ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

中国という不可解な国

2010-09-28 | Weblog
 尖閣諸島問題で、日中関係がこじれている。南シナ海でも、東南アジア各国と中国はもめている。釣魚島およびその周辺諸島(尖閣諸島)は昔から中国固有の領土であり、日本は謝罪と賠償をしなければならないと、彼の国は主張しています。
 中国人の考え方には、まずほとんどの日本人は、ついていけないのではないか。あまりにも考え方の土俵が、違いすぎます。

 「アメリカ軍の情報収集」の関係で『石田英一郎全集』卷3を読んでいて、興味深い記述「日本人とは何か」に出会いました。
 世界的にみて、自分の失敗や非を認めたり、「すみません」と謝ることは、無条件降伏を意味する。そんなことをしたら、何をされようと文句を言えない。
 本多勝一も「たとえ何か失敗しても、断じてそれを認めてはいかんのである。百円のサラを割って、もし過失を認めたら、相手は弁償金を千円要求するかもしれない。だからサラを割ったアラブはこう言う。このサラは今日、割れる運命にあった。おれの意思とは関係ない」

 日本人なら、ただちに言う。「まことにすみません」。さらには「わたしの責任です」。それが常識で美徳だからである。しかしこのお人好しは世界に通用しない。フランスなら「イタリアのサラならもっと丈夫だ」。中国でも相手に謝罪を要求しても、自らは決して謝ったりしない。
 お菊さんの皿屋敷怪談は、日本特有の伝説のようです。彼女も主張すべきだったのです。「しっかりした保管庫をくださっていれば、たった1枚ですが紛失などなかったはずです。またわたしが割ったと言う方があるそうですが、証拠はどこにありますか? 一切存じ上げません」。お菊は、日本人の典型だったのです。あまりにも彼女が哀れです。浮かばれませんよね。

 ところで海外ですが、ささいなことや弁償事件になりそうもないことでは、彼らは日本人よりも軽くしばしば言う。「Excuse me」。相手の体に触れてしまったり、ゲップをしたなど、「すんません」を常用する。それは、自らに害が及ばないから多用する、智恵としての習慣語なのです。

 京都人も「すんまへん」を乱発します。地方人からいじめられる歴史が長かった土地です。そのように軽く言っておけば、被害を被らずにすんできたのでしょう。こころのなかではベロを出しており、謝罪の気持ちなど毛頭もありません。面従腹背、カエルの面にションベンですよ。少し過激な表現になってしまいましたが。
 遅刻した舞妓さんは席に着くと「お~きに、すんまへーん」。この京都弁・花街ことばも不可解ですね。ちなみにこの場合の「お~きに」は感謝ではなく、大変、非常に、大きに「おぅきゅーに」という意味の副詞です。「すんまへ~ん」は申し訳ないという言葉ですが、非常に軽い。謝罪ではない。「(ちょっとだけ)遅れて来た分、今晩は旦那はんたちのため、うち一生懸命(ちょっとだけ)、気張らせてもらいますよって」。そのていどの愛想ことばのようです。

 世界中どこに行っても、負けそうなとき、自分が不利な状況に追い込まれそうなとき、謝らずに自己主張を貫き通すのが当然過ぎるほど、当たり前なのだそうです。
 交通事故で自分に責任があるのが明らかでも「おれに責任はない。わたしは悪くない」と、彼らは主張する。日本人は悪くなくとも、つい言ってしまう。「すみません…」。この言葉は謝罪と取られ、当方に責任があると、相手にも海外の裁判所にも判断されてしまうのです。

 そのようなお人好しの日本人だが、世界にはわずかだけ似た例があるそうです。ニューギニアのモニ族とエスキモー。石田は本多の話しから「異民族の侵略を受けた経験が多い国ほど、自分の過失を認めない。日本人やエスキモーやモニ族は、異民族との接触による悲惨な体験の少ない、たいへんお人好しの、珍しい民族である」
 世界中を探検して回った中尾佐助は、ニューギニアやエスキモーの話しを石田から聞きこう言った。「日本こそ、世界最後の秘境だろうね」。本当にそうですね。

 中国人の尖閣諸島問題での強硬姿勢は、なるほど理解できそうです。「中国の領土だ」と強硬に言い続けなければ、彼の国は明らかに負ける。
 今回の尖閣諸島事件について、雑誌で賛同できる記事をみつけました。「週刊ポスト」10月8日号です。
 少しでも妥協すれば、中国はますます日本を威圧し、恫喝し、東シナ海はなしくずし的に中国に支配されてしまう。日本の船は航行の自由さえ奪われ、中東に匹敵する埋蔵量もあり得ると見られている海底資源も奪われる。いま重要なのは、1ミリたりとも譲らない覚悟で臨むことだ。~櫻井よしこ氏に、パチパチです。

 追伸ですが、中国と言う呼称、国名について。正しくは、中華人民共和国ですよ。英語では通称「China」。People’s Republic of China、略して PRC だそうです。わたしたちは中国―中華の国と呼ぶのを止め、中華人民共和国あるいはPRC、または語源である始皇帝の秦シン「チャイナ」などと言うべきだと思います。わたしは、チャイナを選びたい。いかがでしょうか。なお漢字の支那は、禁止語だそうです。
<2010年9月28日>
コメント

アメリカ軍の情報収集 №2

2010-09-26 | Weblog
 帰国した岡正雄は戦時中、官立の民族研究所を創設し、日本の植民地政策に関与した。戦後になって、このときの彼の戦争協力責任を指摘する声がある。しかしよくみれば、彼は二重に戦争に協力している。帝国日本と、もうひとつは宿敵のアメリカ軍である。
 米軍はウィーン大学が所蔵していた論文「古日本の文化層」を手に入れ、精読した。日本という特殊な国の異人たちとその制度を、理解しようとしたのである。
 民族学というマイナーな学問。ところが学究の異才は戦中に、積極的に日本に、そして預かり知らぬところでアメリカにも、貴重な貢献をしたのである。現代なら文科省や大学どころか、出版社も一般の読者も見向きもしない民族学(文化人類学)という学問が、戦時には有益で貴重な宝物であったのである。時代は、皮肉である。

 なお岡の日本での戦争責任は問えないと、わたしは思う。かつて、住井すゑの文学者としての戦争責任の問題を考えたことがあるが、非常時にはすべてといっていいほどの、だれもが「わたしは戦争に一切、協力していない。責任はない」などと語ることは、できなかったはずである。戦地でも内地でも、刑務所にでも入っていない限り、まず全員が戦争を肯定せざるをえなかった。反戦や非戦を唱え、戦争を否定批判しそれを公然と表明すれば、逮捕されるかあるいは狂人として病院に送り込まれる。そのような異常な時代であった。

 岡は敗戦直後、学界から離れ、信州安曇野の一寒村に一反七畝の水田と一反五畝の畑を借りて、自給自足の一零細農としての生活を営む。
 彼はすべての研究資料をウィーン大学の研究室と下宿に残していた。貴重な論文「古日本の文化層」の控えも手元にはない。
 日米英開戦の前年、1940年の晩秋に一学期の休暇をもらった彼は、日本に一時帰国する。その間に独ソ戦が勃発し、彼はついにウィーンに帰る機会を失ってしまった。トランク一つ携えて日本に帰国し、一切の書籍、原稿、資料はウィーンに置いて来たためにその後、戦争の期間を通じ、戦後にいたるまでこの「論文」第二部の仕事を続けることは、まったく不可能となった。身辺には必要な文献や資料は何一つなかったわけで、「このことは一面なにか、この仕事の長い因縁から解放されたような、未練のないさっぱりした気持でもあった」。学究生活に戻る気持ちも失せていた。

 ちなみに戦後何年かたってからわかったことだが、彼がオーストリアの下宿に残してきたものはすべて、ウィーンの日本総領事館に移され、厳重に保管されていた。しかし1945年の爆撃で、総領事館の建物とともに灰燼に帰してしまっていた。だがウィーン大学の研究室に残してきた論文や資料は、幸いなことに疎開され無事であった。ただ当時、彼は知るすべもなかったのだが。
<続く 2010年9月26日>
コメント (2)

アメリカ軍の情報収集 №1

2010-09-23 | Weblog
 第2次世界大戦末期、1945年4月13日にウィーンは陥落した。長年にわたってナチスドイツに占領されていたオーストリアは、連合軍によってやっと解放に向かう。
 その数日後、アメリカ軍将校の文化人類学者が、ウィーン大学に向かった。疎開されていた同大学の貴重資料の入手が目的である。欲しかったのは岡正雄(1898~1982年)の論文である。「古日本の文化層」Kulturschichten in Alt-Japan という博士論文は、ドイツ語で書かれた全6巻1452頁の大冊。印刷出版されておらず、タイプ打ちのこの書しか世に存在しない。
 米軍は全冊を複写するためにタイプライターチームを6組つくり、大至急で複製本を作り上げた。おそらく二部作成であろう。6組チームは6巻に対応するためである。原本は複製本の完成後、大学に返却された。

 岡は戦前、のべ10年ほどウィーンに留学し、ヨーロッパにおける日本研究・日本学そのものを大きくかえた。彼は傑出した民族学者として、ヨーロッパの学会で評価されていた。「幻の名著」とよばれた論文は、日本文化と日本人を理解するための、最高の書と当時の関係学者たちは認知していたのである。しかし本は、1500ページほどの大冊がウィーン大学に一組あるだけである。

 ところで米軍は、日本軍人の特殊さが理解できなかった。日本の特攻隊は現代イスラムの自爆テロに等しい。「天皇陛下万歳」と叫んで身命を無にする。アメリカでは大統領万歳などといって、いのちを捨てるバカな兵はひとりもいない。
 また日本兵は捕虜になることを潔しとせず、自決していく。ところが生きて虜囚となってしまうと、たくさんの軍人たちが、一転して米軍の忠実な下僕になる。仲間を売ることになる機密情報を、ペラペラと饒舌なほどにしゃべる者も少なくない。
 一体、日本の将兵あるいは日本人という異人は、何者なのか? この特殊なガイジンたちを理解し、現在継続している日米の戦闘、そして数ヵ月後に近づいている戦争の勝利終結と、占領政策に生かさねばならない。日本人の不可解さを理解するために、「古日本の文化層」は、当時いちばん重要な文献であると米軍は判断した。

 この論文は、いまでも印刷も出版もされておらず、タイプ打ちの独語原文を読むしかない。同書は目次だけが戦後、日本語で公開された。日本文化の基層を、先史時代から考察する論文の目次の一部をみると、神話、昔話、宗教、天皇。食料、生業技術、住居、衣服装飾、武器、交通、工芸。社会、相続、結社、成人式…。多岐にわたる。それらを精読した米軍は、日本人を理解した。彼らは、そう確信した。

 1958年にウィーン大学日本学科に入学した、ヨーゼフ・クライナーは記している。日本学科のスラウィック助教授は新入生を、まず民族学研究所の図書室に案内した。そして本棚から卒業論文独特の黒い表装の、読まれてボロボロになった本を手に取って言った。「君たちが日本のことを勉強するなら、この本を聖書にしなさい」。それが1933年、ウィーン大学に収蔵された論文「古日本の文化層」である。いまも同大学に保管されている。
<続く 2010年9月23日>
コメント

電子書籍元年2010 №15 「本が売れない!」

2010-09-20 | Weblog
 東京から出張で来られた出版社の方が、開口一番「本がさっぱり売れません!!」。彼の社は専門書、それも高額な多巻冊本が多い。そのような本だから、低調なのは仕方ないかとも思った。しかし「どこの出版社の連中に聞いても、みな同じように嘆き、悲鳴をあげています」。一般書版元も苦しいが、図書館や大学の購入に頼る出版社は、危機的状況を迎えているという。それらの本の印刷部数はたいていが、わずか数百部である。それが売れない。近ごろ出版業界には、悲壮さを感じることが多くなってしまった。

 「週刊ダイヤモンド」9月18日号が、私立大学特集を組んでいます。「壊れる大学・大学財務状況一挙公開」。全国私大が実名で、危機度順にランキング掲載されている。この特集に載った私大各校の教職員に、衝撃が走りました。壊れかけている学校、倒産解散寸前、身売りしそうな大学…。そのような評価特集号です。
 在籍学生や親や卒業生、学校近隣の住民や行政や交通機関、正門前のコンビニや学生マンション経営者などにも、閉校や移転してしまうかどうかは大問題です。
 私立大学の多くが定員割れ状態にあり、財務内容が急激に悪化しています。まだまだ続く18歳人口の減少。苦しい大学は教職員を減らし、無駄な出費(図書館や教員の書籍購入費など)を削減してしまいました。役にもたたぬ本など、これまでのように潤沢に買っていられない、そのような大学が増えています。
 この傾向は、私大だけではありません。国公立大も予算が減り、また来年度からは一段の引き締めがはじまりそうです。官立では人件費を減らさずとも、無駄で不用不急の図書購入など、適当でいいとされる。大学の文化や学術、教育そして研究はどうなってしまうのでしょうか。

 公共図書館は1970年ころ、全国にわずか800館しかなく、あまりの少なさに「ウソ800!」と揶揄されたものです。しかしその後、新設ラッシュの時代を迎え、1990年代に2000館をこえ、2006年に3000館を達成。しかし増加傾向もこのあたりまでで、3100余館でほぼ止まってしまいました。
 町村合併も図書館に逆風でした。これまで村町に図書館がなく不便な地域があった。またわが町や村の文化度の低さに、恥ずかしい思いをしてきた住民が、合併によって「わが町には図書館がある!」。突然、図書館が誕生?してしまったのです。笑えない笑話です。
 新設が珍しくなり、公共図書館数が3100館そこそこで止まってしまったのは残念です。しかし問題はむしろ、各館の予算が減らされていることです。出版各社は図書館需要にも頼っていました。全館が1冊ずつ購入すれば、3000冊以上が見込める。3分の1でも1000冊である。
 また指定管理者制度の導入が最たる例ですが、図書館はコスト削減にばかり眼が向いているようです。これまで順調に伸びてきた利用者増、もったいないほどの高度なサービス、貸し出し冊数の増加、どれもが頭打ちあるいは減少してしまいそうです。
 たいていの図書館は学校も公共も、予算の不足で本が十分には買えないのです。出版不況の原因は、ここにもあります。ほとんどの自治体にとって、図書館サービスなど大きな課題ではないのが現状です。

 神戸に「みずのわ出版」があります。柳原一徳さんが実質ひとりで営む、良書発行で定評のある、こだわりの出版社です。柳原さんが8月に送ってこられた文を紹介します。
 「元々大して売れなかった(それでも、そこそこ売れてきたはずの)本がますます、否、劇的に売れなくなった。商業出版として成り立たなくなってきた。これは事実です。いつまでもつか、わかりません。町の本屋同様、地方・零細の版元もまた絶滅危惧種です。」

 ところで、電子出版はなぜ騒がれるのでしょうか? ひとつには、苦境にある東京の大手出版社が、「もしかしたらアイパッドやキンドルが、われわれ出版社の救世主になるかもしれない」。ワラをもつかむ気持ちで神仏相当のPDA携帯情報端末にすがる、そのような姿にもみえます。「生き残るためには何でもやる」、危機感が出版業界を覆っています。

 みずのわ出版が危機を突破し、安定と発展を取り戻されることを祈ります。見守り応援します。ほかの同様の出版社にも、書店にもエールを送ります。打開策を考え抜きましょう。おそらく、進化するよりほかに道はない。環境の激変に対応できなかった恐竜は、滅び去りました。しかし、わたしたちの祖先であるネズミがごとき哺乳類は、生き残ったのです。そしてわたしたちは、いまここにある。
<2010年9月20日>
コメント

電子書籍元年2010 №14 インターネットと脳

2010-09-19 | Weblog
 電脳という語は、いまでは化石のように眼に写り、死語のごとく耳に響きます。電子頭脳の略で、コンピュータの訳語でした。日本の法律ではコンピュータの正式訳語は、いまでも「電子計算機」だそうです。
 コンピュータが大進化を遂げ、インターネットがわずか10余年にして、われわれに不可欠な情報インフラになりました。現代では電子の頭脳が、人間の頭脳に大きな影響を及ぼしているのではないか?

 例えばネットサーフィンやハイパーリンクをしていると、わたしたちの眼は、この情報が必要か? 自分にとってどれほどの価値があるのか? 不要な情報か? キーワードを追い、斜めに読み飛ばしながら、短時間で判断し、取捨選択しています。
 情報は大洪水をおこしています。あまりにも多すぎる。玉石混交のなかで、パッパッと必要な項目を決めているわけです。この現象を、ニコルス・G・カーは一種の中毒だと記しています。
 ウェブ使用率の高いひとほど、長い文章に集中することが苦痛になってくる。わたしの拙いブログでも、「もう少し文を短くできませんか? 長い文章は読む気が失せます」。何人にもいわれました。液晶ディスプレイなどもつらい原因でしょうが、確かに機械上の文字は読むと疲れます。もしかしたら、片瀬文のつまらぬ内容と文章力をいっておられるのでしょうか。いずれにしろ、やはり紙の本が、いちばん長時間集中できます。

 ネットの大陸を飛びまわっていると、どうも脳の回路、思考の仕方が変化しているようだ。人間の脳は高速データ処理機のようになり、人間の生理的脳は電脳化してしまうのではないか?
 そのために、大量のウェブ情報を追いかけるひとほど、長いひとつの文をじっくり深読みできなくなってしまう傾向がみられる。ニコルス・カーの見解です。

 アメリカでは、余暇時間の30%をネットに費やしている(19歳~55歳調査)。中国人がもっとも熱心なネット・サーファーだが、同世代者は非就労時間の44%をインターネットにあてている。なおいずれの調査も、メールの時間は除いている。

 ネットというマルチメディアはコンテンツを断片化し、わたしたちが集中する力を低下させるといわれています。しかしネットの大量の情報は多岐にわたる。瞬時にたどり着くことができ、すごい魅力に溢れている。紙の本や雑誌は、このネットの魔力に打ち負かされている。
 アメリカの2008年読書調査では、紙の本や雑誌などの印刷物を読む時間は、週わずか49分。1日7分である(25歳~34歳)。14歳以上の平均的アメリカ人で週143分。1日20分ほどであった。

 リンクやサーフィンで気が散ってしまうネットではなく、落ち着いてじっくり、本なりの情報を「深く読むとき、われわれの脳のなかでは、豊かな結合が生じるのだが、これを生み出す能力が、オンラインでは大部分、停止したままになるのである」
 参考:ニコルス・G・カー著『ネット・バカ インターネットがわたしたちの脳にしていること』2010年・青土社刊
<2010年9月19日>
コメント (9)

電子書籍元年2010 №13 日本語という特殊な言語

2010-09-18 | Weblog
 世界のさまざまな言語を見わたしても、日本語の表記は実に特殊だそうです。ユニークなのは書き言葉。漢字<図像・表意文字>と、かな・カナ<音声・表音文字>の併用、ハイブリッド言語ともいう。
 中華の周辺部ではかつて各地にみられたのが、表意文字漢字と表音文字の併用です。朝鮮半島では漢字・ハングルの混じり文だったがその後、漢字は追いやられてしまった。ベトナムなどのインドシナも漢字を廃してしまった。みな表音言語化してしまった。

 日本人には当然過ぎて、この特殊な言語を意識することも少ないが、アルファベット言語を母語としながら、日本語に精通したアメリカ人文学者・リービ英雄さんの記述をみてみましょう。
 リービ英雄氏は本名、リービ・ヒデオ・イアン。ワシントンDCで1950年に生まれた、生粋のアメリカ人である。ヒデオの名は、外交官であった父君が友人のおそらく日本人、英雄さんからいただいたものらしい。
 彼は「万葉集」「古事記」などの研究家だが、小説家としても活躍しておられる。そして驚いたことに、小説はすべて日本語で記述。これまでに、野間文芸新人賞・大佛次郎賞・伊藤整文学賞などを受賞した、特異な才人です。

 「筑摩選書」がまもなく創刊されます。6冊が一挙に同時刊行ですが、その内の一冊はリービ英雄著『 我的日本語 The World in Japanese 』。筑摩書房のプレビューから紹介します。
 日本語の「話し言葉に惹かれるのと、書き言葉に惹かれるのは、明確に違う。ではその違いは何か。/日本語には漢字があり、平仮名があり、片仮名があり、現代ではローマ字もある。…いわゆる「混じり文」だ。/ぼくは「混じり文」に惹かれて、書いたのだと思う。/最初は、無意識だった。無意識のうちに、美しいと思って書いた。」
 日本語を書いたものは美しい、と彼は何度も繰り返す。「ぼくは英語ならタイプで打つが、日本語のワープロは使わない。一度試みたことがあったが「変換する」という行為が嫌いだった。」
 ある言葉を「平仮名で書くのと漢字で書くのとでは、ずいぶん違う。しかしその使い分けができるところが、日本語の豊かさでもあると思う。「選択」という過程が常にある。文字の形そのもの、文字の種類を選ぶという選択は、決められ与えられた英語や中国語にはない。他の言語には、ボキャブラリーの選択があるだけだ。」
 また中国人が日本人を「神経質な国民だ」と評することについて、国民性ではないという。日本語を書くとき、書き言葉のなかに異質なものがあり、その異質を常に同化しようという意識が働く。「神経質」にみえる原因は、この心のはたらきから来るのかもしれない。常に日本語のなかで生きている日本人は、異質の同化を常に行いながら生活している。この特殊言語のこころのなかでの働きが、日本人を神経質にみせるのではないか。

 つぎに内田樹著『日本辺境論』(2009年刊・新潮新書)の日本語論をみてみます。日本人は図像の漢字・表意文字と、音声のかな・表音文字、ふたつを並行処理しながら、言語活動を行っている。この行為は、世界的にみてもきわめて例外的な言語状況であると記されています。
 養老孟司氏に教えられたそうですが、漢字とかなは日本人の脳内の違う部位で処理されている。「日本人の脳は文字を視覚的に入力しながら、漢字を図像対応部位で、かなを音声対応部位でそれぞれ処理している。記号入力を二箇所に振り分けて並行処理している」。日本語表記の言語操作特殊性は、さまざまなかたちで私たち日本語使用者の思考と行動を規定しているのではないか。

 電子書籍の日本語表記には技術的な課題が多いといいます。単純な横書きアルファベットなら、本をスキャンしてテキスト化もかなりの精度でできそうですが、日本語はそうはいかない。ルビも旧漢字も、縦書きもある。そのなかで、日本語使用者の脳は日々刻々と、複雑な作業を繰り返している。
 電子書籍の画面表示には、この日本語の特殊性の理解と反映が必須なのではないでしょうか。読書心理学とか文字・言語心理学とかの新ジャンルの必要性をかつて聞いたことがあります。いずれにしろ、人間のこころ、脳の働きを、文字なり言語から理解しようとする姿勢はつねに持ち続けるべきでしょう。
 そしてマンガでは、絵が表意脳の受け持ちであり、「ふきだし」が表音脳の分担だそうです。電子書籍をささえている大黒柱のマンガ、そしてマンガ脳についても考えてみたいと思っています。
 もうひとつ、インターネットやハイパーリンクが、わたしたちの脳にどのような影響を与えているのか? ニコラス・G・カー著『ネット・バカ』副題:インターネットがわたしたちの脳にしていること(2010年刊・青土社)も興味深い。
<2010年9月18日>
コメント

駅の伝言板

2010-09-12 | Weblog
 昔なつかしい伝言板をみつけました。阪急電車河原町駅、改札のすぐ横にあります。たいていの駅にはかつて、あったものですが、携帯電話の普及とともに役目を終え、駅の板はひとつ、またひとつと消えていきました。10年ほど前のことでしょうか。
 ところが京都いちばんの繁華街、四条河原町の駅にはいまも健在なのです。さすがに白チョークは置いていませんが、新品同様なほどにきれいな板です。きっと撤去せずに、あえて残されているのでしょう。乗降客に目立つ位置で、手入れもよくホコリも積んでいません。いつまでも残してほしい、駅の文化遺産のひとつです。

 孫娘とおばあちゃんの対話を紹介します。
 「おばあちゃん、あの変な黒板は何なの?」と孫娘。
 確かに濃緑一色でなく、縦に線が何本も引かれています。
 祖母は「あの黒板は、デンゴンバン。ここで逢う約束をしていた友達や家族などに、予定が急に変更になって会えないとき、黒板に伝言を書いて、祈る思いで立ち去るの。必ず見てください!と」
 「へぇー、ケータイがない時代は不便やなあ」と孫娘。
 「おばあちゃんが、おじいちゃんと結婚したのは、実は伝言板のお陰なのよ」と祖母。
 「へぇ~、伝言板が仲人さんなの?」と孫娘は驚く。
 「そうなの。あなたのお母さんが産まれる三年前、おじいちゃんとわたしが、はじめてデートする日のこと。この駅の改札前でいくら待っても、おじいちゃんが来ないの。自宅に電話してもだれも出ないし…」。祖母は昨日のことのように語った。
 「おじいちゃんは、デートの時間を間違えていたのかしら?」と聞く孫。
 「そうだったら、おばあちゃんは『はい、さいなら』。悲しくなって帰ってしまったでしょうね。そしたら、あなたは産まれていなかったかも。ところで気がつくのが遅かったけど、伝言板が後ろにあったの。見ると『交通事故にあって、病院に運ばれました。○○病院です』。おじいちゃんのお母さん、あなたのひいおばあちゃんの字だったの」
 「すごい! テレビドラマみたい!」と孫娘は眼を○くした。
 「わたしもびっくりして病院に走りました。すると、あなたのおじいちゃんは意識不明」
 入院した彼氏の母親(曾祖母)は「病院に運ばれる途中、あなたとのデートの約束のことを、もうろうとしながら、何度も何度も繰り返すの。『12時、河原町、駅の伝言板に、お願い』。それでわたしは、意識不明になった息子を病院に預けて、河原町駅の伝言板に向かってタクシーで飛ばしました。着いたのは確か11時ころです。書き込んで「○子さん、必ず読んでね」と祈ったわ。そして大急ぎで病院に戻ったわけ」
 おばあちゃんは孫に話す。「それから毎日、わたしは病室に通ったの。意識が戻ったのは一週間も後。その時、おじいちゃんの手を握り締めて、ふたりして泣いたわ」と語るおばあちゃんの眼には、涙が光った。
 孫娘は伝言板を掌でなで「おおおばあちゃん、デンゴンバンさん、ありがとう」と礼をいった。
 
 この挿話はまったくの創作フィクションですが、携帯電話普及の夜明けのころ、ほんの10年ほどの昔です。ケータイはどのような感動を、いま生んでいるのでしょう。ところで今日はなぜかセンチ。㎝ではありませんよ。
<2010年9月12日>
コメント (4)

電子書籍元年2010 №12 ヌードとポルノ

2010-09-06 | Weblog

 講談社が自社の有力コンテンツであるたくさんのマンガを、アップルの携帯端末「アイフォーン」や「アイパッド」で販売しようとした。ところが、大半の作品がアップルの審査で掲載を拒否された。女性の胸の露出や暴力流血シーンがあるという理由である。ポルノ・エッチ・ヌードに対するアップルの規制は徹底している。

 ドイツでも大問題が起きた。2009年11月、週刊誌「シュターン」のアプリをアップストアは突然削除してしまった。理由は、ヌード写真が多すぎるからである。ドイツの出版社団体は、アップルに強烈に抗議した。ドイツではアメリカのアップル端末を警戒し、独自の携帯端末プラットフォームの普及に国民の眼が向いている。

 政治風刺漫画家のマーク・フィオーレは2009年末、アイフォーン・アプリを立ち上げる申請をアップルに提出したが拒否された。理由は、アプリの開発者が遵守すべき規制(非公開)のうち、著名人を物笑いの種にすることを禁ずる、3・3・14項に抵触するからだという。しかし2010年、フィオーレがピューリツアー賞を受賞すると、さすがに申請は認められた。<「ニューズウィーク」2010年5月26日号>
 アップルCEOのスティーブ・ジョブスは、ポルノ潔癖症で有名である。表現の自由など、気にもかけないひとのようである。表現・出版の自由というが、電子出版に自由はないに等しい。

 また、世界中のすべての書籍をデジタル化しようと目論むグーグルは、著作権を無視することで有名である。傍若無人! この社も、ポルノ・アダルトを嫌う。
 グーグル創業の2年後、2000年に入社したM・カッツの最初の仕事は、ポルノ関係の検索の阻止であった。それは当時、検索結果全体の4分の1を占めていた。解決策はアゴリズム(演算方法)で、典型的なポルノ用語に低い評価を与えることであった。
 そのためカッツが取り組んだのは、ポルノ用語を列挙することである。彼は毎日、延々とポルノサイトをみてまわった。彼の妻も、熱心に用語探しを手伝った。
 グーグルのエンジニアたちも、ポルノぽい言葉を思いつくたびに、カッツに知らせた。そのたびに褒美として、「ポルノクッキー」が思いついた彼らに1枚ずつ与えられたという。そしてポルノサイトは、グーグル検索に引っかからなくなったのである。<ケン・オーレッタ著『グーグル秘録』2010年刊・文藝春秋>

 「グーグル八分」という言葉がある。グーグルが「掲載不適当!」と判断すれば、同社の検索から排除されてしまう。個人、組織名などのキーワード、それらが消去抹殺され、ヒットしなくなってしまうのである。
 わたしのこの項が抹殺される? まさか。しかし村八分になれば、光栄至極です。アップルもグーグルも、危険な存在であることは間違いありません。あるいはアマゾンも、かもしれません。米国の世界戦略は、情報の独占と操作ではないでしょうか? 
 中国本土から撤退したとされるグーグルですが、中国オリジナルの検索エンジン「百度」バイドゥ日本語版をみると、検索結果はグーグルと実によく似ています。密かに手を組んでいるのではないか? 邪推でしょうか? 
 それと、韓国の検索エンジン「NAVER」日本語版は独立独歩。実に楽しい検索項目が並んでいます。
 利用者の多い「ヤフーJAPAN」は近々、グーグルに同化してしまいます。なぜか、日本製オリジナル検索エンジンは、まだない。ユニークな和製ハイブリッドエンジンの誕生を期待します。
<2010年9月6日>

コメント

消えたクマゼミ

2010-09-05 | Weblog
 クマゼミの大合唱「シャワシャワシャワ~」のことを何度も書いてきましたが、ついに鳴き声は消えてしまいました。
 はじめてこの大声に興味をもったのは7月下旬。京都文教大学を訪れたときです。ケヤキに鈴なりになって叫ぶクマゼミに驚いたのがきっかけでした。

 ところが8月31日に同校を訪れ、正門脇の受付で守衛さんと話していますと、「ついにクマゼミの鳴き声が消えましたよ」
 耳を澄ますと、キャンパスは沈黙の世界。セミはチュンとも鳴きません。チュンは雀ですので、シャワともジ―ともミン、二―も聞こえてきません。
 「いつから鳴きやみましたか?」。花木や生き物にくわしい彼は、「2~3日前から声がしなくなりました。8月29日あたりが節目だったようです」

 原因は夏が終わったからでしょうか? いえいえ、そんな訳がありません。真夏の暑さは閉口するほど、ずっと続いています。31日、京田辺市では今夏、国内最高気温、38.9度を記録しました。9月になっても残酷暑の日々が続いています。夜明け前、いくらかしのぎやすくなりましたが、クマゼミがその涼しさで全滅したとは思えません。

 クマゼミ成虫の寿命は、30日くらいという説があります。地上に出たセミは1週間ほどで死ぬと、一般にいわれているのですが、どうも成虫1ヶ月生存説が正しいのではないか? そのように思えてなりません。
 7月下旬から8月早々にかけて、はじめて陽を浴びた成虫は、8月下旬あたりに一斉に命を閉じるのではないか? そうでないと真夏が延々と続く今夏、クマゼミの同時消滅を説明することがむずかしいのでは?

 来年の夏、7月中下旬から9月初旬まで、クマゼミ成虫の誕生から消滅まで、鳴き声の変遷を克明に手帖につけて、調べてみようかしら。しかし1年後、そのようなことは忘れ去っていることでしょう。
 ある方に来年の計画のことを話しましたら、「1年後の7月、宿題を覚えていますか?と声をかけてあげます。安心して、セミのことは忘れてください」。はい、そうしましょう。
<2010年9月5日>
コメント