ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

アヒルの日本史(4)古代・中世

2024-09-10 | Weblog

 アヒルはいつから、人間とともに生活しているのでしょうか。マガモ系の野鴨を何世代にもわたって改良した家畜です。ひと懐っこく、また重くて飛んで逃げることのない家禽に変身しました。

 中国では3千年ほど前から飼育されているようです。ヨーロッパでは2千年前ころ。日本には12世紀に輸入されたのではないか(農林水産省ホームページ)。それぞれが推定でしょうが。

 

 中国で最も古い記載だと思われるのが、漢初『爾雅』の文です。

「舒鳧、鶩」/音<ジョフ、ボク>。

 現代語「静かにゆっくりとのろのろ<舒>歩く鳧(鴨かも)を<鶩>(あひる)という。」

 前漢(紀元前206年~)、2千年以上前の記載です。『爾雅』は、中国最古の類語語釈辞典。この辞典は、春秋戦国時代の残存文書を収集して完成させたそうです。春秋時代がはじまるのが3千年近く前ですので、この時代に何か「鶩」文字の痕跡があったのでしょうか。

 

 後漢『説文解字』は、1900年ほど前に作られた最古の漢字辞典です。鶩アヒルの解説は、

「鶩 舒鳧也。…鴨也。」

「以為人所畜。不善飛。舒而不疾。」

「故曰舒鳧。」

 

 アヒル<鶩/音ボク>は静かに歩く鳧<音フ/訓かも・けり>である。鴨<訓かも/音オウ>である。

またアヒルは人家の家畜である。飛ぶことができず、素速い行動ができず、ゆっくり歩く。それで、のろい鴨<舒鳧>という。

 

 ヨーロッパのアヒルをみてみましょう。といってもわたしが知っているのは、6百年ほど前の一例だけです。2千年史には遠く及びません。

 シェイクスピアの『ハムレット』は西暦1600年、関ヶ原の戦いの年にはじめて上演されました。オフェーリアが2月13日に歌うシーンがあります。「あしたは聖バレンタインデー。」このころのイギリスでは、2月14日の愛の日が定着しています。

 これより古い「聖バレンタインの日」は、同じイギリスの作家、チョーサーの詩にたびたび表現されています。彼は14世紀に活躍し『カンタベリー物語』で有名ですが、詩「鳥たちの集い」にアヒルが登場します。

 「聖バレンタインの日に、わし、あひる、ほととぎす、いかるなどが、各々配偶者を得る。」

 アヒルは欧州でも、もっと以前の記述に登場するのでしょうが、わたしはまったく知りません。

 

 さて本題の日本に戻りましょう。前回でみた平安時代のニ著『本草和名』と『倭名類聚抄』は、アヒルを記載していますが、両書からは鳥アヒルのガーガーという鳴き声が聞こえてきません。中国の文献をもとに編纂されたニ著です。知識としては詳しくすばらしい成果でしょう。しかし生きた鳥アヒルに出会ったことは、ないはずだと思います。またこのころ、日本にはアヒルが一羽もいなかった可能性もあります。

 

 そしてついに、日本で、あきらかにアヒルが飼育されていたという驚くべき記述です。

 「御湯殿上日記」(お湯とののうへの日記)/天正15年2月19日(1587年)、

 「きよ水のくわん、あひる一つかいしん上す」

 <清水寺に願のため、アヒルひと番い(つがい)を進上す>

 

 この日記文をはじめて見たとき、わたしは本当に驚きました。清水寺のアヒル二羽は、元気にガーガー鳴いていました。それでは「清水のアヒル」続編は次回。

<2024年9月10日>

 

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アヒルの日本史(3)鶩登場

2024-09-05 | Weblog

 日本でアヒルを記したもっとも古い本は、『本草和名』です。延喜18年(918)、醍醐天皇の侍医・博士だった深根輔仁が完成。日本で現存最古の本草書だそうです。初登場の鶩アヒル文を紹介します。現代語訳はわたしの下手な抄訳です。ご容赦ください。[なお括弧内は小さな文字です]

 

〇『本草和名』の鶩アヒル。

「鶩肪、[楊玄操音木]一名鴨、[楊玄操作■、於甲反、]屎名鴨通、一名舒鳥、[出兼名苑]和名加毛、

「鶩は音読み木ボク。鴨ともいう。音は甲コウ。鶩を小馬鹿にした別名に舒鳥。わが国では加毛(訓かも)。」

 

 ※ 「鶩肪、和名加毛」<箋注倭名類聚抄>

 ※ ■は鳥の右に邑が合体した字のようですが不明です。

 ※ 「舒鳥」よちよちと、ゆっくり歩くアヒルです。「舒ジョ」は静かとか遅いの意味。「舒鳧」はアヒルの異名。のろのろと尻を振りながら歩く家鴨です。ちなみに「舒雁」はガチョウです。

 

 少し遅れてアヒルが再登場するのが、承平年間(931年~938年)です。 注目の本は源順(みなもとのしたごう/911年生まれ)が編纂した『倭名類聚抄』(わみょうるいじゅしょう)です。彼は当時20歳代、勤子内親王の求めに応じて作成した総合辞典です。略名『和名抄』など。

 

『和名抄』は『本草和名』に十数年遅れての完成ですが、両本の著者同志、互いに影響しあっていたのではないでしょうか。また本の制作を依頼したのが、『本草和名』は醍醐天皇、『和名抄』は勤子内親王でした。四人には深いつながりがあった可能性があります。

 勤子内親王(904~938)は醍醐天皇(885~930)の第5皇女でしたが、内親王と源順は親戚です。勤子の母親の父と、順の祖父が兄弟でした。

 醍醐天皇は『倭名類聚抄』の完成をみることなしに亡くなっています。承平改元の前年ですが、そのころ校了が近づいていました。天皇はこの本の編纂過程を熟知していただろうと、わたしは思っています。

 このころの何年間か、本邦初の総合辞事典をめぐって、激しい動きがあったはずです。そのように想像しています。

 

〇『倭名類聚抄』(和名抄のアヒル)

 中国漢代の辞典『爾雅』注を引いて、

「鴨 爾雅集注云、鴨[音押]野名曰鳧[音扶]、家名曰鶩[音木]、楊氏漢語抄云、鳧鷖[加毛、下音烏■反、] 

「鴨は自然の中に暮らしているのが野鴨(オウ)であり鳧(フ)といい、家で飼育しているのが鶩(ボク)である。

 

  • 「鶩」(音:ボク)は日本でいう和訓「あひる」です。また鴨(押オウ音)。鳧(訓けり・音フ)。
  •  ■は読みケイ、山の名だそうですが、PCで出ません。
  • 「鷖」音エイ・訓かもめ。なぜここでカモメ? 「鷖」には想像上の鳥という意味がありました。鳳凰の類。

 

「鳧」はチドリ科の鳥のケリではなく、ここでは鴨を意味します。鳧/音[扶フ]、訓[けり・かも]。ケリとカモ、2種類の鳥を意味する「鳧」字には悩まされます。式亭三馬『浮世風呂』に登場する「鴨子」と「鳧子」を思い出しました。

 

 酒井抱一の号「白鳧」(はくふ)がケリなのか、カモなのか。まだ結論けりはついていないとわたしは思っていますが、一般的にはカモと判断されるのでしょう。いずれにしろ、アヒル談議に出てくる「鳧フ・けり」は、まず鴨として読まないと意味が通じません。特に中国の文献では、すべてカモです。

<2024年9月5日 南浦邦仁>

 

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アヒルの日本史(2)記紀・枕草子

2024-09-02 | Weblog

 万葉集に登場する鳥たちを前回、調べてみましたが、残念ながらアヒルは載っていませんでした。記紀・枕草子も同様で、アヒルは出てきません。

 アヒルは登場しませんが、気になる鳥がほかにもおります。「スズメ」「トビ」「セキレイ」など。なぜ万葉集は、このような身近な鳥たちを、排除したのでしょうか。万葉集に登場する鳥の歌は、六百首ほどもあります。ところがこの三鳥は、一羽も出てこない。

 なお「あひる」がどこに、どのように登場するのかは、次回の楽しみにします。本日の主人公は、雀、鳶、鶺鴒。この三鳥に絞って、昔の記録を追ってみました。

 

『古事記』712年/『日本書紀』720年

 『万葉集』の完成(759年まで)より、『記紀』は数十年早く仕上がっています。万葉は記紀の記載内容や伝承から、大きな影響を受けているはずです。

 

【雀スズメ】 <アメノワカヒコの葬列に、雀が碓女(うすめ)として登場する。碓女うすめとは、食事を作る女。>

【雀】 <『古事記』には、仁徳天皇の名は「大雀命」(おほさざきのみこと)と記されている。まさに、雀です。>

【鳶トビ】 <神武天皇を、八咫烏(カラス)と金鵄(トビ)が導いた。>

【鳶】 <トビをもって造綿者(わたつくり)、死者の装束を作る人とした。>

【鶺鴒セキレイ】 <イザナギ、イザナミの夫婦神はセキレイから交合の術を学んだ。> 鶺鴒には後世、嫁教鳥(とつぎおしえどり)の名が付く。江戸時代、川柳に「セキレイは一度教えてあきれ果て」。神たちは、学習能力の高い生徒だったようです。

【スズメ・セキレイ】 <雄略天皇は三鳥にたとえて歌を詠んだ。鶉ウズラ・鶺鴒セキレイ・庭雀スズメ。>

 

 さて、三鳥が『万葉集』に登場しない理由です。『記紀』では、神や天皇に近い大切な鳥として描かれています。天皇をカラスとともに導いたり、「大雀命」の名前は雀そのものです。さらに鶺鴒は、男女神を指導したわけです。

 三鳥は身近な鳥たちですが、決して「平凡で取り柄のないもの」ではないのです。『記紀』において、彼らは高貴な者たちです。

 『記紀』と『万葉集』とは、ほぼ同時代に成立した書物です。完成は『記紀』が先行し、その記述内容は最優先されたはずです。神々や各天皇を記述しているのですから。

  三鳥は神や天皇と深い関わりのある眷属だったのでしょう。後発の『万葉集』は、三鳥など、高貴な価値観の定まった鳥たちを載せることを、あえて避けたとわたしは考えています。

 ところがそれから三百年近く後の『枕草子』になると、

 

『枕草子』清少納言/平安中期1001年にほぼ完成。30種近い鳥が紹介され、雀と鳶は登場しますが、鶺鴒は見えず。眷属だった鳥たちは、零落してしまったようです。

 

【雀すずめ】 原文「雀ならば、」 訳注「どこにでもいて、年中とりえのない声で鳴く雀なら、」

【鳶とび】 原文「鳥の中に、烏、鳶など」 訳注「どこにでもいる平凡な、とりえのない鳥の例(カラス・トビ)として、」(松尾・永井)

 

 参考までに、神の使いとされる鳥を、神社ごとに見てみます。

<ニワトリ/伊勢神宮ほか><カラス/熊野三山><ハト/八幡宮><ウソ/天神>、ほかにもワシやサギなどを祀る神社もあります。

 それにしてもいずれも、身近な鳥ばかりです。なぜこれらの地味な鳥ばかりが選ばれたのか? わたしの判断は、まず渡り鳥には神使の資格がない。人間生活に日々隣接する鳥こそが、適任である、と思います。

 ツバメもホトトギスも、初夏に訪れる、冬には遠い南の国に行ってしまう。

 鴨や雁の類は冬にしか見えない。漂鳥も同じで、冬は雪深い山を避け、里に下りてくる。しかし春になればまた山に戻ってしまう。半年ほど不在欠席になってしまう。

 神の用事をこなすには、年柄年中毎日、人間に身近なところにいなければ、神の用事をこなせない。また人間の近くに暮らすことで、わたしたちの行動をよく見知っている。人と神とをつなぐ、いわば聖なる鳥たちともいえるのではないでしょうか。

 「どこにでもいる平凡なとりえのない鳥なので、彼らはまともな扱いを受けない」という三鳥に対する判断は、決して正しいとは思えません。スズメもトビもセキレイも、すばらしい高貴な鳥たちです。

 ところで天満宮の「鷽ウソ」について。この鳥は漂鳥でした。夏は亜高山帯で繁殖し、冬は里に下りてくる。菅原道真(845~903)が神格化されたのは、947年以降のことという。ウソがいつから神の使いになったのか不明ですが、「天神様のお仕え鳥」と呼ぶそうです。比較的新しい神なので、鳥の選択に本来のルール、留鳥限定が適用されなかったのでしょうか。それとも「天神」ですので、天翔ける眷属にはこだわりがないのでしょうか。

 

『日本書紀の鳥』山岸哲・宮澤豊穂/京都大学学術出版会2022年

『日本古典文学全集11 枕草子』松尾聡・永井和子校注訳/小学館1974年

<2024年9月2日 南浦邦仁>

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