海幸彦と山幸彦の物語は、ほとんどの日本人が小学生のときに親しんだことでしょう。あまりにも有名な神話ですので、あらためて考え直す必要もないほどです。しかし注意すべきは「幸」<サチ>と、近ごろ思っています。現代日本人がいう語「幸福」のルーツは、どうやらこの「幸」でしょうから。
物語は『古事記』に出ます。幸彦の表記は「佐知毘古」。毘は左に田がつくのですが、「サチビコ」と読み、原文注に「佐知毘古の四字は音(おと)をもちいる」と記されています。幸<サチ>も彦<ヒコ>もこのころ、『古事記』の成立した712年ころには、表意文字がまだ確定していなかったようです。
『古事記』から<サチ>をみてみましょう。
弟の山サチビコは兄の海サチビコに「お互いが持っている<サチ>を交換しましょう」と提案しました。「サチ」とは、狩猟と漁労の大切な道具、矢と釣針をいいます。それらには霊魂が宿っています。霊力がなければ獣も魚も捕らえることができないと、信じられていました。
兄の海サチヒコは大切な霊宿る釣針(鉤)を、弟である山サチヒコの矢と交換したくはなかった。当然です。矢も鉤も単なる道具ではありません。兄は後に悪者にされてしまいますが、言い分は正しいのです。霊のこもった矢も鉤(釣針)も、それぞれ用いるべき者が使ってこそ、獲物を霊力でもって獲ることができます。しかし弟から三度も交換をせがまれ、兄は仕方なく取り換えました。
霊的道具を互いに交換することを<サチ換え>といいますが、取り換えっこしても、やはり猟漁の成果をふたりとも得ることはできません。
弟の山サチヒコは「海佐知(釣針・鉤)もちて魚釣らすに、かつてひとつの魚も得ず、またその鉤、海に失いたまいつ」。魚を釣れないどころか、大切な兄の鉤を魚に食いちぎられてしまいました。
兄の海サチヒコは獲物を得ることは無理だから、お互いに猟漁具を返そうという。「山佐知(さち)も、おのれが佐知佐知、海佐知もおのれが佐知佐知、いまはお互いに佐知を返すべきと思う」。<佐知の二字は音(こえ)と注されています>
佐知が七度も繰り返されています。この文の解釈は本によっていくらか異なります。難解ですが以下に記します。「山の猟具・矢(あるいは山の獲物)は、やはり自分の猟具でなくてはならない。海の漁具・鉤(あるいは海の獲物)もやはり自らの漁具でなければならない。いまは互いに道具を相手に返すべき」
佐知は本来、霊力のこもった猟具の矢、漁具の鉤(釣針)をいいました。それが発展して、捕らえられた獲物の獣や魚も<サチ>を意味するようになります。そして現代では産物が海の幸と山の幸です。
ここで七度も繰り返される<佐知>は猟漁具でしょうか、それとも獲物でしょうか。いつか再考してみようと思っています。
『古事記』では弟は失った鉤を求めて海神の国を訪れます。そして鯛の口に刺さっていた鉤をはずすことができました。ところが山サチヒコは陸に戻らず、三年間も竜宮城の如き地に留まります。
物語はまるで浦島太郎伝説のようですが、興味ある方は「浦島子」本をご覧ください。古典では『丹後国風土記』、『日本書紀』雄略22年、『万葉集』巻9。どれも『古事記』とほぼ同時代だけに興味深い物語です。
ところで<サチ>のこと、次回ももう少し考えてみようと思っています。
<2012年7月26日 南浦邦仁>
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます