ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

<風と空気> 前編

2012-07-18 | Weblog
 オスプレイ型扇風機が今夏登場した。米軍が日本国内に配備しようとしているヘリ飛行機によく似ている。回転する羽根、プロペラは真上の天井に向くし、正面に方向転換して首を振って風を送る。上や斜め向きはクーラーからの冷気を拡散するのが目的で、空気循環に効率的なのだそうだ。この夏も暑さ本番を迎える。電力需給はいったいどうなるのであろう。
 この扇風機は節電を目的に開発されたのだが、設計にかかわった工業デザイナー氏は「自慢の傑作オスプレイ扇風機です。1台いかがですか?」。しかしわが家にクーラーはあるが長年動かせたことがない。いつも窓を開け放って、「がまんがまん」をモットーに自然の風を招いている。彼には丁重にお断りした。居酒屋例会でのオスプレイ談義であった。

 ところで<空気>だが、「その場の空気を読まなければいけない」と若者までもが説教口調で度々話すのには閉口する。自分の考えや意見でなく、その場その場、仕事や友人仲間の場において、何よりも大切なのは「その場の空気を読むこと」。そのように確信している方があまりに多い。風をいくらか送り込むならまだしも、ひとの顔色ばかりみて、淀んだ空気のなかで自己の主張をなおざりにする。
 風見鶏ならまだ堂々と風上に向かう。旗色鮮明なだけに立派な姿勢かもしれない。空気読鳥は風見鶏の風下に着座すべきであろう。ところでわたしなど、これまで天邪鬼の異端鳥のような生き方を通してきた。場の空気など読む習慣も器用さもなく「読むなら天の大気、気象や偏西風や天気図や」などと気象予報士のようにほざいて来た。挙句の結論が現在であるが、熱心に空気を読むくらいなら風を呼べ、などといまも思う。

 山本七平著『「空気」の研究』(文藝春秋)に戦艦大和の<空気>が出て来ます。あまりに無謀な沖縄戦への大和出撃について、山沢治三郎中将・軍令部次長は戦後「全般の<空気>よりして、当時も今日も大和の特攻出撃は当然と思う」
 海も船も空も知り尽くした超エリートの専門家集団の意見を集約した挙句、また昭和16年以降、ずっと戦い続けた相手の実力も十分に把握しての結論である。何の友軍の援護もない大和の裸出撃であった。
 出撃には戦略的必然性はない。この判断には何の科学的データもない。論理的にも科学的にもこの出撃を肯定する判断はありえない。大和出撃は、<空気>が決定したとしかいいようがない。
 最高責任者の連合艦隊司令長官の豊田副武大将は後にこう語っている。「戦後、本作戦の無謀を難詰する世論や史家の論評に対しては、私は当時、ああせざるを得なかったと答うる以上に弁疎しようと思わない」。「そのときの<空気>を知らないものの批判には一切答えられない」
 
 大和出撃のみにかかわらず、空気は特に日本において、まことに大きな絶対権をもった妖怪である、と山本七平氏は記している。
<2012年7月18日 続く>
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