ふろむ播州山麓

京都山麓から、ブログ名を播州山麓に変更しました。本文はほとんど更新もせず、タイトルだけをたびたび変えていますが……

タケノコ不作!?

2013-04-23 | Weblog
故郷の播州に竹林があります。そこそこの広さですが、たくさんの枯れ竹、倒竹に覆われた荒廃した藪でした。それを正月から整備し、数か月かけて見違えるほどの美林に仕立て上げました。自慢の竹林に生まれ変わったのですが、桜花の後に出るべきたけのこが一向に顔を出しません。わたしの母親など「あまりにきれいな竹林になったので、竹が驚いているのではなかろうか」
 これまでに何人も、総勢のべ20数名がタケノコ掘りに向かいましたが、一度の挑戦で数本の成果! のべ20本程度しか獲れないのです。平年のわずか1割程度の収穫です。周辺の竹林も同様で、ふるさとの古老は「これほどの不作は経験したことがない」。嘆声が渦まいています。

 原因を聞くと、いちばんは寒いからだという。3月の桜の前にかなり温度の高い日がありましたが、それも数日だけ。以降は平年を下回る寒い春が続いています。また雨量が少なかった。久しぶりに20日は夜から雨だったのですが、小雨のようなものでした。そしてネットをみると、昨年の夏からの天候気温が影響しているという。昨夏は暑かった? 雨量は? とっくに忘れています…。
 竹林の地下はどうも母体のようです。竹の子の卵は前の年の夏、地中の胎内に誕生する。そして8カ月ほど土のなかで育まれ、翌年の春にオギャーと生れるのが八百屋やスーパーに並ぶタケノコなのですね。天候と胎内、ふたつの要因が大きく影響しているということを、今回はじめて知りました。また京都の竹林をみていると、栽培者の愛情も大切です。

 たけのこの多寡は、年によって裏と表があり、今年は完全な裏年だそうです。それも数十年ぶり。もしかしたら周りの孟宗竹林がすべて枯れる前兆かしらと心配になってしまいます。何十年か百年ほどに一度、総枯れが起きるのが竹林の宿命です。あらぬ心配をしてしまうほど、今年の筍の出は異常に少ないのです。

 ところで4月29日には、はるばる滋賀県から友人家族が、タケノコ掘りツアーで姫路まで来られます。筍掘りは初めての体験らしく、ずいぶん楽しみにしておられる。果たしてひとり数本ずつでも獲れるかしら。期待を裏切れないので、スーパーで何本か買って土のなかに埋めておこうか、などと悩んでいます。
 今朝、故郷からまた電話があり「近所のTさんは、寒いのがいちばんの原因と言っている。暖かくなれば必ず出ます。今年は例年よりも遅れているだけ。本数はいつもより少ないでしょうが、今月下旬から採れますよ」
 この予言を信じるしかない。そんな思いの今日このごろです。スーパーへの買い出しが中止になればよいのですが。
<2013年4月23日 南浦邦仁>
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米ステルス戦闘爆撃機と北朝鮮

2013-04-16 | Weblog
 米軍のステルス戦闘機・F117が平壌上空から金一族が住む宮殿にめがけて、急降下と急上昇を繰り返した。同機の爆音と振動はものすごい。この時、金一族と関係者は本当の恐怖を体験した。

 ウソのような話だとわたしは最初、軍事専門家・恵谷治氏の本を読んでも信じられなかった。その本は対談集だったと記憶しているのですが、もう一度読み返そうと探したが書棚にはなぜかない。図書館で借りたのかなと思い検索しても見あたらない。
 するとちょうど4月7日付け「産経ニュースzakzak」で、久保田るり子氏がこのスクープを紹介しておられた。ステルス機の平壌侵入は2005年夏のこと。米軍の作戦名は「5030」で、対北朝鮮心理作戦・動揺計画と呼ぶそうです。
 にわかには信じがたい話ですが、ほんとうにあった事件だということが判明しました。久保田氏によると作戦に参加したF117のパイロットが米軍事専門誌「エアフォース・タイムズ」で証言した。その時のパイロットは「私にとって最も記憶に残る任務は、北朝鮮の領空をかき回したことだ…その任務のことを考えると、気が遠くなるようだ」
 なぜ北朝鮮は、領空侵犯だと抗議しなかったのか? 理由は北の防空体制が、レーダー探知のむずかしいステルス機に対して、まったく役に立たないことをさらすことになるからだ。恵谷氏は、レーダーで「捕捉不能なステルス戦闘機に北朝鮮空軍機は緊急発進すらできなかった」からだと分析している。

 8年前の当時、金正日は健在で正恩は20歳を過ぎたばかりでしたが、たいへんな恐怖心を抱いたはずです。いま米韓合同軍事演習フォールイーグルが続いていますが、米軍はステルス戦闘機F22を投入した。
 また3月末には、はるばる米本土からステルス戦略爆撃機B2を送り込んだ。1機で核爆弾16個を搭載可能で、地下深くまで破壊できる大型爆弾バンカーバスターも運ぶ。
 ステルス機F22かB2が、数日前に北朝鮮領空を侵犯した疑いがあるともいう。レーダー探知が困難なので、韓国も日本も中国も確認できていないが、ありうることである。金正恩にその事実をみせ付ければいい。国内各地にある金家別荘かミサイル基地か、あるいは核開発拠点の上空で爆音のアクロバットを演じれば、正恩はかつての恐怖を思い起こす。
 いずれにしろ米軍は有人のステルス戦闘爆撃機を使って、北朝鮮を挑発したことはあきらかである。またステルス無人攻撃機が出動していないとも断言できない。金正恩氏が激昂するのは当然だ、とも思う。
 ステルス戦略爆撃機B2は14トンもあるバンカーバスターの摸擬爆弾まで北に投下したのであろうか。もしそうなら、アメリカの北に対する脅迫はハリウッド映画なみである。ほとんどの日本人は、口をパクパクと開くしかない。

 ところで2005年のステルス機F117の平壌上空撹乱事件についてですが、当時の在ピョンヤン外国人による爆音や目撃の証言がないことから、今月早々に実施された北領空侵犯の嫌疑同様、首都平壌以外の地で起きたアメリカによる挑発行為であろうと思わざるをえません。ステルス機はレーダーには見えなくとも、人間の肉眼は視認します。
<2013年4月16日>
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どうなる?北朝鮮

2013-04-11 | Weblog
 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)情勢が異常です。3年前ですが2010年3月には韓国哨戒艦「天安」沈没事件が起き、9月に金正恩氏がデビュー。そして11月には延坪島砲撃事件が勃発しました。最近の情勢は当時を上回る緊迫だと思います。
 このブログで2010年1年間の金兄弟の行動と言動を追ったことがあります。タイトル「北朝鮮 金正恩三兄弟」(11年12月24日)。現在の半島問題を理解するための参考にでもなればと思い、いくらか書きかえ再録しました。

2010年1月 延坪島など黄海5島の占領を想定した奇襲上陸作戦の訓練実施を、金正日総書記が指示した。金正日は、三男のジョンウン(当時は漢字表記が不明)や軍高官らの幹部を集め、黄海「五島の攻撃を準備しろ。地図から消える方法を考えろ」と指示。これを受けて、朝鮮人民軍は、特殊部隊による上陸訓練などを準備した。訓練を総書記とジョンウンは視察。黄海の北朝鮮側水域で、約350発の砲撃訓練を開始した。

2月1日 北朝鮮の党機関紙「労働新聞」は「われわれの勝利を堅く信じる」と題して、金総書記の言葉を掲載した。「私は、わが人民がまだトウモロコシ飯を食べていることに一番心が痛む。今、私がやらねばならないことは世の中で最も立派なわが人民に白米を食べさせ、麦でつくったパンや麺ククスを思いっきり食べさせることだ。われわれみんなが首領(故金日成首席)の前で確認した誓いを守り、わが人民を、トウモロコシ飯を知らない人民として世の中に推し立てよう」。
 2009年末の通貨交換とデノミ政策の失敗で国民の反発が高まっているため、最高指導者が住民の食糧問題に気を配っていることを示し、不満をなだめようという意図からの発言であろう。大失敗に終わった通貨改革とデノミを主導したのは、金ジョンウンだといわれている。通貨交換とデノミネーションの断行は、2009年11月30日に突然発表され実施されたが、北朝鮮人民に過酷な犠牲を強いた。成果は大失敗で、建国以来はじめてといわれるほどの反発を人民たちから受けたという。

2月17日 韓国の自由北朝鮮放送によると、北朝鮮当局が全国の「ジョンウン」を名乗る国民に対し、改名を強要したと報じた。金正日が後継者に決まる際にも、同じように「ジョンイル」名の国民に対し強制改名が行われた。ジョンウンの漢字表記は不明。いつもハングルでジョンウンとしか記されない。

3月26日 韓国海軍の哨戒艦「天安」が黄海で沈没。戦死者46名。一般に北朝鮮の攻撃によるものと考えられているが北朝鮮は関与を否定。

5月 中国を訪れた金正日に、長男の正男は「ジョンウンが、韓国の哨戒艦事件を3月に起こしたのに、なぜ黙認したのか」。「ジョンウンが無理に貨幣改革デノミを推進して失敗し、これを挽回するために天安沈没事件を起こした。ジョンウンの顔が(世界に)知られる前に起きたことなのに、なぜ黙認したのか」と抗議した。中国政府に勤務する北朝鮮人で金正男の側近の談話。「中国と北の高位層には、正男を支持する勢力がまだ多い」とも8月に彼は語った。<韓国放送公社2010年11月14日>

7月9日 国連がようやく採決した韓国艦「天安」沈没事件の議長声明は、北朝鮮の名指しを避けたうえ、中国の主張で「朝鮮民主主義人民共和国は沈没に無関係だと主張している」との一文まで入れた、非常に弱い内容になってしまった。韓国はこれ以降、中国が拒否権をもつ安保理を信用しない。延坪島砲撃事件でも、韓国は国連安保理に期待しなかった。

8月26日~30日 金総書記はカーター元米国大統領の訪問をすっぽかし、中国北東部を訪問。中国の胡錦濤国家主席が北京から出向いて会談。三男の金ジョンウンも同行した。中国は息子が北朝鮮の次期指導者になることを了承した。

9月15日 鉄道転覆事故。威境北道清津の製鋼所と茂山鉱山を結ぶ貨物列車が転覆した<共同>

9月18日 また列車転覆事故があった。平壌から豆満江に向かう列車が被害を受け、ロシアの鉄道関係者も乗車しており17人ほどが死傷。枕木が約5メートルにわたり抜き取られていた。何者かが故意に起こしたとみられる<共同>。北朝鮮でこのような反体制行為が可能なのであろうか? 信じられないようなニュースである。

9月27日 李英鎬軍参謀総長が、元帥に次ぐ階級の次師匠に昇進。李は金ジョンウンの家庭教師とよばれている砲術家である。翌日開催の党会議で、党の最高機関である政治局の常務委員、さらに翌日には中央軍事委副委員長に選ばれた。新設のこの軍事委ポストに座ったのは、ジョンウンと李のふたりだけである。李が総参謀長に就いたのは、2009年2月だが以降、旧勢力を押し出す形で50~60歳代中心の「新軍部」が急速に台頭し、北の強硬路線が鮮明になった。

9月28日 金ジョンウンは、朝鮮労働党代表者会議において、党中央委員に選出された。同日、ジョンウンは党中央委員会総会で、党中央軍事委員会副委員長に選出された。中国「新華社通信」は、はじめて金ジョンウンに「金正銀」の漢字表記を使用した。

9月30日 金ジョンウンの写真と映像が初公開された。

10月1日 北朝鮮の朝鮮中央通信は、「ジョンウン」の漢字表記は「正恩」と発表。
 正日の三男の名、漢字は不明で「ジョンウン」と日本のメディアはハングルのカナ表示で統一していた。胡との会談の1ヶ月後、9月28日より中国は実名を「金正銀」と報じ、はじめて実名が判明した。ところが北朝鮮はそれをひるがえし、10月1日に「金正恩」だと公表した。中国政府は北朝鮮に泥を塗られたという見方もあるが、ジョンウンは、<正雲―正銀―正恩>と改名を繰り返していた。いずれの表記も、読みは「ジョンウン」である。中国が<正銀>と公表した直後に<正恩>に変更した可能性が強い。2009年1月8日付の韓国メディアは「金正雲から金正銀に改名した」と報道している。
 正銀から正恩へ変更した理由は、ある中国高官の発言だとする説がある。「銀は金より下だ」と彼はいった。金正銀を縦書きすれば、金の下に銀がある。この発言に反発して、急に銀を恩にかえたという説である。

10月9日 中国で長男の金正男は、テレビ朝日とのインタヴューで「個人的には3代世襲には反対します。ですが然るべき内部的要因があったなら、それに従うべきだと思います」。三男の正恩氏が後継者という報道は本当か?という記者の質問に、「私もニュースでそう聞いた。事実だと思う」。「父が正恩を寵愛している。いかなる決断も父がする。父が決断すれば従わなければならない」「後継者には興味はない。個人的にこの問題に興味がない。政治には興味がない」。そして正恩について「弟には共和国人民のために頑張ってほしい」
 なお余談だが、正男は語学の達人であることに間違いはないようだ。英語とフランス語を流暢に話し、ロシア語と中国語そして日本語は会話に不自由しないレベルかそれ以上である。またコンピュータに強いといわれている。政治力についての資質は不明だが、優秀な人物だと言われている。シンパも多い。

10月10日 平壌で朝鮮労働党創建65周年を祝う軍事パレードが行われ、金正恩がはじめて公式の場に登場した。彼の隣には、中国共産党の周永康政治局常務委員がいた。周は、中国共産党ナンバー9の有力者である。
 正恩の偉大性宣伝で言われているのが、「7カ国語ができる天才。3歳で銃を取り、百発百中の腕前を持つ、砲術の天才」。翌11月の延坪島砲撃については「砲術の天才の砲撃作戦が大成果を上げた」。語学は英独仏伊の4か国語に精通し、日中ロの3か国語も習得中という。
 実際に延坪島砲撃を立案、総指揮したのは李英鎬軍参謀総長である。金総書記と同じ68歳。陸海空を束ねる軍制服組のトップ。パレード式典では雛段で、金父子の間にずっと立ち、笑みを絶やさず、その威勢ぶりを見せつけた。李は砲術の専門家で、執務室には関連書が山積みされており、金日成軍事総合大学(5年制)で正恩の砲術論文作成を指導したといわれている。正恩の家庭教師とよばれる所以である。
 この晴れやかな日に、次男の正哲の顔がなかった。彼は気が弱く、権力闘争に向かない人物と一般にいわれているが、もし正恩がこけた場合のスペアとの見方もある。長男の正男は当然、中国国内に留まっている。
 朝鮮中央放送によると、10月10日付けで金正恩ら6人を、朝鮮人民軍の大将に昇進させる命令を発した。

11月21日 金総書記と正恩らが、砲撃地点に近い黄海南道の軍部隊を訪れ、野砲の性能や韓国軍の過去の砲撃訓練について、黄海周辺地域を統括する朝鮮人民軍第4軍団長の金格植大将から説明を受けた。このことから韓国側は、延坪島への11月23日の「砲撃は、金総書記父子が主導した計画的な挑発であることは明らかである」<韓国紙「中央日報」11月25日付>
 金正日は三男の正恩とともに21日、砲撃事件の起きた場所に近い、黄海南道の養魚場を視察したという情報もある。砲撃の朝鮮人民軍第4軍団を訪問し、軍団長の金格植大将に会い、士気を鼓舞した。金格植は李英鎬の前の総参謀長である。軍団長は降格処分であろう。軍高官ふたりの確執もとりざたされる。(ちなみに李英鎬は後に失脚。金格植は昨年から実質の軍トップについた)

11月22日 北朝鮮のウェブサイト「わが民族同士」は、23日13時から延坪島近辺で予定されている韓国軍の護国訓練について、「朝鮮半島の平和と北南関係改善を望むすべての民族の志向と念願に対する悪辣な挑戦であり、受け入れられない反民族的な犯罪行為である。われわれに対する南朝鮮当局の敵対感と侵略の危険の境界線を超えてから長く、傀儡好戦狂の分別のない対決戦争策動が、朝鮮半島で任意に核戦争が起こりかねないことを示している」と威嚇した。

11月23日 8:20 南北非武装地帯に近い都羅山に位置する韓国軍の通信施設に、北朝鮮から1枚のFAXが届いた。文面は、韓国軍が大規模な定例訓練の一環として延坪島で射撃訓練を計画しているとして、北朝鮮の「領海に撃ったなら看過しない」、射撃すれば座視しないという内容であった。
 北朝鮮の聯合ニュースは「南朝鮮は朝鮮民主主義人民共和国の度重なる警告にもかかわらず、23日13時から延坪島一帯の共和国領海内に砲撃を加える軍事的挑発を強行した」と報道。北朝鮮は砲撃前に、周辺空域でミグ23戦闘機5機を哨戒飛行させた。
 14:34~14:45 北朝鮮が砲撃。北朝鮮は第1次砲撃の12分間に150発を発射。第1次攻撃では、60発が延坪島に落下。残りの90発は洋上で演習中だった韓国艦船に向けての砲撃である。その後に第2次砲撃を加え、延坪島の北方の茂島ムドとケモリ基地から砲撃を開始。北からの砲撃終了は14時55分。
 14:47~15:15 韓国軍は第1次反撃の砲撃を被爆13分後に開始した。第1次の北朝鮮砲撃の後、延坪島の韓国軍は反撃に手間取り、すぐに応戦できなかった。北朝鮮軍は韓国軍部隊に照準を合わせていたが、島の韓国軍の曲射砲の自走砲部隊は準備不足のため、反撃開始が遅れた。また自走砲6門のうち1門は故障して使えなかった。また2門は砲撃の衝撃で電子回路に故障が生じ、3門だけで反撃を開始した。延坪島韓国軍の装備はK9自走砲6門。その内、発砲可能な3門から計80発を発射。
 反撃が13分後と遅れたのは、北朝鮮による電磁パルスEMPによる妨害のために、砲弾の発射地点を特定できなかったためもある。妨害のために対砲レーダーが作動せず、北がどこから砲撃して来たのか把握できなかった<東亜日報12月3日>

11月24日 砲撃事件の翌日、北朝鮮の国民の声としてデイリーNKが伝えるところによると、「南朝鮮がわが共和国を狙い挑発を行ったが、将軍様(金正日総書記)の軍隊はこれを許さず、数倍にして報復した。敵の対決策動にも青年大将(金正恩・朝鮮労働党中央軍事委員会副委員長)が領導する革命的武装力で対抗するわれわれにあるのは、勝利だけだ。情勢が複雑になるほど金総書記と正恩氏に仕えてこそ、勝利が保障される」

11月25日 「労働新聞」によると、金総書記が中国の無償援助で建設された平安南道のガラス工場を25日に視察し、中朝の友好を力説した。三男の金正恩も同行。

12月3日 米国の自由アジア放送は、砲撃事件などで北朝鮮の情勢が不安定化していると報じた。米などの物価が高騰しており、後継者の金正恩に対する不満が庶民(両江道の消息筋情報)の間で高まっていると報じた。住民は金正恩の責任だとして、露骨に不満を漏らしているという。

12月11日 北朝鮮の新義州から平壌に向かっていた貨物列車が転覆。約40両のうち8両に金正恩副委員長の誕生日のための贈り物用のテレビや時計などが積まれていた。正恩後継に反対する勢力による妨害行為の可能性もあるとして、公安当局が捜査している。<聯合ニュース12月27日付>
 北朝鮮での内乱の兆候を思わせる列車転覆事故は大ショックである。金正恩の2011年1月8日の誕生日の祝い品を満載した列車が、何者かによって転覆させられたのである。密告と盗聴でがんじがらめの同国で、反体制のテロ行為などほとんど100%といっていいほど不可能なはずだ。金父子らが受けた恐怖や危機感は相当のものであろう。

○余談であるが、金総書記の長男・金正男はマカオと北京を中心に、中国国内にずっと滞在している。北朝鮮からは正男を暗殺するための秘密部隊が潜入しており、中国は北朝鮮に対し、暗殺部隊を送り込んだことに強く抗議したともいう。暗殺を指示したのは正恩サイドとされる。
 2009年6月に中国マカオ滞在中の正男を暗殺しようとした北の特殊部隊の行動が中国当局に発覚した。事態に驚いた父の金正日は、中国の胡錦濤に正男の安全を依頼し胡は確約したが、その後も暗殺のための秘密工作員は中国に潜伏しているとされる。

○金正男は東京ディズニーランド訪問で有名だが、かなり優秀な人物と思われる。彼のシンパは多数が粛清されたという情報もあるが、北朝鮮国内には正恩ではなく、正男を推す隠れグループが国内指導部若手には多いともいわれている。

○韓国大統領の諮問機関・民主平和統一諮問会議の李基沢首席副委員長はベルリンで「北朝鮮の金正日総書記の長男正男が、北の体制崩壊の可能性を念頭に置いているとの話しを聞いた」ことを明らかにした。また正男は、北朝鮮は間違いなく「滅びる。長続きすると思うか?」と話した。<聯合ニュース11月26日>

○私見です。中国と米国が金正恩を不必要であると同意すれば、彼を隔離し長男の正男を急きょトップに立て、中米合意による傀儡政権を誕生させる。あくまで中国主導ですが、その可能性を否定できないと思います。正恩氏は妥協すべきです。<2013年4月11日>
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阪急電車・京都河原町駅?

2013-04-07 | Weblog
 阪急電車京都線の終着始発駅は「河原町駅」。この駅名を「京都河原町駅」に変更するそうです。京都市内ではほかにも、大宮駅を四条大宮駅に、烏丸駅を四条烏丸駅にかわる予定です。
 京都では場所をいうとき、町名ではなくふたつの通り名の交差点でよぶのが一般的です。四条通と大宮通の交差点を四条大宮といいます。烏丸も同じで、東西ラインの四条通と南北の通りである烏丸通の交差点なので、四条烏丸駅とよぶのは理にかなっています。ですから新駅名の四条烏丸駅と四条大宮駅はわかりよいし、当然そう呼ぶべきだったと思います。
 だいたい烏丸とは烏丸通の略であって、烏丸町などありません。烏丸通は長い。北大路通の向うの今宮通から南は久世橋通まで、延々20キロほどの南北直線道路です。「烏丸駅」とは、これまで横着な駅名だったのです。
 大宮も同様です。大徳寺の北の御薗橋通りから、南は久世橋通りまでの10キロ以上の通りです。駅あたりに大宮町はなく、やはり四条大宮駅とするのは正しい。
 ちなみに東西幹線の四条通は、祇園八坂神社の楼門から、一般には西は桂川を渡った松尾大社までのほぼ10キロの道路です。阪急電車は西院駅の手前から四条通の地下を真東へと走り、大宮も烏丸そして河原町の各駅は四条通の地中にあります。

 さて河原町駅ですが、これが混乱しています。京都外の方のみならず、市内在住の若者までもが、「河原町という名の町があるのでしょ。場所は高島屋のあたり」。そう思っている方が実に多い。驚きですが、河原町という町名はありません。河原町通が正しいのです。
 ここで注意ですが、京都では通りをいうのに「通」だったり「通り」と書いたり。どちらでもいいのです。それでわたしも統一しておりませんがご容赦ください。
 河原町通は、北は下鴨神社近くの葵橋西詰から十条通までの南北を走る10キロ近い、やはり長い通りです。河原町駅という現在の呼称は、やはり横着な駅名です。

 さて新駅の名について、四条烏丸と四条大宮は賛成です。現河原町駅は、阪急のいう「京都河原町駅」はおかしい。地元商店街が提唱しておられる「四条河原町駅」が正しいのですが、京都を駅名に付けたいのであれば、長い名だが「京都四条河原町」かな、と思ったりします。しかしあまりに長い。三菱東京UFJ銀行なみです。
 そもそも京都の繁華街に、電車に乗って来る方に向けて「こここそ京都の河原町です」などとアピールするのも変です。駅名に京都などなくとも、乗客全員が京都を目指しています。阪急京都線はまず南境界の洛西口駅、そして桂駅も西京極駅も西院駅もみな京都市内です。
 西から順に、四条大宮駅、四条烏丸駅に変更なら、どう考えても「四条河原町駅」になるのが自然だと思えて仕方ありません。
<2013年4月7日>
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犬と人間(2) 兜の犬

2013-04-02 | Weblog
 春日大社の国宝甲冑(かっちゅう)が修理を終え、4月14日まで宝物殿で公開中です。「黒韋威矢筈札胴丸」ですが、「くろかわおどしやはずざねどうまる」と読むそうです。南北朝時代に楠木正成が奉納したと伝わる立派な甲冑で、興味深いのが兜(かぶと)の鉢内側鉄板に、たがねで「大」の字が彫られていたということ。3月29日京都新聞夕刊に、甲冑全体と「大」字の写真がカラーで載っていました。
 ところが「大」字の上部は傷んでおり、もしかしたら「犬」字ではなかろうか? 「まさか武将が頭にかぶる兜に犬字のはずがないでしょ!」と、どなたも思われるはずです。しかし「犬」かもしれない。

 犬張子(いぬはりこ)という人形があります。張り子細工の玩具です。形と模様は抽象化されており、犬の胴には梅や牡丹などが美しく描かれている。室町時代から公家の産室のお守りとして出産の前後、母子のかたわらに置かれました。皇室では現在も、お伽犬とか犬筥(はこ)と呼んで、箱形の張り子の犬を置くそうです。
 公家の習俗であった犬張子人形が民間にひろまったのは江戸後期で、嫁入り道具にも加えられ雛壇にも飾られた。「犬」は母体と乳幼児を守り、魔除けであると信じての習俗です。後には縁起ものの置物として普及します。

 妊婦は妊娠すると腹帯・岩田帯を巻きますが、正面には「犬」字を書きます。犬印の腹帯です。妊娠5カ月目の戌(いぬ)の日に初めて巻く地方が多い。俗に「犬の産が軽いのにあやかって」とかいいますが、本来は胎児と母体を「魔」から守るための犬字です。
 赤ちゃんが誕生すると初宮参りに、生児の額に墨か紅で「犬字」を書く。「あやつこ」です。もとは鍋墨でしたが、犬とともに×字もあります。弥生時代の剣は、×が刻まれたものがたくさん発掘されていますが、これも魔除けだそうです。

 神社には狛犬が鎮座しています。いまはどこも石像ですが、古くは木製でした。神殿の階段上の縁側とか本殿室内に本来は置かれました。いまでも本殿を覗き込むと結構、木造狛犬が座っているものです。『徒然草』に出て来る丹波出雲神社の狛犬も、子どものいたずらで向きを換えられていましたから、石ではなく木です。
 狛犬は魔除けの代表格です。魔が神域に入りこまぬように見張っています。もともとは本殿内に鎮座していたのが、後に石造になって雨露に耐えるからと、屋外に出されて広域を守護するように守備範囲を広げられたのだろうと思います。

 魔をさける象徴は「×」であったのでしょうが、漢字が使われ出してから犬字が増えたのではないか。夜中でもかすかな物音や不審な侵入者などを敏感に察知する。番犬は魔の侵入を防ぐ番をする犬です。

 そんなこんなで、春日大社の兜の字は、犬ではなかろうかと思うわけです。ところが同日の読売新聞の記事では、「大字を兜内側に彫った同時期の甲冑がもうひとつある。岡山の林原美術館所蔵の「紺糸威胴丸」こんいとおどしどうまる、という重文甲冑」
 アヤツコも読みかえしましたら「額には×、犬、●、大などを書く」。これにも仰天です。「大もあるではないか!」。大と犬、自信がなくなってきました。これも宿題です。
<2013年4月3日>
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