ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

津波の歴史 24 「霊魚と大水害」

2011-06-26 | Weblog
釣りあげた魚を海に放すと、人語を話すその靈魚は津波や洪水の到来を恩人に教え救ってくれる。反対にこの魚を殺し喰おうとすると、それらの人はみな波にさらわれてしまう。
 また魚を救いはしないが、捕らわれた霊魚がはるか沖の海神に救いを求める声を聞いたひとも、畏れ避難して津波から逃れることができる。この伝承は前にみた八重山、宮古列島、先島諸島に数多く残っています。先島ではこの靈魚をヨナタマ、ヨナイタマと呼びます。

 インド神話のマヌと霊魚、海進のことは紹介しました。マヌが助けた小魚は大魚ガーシャとなって、大洪水時に箱船に乗った彼をヒマラヤの山にまでロープをひいて荒波のなかを運びます。
 旧約聖書の「ノアの方舟」は大洪水の神話として有名ですが、ノアに大水害のことを教えたのは、主ヤハヴェです。一神教では魚の神など登場しません。神は唯一、主のみですから。
 しかしこの神話は古代メソポタミアの洪水伝説を祖型としています。旧約聖書が誕生する数千年前、シュメール時代にすでに同様の話しが、粘土板に楔形文字で刻まれていました。
 五千年前の「ギルガメシュ叙事詩」をみてみましょう。王ギルガメシュに「洪水に備えて箱船をつくれ」と教えたのは、多神教世界の神「エア」でした。エア(エンキ)はシュメール神話世界の神のひとりですが、上半身は人間、下半身は魚で魚の尾をもつ魚神です。この洪水神話の原型は、すでに六千年ほど前に記されています。

 中国の洪水神話もよく知られていますが、昔話の十人兄弟も興味深い。人民を万里の長城建設で酷使し苦しめた蓁の始皇帝の時代。始皇帝によって、刑として六男が海に放り込まれる。大男の九男が兄を救い、30キロほどもある大魚もとらえる。そして九男はひとりで大魚を食べてしまう。空腹だった末弟は食べられず悔し泣きをする。すると涙が大雨、そして大水になり、あっという間に万里の長城を押し流してしまった。始皇帝も大水のために海まで流され、スッポンの餌食になってしまった。

 四千年以上も昔、中国はじめての王朝「夏」の始祖は㝢(う)とされる。古い書や金文では、㝢は洪水を治め、黄河流域に夏王朝をはじめたと記されている。白川静は「画文として多くみえる人魚のモチーフは、洪水神禹の最初の姿であろうと思われる。禹はもと魚形の神であった」。『山海経』に「その人たるや、人面にして魚身、足なし」
 
 中国でも長江(揚子江)寄り、漢水流域や南方一帯などには「伏羲と女媧」(ふくぎ・じょか)の洪水神話があります。洪水神は竜形の神とされ、両神は人頭蛇体、蛇の絡み合った「交竜」図として有名です。また伏羲は「葫芦」(ころ)、すなわち「ひさご」ヒョウタンでもあり、大洪水を逃れた女媧はこのヒョウタンの中で生き延びたのである。「伏羲の原型はこの<ひさご>であり、それは箱舟型の洪水神話であったとみられる」と白川静は記している。

 南島、東南アジア、南太平洋の島々について、後藤明は人魚、ウナギ、ウツボ、海蛇、蛇、鮫、ワニなど、海や水界に棲む生き物に霊的な力を認める考え方は広く見られる。人魚のモデルであるジュゴンも人間の化身だという考え方が、東南アジア大陸部やインドネシアにも見られる。
 海霊や霊魚について後藤は「言葉を話すという人間的特性を付与し、水を司る霊的存在と考える思考は東南アジアや南太平洋地域では一般的である」。オーストロネシア民族を中心に海霊的な観念が発達し、その流れが日本の南島にも及び、さらにもっと深いところで、日本各地の 「物言う魚」の観念と関係しているのではないかと、後藤は記している。

 しかしすでにみたように、世界各地の神話伝説を読み解くと、洪水・津波・海進を予告する霊魚は、メソポタミアにも古代中国、そして古代インドにもあきらかである。数千年あるいは一万年ほどの昔から、人類は海神の眷族や遣いとして、物言う霊魚を信じてきた。この深い信仰を滅ぼしたのは、ひとつには人類の文明文化の発展、すなわち合理的思考法による迷信の放棄ではなかろうか。そしてもうひとつは、一神教のキリスト教が邪教である<魚神>を捨てたことによると考えます。ギルガメシュの魚神エアと、ノアの神ヤハヴェの対比は歴然と、その真理を語っていると思います。

参考書
○『中国民話集』 飯倉照平 編訳 1993年 岩波文庫
○『中国の神話』 白川静著 1980年 中公文庫
○『「物言う魚」たち 鰻・蛇の南島神話』 後藤明著 1999年 小学館
<2011年6月26日 南浦邦仁>
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津波の歴史 23 「3月11日 津波の高さ」

2011-06-19 | Weblog
 3月11日の津波の高さの計測調査結果が相次いで発表されました。6月上中旬のことです。合同で地区分担制を敷き、青森県から千葉県まで、津波の高さを網羅されました。インターネットサイト「海岸工学委員会 東北地方太平洋沖地震津波情報現地調査結果」などでみることができます。しかしそれらには一覧性がありません。あえて無理を承知で、下記の通りにまとめてみました。誤記や脱落をご指摘いただければありがたいです。修正加筆の予定です。
 なお掲載は 津波高5m以上です。※印 は遡上高。無印でも一部、遡上高を含んでいます。

 さて福島県の調査ですが、東電福島第1原発周辺は計測されていません。立ち入り禁止地区が南北60キロ以上に及びますから仕方ないのですが。調査された相馬市といわき市の津波高をみて思うのですが、第1原発付近の津波高は 10mほどであると確信します。
 東電の発表では、福島第1の津波高は 14~15m、第2原発は 6.5~14m。東北電力の発表では女川原発の波高は 14m。福島第2の 6.5m、女川の 14mは納得できますが、福島第1原発の 15mは、飛沫(しぶき)の高さであろうと思います。津波の飛沫(ひまつ)がタービン建屋に浸入し、非常用ディーゼルエンジンを作動不能にしてしまったようです。
 実態は東電が福島第1で想定していた津波高値、5.7mをいくらか越えるほどの高さであっただろうと考えます。15mはなかったと思います。敷地高の10m程度だったはずです。たかが飛沫かあるいは遡上波が地下の非常用電源を水没させ、機能不全にしてしまったようです。津波の高さはほぼ想定高近辺です。
 ただ広島大学が衛星画像から解析した波高推定値は、福島県中北部ではずいぶん高くなっています。不自然に思えて仕方ありません。宮城県や岩手県の画像分析と、今回報告の実態との誤差を、確認願いたいと思っています。(たとえば福島第1原発1~4号機が立地する大熊町は 22mと、5月27日に発表されました)

追記:津波高一覧につきまして、修正版を作成しました。
「日本列島襲来津波高記録 新版」(津波の歴史 29)、2012年1月12日。こちらもご覧ください。

<2012年2月19日報道>
 東京大学大学院の藤槇司教授(海岸工学)研究グループが福島県と共同で、福島第1原発に近い地域の津波痕跡調査をはじめて実施した。南相馬市から県南部の楢葉町までの警戒区域約40キロの28カ所。調査期間は2月6日7日。下記(H数字)はその発表波高。<2012年2月21日追記>

<青森県>

○八戸市 八戸港 9m 八戸港八太郎公園 5.8 八戸新港 5.5 鮫漁港 5.6 白浜海水浴場 8.7※9.3 新湊 5 階上町大蛇漁港 10.7 種差漁港 8.5
○三沢市 三沢漁港 7.4 砂森 6.5 四川目 9.3※10 六川目 5.8 淋代 5.4 織笠 5.7 三沢塩釜 5.3 五川目 7.9 天ヶ森 5.1 細谷 5.7 ミス・ビードル号記念広場 9.5※10
○おいらせ町 市川漁港 8.3 深沢地区8.8

<岩手県>

○洋野町 種市海浜公園 5.5 種市 6.1※13.8 陸中八木 ※10

○久慈市 久慈漁港 9.9※18.5 三崎漁港 16.2 久喜漁港 18.6 久喜川水門 12.8 小袖海岸 14 本波漁港 14.7 玉の脇 14.1 侍浜町麦生 ※17 夏井町閉伊口 ※17.8 長内町下諏訪 6.7 長内町舟渡 ※10

○野田村 安家漁港 16.8 野田漁港 23.2 十府ヶ浦 21.4 野田玉川駅 ※28.6 中沢 ※14.3 米田 ※37.8 下安家 ※16.8

○普代村 太田名部漁港 12.4 譜代川河口 ※22.6 黒崎漁港 ※15.7 黒崎トンネル ※16.8 宇留部水門 ※18.7 堀内漁港 ※18.1 馬場野 ※24 浜向堀内大橋 ※19.6 臼井海岸駅 ※22.6
 
○田野畑村 切牛海岸 28.4 羅賀 ※27.8 鳥越 22.1※27.6 机浜の谷 24※27.7 机おおみなとトンネル ※24.5 平井賀浜 19※22.3 九持 15.2 明戸キャンプ場 22.5 明戸北 19.1 小本港 ※18.4 熊野神社下 16.5 

○宮古市 宮古港 8.5 白浜地区 11.5 津軽石 ※11.4 閉伊川河口 9.3 田老小堀内漁港 29.3※37.8 田老沢尻 25.1 田老南の沢 25.5 田老出羽神社 ※19 三陸鉄道田老駅北 ※11.7 田老湾口部 20 田老北真崎 25※34 田老松月谷 ※31.4 田老三中 9.6 田老沼ノ浜 26.2※30.2 田老和野 24.3※35.2 田老水沢 25.2 田老三王 ※29.6 田老樫内漁港 ※25.5 田老乙部野沼の浜 ※34.1 田老青野滝漁港 ※34.8 田老水沢 25.3 田老樫内 ※21.5 真崎谷奥 ※29.2 重茂姉吉 26.4※40.5 重茂姉吉キャンプ場 ※38  重茂立浜 ※26.2 重茂宿浜 ※24.9 重茂里漁港 ※33.9 重茂石浜 ※26.8 重茂荒巻 ※27.6 重茂川代 20.7※29.7 重茂千鶏 ※31.3 重茂仲組漁港立浜 ※20.3 鵜磯小学校 ※27.1 岩泉村小本 22.1 茂市 24.6 茂師漁港 27.9 摂待漁港 27.9 女遊戸 26 鍬ヶ崎 11.1 道の駅みなとオアシス 11.1 日立浜町浄土ヶ浜 ※12.6 崎山町松月 ※31.4 太田ノ浜 17.4 赤前 ※12.2 藤の川 ※13.1

○山田町 山田漁港 10.1 船越 9.8※29.2 山田織笠川漁港 7.9 織笠 9 山田湾川代 ※23 船越小谷鳥 18.3※26 大浦 10.6 田の浜 12.1 大沢浜川目 8.9 大沢漁港 7.2 北浜町 8.5 

○大槌町 大槌湾 12.6※15.3 大槌町中心部 12.6 大槌新港 13 吉里吉里港 22.1 赤浜 13.4 新港町 12.9 大町 10.9 安渡 ※12.3

○釜石市 釜石港 9.3※30.4 釜石観音 11.4 両石湾 17.7※32.6 (注)両石湾オイデ崎北側 ※55.6 両石 29.3 唐丹町熊野川河口 16.8 唐丹町下荒川 ※16.1 唐丹町本郷 13※20.3 箱崎町白浜 14.1 鵜住居町仮宿 17.2※21 大仮宿 ※31 平田漁港 9.2 黒崎 10.8※13.4 馬田岬 ※24.9

○大船渡市 大船渡港 11.8 大船渡湾 8 末崎町門之浜 13.9※14.7 末崎町泊里 12.1 末崎町高清水 ※13.9 末崎町碁石崎 13 末崎町大田 ※14.7 末崎町中森 ※13 末崎町鳥沢 ※12.3 三陸町吉浜千歳 17.4 吉浜千歳漁港 ※17.8 吉浜湾根白漁港 ※15.7 吉浜 16.3 吉浜増館 14.6 吉浜漁港 14.5 吉浜中井 ※18.9 吉浜横石 ※18.9 三陸町甫嶺 ※17.8 綾里湾 16.7 三陸町綾里白浜 23.3※30.1 綾里新釜 13.3 綾里石浜 ※12 綾里小石浜 16.4 吉浜綾里砂子浜 14.3 綾里合足漁港 17 プラザホテル 8.4 野々田 9.6 越喜来浜崎漁港 10 越喜来小壁漁港 ※22.6 越喜来浦 17.3 越喜来井戸洞 ※18.4 越喜来浜 12.7 越喜来漁港浪板 12.3※13 越喜来泊 ※18.3 越喜来泊漁港 15.2 山田湾大浦 11 赤崎町山口 ※10.1 赤崎町合足 ※12.3 赤崎町長崎漁港 10.7※11.6 赤崎中学校 9.9 赤崎川口橋 9.5 明神前 ※10.4
 
○陸前高田市 陸前高田港 9.5※10.8 高田地区海岸部 15.8※18.9 高田町下宿 14.6 高田町中田 17.2 高田町法量 17.6 高田町荒沢 18.5 高田町曲松 15.4 高田町砂地 15.8 高田町中川原 14 高田町鳴岩 15.5 高田町荒谷 15 高田町下和野 15.7 高田町砂盛 16.7 気仙町中堰 14.4 気仙町田の浜 15.1 気仙町荒川 ※18.4 気仙町上長部 ※14.7 気仙町川口 13.7 気仙町小淵 15.7 気仙町愛宕下 15.2 気仙町垂井ガ沢 ※16.9 気仙町要谷 14.5 気仙町二日市 14.3 陸前高田市街 15※19 矢作町 14 大野海岸 12.5 長部漁港 13.5 竹駒町細根沢 12.4 市民体育館 15.8 広田湾 14 広田町集 14 広田町根崎 14.2 広田町中沢 ※10.2 広田町御城林 ※12.2 広田町後花貝 13 広田町大陽岬 11.5 米崎町米ヶ岬 16.3 米崎町沼田 ※15.5 米崎町川西 18.3 米崎町樋ノ口 ※21.1 米崎町館 17.9※18.8 米崎町神田 17 米崎町脇ノ沢 15.3※18.4 米崎小学校 ※18.2 小友町 16.8 小友町獺鼻 13.5 小友町両替 ※15.8 

<宮城県>

○気仙沼市 気仙沼港 11.9 本吉町小金沢 18.3 本吉町中島 10.9 本吉町小泉12※19.6 小泉海岸※17.9 本吉町赤牛 22.2 本吉町蔵内 12.9 本吉町日門漁港 ※16.3 本吉町前浜 ※18.9 本吉町明神岬 12.7※15 本吉町登米沢 ※19.7 本吉町小浜 20.2 本吉町三島 ※13.6 唐桑半島先端 19 唐桑町石浜 15.2 唐桑町只越 15 唐桑町荒谷 13.4 唐桑町大田沢 15 唐桑町笹浜 14.3 唐桑町御崎岬 13.3 唐桑町神止 11.4 唐桑町浦 12.1 唐桑町明戸 12.2 唐桑町御崎 ※20.6 唐桑町馬場 ※12.6 唐桑町欠浜 ※15.1 唐桑町高石浜 ※13 唐桑町大畑 ※14.6 唐桑町境 ※16.5 唐桑町真崎 11 唐桑町大理石海岸 12.4 南町 6.5 河原田 5.6 松崎中瀬 ※11.3 浜町 7.9 魚町 11.9 御伊勢浜海水浴場 14.7 岩月※7.8 岩月台ノ沢 10 松崎高谷 ※7.1 波路上岩井崎 12.1 母体田 10.5 波路上杉ノ下 ※13.4

○南三陸町 陸前港 12.2 歌津大磯 13.1 歌津馬場 15.8 歌津駅 14.7 歌津峰畑 ※13 歌津浪板 19.5 歌津田の浦 16.3 歌津石浜 ※15.3 歌津館浜 ※12.2 津波避難ビル 15.7 志津川港 15.7 志津川細浦 15.1 志津川病院 15 志津川本浜町 7 南三陸町役場 13.9 戸倉波伝谷海岸 13 戸倉水戸 ※11 戸倉長清水 ※10.6 船越小泊 ※11.3 

○女川町 女川漁港 18.4 女川町役場 14 町立病院 17.6 竹浦 12.1※34.7 御前浜 ※9.4 石浜 ※16.2

○石巻市 鮎川 8.6 石巻港 5 雄勝町役場 15.4 雄勝町明神町 16.2 雄勝町大浜神袖浜 13.9 雄勝町荒浜 10.5 桑浜漁港 ※12.6 羽坂漁港 12.1 大須賀港 11.7 南浜町 5.4 中瀬石森 5.9 門脇地区 6.7 中浦 5.6 大川小学校 ※8.7

○東松島市 宮戸島 8.8 野蒜字洲崎 8 野蒜海岸 10.3
○松島町 桂島 9 野々島 7 山元町 12.7 宮戸島 5.9
○牡鹿半島 谷川浜 21※24 鮫浦※20 鮎川 18.5 桃浦 10
○七ヶ浜町 菖蒲田浜 12.1 吉田花淵港 6.

○塩竈市 寒風沢島 7.8 塩釜港 10.3 坂元川水門 12.4 坂元駅 8.8 山下 7.9 花釜 14 牛橋水門 10.7 吉田浜 12.7 荒浜 11.8 蒲崎 14.9 県南浄化センター 11.4 岩沼海浜緑地公園 13.3 磯浜 10.8

○仙台市 仙台港 9.3 仙台新港 8~14 仙台空港 5.7 若林区荒浜 9.6 若林区藤塚 5.3 冒険広場 ※14.7 荒浜小学校 5 蒲生平潟 8.1 宮城野区 6.1 深海海水浴場 12.2 仙台塩釜港 14.4

○名取市 閖上港 9.1
○岩沼市 二の倉 8.8
○亘理町 鳥の海公園 7.3 荒浜 7.7 牛橋 5.4
○山元町 磯浜漁港 ※15.3

<福島県>

○相馬市 相馬港9.3 磯部海浜自然の家近辺8.1 松川浦大橋9.1
○南相馬市 (H12.2)[2012年2月19日発表]
○浪江町 (H15.5)
○双葉町 (H16.5)
○大熊町 福島第1原発 13.1[東電7月8日発表]・建屋付近11.5~15.5[東電8月24日発表] (H12.2)
○富岡町 (H21.1)
○楢葉町 (H12.4) 福島第2原発9[東電7月8日発表]
○いわき市 鮫川岸7.3 サンマリーナ※9.4 永崎5.3※7.3 江名漁港6.8 豊間海岸9.2 平薄磯5.9※6.1 四倉管波病院6.2 道の駅よつくら5.9 久之浜港7 新舞子7 忽来海岸5.1 須賀6,7 岩間7.3※7.9 小浜7.1 永崎5.3※7.3 折戸H6.8 

<茨城県>

○北茨城市 平潟 7.3
○日立市 水木 6.5 河原子 5.7
○神栖市 鹿島港 5.7

<千葉県>

○銚子市 外川 5.3
○旭市 矢指川 7.6 飯岡 7.6

 この調査にはたくさんの研究者が合同で参加されています。みなさんの所属を記します。北大・東北大・茨木大・八戸高専・長岡技科大・東京海洋大・東大・慶大・防衛大・筑波大・早大・横浜国大・静岡大・豊橋技科大・名大・金沢大・京大・阪大・大阪市大・神大・徳島大・琉球大・成均館大・台湾大・ジョージア工科大・港湾空港技術研究所・国土技術政策総合研究所・東北地方整備局・気象庁・電中研・日本地理学会・農村工学研究所ほか。
<2011年6月19日>

<追記 6月20日 岩手県の記載漏れを追加したのですが、釜石市両石湾オイデ崎北側では 遡上高 55.6mと報告されていました。観測史上の最高記録を更新したおそるべき高さです。なぜかマスコミは取り上げていないようです。>
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津波の歴史 22 「浦島太郎」と「インドのマヌ」と津波

2011-06-14 | Weblog
♪昔々 浦島は 助けた亀に連れられて
 竜宮城へ来てみれば 絵にもかけない美しさ
♪乙姫様のご馳走に 鯛や比目魚の舞踊り
 ただ珍しく面白く 月日のたつのも夢のうち

 幼いころ絵本で親しみ、学芸会では紙で作った魚面を額にかけて舞い踊ったものです。わたしも魚の一尾を演じたのですね。なおこの歌詞は明治44年制定、尋常小学校「文部省唱歌」です。
 浦島太郎はいじめられている亀を助ける。これまで見てきた靈魚ヨナタマも、救ってくれた恩人に津波の到来を教える。グリムの魚は、海にもどしてくれた馬鹿のハンスに超能力を与える。

 太郎も同じく引き潮のときに助けたカメ、魚ではないが水棲の靈からこう言われたのではないか。
 「太郎さん、わたしの背に乗ってください。間もなく大津波がやって来ます。村は壊滅してしまいます。申し訳ないですが、ご両親を救う時間的余裕はありません。さあ早く。これから海神の宮に避難しましょう」
 そしていくらかの時間が過ぎて村に帰ってみると、見知ったひとはだれもいない。村はなくなってしまった。住んでいるのは、他村から移住して来たあたらしい住人ばかりであった。

 浦島太郎は本来「浦島子」と記され、「うらしまし」あるいは「うらしまのこ」「うらのしまこ」と読む。太郎とよばれるのは、どうも15世紀以降のこと。
 1300年ほども前の『日本書紀』に載り、『丹後国風土記』では与謝郡日置筒川村の人という。『万葉集』9巻1740にもある。日本人が千年以上にわたって親しんだ物語である。
 なお浦島子の読みですが、わたしは「浦の嶼子」、「うらのしまこ」に違いないと確信しています。さらには「玉手箱」、魂靈の「たま箱」、匣・筥・篋と記されています魂靈箱の秘密についても、いつか考え続編を書きたいと思っています。
 
 ところで世界最古の津波「霊魚」の神話を記しておきます。インド神話に「津波と靈魚」の物語があります。この神話の成立は、数千年あるいは一万年ほどの昔と考えられます。上村勝彦訳。
 ある日の朝、人間の祖先であるマヌが水を使っていると、一匹の魚が彼の手の中に入った。その魚は、洪水(海進)が起こって生類を全滅させるであろうと予言し、その時にマヌを助けるから自分を飼ってくれと頼んだ。マヌは言われた通りにして魚を飼った。その魚は大きくなり、マヌはそれを海に放った。その際、魚は洪水が起こる年を告げ、その時には用意した船に乗って自分から離れずに来るようにと言い残した。
 果たせるかな、魚が予告した年に洪水が起こった。マヌが船に乗ると、魚が近づいて来たので、マヌはその角(つの)に船をつないだ。魚は北方の山、ヒマラヤでマヌを下ろした。マヌは魚に言われたように、水が引くに従って少しずつ下に降りた。その場所は「マヌの降りた所」と呼ばれている。洪水はすべての生類を滅ぼし、この地上にマヌだけが残った。

 しかしその後、ひとりの女性(マヌの娘)が現れ、ふたりは人類の子孫の祖となる。マヌの物語について、訳者の上村勝彦は「この洪水伝説は旧約聖書の箱舟を連想させる。それはまた、バビロニア、更にはシュメールの洪水伝説にさかのぼる。洪水伝説はギリシアや北アメリカ大陸にもあり、その他、チベットやネパールなど世界各地の神話に見出されている」
 ところで霊魚だが、グリム「ハンスの馬鹿」原作にも旧約「ノアの方舟」にも出てこない。太古の物語祖型では、助けられた「魚」ときには亀などが人語を話したのであろう。そのように考えると、洪水神話と「魚類から与えられた大いなる幸運」は実にわかりよい。

参考書
○『浦島太郎の文学史 恋愛小説の発生』 三浦佑之著 1989年 五柳書院
○『インド神話 マハーバーラタの神々』 上村勝彦訳 2003年 ちくま学芸文庫
<2011年6月14日 南浦邦仁 記>
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津波の歴史 21 「津波・海嘯・洪水・海進…」

2011-06-12 | Weblog
民族学では「洪水神話」が大きなテーマのひとつです。ノアの方舟が有名ですが、ほとんど同じ話は旧約聖書が誕生する数千年も前から、古代メソポタミアで記されていました。さまざまの洪水の神話、伝説や伝承そして昔話は、世界各地にみられます。オリエント、インド、東南アジア、南太平洋、中国、朝鮮、日本、南北アメリカ…。
 しかしそれらには、海水の津波も淡水の氾濫もふくまれています。今回は、津波、海嘯、洪水、海進、それらの呼称を整理してみます。
 なお「安全神話」ですが、これは戦後の原子力推進政策のなかで、産官が学と結んで勝手につくり上げた、わずか歴史50年ほどの「現代用語」なのです。決して神話ではありません。洗脳語とみなすべきです。

<津波> TSUNAMI 津浪
 日本列島における最古の津波記事は『日本書紀』天武天皇12年(684年)の白鳳南海地震の津波である。「大潮高騰、海水飄蕩」、すなわち「海水が高く立ちのぼり、漂い流れた」
 平安時代の『日本三代実録』には三件の津波記事があります。850年出羽国、869年貞観陸奥国、887年大阪湾の地震津波です。原文では「海水漲移」「海水暴溢」「驚濤涌潮」「海潮漲陸」。鎌倉室町時代には「大波浪」「如大山潮」「大塩」。まだ津波も津浪もみられない。
 江戸時代、慶長9年(1605)の津波では、「四海波」「四海浪」と記されている。そして慶長16年の三陸地震津波ではじめて「津浪」と、『駿府記』に書かれた。津浪はその後、津波とも記されるが、この語がはじまったのは、ちょうど400年前のことでした。
 人的被害のない小さな津波のことは「すず波」「よた」「あびき」とも江戸時代に言った。大きな津波は「海立」「震汐」「海嘯」とも記されている。
 英語圏では津波はもともと「tidal wave」。しかしこの語は天文潮汐、汐の干満を指しており、地震が原因で起こる津波とは異なる。それであえて科学用語として「seismic sea wave」を使用するようになった。「seism」は地震です。
 1946年、アリューシャン列島で起きた巨大地震による大津波がハワイ列島を襲った。死者173人。ハワイ島のヒロ市には日系人が多数住んでいたが、「Suisan」水産とよばれる魚市場地区、「Shinmachi」新町という地区も津波で壊滅した。この時、日系人だけが使っていた<tsunami>という語が地元紙に載った。そして英語としての市民権を持ちはじめる。1968年には米国の海洋学者、ヴァン・ドーンが tsunami を正式な学術英語にすることを提唱し、急速に普及定着する。そしてロシア語、スペイン語など、世界的な語としてtsunami は通用するようになった。
 ちなみに3月11日の津波は太平洋を東にも渡った。ハワイ島ヒロでは、1.4mを記録している。
 日本には「山つなみ」という語がある。地すべりは「岩屑(がんせつ)なだれ」だが、集中豪雨などで起きた大土石流を、山からの津波のようとして「山つなみ」とよぶ。

<海嘯> かいしょう
 明治29年の明治三陸大津波の記念碑が東北には多数ある。それらには津波を「海嘯」と刻んだものが多い。しかし本来、津波と海嘯とは異なる。
 中国浙江省に銭塘江という河がある。満潮時にこの河を遡る潮の現象をいう。海水が口をつばめて笑うという意味から「海嘯」と名付けた。人的被害はない。
 日本では昭和三陸津波(1933年)から、地震学者が津波と海嘯の違いについて強調し出した。そのため海嘯という語は、以降はほとんど使われなくなったそうだ。
 中国では津波のことをもともと「海水沸騰」「海溢」とよび、河川の海嘯とは明確に区別していた。ところが明治期に、日本で津波を海嘯といっていたのを逆輸入してしまった。同国ではいまでも海溢(津波)と海嘯は、混乱している。検索エンジンで「津波・海嘯」と打つと、中国語ページでは東北の津波記事がたくさん見つかる。
 李氏朝鮮では津波は、本来の中国語「海溢」(ヘイル)である。ただ高潮も含む。
 南米のアマゾン河にも海嘯「ポロロッカ」がある。現地トゥピー語で「大騒音」を意味する。大潮で 5mほどの高さの海水が、時速 65キロほどの速さで、 600~800キロの奥地まで遡上する。3月がもっとも大規模で巨大海嘯となる。この季節は雨季なので、大量の淡水は海水に押し戻され、大逆流現象を引き起こす。
 非常に危険だが、ポロロッカに合わせ波乗りサーフィン大会が開催され、世界中からサーファーが集う。大会はもう十年以上も続いているそうだ。
 ベネズエラとコロンビアを流れる大河、オリノコ河でも海嘯が起きる。「マカレオ」とよぶ。

<洪水と海進>
 洪水は本来は淡水である。海水の津波や海嘯とは異なる。豪雨や雪解け、ダム湖沼の決壊などによって、河川が氾濫し陸地を水没させるのが洪水害である。
 民族学では大水害をすべて、津波も含んで「洪水神話」の範疇に入れてしまう。民俗学でも説話伝承に津波も含み、「洪水説話」などと言う。しかし本来は分けるべきではないかと、わたしは思っています。「洪水・津波伝承」とでも表示するのがわかりよいと思っています。
 また「海進」もあります。津波は引き、洪水も海に行ってしまいます。ところが海進は、文字通り海が陸に留まってしまうのです。陸地が海面下に沈んでしまいます。
 一万五千年ほど前、長かった氷河期が終わり、海の水位が上がり出します。紀元前四千年のころまでに、海水面は約 150mも上昇したといいます。西日本ではかつて、瀬戸内海も大阪湾でもそこは陸でありゾウが闊歩していました。
 いつか「海進」のこと、そして洪水と津波と海進の神話のことなどを考えたいと思っています。

参考書
○「津波の比較史料学」 都司嘉宣 歴博WEB版
○『津波てんでんこ 近代日本の津波史』 山下文男著 2008 新日本出版社
<2011年6月12日 南浦邦仁>
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津波の歴史 20 「若狭の人魚」

2011-06-10 | Weblog
天正13年11月29日、1586年の大地震は畿内、東海、東山、北陸さらには四国阿波などにも被害を及ぼしました。400年以上も前のことですが、白川断層と伊勢湾の断層が、ともに動いたと考えられています。さらには福井県若狭湾、現在の原発地帯ですが、湾沖の活断層も連動したと思われます。
 このことは「津波の歴史18 若狭と福島」で書きました。『兼見卿記』とイエズス会のフロイスの記述に、若狭の地震と津波が記されています。

 江戸時代に書かれた『諸国里人談』の地震話を紹介します。現代語に意訳しています。
 若狭国大飯郡浅嶽は魔の場所である。山の八分目より上にはだれも登らない。御浅明神に仕えているのは、人魚であると昔から言い伝えられている。宝永年中、乙見村の猟師が漁に出かけた。岩の上に座っている者を見ると、頭は人間で首周りに鶏冠のような、ひらひらと赤いものをまとっている。また首より下は魚である。男は何心もなく持っていた櫂(かい)を当てると人魚は即死してしまった。死体を海に投げ入れて帰ったが、それより大風が起こって海鳴は七日の間止まなかった。そして三十日ばかりたつと大地震が起こり、御浅嶽の麓から海辺まで地が避け、乙見村一郷は陥没してしまった。これは明神の祟(たたり)と伝えられている。

 「八百比丘尼」(やおびくに・はっぴゃくびくに)の伝承も興味深い。
 若狭国のとある漁村の長者の家で、人魚の肉が村民に振舞われた。村人たちは人魚の肉を食べれば永遠の命と若さが手に入ることを知っていたが、やはり不気味なためこっそり話し合い、食べた振りをして懐に入れ、帰りに捨ててしまった。だがひとりだけ話を聞いていなかった者がいた。それが八百比丘尼の父だった。
 父が隠していた人魚の肉を、娘は知らずに盗み食いしてしまう。娘はそのまま、十六か十七歳の美しさを保ち八百歳まで生きた。
 八百比丘尼の伝承は能登半島に多いが、日本各地に広がっている。京都府綾部市と福井県大飯郡おおい町の県境には、八百比丘尼がこの峠を越えて福井県小浜市に至ったという伝承のある尼来峠という峠がある。(「八百比丘尼」は、ウィキペディアと民俗学辞典を参考にしました)

 ともに若狭の人魚が登場する。八百比丘尼には地震津波の話しがないが、人魚はアンデルセンの人魚姫のような半人半魚の肢体ではなく、またジュゴンのような赤子を抱いて立ち泳ぎする水棲哺乳類でもない。
 伝承に登場する人魚は、<人間の言語を話す>霊魚すなわち「ヨナタマ」「ヨナイタマ」海霊であろう。人間と神とを具現具有した境界の象徴であると、わたしは思っている。海神の眷族分身である「物言う魚」である。

参考書
○山本節「人魚と海嘯の伝承―沖縄県宮古島の話例を中心にー」
 『世界の洪水神話―海に浮かぶ文明』所収 2005年 勉誠出版
<2011年6月10日 南浦邦仁>
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<3・11 日本 8> 「海洋汚染」

2011-06-05 | Weblog
 朝日新聞電子版「アサヒ・コム」が次のように報じた。「福島沖の海底土壌から高濃度セシウム 海水は基準超えず」 6月3日付。
 「福島県は6月3日、同県いわき市四倉の沖合 1.7キロ、深さ 20mの海底土壌から、1キログラムあたり 9271ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県によると海底の土壌については安全性の基準がなく、魚介類などに影響が出るかどうか今後、調べると言う。/県は5月下旬、海底土壌と海水を測定。いわき市四倉の沖 1キロ、深さ 10mの土壌からは同 6003ベクレル、同市江名の沖 2.6キロ、深さ 20mの土壌からは同 4653ベクレルが検出された。海水については、基準を超える放射性物質が検出された地点はなかったという。」
 わたしは放射性物質についてまったくの門外漢ですが、「海底の土壌については安全性の基準がなく、魚介類などに影響が出るかどうか今後、調べる」。何と悠長なと、あきれかえらざるをえない。

 かつての水俣病、大公害の記憶を失ってはいけない。工場から海に廃棄された汚染液の水銀が原因であった。水俣海域や徳山湾などで、海底土壌に沈殿した有害物質が海底海中の生態系のなかで、魚介類に蓄積された結果である。
 中西準子氏は、当時の調査結果について「海水中のメチル水銀は、当時の検出基準では検出されないほど低かったが、魚や貝には高濃度に蓄積されており、生物濃縮のメカニズムが明らかにされた」
 また徳山湾では、水銀で汚染された海底の土壌は浚渫処分が決定した。汚染土は深さ 1mまで浚渫され、埋め立て予定地に運ばれ「より汚染された土を封印するかたちで、埋め立てられた」。同様の工法は、福島県沖ではまず無理であろう。対象海域があまりにも広大すぎる。

 セシウムも水深 200mまでの海域で海底に沈潜し、生物濃縮により小魚を喰うより大型の魚に、階段状に濃縮されていくという。海底の植物、プランクトン、貝や小魚、そして大型魚…。
 遠く太平洋を漂流しているセシウム塊もあるという。福島原発 2号機のピットの亀裂から漏出した放射能総量だけでも、最低でも 10ペタ(1000兆)ベクレルである。

 ところで海洋の放射能や生態学的研究を行う国立機関は、今年の 3月に廃止されていた。水口憲哉氏は「那珂湊放射生態学研究センターが海洋における環境放射能の挙動およびそれによる被ばく線量の推定等に関して、生態学的な調査研究を行う国の唯一の研究機関であった。あったというのは、平成22年度をもって廃止され存在しないからである」
 例の事業仕分けであろうか。いまならまだ間に合う。この研究機関は、復活させるべきだと思います。

 水口氏はセシウム 137の拡散予測について、水深 200mまでの濃度をみていくと、5年後には北太平洋の真ん中を高汚染水塊は東進。10年後にアメリカ西海岸に到達し、30年後には太平洋、インド洋はもとより、大西洋にも広がる。
 日本近海ではこれから 2~3年の内に海に流された放射性物質、特にセシウム 137について、いろいろな場所と魚種で測定値が次々と報告されてくる。魚の体内に蓄積されてから現れるので、汚染漁の発見調査報告は遅れる。
 全国各地で起こるであろう放射能汚染魚騒ぎへの対策を、急ぎ立てる必要がある。「魚を獲っても売れないという厳しく苦しいそして長い時間が、これから始まる」のかもしれないと記しておられる。
 
 かつて有機水銀に汚染された徳山湾では、責任企業による全魚介類の買い上げが行われた。当然だが、企業にはそれらの処分に万全細心の注意が必要だが。
 今回の東電事故でも、生産者事業者の損害を賠償するのは当たり前だが、生産可能な農漁業者から、東電が買い上げるというのも一法ではないかと思う。かつてと同様な、札束で釣るようなやり方、賠償という無労働の金銭保障によって働き生産することの喜びを奪われるより、買い手があるのなら誰でも働きたい。
 もし全生産物を東電が買いとってくれるなら、農漁業者にとって東電は唯一の大切なお客さまになる。東電糾弾の罵声はおそらくその内、聞こえなくなるであろう。

参考書
○「海のチェルノブイリ」水口憲哉(東京海洋大学名誉教授)「世界」6月号
○『環境リスク論』中西準子著(元東京大学環境安全研究センター教授・産業技術総合研究所フェロー) 1995年 岩波書店
<2011年6月5日>

※追記<6月6日>
 新聞切り抜きを整理していましたら、日経新聞「海底からも放射性物質 宮城沖の一部で100倍」( 5月28日)が出てきました。数値があまりに低いので、無視していたようです。
 文部科学省は5月27日、宮城県気仙沼市沖から千葉県銚子市沖にかけた広域で測定した海底の土の放射性物質の濃度をはじめて公表した。調査は5月9日から14日。12カ所で深さ30~200mの海底の土を採取し、セシウム 137の濃度を調べた。
 福島第1原発の沖合30キロで最も高く、土1キログラムあたり 320ベクレル。同原発から約60キロ離れた宮城県沖合で 110ベクレル、気仙沼市沖合で 7ベクレル。千葉県銚子市沖合で 1.9ベクレルだった。
 この文科省のデータと、上記の福島県調査ではケタが違う。信じられない。なぜこのような大きな差異がでるのでしょうか。

※同日追記 京都大学の小出裕章氏は、海の汚染を調べるのは「まず海藻からだ。海藻は移動しないからよくわかる」。YouTube 5月31日 「福島原発 海洋汚染について」

※6月11日追記「原子力安全・保安院 6月6日発表」
 事故発生から数日間で、大気中に放出された放射性物質の量は、77万テラベクレル(テラは1兆)と、従来の推計を2倍以上に原子力安全・保安院は上方修正した。
 これらは地上や海上に落下した。原発周辺では雨水とともに現在も海に流れ出ている。地下水に混じり、また土壌から河川に流出し、海に注いでいるものもある。



 






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津波の歴史 19 「芦雪とハンスと霊魚」

2011-06-03 | Weblog
先島諸島を襲った大津波のことは、この連載第17回で書きました。「ヨナタマ」海霊、霊魚を捕え喰おうとした人間たちは、海神の怒りを買い津波でさらわれてしまう。しかしこの靈魚を助けたり、話す言葉を素直に聞き理解した人たちは救われる。あるいは大いなる幸を授けられる。

 柳田国男は「物言ふ魚」で、ジェデオン・ユエ著『民間説話論』を取りあげていますが、グリム童話「ハンスのばか」、あるいは「馬鹿のハンス」とも翻訳されている作品の原型は、ユエの紹介している昔話であるとしています。
 霊魚を助けた人間は、願い事、望むことが何でもかなうという不思議な力を与えられる。この伝説昔話は西欧、南欧さらにはロシアに広がっている。またシベリアや蒙古でも形跡がある。

 昔、貧しくまた醜く、大馬鹿の若者がいた。彼は釣りに出かけ、不思議な魚をとった。この魚は話ができ、「もしわたしを水にかえしてくれれば、あらゆる願い事がかなう才能を授けてあげましょう」。若者は魚を水に投げかえした。
 帰路、王城の前を行く若者の醜さと間抜けた様子に、王女が窓から馬鹿にして哄笑した。腹をたてた若者は、口のなかで「お前は妊娠すればよい!」。すると魚との約束にしたがって、彼の願いはかなった。
 父の王は訳もわからず怒り、娘を牢に入れてしまった。そして赤ん坊の王子が少し大きくなるのを待って、赤子の父親探しの計画を立てたのである。乳母に抱かれた子を宮殿の広場に置き、町のすべての青年を行列させて進ませるというテストである。子どもは惨めな様子をした醜い若者、この馬鹿な男をだけ指差した。そう、父はこの若者である。
 父親はまたも怒り、王女と青年と幼児を、樽に詰めて海に投げ捨てさせた。狭い樽のなかで王女は若者に聞いた。「どうして知りあいでもないあなたが、子どもの父親なのですか」。若者は魚の話を語り、かつて窓辺の姫に怒り、はらめと口にしたばかりにこの子が産まれたと言った。
 「では、あなたの願いは何でもかなうの?」「樽が近くの海岸に早く着くようにお願いしてよ」。岸に辿りつくと今度は「樽が開くように頼んでちょうだい」
 「立派な宮殿がここに建つようにお願いしてよ」。そして「あなたが美しくなるように、あなたが利口になるようにお願いして」。すべて実現するのであった。
 国王も王女の智恵で、自らの過ちに気づき和解がもたらされた。そして美しく才気あるようになった若者は、国王の婿となり、その後王位の継承者となった。

 グリムの「馬鹿のハンス」はこの話にそっくりです。ところが大切なポイントである霊魚が出て来ない。なぜ青年が特殊な能力を得たのか、その説明が欠落しているのです。また不思議なことに「ハンスのばか」はほとんどのグリム童話集から除外されています。
 ドイツ文学者の吉原素子、吉原高志氏によると、この話はグリム童話集の初版にのみ掲載されている。1812年にグリムがカッセルで、ハッセンプフルーク家の姉妹から聞き取った。しかしグリムは「ハンスのばか」を、フランスの話でありドイツの昔話ではないと推測し、第2版以降は省いたという。AT675番。
 グリムはこの話の欠陥に気づいていたのではないでしょうか。超能力を有する若者は姫から指示される以前に、その能力を誰かから気づかされ、もっと早い時点で望みをかなえることができたはずです。ということは、姫が懐妊する少し前に、特殊な力を得たはずです。なぜ手にすることができたのか? グリムには謎だったのではないでしょうか。おそらくグリムは霊魚が与えたことを知らず、この話の決定的な弱点、完成度の低さから削除したのではないか。そのように思えます。

 ところで長沢芦雪と地震津波のことは「津波の歴史」第14回で書きました。南紀串本、無量寺の虎がじっと見つめているのは、「ヨナタマ」すなわち霊魚ではないか。虎は霊魚の語ることを聞き、さらには対話しようとしているのではなかろうか。近ごろ、そのように思えて仕方ない。

 若冲の象と鯨の図も同様だが、動物たちはひそかに交信対話しているようだ。異種動物間でのコミュニケーション、そして霊魚と幸運と津波。そのような思いのトライを、これからも幾度か試みてみようと思っています。

参考書
○『民間説話論』ジェデオン・ユエ著 1981年 同朋舎 関奎敬吾監修・石川登志夫訳(原著1923年パリ刊)
○『初版グリム童話集』第2巻(全4巻) 吉原素子・吉原高志訳 1997年 白水社
<2011年6月3日 南浦邦仁>

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