ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

春歌

2012-07-09 | Weblog
 いつもこのブログを読んでくださっているナーガさんからコメントが届きました。「近ごろの若者は不思議なことに春歌を歌わない」。セクハラと指弾されることを恐れる男子のひとつの象徴なり現象でしょうか。不人気な春歌のことが気になります。
 有馬敲さんの著作『時代を生きる替歌・考―風刺・笑い・色気』を紹介します。2003年に人文書院から出ましたがいまも新本で入手可能。

 つらく単調な労働、農民や炭鉱夫など重労働者の民謡に猥雑な替歌が多い。疲労や眠気をさまし、仲間たちとともに笑って元気を得る。またそれだけでなく、神を喜ばせ笑わせることで、あらたな生命力や豊穣や時間の更新がもたらされる。そう信じてもいた。若い男女が夜なべ作業するときには揃ってうたったというから、実に楽しい。いくつも紹介されている春歌から、わたしのお気に入りです。

 臼のもと引き 大人にさせて 若い十七が 引きまわす
 あんたならこそ 元まで入れて さしてくれます 商売を
 娘十七八や 根深の白根 うまい所に 毛が生えた
 若い娘と新造の船は だれも見たがる 乗りたがる

 近ごろカラオケ・ボックスで「君が代」が歌われているそうです。十代や二十代の若者が愛唱しているというのには驚きます。ある通信カラオケ会社の調査では、手持ち全27000曲の内、2000番目くらいの順位だという。
 かつて君が代が演奏されたのは、大相撲の千秋楽くらいで「君が代は相撲協会のテーマソングでしょう?」と勘違いされたりもしてした。それだけ国民が「君が代」に接する機会が増えたのでしょう。その「君が代」に替え歌がある。
 つぎに紹介する「ひめがや」という「君が代」の替歌は、明治26年の新聞「團團珍聞」に掲載された。文部省が「祝日大祭ならびに楽譜」として「君が代」ほか8編を官報で公布した直後である。

 娼(ひめ)がやへ 千夜に八千夜に かよう身の のろけとなりて 白痴(こけ)のむすまで

 有馬氏は戦前において「君が代」替歌は非常に珍しい例という。明治時代の替歌資料を、ある大学図書館の地下倉庫で探しているときに偶然発見した。彼は「当時の民衆のおおらかさの一端が垣間見られる」、そして「なにか大きな発見をしたような気になった」
 明治38年(1905)、松岡荒村が「君が代」を論評した著作は「安寧秩序を乱す」として発禁処分になった。松岡はつぎのように記していた。
 「君が代は千代に八千代に」はきわめて陽気でおめでたいうたい出しだが、三句以降は一転、死物に過ぎない冷たい石を持ち出し、陰気な苔で締めくくるという寂寞感がある。

 戦前戦中は「君が代」替歌は不敬罪であった。しかし戦後、替歌春歌として再生する。一例をあげてみよう。

 キミが酔うは~~~ア 弥生に八千代を差され~エ 意思の嫌世(いやよ)となりて~~~エ 腰の抜けるまで~~~エ (詩人会議編アンソロジー『日本国憲法とともに』2000年所収)

 ちなみにこの替歌は、1970年代に劇団「わらび座」が奄美大島にやって来たとき、団員のひとりが懇親会の席上で歌った。弥生も八千代も焼酎の銘柄。その後に地元では定着し、入学式や運動会、卒業式でもうたわれ続けたという。
 いまカラオケで若者が歌っている「君が代」は替歌であろうか。もしそうであれば、日本の潜在活力も捨てたものではない。
 「君が代」誕生前夜から変遷史を追えば、タブー化しつつある「君が代」の再生や時代の深相に迫れるかもしれない。『替歌・考』は一助になりそうです。
<2012年7月9日 もうひとつのコメント「青」も宿題です>

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