらですか?」。すると「1本3000円+税です。もうシーズンオフが近づいていますから、あと一便入るかどうか…」。当方は「……」
見事に青いアジサイとキキョウで我慢しよう。遺伝子操作で人為的につくった造花より、ナチュラルで平凡で安価な花こそ美しい。そのように自分に言い聞かせたのですが、やはりいつも欲どうしい。
「アプローズを1本だけ買って挿し木にしてみたらどうだろう?」。しかし調べてみると、花はパテントで保護されており、勝手に増殖すると犯罪になるという。
脱法ハーブはまずいけど、「脱法ローズ」を日蔭もののように育てるというのも、ひそやかな楽しみである。しかし発根するのかしら。サントリーは防御処理を施しているのではないか? もし根が出なければ、1本3千円は痛い。
<2012年7月3日>