ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

進駐軍のデペンデントハウス 後編

2012-07-16 | Weblog
日本各地に構えられたDH敷地内には幼稚園も小学校もありました。いずれも広大な土地です。当然広い運動グラウンドがついています。中学生以上は米国の寮付き学校に入ったり、祖父母や親戚宅に居候したのでしょうね。
 オフィサーズクラブという将校倶楽部のあるクラブハウス、スーパーマーケットのPX、診療所、美容院に床屋、自動車修理工場、ガソリンスタンド、消防署、門衛所や交番など。大規模な住宅地には教会礼拝堂、大きな劇場などもありました。劇場には2規格があり、小さいものでも225人収容、大型の建物は1000人分の座席があったといいますから驚きです。
 PXはいまの日本のスーパーマーケットと同じで、何でも揃っていました。生鮮食料品、果物、野菜、肉。缶詰、飲み物、日用品、雑貨などなど。当時の貧しい日本人からすれば、別世界の天国のような景色でした。なおPXの正式名称は、COMMISSARY POST EXCHANGE。酒保(しゅほ)と和訳されますが、コミサリーは軍隊の糧食販売店です。
 東京では銀座の松坂屋と和光のTOKYO PXが有名です。基地内やDH街には一般日本人が立ち入れませんので、街のなかにあったPXを外からながめるのが日本人にはたいへんな驚きでした。大きな紙袋一杯に食料品を詰めた兵や婦人が、PXから出てきます。満足な食にありつけない時代ですから、日本人はみなよだれを垂らしそうになったものです。京都は大建ビル(現ココン烏丸ビル)の2階にありました。
 米軍ではPXですが、もとはヨーロッパの軍隊内にあった兵隊酒場から来た言葉だそうです。日本軍はこれを明治のはじめに酒保と翻訳しました。自衛隊の基地内や駐屯地、自衛艦内の売店は、いまも酒保とPXだそうです。海上自衛隊は酒保、陸上自衛隊はPXと呼んでいます。日本帝国陸海軍の時代からさっぱり進歩していませんね。
 PX列車というのもありました。地方に小規模で進駐した将兵家族には満足のいくPX施設がありません。それで専用列車に食料品や日用雑貨を積み込んで、京都からは舞鶴や小松の基地などに鉄道で向いました。駅に到着する日時を先に連絡していますから、たくさんの兵や婦人たちが待ち構えていました。当然列車には大きな冷蔵冷凍庫を積んだ一両も連結されていました。

 ところで一般兵は単身赴任で、カマボコ型兵舎に居住しました。農地に並んでいるビニールハウスを大きくした、もっと丈夫なつくり。なかにはベッドが整然とならんでいました。アメリカの軍隊を描いた映画にはよく出てきますね。居住者は独身の若者が多いのですが、家族を故郷に残してきた下士官などは、早くアメリカに帰りたかったでしょう。

 新築の住宅と接収された日本人の個人所有住宅が将校用家族住宅にあてられましたが、GHQの修理工事仕様にはつぎのように書かれています。
 「室内を明るくするように内部天井、壁、木部に明るい仕上げをなすること。この意味において室内各部は監督将校指示に基づき白色または明色を塗装すること」
 戦災被害にあわずに焼け残った豪邸の各部屋は、畳をはがしてみな土足の洋間になり、壁も天井も白いペンキが塗られてしまいました。日本が誇る伝統建築の数寄屋内装、書院座敷、床柱などすべてが、真っ白のペンキ塗りになってしまったのです。

 ところでDH街に住む将校の奥さんですが、毎日時間を持て余していました。どの家にもメイドがついています。日本人の女性が掃除も洗濯もベッドメークも家事すべてををやってくれます。費用負担はする必要がありません。日本政府が支払っていました。メイドが雑用をすべてこなしてくれます。また幼い子どものいる家では、子守りのベビーシッターもメイドがつとめます。将校婦人は昼はクラブハウスでダベリング、夜は各住宅やクラブハウスでパーティの連続。しかしアメリカに帰国すればたいへんです。メイドを雇うことはまず不可能で、家事や育児に追われるからです。
 なお日本人の女性メイドですが、DH内診療所に勤務する看護婦も、みな数週間の訓練を受けてから配属されました。米語だけでなく、アメリカ人の生活スタイルやマナーを知らなければつとまらないからです。研修はメイドスクールとよばれたそうです。メイドの勤務は夕方の5時まで。夜は主婦が主体になっての家族や友人たちとの時間です。昼ご飯は主婦仲間たちとクラブハウスでとり、昼間は何もすることがないアメリカ人の主婦ですが、夫が帰宅する夜になってやっと活躍します。ディナーつくりも主婦の大切な仕事です。その辺は日本人とずいぶん違うようですね。
 ところで将校家族用クラブハウスですが、DH街には必ず建てられました。目的はまず社交と慰安。つぎに運動で、もうひとつが修養と娯楽。この3点とされていました。室内にはダンスホール・談話室・食堂・バー・カード遊び室・図書館・室内運動場など。屋外にはプールやテニスコートまで揃っています。また遠来客の宿泊用に、ゲストルームもありました。小規模なクラブハウスでも建て坪338坪、最大で1328坪もあったというから驚きです。
<2012年7月16日 南浦邦仁>
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