ふろむ京都・播州山麓

京都の西山&播州山麓から、気ままな雑話をお送りします。長期間お休みしていましたが、復活近しか?

ミャンマー維新(4)

2016-03-20 | Weblog

 3月末 現大統領のテインセインの任期が終わり、新政権が新しい大統領のもとで正式に発足する。
 当面の最大課題が正副大統領の選出である(注記:その後3月15日、ティンチョーに決定しました)。上院と下院の各民選議員と、上下院の25%を占める軍人議員、それぞれがひとりずつの大統領候補を計3名選び、全議員の決選投票で大統領と、ふたりの副大統領を決定する。新与党のNLDは軍人議席を含む全議席の過半数を制している。NLD内から大統領が選ばれることは確定している。

 しかし現行憲法は外国人の家族をもつ者の大統領資格を認めないと規定している(59条F)。英国籍のふたりの息子をもつスーチーは大統領になれない。NLDは「スーチー氏のいうことを何でも聞く人物を暫定的な大統領にかつぎ、憲法改正を図ってスーチー大統領の誕生を目指す」考えだといわれている。
 スーチーは「自分がすべてを決定する」「私は大統領を上回る存在になる」「国際会議には私が行く。大統領は私の隣に座ることができる」と語っており、国内のみならず外交も主導する構えだ。4月以降、まずSEAN加盟諸国を訪問し、その後に中国と日本を同時に訪れる考えだそうだ。
 NLD女性新人、キンサンライン下院議員は「われわれの大統領はスーチー氏しかいない」。各国外交筋は「国民はスーチーがすべてを決めることを望んでNLDに投票している」
 憲法の改正には国会議員の4分の3を超す賛成が必要である。しかし上下両院定数の4分の1を占める軍人議員の同意が、すなわち国軍トップの賛同が不可欠である。スーチーは国軍の最長老のタンシュエ元上級大将と、ミンアウンフライン国軍総司令官との対話を進めている。

 おそらく当面はスーチー側近がつなぎの暫定大統領をつとめ、年内に憲法改正を目指して、そこでスーチーに大統領を譲るのではないかとみられている。ティンウー党最高顧問は「年内のスーチー氏の大統領就任を目指す」と語っている。彼が最有力の大統領候補だが年齢は88歳である。ティンウーは社会主義政権の1970年代に国防相をつとめた元国軍幹部であるが、民主化運動を政府が弾圧したのに反発してNLDに合流した。軍政時代には政治犯として収監されていた。
 暫定大統領候補としては、ティンミョーウィンの名もあがっている。彼は長年にわたってスーチーを支えた主治医であり、政治犯とみなされ3年間服役した民主活動の同志でもある。
 大統領候補者としてほかに、弁護士のニャンウィンやウィンテイン、そしてシュエマンの名もある。シュエマンはUSDP幹部で、かつては軍政ナンバースリーだったが、スーチーに同調したことで総選挙直前に党首を解任されていた。みな高齢である。

 憲法規定59条Fを停止する法案の提出も取りざたされたようだ。新法案は一般法のため、NLDは議席の上では可決が可能である。だが国軍がそのような例外的立法を認めるであろうか。ひとつでも例外を認めれば、軍がつくった憲法は一般法によって骨抜きになってしまうことが危惧されるであろう。軍機関紙も2月1日付の論説で「59条Fの改正は永久に認められない」としている。軍人議員の反対を押し切ってまでの強行採決は、国軍によるクーデターを招きかねず、NLDは法案提出を見送るのではないか。ある同党幹部は最近の意向として「新大統領を儀礼的役職と位置づけ、与党党首(スーチー)が政権を統制することを議論している」

 ところが解決のための盲点がひとつある。スーチーのふたりの息子がイギリス人だから憲法59条Fに抵触している。それなら子どもたちふたりがミャンマー国籍を取得すればどうなのか? 昨年の9月、NLDのニャンウィン報道官は「スーチーの息子たちがミャンマー籍に戻れば可能性はある」と述べている。ただ長男との不仲説がうわさされるスーチーは以前から「成人した息子を説得するつもりはない」と話し、報道官も「状況はきびしい」と首を振った。国民の英雄で、スーパーレディと呼ばれているアウンサンスーチーだが、家庭内は意外と複雑のようだ。

 3月下旬に選出される新政権の大統領はなかなか決まりそうにないが、スーチー周辺の幹部は内閣の構成について「新人議員の多いNLDは人材に乏しい。野党や民間人や少数民族から広く人材を集め、挙国一致内閣になる見通しだ」。ミャンマーの維新の成功を祈る。
<2016年3月20日>

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ミャンマー維新(3)

2016-03-15 | Weblog
2月1日 ミャンマー新議会下院が招集された。
 下院議長にスーチー側近でNLD党員のウィンミンを選出。彼は法律家で1988年のNLD結党直後からの古参幹部である。この日の議会演説で彼は「我々全員が民主的な連邦制国家の建設に向け、協力と相互理解を進めなければならない。民主主義が発展し国民の権利が守られるよう、持てるものすべてを出し切って努力しよう」と強調した。
 下院副議長には少数民族カチン族のティークンミャット議員(USDP連邦団結発展党)が指名された。旧与党USDPとの協調と、少数民族重視の意向表明を象徴している人選である。USDPは前回の総選挙で大敗し、議席は全体の1割にも満たないが、国民和解を重視するスーチーは同党との連携を内外にアピールしている。
 下院(人民代表院)は定員440名、内25%の110名は軍総司令官が指名する公選外の軍人指定枠。軍人議席は憲法で保障されている。

 NLD新人議員のひとり、ボーボーウーは学生時代に民主化運動に関わったとして軍事政権に逮捕され、25年間にわたって投獄されてきた。彼は「当時、民主主義はまるでありませんでした。獄中にいたときは議員になるなんて、夢にも思いませんでした。国民ひとりひとりのための民主主義を実現したいという思いから議員を目指しました。我々に苦痛をもたらした人々(軍事政権)に対して、敵意や憎しみはありません。しかし民主化運動で命を落とした仲間たちのことは常にこころにあります」
 NLD党員の宿舎はエアコンもない狭い部屋で、ベッドと机と椅子と物干しだけが置かれている。ウー議員は「我が国はまだ貧しいですから、これくらいの部屋で十分です。監獄に比べれば、ずいぶん快適ですよ」


2月3日 上院が開会。
 上院議長に少数民族カレン族のマンウィンカインタン議員NLDを選出。カインタンは「カレン族として議場に立つことが誇らしい。ミャンマーは資源が豊富だが、我々は豊かではない。経済発展のため平和と民族間の和解が重要だ」
 副議長には少数民族政党アラカン民族党(ANP)のエイターアウン議員(ラカイン族)が指名された。上下院正副議長4人のうち、実に3名が少数民族である。
 上院(民族代表院)は定員224名、内25%の56名が軍総司令官による指名枠。

 スーチーは少数民族武装勢力との和平も最優先課題としている。あらゆる民族が平和裏に共存する真の連邦国家を国造りの土台に置いている。上下両院の正副議長4人のうち、3人を少数民族から起用したのもその方針のあらわれである。少数民族政党からの入閣も十分にありうる。ラカイン族のある議員は「新議会の初日はうまくいった。与党としてのNLDに懸念は何もない」
 ミャンマーは人口の6割以上を占める多数派のビルマ族に加え、シャン族、カレン族、ラカイン族、モン族、カチン族、カヤー族、ムスリムのロヒンギャなど130あまりの少数民族がひしめく。また彼らの多くは武装勢力でもある。1948年の独立以来、民族間の内戦が続き、新政権にとって仇敵の国軍と、利害関係の複雑な少数民族の問題は大きな課題である。


2月8日 上下両院の合同議会では実にカラフルな光景が広がった。
 NLD議員のオレンジ色のたくさんの制服と、4分の1を占める軍人議員の緑色の制服。そのなかに高山植物の花のように鮮やかな原色の民族衣装が点在した。ミャンマー人口の3割以上を占める少数民族出身の議員たちである。
 黒い衣装に赤のショルダーバッグをさげたシャン族、ビーズ飾りをつけた大きな帽子が印象的なリス族、はちまき姿のラカイン族などなど、実に多彩な装いである。国会議員に占めるカラフルな少数民族議員の割合はまだ10数%であるが、NLDは彼らのために3人の正副議長を選任した。


2月17日 スーチーNLD党首は、国軍トップのミンアウンフライン国軍総司令官と3回目の会談。
憲法59条Fがおおきな議題のひとつであったとみられる。1時間の会談後、総司令官は「法の支配と恒久的平和について議論した」と発表した。

 スーチーが民主化運動にはじめて登場したのは、1988年にビルマ(ミャンマー)で吹き荒れた国民大闘争の日であった。40万人の大群衆を前に彼女はこう語った。「平和的手段で、すべての民族が仲良く力をあわせて、民主化を実現させよう」。その日、ステージ上で演説するスーチーを見守った濱島義博京大名誉教授は「その時の彼女の演説は、決して激しい口調ではなかった。興奮する大群衆をなだめるような優しい表現だった。彼女のその姿に、私は非暴力主義を提唱したガンジーの姿をダブらせていた」
<2016年3月15日>


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ミャンマー維新 (2)

2016-03-10 | Weblog
 本日3月10日のマスコミ報道で、NLDの新大統領候補が決定したとのニュースがありました。やはりアウンサンスーチーの擁立は困難で、スーチーの側近で慈善団体幹部のティンチョーが来週の選挙で選出されることが確定したそうです。明日からのマスコミ報道が楽しみです。さて以下は既述分の続報です。


1月12日 スーチーは「かつて全民族が協力して我が国の独立を成し遂げました。全土和平にはすべての勢力の参加が欠かせません」と述べた。
この日、彼女は停戦協定に署名した8武装勢力との政治対話に参加し、テインセイン政権が失敗した和平の実現に意欲を示した。停戦協定に署名しなかったほかの武装10勢力は、新政権の正式発足を待って署名するだろうとみられている。そのとき、主要な少数民族の武装勢力すべてが和解することになる。ただ彼らの武装解除は困難であろう。あくまで停戦の実現とみるべきだ。国軍は武装維持をどう判断するか、予断は許されそうにない。

 スーチーが少数民族問題の解決に心血を注ぐのは、単なる政治的な打算からだけではない。1947年2月、英国の植民地からの独立闘争のさなかに、ビルマ族主体の暫定政府とシャン族やチン族など主要少数民族の指導者は、シャン州パンロンで会談した。その結果、ビルマ(ミャンマー)が独立する際は、各民族に平等な権利を与える連邦制を創設することで合意した。この「パンロン協定」の締結を主導したのが、スーチーの実父で暫定政府の指導者のアウンサン将軍だった。いまなお将軍は「建国の父」として、ミャンマー国民の尊敬を集めている。
 少数民族は将軍の誠実な姿勢を信頼し、後の暫定政府を支持したことが、独立成功を大きく後押しした。NLDは2015年11月の選挙公約に「パンロン協定の履行」を盛りこんだ。少数民族に根強い将軍への尊敬に訴える思惑だけでなく、スーチー自身が「ロールモデル」と位置付ける亡き父の宿題を片付けようという決意表明ともいえる。アウンサン将軍は独立直前の47年に政敵により暗殺されて、パンロン協定は果たされずに残った。スーチーの取り組みは、約70年の時を経て、かつて父が独立運動の同志と交わした約束を果たすことでもある。(日経新聞2月15日/ヤンゴン・松井基一記)

1月25日 ミンアウンフライン国軍総司令官とスーチーの総選挙後2度目の会談。
国軍総司令官は絶大な権限を有している。また憲法で議席を保障されている上下両院の4分の1を占める軍人議員も総司令官が指名する。円滑な国政運営には、国軍最高顧問のタンシュエと、国軍総司令官ミンアウンフラインの理解と協力が不可欠である。
 また閣僚の選定だが、国軍は憲法の規定によって三大臣を指名する。国防、内務(警察)、国境相である。大統領はただ単に三人を追認し任命するだけである。
 国防治安評議会も大統領を縛る憲法の規定である。評議会のメンバーは11人だが、過半数の6議席は軍が握っており、憲法では「国家非常事態においては、大統領は国軍の最高司令官に国権の行使を委譲しなければならない」。有事には大統領は評議会の決定に従わなければならない。国家の非常事態とは「国民に対する危険が発生した場合や、連邦が分裂し国民の結束が崩壊した場合」などと定義されている。
<2016年3月10日>
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ミャンマー 維新 (1)

2016-03-02 | Weblog
 久しぶりのブログ更新です。Eマガジン「LAPIZ」春号に「ミャンマー維新」を寄稿しました。ここでは4回分割で連載します。もと原稿は締め切りのために2月20日現在の情報までしか記載しておりません。しかしその後もミャンマーの政治事情は進展しています。最新情報も追加しますので、5回連載になるかもしれません。



 暴力の行使を完全に否定し、流血を絶対のタブーとする。だが無血革命は断固成功させる。ミャンマーの新与党、国民民主連盟NLDのメンバーたちはそのように決意した。そしてアウンサンスーチー党首とともに彼らはいま激流を渡っている。
 これまで国軍が半世紀もの長期にわたり同国を支配し、危険人物とみなされたスーチーはのべ15年間も拘束され自宅軟禁下で過ごしてきた。その彼女がやっと、ついに国政の表舞台に立った。
 昨年11月の総選挙で圧勝したNLD党員たちは、2月1日に召集された新議会にはじめて登場した。この日の朝、ピンクにちかい淡い赤色の民族衣装を着たスーチーも登院。100人近い報道陣が待機する表玄関を避け、国会裏口からスタッフ数人とともに足早に入り下院議場に着席した。
 ミャンマーではいま、たぐいまれな無血革命が進行している。成功を祈らずにいられないのだが、NLDの前には国軍のみならず、小数民族問題などなど難題が山積している。
 「スーチーに対する国民の期待が高すぎて、新政権がつまずいた時の反動が心配だ」。同国内ではそのような声も強いという。
ミャンマー維新の進行を、一般公開情報をベースに時系列で整理してみた。

2015年11月8日 総選挙でNLDが圧勝。
上下両院の改選議席の8割にあたる390議席を獲得した。うち9割は候補者公募で選ばれた新人議員だ。多くは医師や弁護士、教師の出身で政治経験は乏しい。またほとんどが若手で、ミャンマー民主化運動の歴史も知らない。
結党直後から支えてきた民主化運動のわずかばかりの闘士たちは、みな老人ばかりになってしまった。スーチーも70歳である。同党は学生運動を源流とし、かつては若々しいイメージだったが、すでに結党から27年を超えた。
テインセイン現大統領はまだ開票作業が進んでいる段階で、スーチーに祝福の電話を入れた。そして自らの政党であるUSDPの敗北を潔く認め、平和的な政権移譲を約束した。

12月2日 スーチーはテインセイン大統領と、そして国軍総司令官のミンアウンフラインとも相次いで会談。
国軍は「国の平和と安定、発展に向け、双方が協力することで合意した」とする声明を発表した。

12月4日 スーチーは自ら希望して、ミャンマーの実質最高権力者とされるタンシュエ元上級大将と会談。
かつてNLDを弾圧した張本人である独裁者タンシュエとの会談は、NLDの進む方向を根本からゆさぶるものであったであろう。彼女は新政権におけるNLDと国軍の協力を議論した。スーチーは会談で、軍政時代の人権侵害を訴追しない方針を伝え、「過去の出来事に恨みはない。軍を含むすべての勢力と協力するため話し合いたい」と和解を呼びかけた。「真のナショナリズムは寛容の上に成り立つ」とNLDも表明した。
スーチーは国軍出身のテインセイン現大統領らとともに、政権移譲の特別委員会も設置した。元軍人ら大統領府の閣僚とNLD党幹部は、新政権発足まで毎週、政権引き継ぎなどの情報交換を進めている。

2016年1月4日 独立記念式典のこの日、スーチー党首は居並ぶNLD党員に訓示した。
「国民の負託を忘れるな」「路上駐車をするな」「私は大臣になりたい人を好きではありません。今後、手紙で要請してきた人は処罰します」。スーチ-は苦言を連発した。
ある新人議員は「ほかの政党や議員と協力していくよう、スーチー党首から指示がありました」

1月10日 最大都市ヤンゴン市内のホテルにNLDの若手約200人が集まった。
昨年12月にはじまった教育・研修プログラムを受ける新人議員たちだ。憲法や予算編成など12分野で講師を招き、政治家の基礎知識を猛勉強している。党幹部は「君らの勝利の75%はスーチー党首の名声によるものだ。君ら自身は何の経験もないから、学ばなければならない」と気合をいれた。新議員たちはミャンマー版「スーチーチルドレン」である。議会をいちから学び、民主主義にいちから取り組むという姿勢である。
<2016年3月2日>

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