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ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

アヒルの日本史(1)万葉集

2024-08-27 | Weblog

 鳥のことをあれこれ調べておりましたら、「アヒル」にたどり着いてしまいました。アヒルはいつから日本におるのか? 不明だそうです。

 鶩(訓:あひる/音:ボク木)はマガモを改良してきたもの。しかし、日本では家禽に限らず、動植物の改良はまったくの苦手のようです。自然のままを大切にし、あえて種に手をくわえないのでしょうか。

 中国では数千年も前から、真鴨の品種改良を重ねて鶩(あひる/ボク)を作り上げて来ました。それなら隣国の日本にも舶来してもいいはずでしたのに、奈良時代以前にはその痕跡がなさそうです。小さい家畜ですから、船での運搬も楽だったはずですのに。その理由も追求したい。

 

 奈良時代後半に集成なった『万葉集』(759年~780年)。登場する「鳥」を、まず紹介します。鳥名の右の数字は登場回数です。残念ですが、アヒルは見当たりません。「アヒル」の呼称は、ずいぶん後世から始まるようです。おそらく16世紀のことです。これも解明したいですね。

 次の平安時代は「七九四ウグイス平安朝」ですね。

 

ほととぎす    153

雁かり      65

鶯うぐいす    51

鶴つる・たづ   47

鴨かも      29

千鳥ちどり    26

鶏かけ・にわとり 14

鷹たか      11

うずら      9

喚子鳥よぶこどり 9

雉きぎす・きじ  9

あぢ・ともえがも 8

にほ・にほどり  7

みさご      6

鵜う       6

ぬえ・ぬえどり  6

かほどり     5

山鳥やまどり   5

おし・おしどり  4

からす      4

ひばり      3

わし       3 

小鴨たかべ    2

もず       2

 

 1回だけ登場した鳥は、

 あきさ/あとり/いかるが/かまめ(鴎かもめ)/さぎ/しぎ/つばめ/ひめ(鴲しめ)/みやこどり

 

 不思議と登場しない鳥は、

雀すずめ/鳩はと/鵯ひよどり/椋鳥むくどり/鶸ひわ/鳶とび/鶺鴒せきれい……。あまりに身近過ぎて注目されないのでしょうか。

 『日本書紀』では、神武天皇を先導した金色のトビが有名です。セキレイも同様です。イザナギ・イザナミもセキレイに習ったといいます。

 このふたつの鳥には、古代から先行する強すぎる神話伝説があるために、あえて避けたのでしょうか。

 また「鳧」ケリが気になります。『万葉集』には1ヶ所だけ、鳧と思われる「気利」が出ます。これも注目の要点です。

 

 アヒル話の連載をいま開始しましたが、横道のケリやカモなども触れながら、ゆっくり進めていきたいと思っています。

 2千年ほども昔の中国漢代の辞典に「舒鳧鶩也」という言葉がありました。「家鴨は尻を振り振り、ゆっくり歩くが、これはアヒルである」。舒は「のろい」「ゆっくり」などの意。ここでの「鳧」は「ケリ」ではなく「鴨カモ」です。また鴨には野生の野鴨と、家で飼う家鴨、すなわちアヒルがありました。

「寸翁と抱一」はしばらく、夏休みです。

 

参考:『万葉の鳥』山田修七郎/近代文藝社1985

『万葉の鳥、万葉の歌人』矢部治/東京経済1993

<2024年8月27日 南浦邦仁>

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河合寸翁と酒井抱一(5)計里

2024-08-08 | Weblog

 杜甫の詩に「白鳧行」があります。抱一の号「白鳧」(はくふ)は、ここからとったのでしょうか。ちなみに杜甫は唐代の詩人、712年~770年。また杜甫の号のひとつに杜陵野老がありますが、「杜陵」は酒井抱一の号です。このふたつの重なりは、偶然でしょうか? 抱一は意図的に杜甫から選んだ、とわたしは思っています。

 

 さて杜甫の詩「白鳧行」769年全八句を、一行紹介します。

<化為白鳧似老翁/化して白鳧と為りて老翁に似たるを…>

 後藤秋正氏は「杜甫はどこに逗留している時でも渡り鳥でもある鳧の姿に自身の姿を重ねていた。その到達点が『白鳧行』として結晶している。…羽の白くなった鳧は杜甫が新たに造形したものであったが、この白鳧は杜甫の自画像となったのである。」

 波に浮かぶ鳥の姿は、世の中の流れに従って浮沈している自身の姿。年月を経れば、いつか真っ白の鳥になり、老いた翁そのもののような姿になるのでしょうか。

 

 ところで、杜甫がいう「鳧」は、実は鴨(かも)なのです。中国語「鳧」字には、鳥「ケリ」の意味、呼称も面影も微塵の欠片もありません。なぜなのか? 関係の鳥文字を、辞典でいろいろ調べてみることにしました。    <鳧  鶩  鴨  計理>

 まず現代日本の漢和辞典では、

 「鳧/漢音:フ 字義:かも・けり」

 「鳧/①かも鴨、カモ科の鳥 ②けり、チドリ科の鳥」

 「鳧/①かも、のがも。②あひる。/国訓:けり。しぎに似た水鳥。」

 「鳧/過去の助動詞の「けり」にあてて用いる。転じて、決着。きまり。かた。鳧がつく。」

 「鴨/文字義⓵水鳥の一。②あひる、人家に飼う水鳥の一。」

 「鴨/かも ①野鴨 ②あひる家鴨」

 「鶩/音:ぼく 訓:あひる」

 

 

 中国清代に編纂された『康煕字典』。難解な本ですが完成は1716年。

「鳧(読み:フ)、鴨(オウ)なり。」「鳧ハ鶩。」

「野にある鳥は鳧(アフ/註:かも)といい、家にあるのは鴨(註:あひる)と呼ぶ。」/

 同じく清代の『杜甫詳注』には「鴨は水鳥なり。野を鳧といい、家を鶩という。」

 野生鳥と家禽とを、区別しているのがわかります。次に日本の古い字書をみてみます。

 

「鴨/和名・加毛」<本草和名>918年/

「鴨/(音:押おう)野にある鴨は鳧(音:扶ふ)、家におる鴨は鶩(音:木ぼく)。」(注:鶩は和名、阿比留アヒルです。)

「鳧、野鴨名、家鶩鴨名、」「野鴨為鳧、家鴨為鶩、」「野鴨曰鳧、家鴨曰鶩、」<倭名類聚抄>平安時代中期/

「鴨は鶩を俗にアヒロ(注:アヒル)といふもの、鳧はカモといふものなり」<東雅>新井白石1717年/当時では最高の鳥字解釈ではないでしょうか。また前年1716年に、清の『康煕字典』が完成しています。/

 計里(けり)万葉集に鳧の字を用いている。鳥の計理の大きさは鳩に似、頭背は黒い灰色、腹は白色、翼は表裏ともに白いが、端は黒い、…その肉の味は甘美でうまい、秋にこれを賞す。<和漢三才図絵>江戸時代中期/食した記録はまだ、これのみにしか出会っていませんが、きっとおいしいのでしょうね。この記述はかなり正確にケリの姿を描いています。またケリの鳴き声が「ケㇼィ、ケㇼィ」と聞こえるところから「計理」の字があてられています。ただ、わたしには「ケッ、ケッ」と聞こえます。和製語ですが、現代の辞典や鳥本にも「計理」がいくつか出てきます。/

「けりに鳧字をあてたのは、鳧の類にけりという鳥があったので、借用された。また鳴き声が『けりけり』と聞こえるので、けりと名づけられた。」<倭訓栞>江戸時代後期/「鳧の類にけり云々」には納得がいきません。/

 参考までに、杜甫詩「鳧」について。大家のおふたりは「かも」とルビをふるだけです。吉川幸次郎も鈴木虎雄もともに、鳧字についてなぜか、一言の注もないのです。

 

 付録のような扱いですが、「鶩」アヒルのこともいくつか紹介します。

「鶩(安比呂)」<多識編>林羅山17世紀

「鴨(アヒロ)」<和爾雅>1694

「鴨カモ/アヒロとはアは足也、ヒロは潤也、」<東雅>1717

「アヒロ・アヒル」<重修本草綱目啓蒙>1847

「唐家鴨。唐人食物に長崎へ持渡る也、天明年中、紅毛人長崎へ持渡、」<飼鳥必用>江戸時代後期

「鶩(ボク)/鳧(あひる)也。鴨也。以為人所畜」<康煕字典>1716

「鶩/ボク・ブ・あひる。家畜に飼いならした真鴨の変種。」<新漢和辞典>大修館1982

 アヒルがいつ日本に持ち込まれたか、ですが、天明年間(1781~1789)よりも古く、おそらく16世紀半ばまでには長崎に入ったと考えています。

 

 ところで長ながと、鳥談義を続けてしまいましたが、最後に鳧についてまとめ、ケリをつけます。

 日本に鳧字が入ってきたとき、おそらく字義不明でした。鴨(オウ・かも/加毛)と同じ意味だと判断すればよかったのに、間違ってチドリ科の鳥「ケリ」として使ってしまいました。そのため、鳧は鴨や鶩などと混乱が生じてしまった。鳴き声から誕生した和製語「計里」をもっと普及させておれば、このような無用の混乱は起きなかったのに、と思う。

 それと鳧字を上下に分解すると、鳥と「几」(キ)の組み合わせです。几が長いニ本足に見えませんか? チドリ科のケリの足も長いのです。

 今回の掲載は、ここまでにします。暑いです。夏バテ要注意ですね。

 

参考:後藤秋正「杜甫の詩に見える『鳧』について」中国文化:研究と教育75巻2017年 Web版

<2024年8月8日 南浦邦仁>

 

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河合寸翁と酒井抱一(4)ケリ

2024-08-04 | Weblog

 画家文人の酒井抱一は、たくさんの名前を持っていました。

 幼名善次、通称栄八に善次から改名。実名酒井忠因(ただなお)。字喗真(きしん)。俳号は白鳧(はくふ)。濤花(とうか)、杜綾(とりょう)、杜陵、鶯邨(おうそん)。狂歌は尻焼猿人。ほかに軽挙道人、屠龍、狗禅。庭拍子、楓窓、雨華、冥々居、冥々……。そしてもっとも有名な酒井抱一。こんなに名があると、使い分けで間違うのではないかと、ひとごとですが、心配になりそうです。それらのうちに、気になる名がいくつかあります。ひとつが「白鳧」(はくふ)です。

 

 抱一の兄、姫路藩主酒井忠以(ただざね・宗雅)の『玄武日記』は詳細な記録で有名です。安永5年1772年正月から寛政2年1790 年6月にいたるまで、「15年間の長期にわたって、丹念にその日常・交友などを記録した貴重な資料である」(城郭研究室年報)。同年7月17日、忠以急逝、享年36歳。

 

 『玄武日記』には、兄の忠以と、弟抱一が手紙をやり取りした記載が、細かく記録されています。たとえば

「白鳧ヘ手紙遣ス事」、「白鳧ヘ返事遣ス事」、「白鳧より返事一通」

 

 忠以が姫路に居り、抱一が江戸在住の時、数えきれないほどの手紙がやり取りされています。その送受信が事細かく、日記に記されているのです。日記には抱一の名は、白鳧以外には栄八も散見されます。使用された名は白鳧と栄八のふたつのみです。

 差出は日々、だいたい複数者宛。忠以は相当の筆まめな殿でした。また参勤途上、宿泊の地へも、飛脚が行き来していました。そのような特殊配達や速達の芸当ができたのは、姫路藩が自前の飛脚制度を持っていたからです。この飛脚の件、どの本で読んだのか、わからなくなってしまいました。詳細はいつか、発見しましたら報告します。

 

 ところで鳧は鳥「ケリ」で、チドリ目チドリ科の野鳥。地上にいるとあまり目立たない地味な鳥ですが、飛んでいるときには翼が表裏ともに白く、その先端が三角形に黒い。腹と背も白い。飛行時に見える白色が鮮やかで目立つ。シラサギの全身真白な羽毛とは異なりますが、立ち姿は地味な色だけに、一度飛び立つと見事な白色に感動してしまいます。抱一の「白鳧」の号は、シラサギよりも白色が眩しい「ケリ」の姿から選ばれたのではないか、思ってしまいます。

 

 鳥ケリはほぼ留鳥で、生活域は水田、畑、河原、湿地など。田起こし前から水を引くまでの水田、耕す前の畑などに巣を作る。繁殖を終えると小群をつくって生活し、そのまま越冬する。

 野鳥カメラマンの叶内拓哉氏が、ケリの話を書いておられる。

 ケリは早春、田おこしをする前に卵を産み、ヒナを育てる。ときどき、遅れて繁殖したものは、田起こしの時期にぶつかってしまい、巣もろとも壊されてしまうものもいる。4月中旬のこと、双眼鏡で探すと、田の中にケリの巣を発見。写真撮影にいい場所を見つけカメラを構えた。ところがその時、農家の人が来て、これから田起こしを始めるという。叶内さんはあわてて、田の中にはケリの巣があり、そこで親鳥が卵を抱いている、と話した。その人は事情をわかってくれて、その時は了解してくれたかに見えた。ところがしばらくすると、突然田んぼに耕運機を入れて耕し始めたのである。私はがっかりすると同時に、多少腹立たしくさえなった。わかってくれたと思ったのに……。それでも農家の人にしてみればしかたがないか……、心を残しながらも帰ることにした。帰りの道すがら、先刻巣のあった田に「それでも……」と思って寄ってみた。田んぼはきれいに耕されていた。ところがその田の中ほど、ちょうど巣のあったあたりは手つかずで残っているではないか。私は歓声をあげて走った。巣はあった。中には三つの卵があった。ケリの親は巣を放棄したのだろうか。いやチドリ科の鳥はふつう四卵を産む。きっともう一卵を産むはずだ。しかしここにいつまでもおれば、親は巣を放棄してしまう可能性がある。/叶内氏は現地を去った。きっと元気に、四羽が巣立つと信じながら。『日本の野鳥100』

 

 筆者の自宅近くに、ケリの集住地があります。水田一枚ですが、地主は稲作など農業はせず、彼らが生活しやすいように、いつも浅く水を張っておられる。ケリたちを愛するやさしさを感じます。

 わたしはこの田の近くを通るとき、いつも立ち寄り、ケリの様子を確認しています。6月には12羽を見ることが多かった。1家族6羽なので、きっと2家族なのだろうと思う。そして近ごろ、群れは多い日には40羽ほどに増えました。これだけたくさんのケリが元気に育つことができるのは、田の地主さんと、近隣の住民のみなさんの温かい眼差しのおかげだろうと感謝しています。

 

 次回もケリですが、杜甫の詩「白鳧行」を紹介しようと思っています。ただ解釈に難題が生じてしまいました。解決に向けて、奮闘中です。

 

『玄武日記』姫路市立城郭研究室年報所収 1999・2003~2012

小林桂助著『エコロン自然シリーズ 鳥』保育社1996

叶内拓哉著『日本の野鳥100①水辺の鳥』新潮社1986

叶内拓哉他著『日本の野鳥 山渓ハンディ図鑑7』山と渓谷社2014

 

<2024年8月4日 南浦邦仁>

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