ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

SF「未来書店物語」 №15 <娘の婚約>

2010-11-29 | Weblog
 片瀬五郎の娘、洋子はもう31歳である。弟の伸介のふたつ上。彼女は食堂兼居酒屋、藤島の若女将として、一応は順調なスタートを切った。片瀬夫妻は「仕事に燃えるのはいいことだが、そろそろ齢のことも考えてもらわねば」とも思う。
 それにしても、洋子は新しい企てを開始するに当たって、コンチャンこと傘寿の近藤大助を藤島の顧問格に据え、町内会の世話人や工務店の安田三郎、そして元市会議員をつとめ地元婦人会を束ねる山本千代までを、ビューティペアの企画改革の仲間に巻き込むことに成功した。
 人間は齢をとれば、たいていが頑固になる。保守的な高年老年者のほとんどが、変化を好まない。また長年月の人間関係のしがらみから「あの人は好きだが、この人は嫌い。口もききたくない」「あの人が来るんだったら、うちは行かない…」「気の合わないひとと一緒に食事したくない」
 仲良くみえる古井町とその近辺の地域だが、人間の記憶や感情は複雑である。ところが洋子はコンチャンを相談役に、住民間の人間関係に精通する彼の智恵と行動で、地域民の多くをまとめあげるという快挙をあげつつある。
五郎は、娘の手腕には正直なところ舌をまく。洋子の掲げたスローガンは「齢はとっても孤独にならず、みんな楽しく助けあおう」

 地元の有力者人脈のひとり、山本千代は片瀬と同じ1950年生まれだが、古井町商店街の銭湯の女主人である。かつて20歳のころ、ウーマンリブの闘士として活躍した都女子大学を代表する学生運動のヒロインであった。30代からこれまで20数年、京都市会議員をつとめた。
 千代は何の間違いか、銭湯を営む夫と結婚したのだが、同じく学生運動のリーダーだった彼氏の「裸哲学」に共鳴したためだろうと、町内のみなはふたりの結婚のころ噂しあった。亭主の言う哲学とは「人間生まれたときはみな裸。貴賎や金や地位もない。その後みな衣裳で着纏うが、全員がなか身は裸。銭湯では全員が産まれたときの姿に還る。みな同じ。亡くなっても三途の川の向こう岸には奪衣婆が待ち受け、衣服を奪う。衣は懸架爺が木の枝に掛ける。ちなみに、ふたりはケンカもせず仲がいいらしい。だからあの世では、みなスッポンポン」 これを「スッポンポンの哲学」と亡夫はよんだ。向こうに行って確認したはずだが、彼の仮説は正しかったのだろうか? 
 スッポンポンの哲学を、客は「番台哲学」と呼んだ。番台から左右の男と女を毎日、眺め続けて到達した境地である。銭湯の番台からしか生まれない思考かもしれない。
 千代は、男も女も、体の構造は少しばかり異なるが、みんな同じ。男も女も変わりない。そのように自己の女性運動の思想を進化させてきたらしい。銭湯のたまものである。
 30代で市会議員に当選し、男女平等と下町の活性化、老人問題に取り組んできた。しかし夫の逝去を機に、前の選挙には立たず、政界を60歳ほどで引退した。いまではほぼ毎日、番台に座って笑顔をみせている。だが彼女のし残した仕事は町の男女、高齢者対策と商店街の再生であった。

 銭湯の仕事は、息子の拓郎が仕切っている。彼は府立京都理工大学の出身で、植物考古学を研究していた。大学院に進学し、学者を目指していたのだが、父親の急逝を機に家業を継いだ。
 「まったく新しい銭湯をつくりたい」 裸の付き合いで町を盛り上げたいというのが、彼の夢であった。小学生以下の入浴料を無料にし、全国でも有数の混み合う銭湯に変身させたのも彼、山本拓郎である。

 「父さん、ヒマ?」 洋子が未来書店に立ち寄った。
 店のすぐ近くで無料の食堂兼居酒屋を営む彼女だが、片瀬の店にはたまにしか立ち寄らない。しかし五郎は週に一度ほど、洋子の昼食堂に有料食を食べに行く。あのおばあちゃんや爺さん、子連れのお母さん、それぞれがつくり持ち寄った料理。日本海で釣って来たばかりの魚の刺身や、天ぷらやパスタ、カレーやおでんなどなどをいただく。最高の美食である。しかし片瀬は夜の居酒屋には足が向かない。気にはなるが、娘が営む居酒屋では酒を飲んでも落ち着かない。

 「父さん、会ってほしい彼がいるんだけど。わたし、そのひとと結婚しようと思ってるの…」
 「……」、ついに来るときが来た……。
 「ええっ…、うん。ええっ…母さんには、話したのか…?」
 「うん。母さんは、彼ならよく知っているからって、気持ちよく賛成してくれたわ」
 妻の文子はよく知っており、しかし五郎は知らない男? 
 「今晩、帰ってから母さんと話して…。その内に…、昼間に藤島に寄るわ…」 片瀬は情けないほど、優柔不断な父である。
<2010年11月29日月曜。この物語はフィクションです。続く>

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SF「未来書店物語」 №14 <居酒屋革命> 

2010-11-27 | Weblog
 ビューティペアの片瀬洋子と、小学からの同級生で親友の森正子は、ユニークな構想を練っていた。昼間、この居酒屋を無料の食堂として、地元民に開放できないか? 食べ放題のバイキングスタイルで、まったくの無料にしてしまう。さらには利用者のおばあちゃんや主婦たちに、お小遣いまで差し上げる。また幼い子ども連れ主婦の保育所も無料でやれないか? だれが聞いても、この構想は夢物語である。
 
 古井町商店街の近辺は高齢化が進んでいる。ひとり暮らしの老人も多い。夫婦暮しであっても、連れ合いが弱り、外出も困難という家庭もある。また老人は食が細い。ふたり暮らしであっても、若者1人前くらいの分量で十分である。
 わずかの量の食事を自炊するにも食材は、数人前を買わざるをえない。大根やキャベツ、一玉や一本の4分の1など売ってもくれない。またつくるにしても、3人前や4人前が出来上がってします。そうすると、毎日毎日同じメニューを食すことになってしまう。だれでも飽きる。
 すると近所のスーパーで、出来あいのパック総菜を一人前だけ購入することになる。たいていの老人たちがそうしている。またコンビニの弁当を求めるお年寄りも多い。

 洋子と正子は考えた。おばあちゃんが、一種類の総菜を5人前でも10人前でも、いっぱいつくり、それを昼に藤島に持ってきてもらう。たとえば5人の老人たちが同じことをやってくれれば、5種類の総菜をバイキングスタイルで食べることができる。
 老人でなくても、子育て専念の主婦でも同様に参加してもらう。子連れで手作り料理を提げて来てくれればよい。幼い子どもたちは店の座敷で遊ばせ、老若取り交ぜて楽しくランチパーティをやればよい。白いご飯とみそ汁は、食堂藤島が用意する。全員が無料の食べ放題である。

 老人や幼児は少食である。これだけの大量の総菜が集まれば、必ず余る。それら手作り料理を夜の部、居酒屋藤島がおばんざいとして鉢や大皿に盛って有料で客に提供する。
 小皿に取り分けられて客が食べる手作り料理の売上代金の半分は、料理を持ち込んだ女性に還元する。小さな貯金箱をいっぱい並べ、箱には調理人の名前シールを貼る。そこへチャリン、チャリンと実売金額の50%が投げ込まれる。一種賽銭箱のようだが、後に婦人たちは「勝手に貯金が殖える藤島銀行」とよぶことになる。
 料理人たちは、昼間のバイキング無料食堂で会話を楽しみ、また貯金箱を振って覗いて喜ぶ。また幼い元気な未就学児や乳児たちと戯れる。「ほんに楽しい、極楽食堂ができたもんやなあ」と喜ぶであろう。
 総菜を持ち込まない一般客も歓迎である。何種類もある大皿から、自分の好みの料理を選ぶ。当然、彼らは全額有料である。一品ごとの価格と料理名は壁の白板にマーカーで日々、更新されている。そして価格の半分が貯金箱に蓄えられていく。
 「この食堂はおばあちゃんの懐かしい昔の味で、安いしメニューが豊富。ユニークな食堂ですなあ。それにしても『これおいしいで、食べてみな』なんて横からおばあちゃんが何人も、自分の手づくり品を勧める店なんて、まずどこにもないですね」。昼の一般客もずいぶん増えて行くことになる。そして彼ら男性たちは夜の部、居酒屋の新規客にもなっていく。

 洋子と正子、ふたりは居酒屋藤島の常連客、長老の近藤大助の意見を聞いた。「おふたり、ようそのような突飛なことを考えたなあ。五郎さんも伸介君も、あんたも、揃いも揃って、実業家になってもらわなあかん。正子さんもな。家で孤独に昼ご飯を食べてる老人が多い古井町と周辺や。これからは、みなバイキングパーティを楽しみにしよるで」
 米寿を迎えた近藤、尊敬の念でみなからコンチャンと親しまれている大助である。近藤はまず古井町町内会長と世話役にこの企画を話した。「人間関係のむずかしさはあるけど、好きや嫌いや言うてても始まらん。棺桶が近くまで来ているんやから、過去のいきさつは忘れて、みな藤島で楽しくやりましょ」「洋子ちゃんのおかげで、元気な井戸端食堂ができるなあ」「わしはテンプラ料理なら玄人なみやで、楽しみにしててな」「釣りが生きがいのおれは、毎週これから日本海の魚を獲ってくるで」「わしは由良川の鮎を獲って来るよって。天然ウナギも釣れるし」 男たちも乗ってきた。
 近藤はもと市会議員だった山本千代にも会った。古井町温泉の女主人だが、夫に銭湯を任せ、もとウーマンリブの闘士は市会で活躍した。
 夫を亡くした後、息子の拓郎が店を切り盛りしている。小学生以下の入湯料を無料にし、全国でも有数の利用客数を誇る銭湯に変身させたのは、彼のアイデアである。
 千代は、近隣の老若女性たちに慕われる、東山区婦人会のドンでもあった。洋子と正子の計画実行には、千代の実力、地域の女性たちに対する影響力が必要であった。
 若い女性の卓越した考えや志、いくら立派でほめられるものであっても、地域住民を動かすためには、これらの実力派老人たちのパワーが必要である。人生の先達たちのアドバイスを得ながら、住民個々人の抱える事情や悩みを知り、娘や孫のごとき関係を一歩一歩と築いていく。洋子と正子のビューティペア、ふたりは近藤大助や山本千代から、人生の知恵として彼らから引き継ぎ事項、極意の人生訓を教えられた。
 居酒屋「藤島」は古井町町内会、そして近隣徒歩圏の町をも巻き込んで、新バイキング食堂をスタートさせる。
<2010年11月27日土曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №13 <「藤島」二代目>

2010-11-25 | Weblog
 古井町商店街の居酒屋「藤島」。先代古井小町の藤島小百合が引退したのは、膝を痛めたのが原因である。70歳前だが、明るく美人の彼女は、いつも常連客サユリストたちの姉か妹、また母でもあった。
 夫とは10年ほど前に死別。子のない彼女は実家近くの山科、内蔵助で知られる大石神社の脇に去ったのだが、町の老人や中高年の常連客たちを悲しませたのは言うまでもない。ファンたちはショボンとおとなしくなってしまい、藤島を懐かしんでひとり自宅で晩酌している男たちを、その妻たちはサユリショック・シンドロームという流行語で井戸端会議の話題にした。
 「何で亭主は、わたしたちより年上の小百合さんがそんなにいいの? 女は齢じゃないの? それとも色気? 老年の美貌、それは何?」、女とは?美とは?年齢とは? 哲学的な話題が、中高老年の女性たちの間で、古井町のなかを日々飛び交った。この町には女性哲学者が多いようだ。

 ところが落ち込んでいた彼らサユリストたちを元気づけたのは、片瀬の娘の洋子である。二代目女将として、30歳の二代目古井小町は藤島を基地につぎつぎとチャレンジしていく。小百合時代の常連たちは、あまりの行動力に眼を見張り、続々と洋子のファンになっていく。洋子たち、ビューティペアが奮闘する「藤島」の新応援団はその後、何倍にも膨れ上がることになる。

 洋子を助けたのは小学生時代からの同級生、森正子である。正子の夫はサラリーマンだが、仕事が忙しく帰宅は毎夜10時ころである。親友の洋子が居酒屋をはじめると言ったとき、瞬時の返事で正子は「ひとりじゃたいへんでしょ。軌道に乗るまではアルバイトも入れちゃだめ。わたしをお手伝いさんにしない? 亭主が毎晩遅いから、9時までなら土曜日曜以外だったら、毎晩手伝いますよ」 洋子も店の営業は夜10時までにする積りだった。土日祝祭日も休む。居酒屋以外にも、やりたいことが一杯あるからである。

 ふたりは新藤島計画をあれこれと練った。まず改良したかったのが、小百合の苦労した階段である。この店の1階にはカウンター10席、そして6畳と4畳半ふたつの座敷がある。2階は座敷が一間で10畳ほど。団体客はみな2階に上がるのだが、アルバイトとふたりで賄っていた小百合は、狭い階段に気をつかいながら、重い料理や酒を抱え、何度も上がり下がりした。膝をいためた原因である。
 洋子と正子は、古井町のゼネコンと、のちに皆から頼られる、安井工務店の三郎に相談した。エレベーターEVをつけたい。当然、ひとの乗れない料理運搬専用の超小型EVだが、機械の価格は高すぎて彼女たちには手が届かない。安井はもともと小百合ファンで、週に3日も4日も店に通っていた常連客である。前々からEVの必要性を痛感し、小百合とも話したことが数度ある。
 何日かして安井はニコニコしながら「洋子ちゃん、ほとんどロハでEVをつけたるで」
 つい先日、安井工務店は祇園の料理屋の建て替え工事を受注した。その店にはEVがあるのだが、主人は「建物がさらになるのを機会に、EVも新調する」
 それで1機、もらい受けることができる。工事は1階と2階をつなぐ、煙突のような空洞箱を三郎がつくるだけだ。大工の安田にとって、朝飯前の仕事である。
 新品EVを祇園の料理屋に売ることになったEVメーカーは、旧小型機の移動と設置を安値で請け負ってくれた。
 洋子と正子、ふたりがどれほど安井に感謝したことか、言うまでもない。来年が古稀の安井は、孫の守りを彼の妻に任せ、仕事に再度生きがいを見出した。息子の孝二は安井工務店の社長だが、一度は引退していた三郎を㈱安井工務店の取締役会長につかせた。代表権は三郎が辞退した。「またその内に孫と遊ばなならん。年寄りに代表権はいらん」
 といっても従業員は、見習い中の若者ひとりと父と、事務を一手に引き受ける孝二の妻、あわせて4人の会社である。なお息子の「孝二」の名は「工事」に由来するらしい。
 新・藤島開店後の初夏、養子に来たEVもスムースに活躍するころ、藤島のビューティペアの洋子と正子は、本格的な活動を開始する。居酒屋と商店街、古井町の改革である。
<2010年11月25日木曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>

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SF「未来書店物語」 №12 <本屋組合理事会>

2010-11-23 | Weblog
 話しは前後するが、未来書店の新装開店―2012年4月4日の半年ほど前のこと。京都の本屋商業組合の桂理事長が約束した、組合理事会への片瀬親子の出席について、話しをしておきましょう。

 年末の定例理事会の場で片瀬父子は、翌春から開始する未来書店G3計画について説明した。
 伸介は、A4判3枚1セットの計画書を作成していたが、わかりよい説明用資料であった。かつて数年間だが勤めた信用金庫での経験が、このようなときに役立つ。企画書や会議用資料を作るのは久しぶりだったが、伸介は張りきった。
 本屋組合の理事は10名体制だが、片瀬の本屋仲間の中垣書店、ブックス堀井、仲井書店の主人はみな理事である。彼ら三人と桂理事長からの追い風も受け、年末と翌年の1月と、二度の理事会で構想は検討された。そして結論は、

一 ジリ貧の本屋業界の生き残り策のひとつとして、未来書店のいうG3計画(以下、未来書店構想)は、ユニークなチャレンジとして、その意欲に対しおおいに賛同できる。
二 しかしこの構想は、ほかの書店に対して、何らの強制力を持たない。一書店の試行である。
三 未来書店の新装開店後、同店が予想通りの成果を挙げ、未来書店構想に参加したいという書店が複数出現するなら、組合としては積極的に対応したい。
四 京都府本屋商業組合は未来書店の開店後の成果を評価し、この構想をモデル事業として公認し取り上げるか、京都府内さらには全国の書店に向けて提案していくかどうか、開店の後に早急に検討する。結論は4月末までに決定する。
五 ところで電子書籍・Eブックについて、現在の電子書籍の流通は、読者への直接販売である。出版社あるいは出版業界外の企業などが、直接に読者に流通させている。出版取次社も書店も、中抜きされているのが実情である。未来書店構想でも、Eブックを本屋の営みとして取り扱う点についての方策が明確ではない。せいぜいPODによる紙本の販売だけのようである。
六 上記を勘案し、「Eブック&本屋再生委員会」を2012年5月、京都府本屋商業組合は新しく設ける。委員長は理事の仲井、副委員長には未来書店の片瀬を当てる。メンバーは10名までとし、府内書店有志よりの参画を募る。本屋の参画公募開始は3月1日からとする。

 伸介の望んだ「日本本屋新聞」に全面広告を掲載する件は先送りになった。ただ片瀬の構想に賛同し、タグマッチを組むことを決定したチャパネットタカラ、千朱会、ニッセーンなどの大手通販各社。そしてE板・携帯タブレット端末と、POD機「ティータイムE」のメーカーなどは、全社が「全面広告をいつか打つなら、協賛広告費を負担します。広告のデザインも、斬新なものを作らせてもらいます」
 PODメーカー、町工場の柴田印刷機械には無理だが、どの社も洗練された広告を作るくらいは得意中の得意、簡単なことである。
 「片瀬さんのとこで広告費用を負担するというのは、筋が通りませんよ。われわれが各社で受け持ちます。朝毎読なんかと違って、広告代もそれほどではないでしょう?」
 日本本屋新聞は書店や取次、出版社などに購読されているが、発行部数はわずか一万部ほどである。しかし本屋への影響力は絶大である。

 そして開店工事のはじまったばかりの未来書店に、京都府の北部日本海沿い、舞鶴の本屋「ブックス・マイヅル」の青年、鶴谷がやって来た。
 「本屋組合の新しい委員会に、ぼくも入れてくださいと、いま組合の事務所に申し込んできました」 伸介よりも若い。190センチほどもありそうな背の高い青年である。聞くとバレーボールで国体にも出場したと言う。
 「国体では1回戦で敗退しましたが、本業のG3構想、絶対に優勝決定戦まで頑張りますよ。片瀬さん、まったく新しい発想で、本屋業界の大改革をやりましょう。若輩ですが、また遠方からの入洛ですが、委員会には毎回出席します。よろしくお願いします」 
 2階から降りて来た片瀬の息子の伸介、チャパネットからの出向社員の河野健、同志3人組が誕生した記念日になる。2012年3月3日、お雛さんの日。
 この日の朝からは未来書店に、新しいメンバーが加わっていた。片瀬の妻文子の妹の子、北浦圭子25歳。洋子と伸介の従妹である。若手ブックデザイナーとして、京都で注目されつつあった圭子だが「新・未来書店で実力をつけたい」 押しかけ従妹のエディターである。彼女は未来書店「出版部」を後に立ち上げる。
<2010年11月23日火曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №11 <パレット・ジャパン>

2010-11-21 | Weblog
 POD機「ティータイムE」は快調に本をつくった。この機械は通信回線で世界中のデータベース、アーカイブから本情報を瞬時に取り寄せ、印刷し製本する。一冊の本をつくり上げるのに、わずか10分ほどしかかからない。訪れる客は祝儀かわりに、本を注文してくれる。片瀬自慢の丹波焼コーヒーカップで、客が珈琲を飲み終わるまでに、ほかほかの本が出来上がる。マシーンのボディの前面はアクリル板張りなので、内部の印刷製本過程がよくみえる。
 この機械は近所の子どもたちにも評判になった。注文客の数割は子どもである。また大学の先生や研究者など、外国の本の注文も多い。洋書は約二百万点もが印刷できる。
 同立大学の教授は「ごく最近まで洋書を書店に注文すると、入手まで1ヶ月以上もかかることが当たり前。アマドンがやっと短縮してくれましたが、この店はすごい。50円コーヒーを飲んでいると、眼の前でオーダーメード。ああ、もう出来ましたか!」

 実は、片瀬は「この機械は本当に故障せずに働いてくれるのかしら?」と疑っていた。メーカーは㈱柴田印刷機械という。東大阪の町工場である。活版印刷機からスタートし、オフセット印刷機を手掛けたが、大手に押され苦戦していた。
 起死回生と打って出たのがこの「ティータイムE」である。全国の本屋の購入を期待したのだが、米国製に負かされていた。国内で数台しか売れていないようだ。外国には1台も輸出されていない。

 「こんにちは」 柴田印刷機械の社長、柴田政治と技術屋の玉田大助が訪れて来た。
 柴田は「開店当日、実はわたしたちはヒヤヒヤものでした。恥ずかしいのですが。製品に自信は持っていても、いかんせん、販売実績があまりに少ない…。故障せずに無事働いてくれることを、神仏に祈っていました」

 がやがやと小学生の集団が入って来た。
 「おっちゃん、こないだはこの本、つくってくれてありがとう。めっちゃ、おもしろかった。ありがとう」
 カバンから取り出したのは、品切れ本『百万回も生まれた犬』である。「おっちゃん、友だちが本の出来るのを見たい言うて、ついて来たんや。みんな10分ほどで本が完成する言うても信用せえへんね。一杯、本の注文がたまっているんやろ。何かつくって見せて」
 オーダーはそこそこ上がっているが、その都度すぐに印刷してしまう。余備の注文はない。
 「ぼく、夏目増石の『ぼくちゃん』を読んだことあるか?」と片瀬は聞いた。
 少年は「ボチャン??」
 著者の夏目増石は死後50年が経っているため、著作権は切れている。その分、安くつくれる。またNPOアーカイブ「フリーブックストック」では、さまざまな作品が無料で公開されている。片瀬は『ぼくちゃん』の子どもバージョンをキーボードで選んだ。
 ウィーンと快音を立てて、PODマシーン・ティータイムは動き出した。子どもたちはみな床に尻を置き「わああ、すごい」「へええ、印刷しよる」「あっ、ぺらっぺらっの紙が本の形になりよる!」「ひゃー、もう本ができた!」。子どもは素直に感動する。機械の前に居並び驚く少年たちを、柴田と玉田と片瀬は、うらやましいと思う。

 「おっちゃん、この本、ぼくに売ってくれへん? 同じ本はまたつくったらええんやろ? なんぼ?」
 「500円ちょうど、消費税込みでな」。POD本は非再販品で値付けは自由である。
 「安いなあ」「おっちゃん、おおきに。また本買いに来るし。つくってな」「友だちをいっぱい連れてくるしな」「お金もちゃんと持ってくるで」「近所にええ本屋ができて、ほんまにうれしいわ」「この機械のこと、みんなに宣伝するでえ」

 子どもたちが帰った。柴田と玉田を振り返ると、ふたりとも泣きハンカチで涙をふいている。「片瀬さん、ありがとう」「本当にありがとうございます」。片瀬周辺のおとなは、みな涙もろい。
 柴田は「片瀬さんのおかげで、この機械の注文がひと月足らずで、全国の本屋さんから3本も上がりました。また引き合いも50件くらい。この未来書店のおかげです。ところで会社の名前ですが、来月から変更することになりました」
 ㈱柴田印刷機械から、㈱TTパレット・ジャパンになるという。<POD Machine Factory 「 TT Palette Japan 」>。TTはティータイムだろうが、??????
 「玉田の息子は出来がよくて、大阪の府立高校を出ましたが、USA教育財団の奨学生として、マサチューセッツのMAT大を大学院も出たのです。卒業後もアメリカで電子機械の企業で働いて…」
 玉田は「トンビがタカを産むとは、うちの息子のことです。わたしの妻も『だれの子やろ。あんたやうちの子とは思えへん。産婦人科がよその赤ちゃんと、取り違えたんやろか? 向こうさんに、悪いことしてしもた…』。本気で心配したこともありました…」
 片瀬は笑いながら「この優秀なティータイムEをつくったのは、玉田さんの力でしょう。やっぱり、息子さんはご夫婦の子どもさんですね」

 その秀才の玉田二郎がアメリカの会社を辞めて帰国すると言う。遠距離交際だったフィアンセは、日本で母ひとり娘ひとり。彼女は渡米し結婚するつもりだったのだが、母親が体調を崩したためにそれもできない。二郎は帰国し、父親の勤める町工場、従業員20人足らずの新生「パレット・ジャパン」に勤めることにした。
 社名「TTパレット・ジャパン」は二郎の提案である。この会社をこれから世界企業にしていく。そのためには、柴田印刷機械ではどうしようもない。従業員全員が二郎の帰国を待ちわび、みなが社名変更をうれしく歓迎した。パレットは絵の具の皿だが、いろんな色で作品を仕上げていく。金太郎飴ではなく、みながそれぞれの個性で一緒にユニークな機械を、そして柴田印刷機械を世界企業につくりあげていく。そのような決意らしい。
 とりあえず、サイズを3分の2に減らすのが目標で、制作スピードも1冊5分程度に早めたいという。価格も販売台数次第だが、世界に向けて輸出し出せば300万円を切れるだろう。玉田の息子の二郎は世界を駆け巡って、グローバル・セールスマンもつとめる計画をたてているそうだ。頼もしさには限りがない。

 玉田は「片瀬さん、二郎はあなたのブログ<未来書店 片瀬五郎の京都から>をいつもアメリカでみているそうです。それとユニークなドボッツのメンバーにも入れてほしいと言っています。帰って来ましたら、ここに連れてきます。よろしくお願いいたします」
 柴田は片瀬に包みを手渡した。「伸介君はNPO法人を間もなく立ち上げられるんですね? 正式な法人には基金が必要だと聞きました。わが社、パレットジャパンの全従業員、二郎君も入れて合計18人全員からの、ささやかな気持ちです」
 柴田と玉田は、京阪電車三条駅から大阪に帰った。ふたりが残した封筒を片瀬が開くと、百万円の束が入っていた。「……」。彼は2階にいた妻の文子に店番を預け、階段を上がった。そして写真、前川の遺影の前に封筒を置いて合掌した。
<2010年11月21日日曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №10 <祝開店>

2010-11-19 | Weblog
 近くの岡崎公園の桜が満開の2012年4月4日、新生「未来書店」は予定通り新装開店した。10時の開店前、小さな店の前には、古井町商店街も三条街道にも人だかりができた。その数、およそ三百人。商店街始まって以来の珍事である。
 E板を無料で手に入れようとするひと、書店の生き残り策を見ようとする本屋、同類の出版社。通販会社も端末機メーカーそしてマスコミ報道関係者などなど。
 狭い店にはせいぜい30人も入れば、満員御礼である。2階の事務所に上がってもらってもあと、10人が入店できるほどの狭小な店舗である。
 店の外装にはほとんど手を加えていない。古ぼけた「未来書店」の看板と、フューチャを演出した店内、そのギャップは著しい。まるで数十年前の世界から、未来のIT空間に突入したかのような幻想を思わせた。

 片瀬は駆けつけてくれた「やっさん」こと、大工の安田三郎に深々と頭を垂れた。安田は町内に住む大工である。いや、大工だったというのが正しい。70歳前のやっさんは、孫の守に専従すると言って、家業を息子に譲って引退していた。
 昨年の秋であった。安田は「片瀬さん、未来書店を改装されるそうですなあ。実はこの店は、亡くなったわしの師匠の棟梁と、ふたりで建てたんです。いつか改装するとき、またやらせてください。前川さんと約束していたんです。毎日毎日、孫の守ばかり、そろそろ飽きてきました」
 片瀬は知らなかった。道理で丈夫な建物であった。木造二階建ての店は、40年近い歳月を歩んできたとは思えないほど頑丈である。五郎は快諾した。

 安田の息子の孝二は、三郎の後を継いで、小さな工務店を経営している。
 「オヤジ、いくらお店の1階と2階の店内改装だけと言っても、年寄りのひとり仕事では、前川さんにも片瀬さんにも申し訳ない。ぼくも手伝いますから、最高の仕事をやりましょう」
親子ふたりは、ほとんどボランティアのように励んだ。片瀬の工事代金支払いは、ほとんど材料費だけかと思うほど少なかった。彼らは工賃を取らなかった。
 「前川さんと片瀬さんの再スタート。わたしたち親子の祝い工事です」
 父の三郎はこの工事を契機に現役復帰し、安田工務店の親子は、古井町商店街をこれからどんどん改装していく。町の小ゼネコンとして、八面六臂の活躍を開始することになる。もちろん、商店街再生の核になるのは、片瀬の娘の洋子である。

 店内にあまたある機器類、ゾニーの大型ググールテレビが1台。パソコンが2階の事務所もあわせて10台近く。各社のE板もプリンターも、いずれもメーカーが貸与してくれた。
 「片瀬さん、メーカーはみな未来書店に期待しています。わたしたちはこのユニークな店を、テスト版のショウルームと位置付けています。すべて貸与とさせてください」
 印刷製本機PODのことは次回で紹介しましょう。
<2010年11月19日金曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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中国・チャイナという不可解な国 №6 <国益と外交>後編

2010-11-18 | Weblog
 中国は文化大革命をへて、改革開放という現実路線に転換。そしてソ連崩壊後は、国策を大きく変えていく。
 イデオロギーではなく、国益こそが国家間の関係を維持し、処理するための準則であるとの見方が、中国では支配的になる。2002年の国防白書では、国防政策は中国の国家利益に基づくと明記したうえで、中国の国益を五つあげている。

 第1、国家の主権、統一、および安定の擁護。
 第2、経済建設をしっかり中心に位置づけて、絶えず総合的力を引き上げること。
 第3、社会主義制度の堅持と十全化。
 第4、社会の安定団結の保持と促進。
 第5、長期にわたる平和的な国際環境と良好な周辺環境の追及と実現。

 私見だが、第5は付録に見える。共産党一党独裁は、まず社会の不安定を警戒し、暴動や革命、政権の転覆を恐れる。中国を倒すことを妄想するなら、外から攻撃する必要は一切ない。内部人民を混乱させれば暴動が起き、この国の政権はあっけなく転覆する。

 小原は「中国は強大化する一面と不安定化する一面をあわせ持つ国である。中国の目覚ましい経済成長の背後では、貧富の格差、汚職腐敗、エネルギー・環境問題などの社会的矛盾が醸成され、社会的不満が蓄積されている」
 最高位に優先されるのが「国家主権と領土の安全は神聖不可侵にして絶対に譲ってはならないと強調し、祖国統一、主権擁護、領土保全は中国の歴史的責任である」という考えが根強いようだ。

 戦前の日本は、軍事力に頼って推し進めた政策から世界で孤立し、破綻した。国家の安全には軍事力は重要である。しかし、軍事力には重大な欠陥がある。それはしばしば暴力の連鎖や軍拡競争につながり、そして人々の憎悪反発を招く。軍事力によって戦争に勝利することはできても、持続的な平和や繁栄を「創る」ことは難しい。小原の明快な見解である。
 「政治に携わる者は、あらためて戦前と戦後の歴史を振り返り、平和で繁栄した戦後の歩みの重さをしっかりと認識し、そのうえで、不透明・不安定な要素を抱える世界のなかで、平和と繁栄をどのように確保していくのかを真剣に論じなければならない。長期的な戦略を描き、国民を糾合する政治のリーダーシップが、何にも増して重要である」
 日本と中国、双方両国のリーダーに読んでいただきたい一冊である。日本語で書かれ、中国で翻訳された本である。

 ところでまったく別の日本観をご紹介しよう。立命館大副総長のモンテ・カセム氏(立命館APU前学長・スリランカ出身)は「日本の世界に対する優位性は、伝統文化芸術大国としての特性と、科学技術と職人芸の活用のふたつを柱とし、そのための人づくりが鍵になる」。<京都新聞2010年11月16日夕刊・シリーズ『現代のことば』・東郷和彦「伝統と技術」>
 この見解は、リー・クワンユー氏のいう日本の「文化的強靭さ」に相通じると思う。アジアの他国人が日本のすぐれた特性といい、また期待する要素は、日本人の文化・科学技術、礼儀・知性・勤勉などのキーワードに集約されるようだ。
 日本に軍事指向は不要である。ただし蹂躙しようとする理不尽な国家なりが、もしも対峙してくるならば、毅然とした態度で国際世論に訴えればよい。日本は平和をこころから望みそして願い、広く深い意味での文化のソフトパワーで、世界に貢献しようという国是を持っているはずだからである。
 戦略家・サッチャー女史のフォークランド作戦を、英国と同じ島国のひとりの民として尊敬し、こころから称賛します。
<2010年11月18日>
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SF「未来書店物語」 №9 <高瀬舟>

2010-11-17 | Weblog
 話しは前後するが、未来書店の改装計画を練っていた2011年11月、4月開店の半年ほど前のことである。チャパネットの宝の了解も得、これからはわが店だけでなく、全国書店に構想の実行を展開せねばならない。五郎は息子の伸介と店で話し合った。
 「伸介、大風呂敷を広げてしまった俺たちだが、これからどうしよう?」
 「父さん、全国の小さな本屋を救うためには、やはり通販会社と連携する、このやり方しか方法は思い浮かびません。NPO法人を設立して、ぼくは身を粉にして、全国の零細書店を説得して回ります。それから、日本本屋新聞に全面広告を打ちませんか?」

 新聞には朝毎読日経、京都なら京都日日新聞などいろいろあるが、どれもが苦境に陥っている。紙はみな、新聞も出版物も激減している。各紙誌とも広告も減ってしまった。
 週刊「日本本屋新聞」は、ほとんどの本屋が読んでいる全国紙である。発行は、日本本屋連合会。商業誌ではない。各都道府県の本屋商業組合の連合体が日本本屋連合会である。
 書店のほとんどが都道府県の各商業組合に所属し、会員には郵便で週刊新聞が届く。伸介は本屋新聞に全面広告を打てば、全国の書店にわれわれの考えを瞬時にアピールできる。いちばんの媒体であるという。
 「わかった」 片瀬は京都府本屋商業組合の桂理事長に会うことにした。桂も未来書店の前店主、前川の先輩で親友であった。
 「伸介、桂さんと連絡がとれた。早速明日、お会いすることになった。一緒に行くか?」
 もちろん伸介は「喜んで行きます。父さん、おれ一生一代の舞台に立つよ!」
 ふたりは爆笑した。息子はいつの間にか、たくましい男に成長している。

 本屋商業組合の事務所で話しを聞いて、理事長の桂は、鳩が顔面に豆を何粒も投げつけられたかのように、口と目を見開いていた。しばしあんぐりとは、この状態のことであろう。
 ほかの本屋から片瀬の構想を漏れ聞いてはいたが、直接に本人から聞かされると、桂は考えがまとまらず、返答に窮してしまった。
 Eバン(タブレット型携帯多機能端末PC)とやらを本屋がばら撒いて、通販品売上の3%ばかりの手数料を通販会社から受け取る。それは本屋とは呼べない。通販会社に身売りしたゼロ円E板屋ではないか。
 使用方法の説明を懇切丁寧に店頭で行うというが、親切な電気屋かケータイ屋とかわりない。電子書籍Eブックのアドバイザーをつとめるそうだが、紙の本の話しを片瀬は一言も語らない。また取次や本屋を抜いて読者と直接商う電子書籍で、どうやって書店は利益を出すというのか。息子も熱心だが、ふたりは本屋ではない。まるで宇宙人だ。

 未来書店の先代、前川と桂は親しく、いつかはふたりで京都の書店業界のために尽くそうと約束していた。前川は「未来」の名の通り、業界に革命を起こすはずだと、桂は信じ期待していた。ところが1988年に突然倒れ、いま前にいる片瀬が後を継ぎ、熱く書店革命を語っている。
 「前川さん、あなたのし残した革命は、もしかしたら片瀬さんがいま言っていることなんでしょうか?」 桂は徐々に、考えが変化してきた。片瀬父子の言うことは、間違っていないのかもしれない。いや、片瀬は正しく、彼の考えは全国書店にとって、いま考えられる最善の生き残り策かもしれない。正論かもしれぬ。

 桂は父子に言った。「あまりに急な話しで、正直言って想像を絶することなんで、わたしの頭は整理もできず、混乱しています。席をかえて、もう一度聞かせてくれませんか?」

 二条河原町にある本屋組合事務所の近く、二条木屋町に舟入りがある。江戸時代のはじめに造られた運河の高瀬川。高瀬舟の終着駅がこの「一の舟入り」である。桂がふたりを連れて行った料理屋の窓からは、復元された高瀬舟が見える。
 桂は片瀬父子から相変わらず熱心に構想を聞かされた。桂はやっとストンと腑に落ちた。そして親子に語る。
 「江戸時代がはじまってすぐ、角倉了以はこの運河、高瀬川をここから伏見の河港まで開きました。そして淀川を通って大坂までの水運を、一本の河道にしました。当時、画期的な構想で大事業です。偉業です。わたしはあなた方おふたりの熱心なお話しを聞き、E板の大構想を京都から全国に向けて発信しようかと、そのように思いだしました」
 五郎も伸介も驚いた。正直なところ、桂が全面協力を申し出るとは予想していなかった。仲間書店の協力を得て、何度も何度も、数ヶ月がかりで説得するしかない、仲好しの本屋のみな、中垣も堀井も仲井も、そのように覚悟していたのである。
 まさか! ただの一日で、理事長の桂は納得したのである。彼は「前川さんの遺志だと思って、一緒にやりましょう」 五郎と伸介の光る目は、涙がレンズになり舟入の照明の反射が、数条の光線を引いて乱射した。
 桂は「12月に本屋組合事務所で理事会があります。おふたりもオブザーバーとして出席して、E板の構想を話してくれませんか?」
 五郎は「喜んでお受けします。本当に、うれしいです」
 伸介も「理事長、革命を起こしましょう。旧態依然の本屋は、生き延びれるはずです。変身、進化すれば、きっと栄えある光を浴びることができます…。若輩の身で、すみません…」 今日はじめて、全員が爆笑した。
<2010年11月17日水曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>

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中国・チャイナという不可解な国 №5 <国益と外交>中編

2010-11-16 | Weblog
 チャイナシリーズの前回で紹介した小原雅博著『国益と外交』(日本経済新聞社2007年刊)をみてみましょう。
 著者は外務省アジア大洋州局参事官、この本のベースを書いたのは2004年、立命館APUの客員教授をつとめるかたわら書きあげた博士論文。小原は翌年に立命大より、国際関係学博士号を授与されている。
 論文は大部で本文40万字。添付資料や文献一覧を含めると60万字にもなる。出版のために文章を大幅に削り、手を加えて刊行されたのが『国益と外交』である。

 さて小原は日本のパワーについて、軍事力や覇権の行使ではなく、文化というソフトパワーについて、シンガポールの初代首相、リー・クアンユーの記述「文化的強靭さ」を引用している。
 資源のない日本は「日本人の持つ集団の結束心や規律正しさ、知性、勤勉さ、国のために進んで犠牲になろうとする気持ち。それらすべてが並はずれて生産性の高い日本の力のもととなっている」と、リーは称賛した。この文化的強靭さによって、日本は自由で繁栄する国家として奇跡的な発展を実現した。<『リー・クアンユー回顧録』2000年 日本経済新聞社刊>
 小原は、この評価に代表される日本人のすばらしさ、世界から尊敬され目標とされる「日本や日本人のイメージを大切にしていく必要がある」
 外交や国際政治の場での「パワー」は、歴史的にみても軍事力が最も重視されてきた。しかしパワーとは、国家の軍事力のほかに、経済力、科学技術力、人口や国土の大きさ、文化力や社会の魅力など、さまざまな要素を含む総合的国力を指すのである。

 つぎに1982年に勃発したアルゼンチン沖のフォークランド紛争をモデルに、英国の世界戦略、国際政治外交の展開をみてみましょう。英国は13000キロも離れた孤島の防衛を、領土の保全という死活的国益と位置づけ、フォークランド島を断固防衛するとの姿勢を鮮明にした外交を展開。かつそれが口だけではないことを軍事的行動によって示した。

 フォークランド諸島は、たいした役にも立たない島々だが、南大西洋における地政学的・戦略的に非常に重要な拠点とされる。パナマ運河が封鎖されたときを想定すると、南米南端のホーン岬周り航海の補給基地に当てられる島である。英国はアルゼンチンに対し、一歩も譲らなかった。

 サッチャー首相は、まず機動部隊40隻を急派した。さらにはクィーン・エリザベス号などの商船までも動員。直ちにレーガン大統領と会見し、米国の全面的な支持を取りつけた。つぎにEUの結束を固めて、共同でアルゼンチンを経済封鎖した。さらには国連安保理に働きかけ、アルゼンチン軍の撤退勧告決議を取りつけた。またG7サミットでは英国支持を得、有利な国際世論をつくり上げるために、積極的な外交を展開する。
 戦争は政治の延長であるといわれるが、このときのサッチャー外交は、その言葉そのものであった。パワーと正統性において優位に立った英国が勝利し、国益を確保し得たことは、当然の結果であった。
 サッチャーは、これほどの高度な戦略と作戦を、わずか3か月足らず、87日で完遂した。

 以下、私見ばかりですが、この文を読むと、サッチャー首相とそのブレーンの万全の対応があまりに見事なのに感心してしまいます。
 東シナ海の近ごろの事件での日本政府の対応は、あまりにもお粗末です。軍事力の行使をフォークランドの文から引き算して読み返してみても、日本の首相以下、政治を担う責任ある立場のひとたちはあまりにも無様である。
 9月7日のチャイナ船長による体当たり事件から、もうすぐ3ヶ月になります。海洋国家、島国の英国。同様に海に囲まれた列島日本。島国同士の日英両国は、その戦略を理解し共有できる最善のパートナーであるはずです。両国は、戦略的に重要な孤島、また大洋について精通しているはずであるのに。
 彼の国と我国の差は、まるで雲泥である。義憤による海保職員の画像流出漏えい事件のみが、国民にとって唯一の救いかもしれない。進退をかけた勇気ある決断と行動である。

 外務省にも海保にも、このような見識をもつ方がおられる。なぜ政治家のあなたたちはそのような卓越した判断や、国家戦略を担える人材を、活用なり参考にできないのか? 前回にみた加藤嘉一氏の言葉、中国では「若くても非常に優秀な人材は、若者たちの目標となり励みになる。中国で発言する自由さは、絶対に日本では発揮できません」
 情けなさを通り越し、日本の政治家たちにはあきれ返るばかりである。(政治家でない自分のことは差し置きますが)

 さてまた、字数が増えてしまいました。小原氏の中国についての記載と、日本についての見解を記そうと思っておりましたが、次回の後編に続けます。
<2010年11月16日火曜日>
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SF「未来書店物語」 №8 <ヤッホーYahhoo!>

2010-11-15 | Weblog
 2012年正月早々、片瀬に電話があった。「NNTドコデモの山田と申します。一度、お会いしたい」 山田も片瀬のブログを読んだのがきっかけだという。チャパネットとの連携とは無関係のアプローチであった。
 三年前の2009年のことだが、NNTドコデモdocodemoは中堅通販会社を買収していた。しかしその後の展開では苦心の連続だったようだ。ただ携帯キャリアは課金、売上代金の回収が容易である。ケータイフォンでも、「E板」携帯タブレット多機能端末でも、通販代金を通話料とともに引き落とすことができる。
 NNTdocodemoは、新市場として十兆円を超える産業に成長した通販業界、なかでも毎年20%以上の成長を続けているネット通販に、進出を果たしたのである。
 片瀬は思った。相手は、ドコデモショップを全国に展開する巨大企業である。果たして町の本屋は、ドコデモと提携して共存できるのであろうか? 答えは、見つからない。

 片瀬は、チャパネットと組むのは当然だが、一社のみの提携よりも、複数の通販会社と代理店契約を結ぶのがベターなのではないかと思う。「特定の通販屋の手先はいやだ」という本屋の反発は必ず出る。たくさんの社、さらには通販以外の端末メーカーなどとも提携し、さまざまの機種端末から電子書籍・Eブックにアクセスもできるようにする。
 わたしたち本屋は、通販会社とは単に連携するのであって、本をたくさんのお客さんに読んでもらうのが使命である。
 ただEブックは、書店抜きでの読者直接販売が一般的である。どうやったら本屋が電子本に課金し、収入を得ることができるのか? 片瀬は初心に帰ってもう一度、考え直そうと思う。まだまだ考えるべきことは多い。

 新装未来書店の開店日が近づくとともに、マスコミの取材が連日のように続いた。片瀬は伸介に、にわか広報担当を押しつけた。多忙は、準備作業だけではない。通販各社や端末メーカーなどとの話しに追われる片瀬は、あまりにも忙しかった。37歳で本屋をはじめる前、不動産屋の営業マンだったとき以来の多忙さである。しかし61歳のいまの方が疲れない。「忙しいから疲れるのではないんだなあ。自分自身の目標や夢があれば、また友人仲間に囲まれれば、多忙もまた涼し、か」、オヤジギャグの乗りである。
 開店準備に追われる3月、通販各社が何社も訪れて来た。通販大手は「千朱会」「ニツセーン」「ゼシール」「キョウクル」「フェルモシモ」「山田養豚場」…。未来書店とまず提携する。そして全国にある一万余軒の本屋に拡大できないか? 試行錯誤の話し合いが連日のように続いた。後に通販数社と、チャパネットと同様の契約がまとまる。

 E通販業界の巨人三社、「アマドン」「楽デン」「ヤッホーYahhoo!」からもアプローチがあった。
 少し古いアンケート調査だが、「2009年 あなたがよく利用するネットでのブックショッピングは?」
 1位の「アマドン」は8割。2位「楽デンブックス」が5割。コンビニ系「セブンワーイ」3割。「Eブックオブ」と「BKワーン」などは、わずか各数パーセントである。

 「ヤッホー」Yahhoo!ショッピングの担当者もふたりが訪れて来た。ネット通販の強化のため、これからは本にも力を入れるという。紙本後発の弱みを、リアル書店と組むことで打開できないかと考えているそうだ。「ゼロサムではなく、ウィン・ウィンの関係が築けないでしょうか?」という。
 例えばコンビニで受取が可能な「セブンワーイ」のように、契約書店の店頭で、読者がYahhooに申し込んだ本を受け取る…。そのようなことが、果たして可能だろうか。片瀬は本末転倒の話しに、首をひねってしまった。
 しかし未来書店をとりあえずのモデル店に、新しい展開を模索したいという考えは、ヤッホーにも、どの通販会社や機器メーカーにも共通した。
 「ヤッホー」はどうも、大手取次を傘下に入れることを考えている節がある。取次とは本雑誌の卸問屋だが、巨大な倉庫の在庫を持てば、巨象アマドンに対抗できるかもしれない。取次の流通配送網も変革すれば、おおいに利する可能性はある。
 書店の疲弊は言うまでもないが、出版社も取次もみな体力が弱り、どこが倒れてもまた身売りをしても、おかしくない状況である。
 片瀬は思った。もしかしたらヤッホーが紙の出版業界に革命を起こすのではないか? 定価販売と返品フリー、このふたつの制度をこれまで改革しなかったつけが、出版業界を衰退に追いやった大きな原因でもある。定価の縛りと原則返品自由、戦後の数十年間、出版業界は安穏とぬるま湯に浸かり続け、身も頭もふやけてしまった。まったく新しい制度を構築しないと、おそらく数年の内に、紙本の業界は雪崩か大津波に巻き込まれてしまうだろう。さらにはEブックをどのように扱うか?
 ヤッホーの社員ふたりは「片瀬さん、開店日にはお祝いに来ますが、落ち着かれたらまたお話しを聞かせてください。何せわたしたちは、本の業界のことをさっぱり理解できていないのです」
 片瀬こそ斬新な発想の彼らの話しに、考えさせられることが多かった。既成の知識や経験にとらわれず、自由に発想する彼らにこそ、革命は可能なのではないか。再開を約して、初対面の彼らと、珍しく握手で別れた。
 「ふたりも新しい夢を求め、探しているんだ」 片瀬はシャッターばかりが続く商店街を行く彼らの後ろ姿を見送った。「再開のとき、伸介を交えよう」

 ところで書籍通販だが、これまでアマドンと楽デンは、本屋の宿敵とみなされていた。この2社だけで紙の本の売上は、2000億円以上もある。2012年の全国書籍雑誌売上は、わずか1兆7000億円と予想されている。その1割以上をE通販2社が売っているのである。
 そして減ったとはいえ、コンビニの全国売上が3000億円。国内1万余軒の書店売上は合計1兆円ほど。1軒当たり年平均売上はわずかである。
 広大な売り場面積の書店も、中小書店も1軒とカウントする。零細書店は、割り算の平均値を大幅に下回る。これまで片瀬の妻、文子は毎日のようにため息をついてきた。理由はあきらかである。

 新生「未来書店」のオープン日は、4月4日と前々から決めていた。初代「未来書店」店主、前川の命日である。あとわずか1週間ほどに迫った。
<2010年11月15日月曜掲載。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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中国・チャイナという不可解な国 №4 <国益と外交>前編

2010-11-14 | Weblog
 中国在住の日本人で、いまいちばん注目されているのは加藤嘉一、若干26歳の青年のようです。北京大学在学中は、カリスマ留学生、スーパー留学生、現代の遣唐使とも称されました。弘法大師空海の1200年ぶりの再来でしょうか?
 彼は静岡県伊豆の農家出身ですが、中学生のときに親が破産。つらい青春だったでしょうが公立高校卒業後、東大文科1類に合格した。しかし彼はそれを辞退し単身、北京大学に留学する。恵まれたボンボンでは、決してないのです。
 北京大大学院を修了後、いまはウェブメディアを主に、コメンテイター・コラムニスト・ブロガー等として活躍している。昨年に受けたメディアからの取材は、合計318本。1年間に発表したコラムは、200本以上にのぼる。彼の国では「加藤現象」というそうだ。
 著書は単著・共著・訳書をあわせ5冊。すべて中国語ですが、この夏に新刊『従伊豆到北京有多遠』、日本語では<伊豆から北京はどのくらい遠いのか>を刊行した。江蘇文芸出版社刊。
 加藤は「伊豆を飛び出し、中国語もできず、友人もいない。何も持たない18歳の少年がどのようにして北京を目指したのか?」。そして北京での体験…、現在までを描く自伝的作品である。
 少年青年加藤は理解を深める、中国という得体も先行きも知れない巨人。全世界が模索している中国人、そしてチャイナ政府とのつき合い方、どう向き合っていくべきか? 加藤はそれを世界的な「21世紀最大の問題」という。おそらく近い内に、日本語訳本が出そうに思うが、早い刊行が待たれる。
 ところで、あえて出身地の伊豆をタイトルに選んだ理由は、静岡県を知る中国人は数少ないが、川端康成『伊豆の踊り子』は、たくさんの中国人が知っているからだそうだ。

 日本人のたいていが彼を親中派という。中国人はスパイではないかと疑う。「それは正常なことです。僕は中国でも日本でも発言するが、それは完全に、僕個人の独立した意見でありたい。ただそれだけです。」
 加藤は「日本の社会は異質なものを受け付けません。日本では年齢と経験に基づいて人を判断するのです。若者は年齢が若いというだけで使えないといわれてしまう。ある程度の年齢に達するまでは、発言権もない。若いときは口をつぐむしかない。しかし中国では違う。若くても非常に優秀な人材は、若者たちの目標となり励みになる。僕は日本でも名前が知られるようになったが、中国で発言する自由さは、絶対に日本では発揮できません」。すごい青年です。

 ところで今回あえて「未来書店物語」にかかりっきりになっている最中に、思い出したかのように、シリーズ「中国・チャイナという不可解な国」を突然、復活したのか?
 わたしはもともと移り気で、いつまでもひとつのテーマばかり追っていると、正直なところ退屈してしまうのです。ポーンと飛んで横の脇道に行きたい…。しかし「未来書店物語」はある方との約束で、それなりにまとまるまで続けることになってしまいました。
 もうひとつ理由があります。『国益と外交』(2007年・日本経済新聞社刊)をざっと、目を通したからです。この本は外務省アジア大洋州参事官の小原雅博氏の著作です。昨年に北京で加藤嘉一氏が翻訳出版したのですが、中国国内でかなり売れているようです。中国語書名『日本走向何方』2009年・中信出版社。<日本はどこへ向かうのか>。外交など門外漢のわたしですが、触発されました。
 最近の東・南シナ海の謎など、この本がヒントになるのではないか? それが、シリーズ未来書店からチャイナに脱線した理由です。次回は「国益と外交 続編」を書こうかと思っていますが、興味ある方はぜひ、原著『国益と外交』をご覧ください。
<2010年11月14日>
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SF「未来書店物語」 №7 <サユリスト>

2010-11-13 | Weblog
 2011年の晩秋、未来書店に夜の9時にやって来た本屋3人は、全員が片瀬と同じ団塊世代の連中である。京都の三書店、中垣書店、ブックス堀井、仲井書店の店主たち。今朝早くに電話をもらった片瀬は、「店を閉めてから息子たちと打ち合わせをやりますが、9時には終えます。遅くまで飲まずにミーティングを続けると、翌日がしんどいですから」 理屈になっていない話しだが、議論が長引いてから飲みだすと、午前様になってしまうということであろうか。確かに深夜までの酒は、60歳を過ぎるとこたえる。
 居酒屋「藤島」の六畳の座敷の障子をあけると、坪庭がある。その奥がトイレだが、飛び石つたいに用を足してもどって来た客の青年が「女将さん、裏の庭、小さいけど落ち着きますね。よっぽど腕のいい、植木屋さん、庭師の方が作られたんでしょうね。」
 片瀬の仲間のほかに5人ほどの客がカウンターに座っていた。全員に一瞬、沈黙が流れた。青年は意味がわからず「ぼく、何か変なことを言いましたか…」
 女将が座敷に座る片瀬を指さし、「いちばん向こうに座っている方の親友、亡くなったんだけど…、その方が作ってくれた庭なの。前川さんというの。本屋が商売なのに、本職顔負けのいいお庭でしょ」
 前川と庭のことをカウンターの常連客はみなよく知っていた。
 毎日のように藤島に通う傘寿が近い長老、コンチャンこと近藤大助が音頭をとった。「前川さん、この庭、またお客さんにほめられたで。素人やのに。なんで本屋になんかなったんやろなあ。庭師やってたら、いまごろ人間国宝やったやろになあ。何でもできた天才前川に、みなで乾杯しましょ。天才、バカボンの前川に、乾~杯~」「カンパ~イ」 古井町のみなに愛された未来書店と前川であった。

 「藤島」の女将、藤島小百合は70歳に近いはずだが、ほれぼれするほどの美人である。いまでも「古井小町」と呼ばれ、サユリストたちが通う。40年ほども前、開店以来の客のひとりである近藤は米寿のいまでも、毎日のように通い詰めている。50歳以上の客が多いが、古井町で銭湯の次に繁盛しているのが、この店である。未来書店は足元にも及ばない。

 座敷では本屋6人の話し合いがはじまった。伸介がこれまでの経過を説明する。通販業界の現状については、河野が説明した。書籍業界と通販業界は、緊密に連携できるはずだ。若手ふたりの話しには説得力があった。本屋の主人三人は、
 「面白い。まず片瀬さんの店から口火を切ってください。わたしたちはほかの書店も巻き込んで、京都を起爆点にして、全国にフィーバーの嵐を起こしますから」
 「POD機のティータイムEが500万円もしても、伸介君がいうようにぜひ導入してください。何百万冊をE在庫する零細本屋の出現なんて、わたしたちの夢の実現です。本屋冥利に尽きますよ」
 「われわれもPOD用の資金を出しましょう。そのかわり自分の店から通信回線で送ったデータを未来書店で受信して、オンデマンド本を作ることは可能ですか?」
 IDとパスワードをそれぞれが持てば、何軒の本屋でもオンラインでPOD機を操作できる。メーカーからは対応可能との返事をもらっていた。また予想に反して、機械があまり稼働しなければ、接続書店数を増やしてもいい、と片瀬は考えていた。
 3軒の本屋が各百万円ずつ出そうという。印刷製本された湯気の出ている本は、自転車かバイクでその都度、取りに来るという。
 「若手が話すように、われわれにもパブリッシングができるようになったら、自費出版だけでなく、全国に向けて、紙本も電子書籍Eブックも、商業出版が可能になりそうですね」と仲井は言った。
 仲井の息子はサラリーマンだが、家業は継がないといっている。しかし本来は出版社に就職したかった青年である。この話しをすれば「継ぎたい」と言い出すかもしれない。そのような予感がした。
 しかし刷り部数が多くなれば、「ティータイムE」では無理がある。1冊10分として、10時間稼働でもわずか60冊。
 片瀬は京都の老舗印刷屋、中北印刷の主人の了解を取っていた。「紙本のオフセット印刷と製本、また超高速PODも。たとえ刷り数が少なくとも任せてください。片瀬さんのところのPOD機に負担がかかるようなら、いつでもやりますから。通信回線1本で何でも可能ですよ」

 座敷で庭に目をやる片瀬は「前川さん、あなたの遺志はいま、花開こうとしています。かならず、全国の書店に『未来』を届けます」 彼は、庭にたたずむかのごとき前川の影に向かって誓った。

 縄暖簾をくぐって「こんばんは」 娘がひとり入って来た。「えっ」、片瀬は驚いた。娘の洋子である。もう10時のはず。なぜ今ごろ。
 小百合は「内緒にしてたけど、実はわたし、急に引退することになってしまって…。洋子ちゃんが来月からこの店の女将を継いでくれることになりました。えっ、もしかして五郎さんは知らなかったの?」 息子の伸介はうつむいている。妻の文子もとっくに知っているのであろう。なぜ? 
 洋子は座敷の前まで来て、「父さん、これまで内緒にしててごめんなさい。いろいろ考えたんだけど、父さんと伸介が未来書店を、日本いや世界一の本屋にしようと頑張っているのをみてて…。わたしも決意したの。女将さんが引退するのが残念だし、わたしは前川のおっちゃんが作った庭を守りながら、この小百合さんの店と、わたしを育ててくれた古井町商店街を、同じように日本一に、そして世界を目指して、生まれ変わらせようと決めたの。ごめんなさい」
 片瀬は洋子の顔に、伸介と同じ輝きをみた。新しいことにチャレンジする若者には、夢がかもすまぶしい光が発している。

 「前川さん、家族ともども、よろしくお願いします」、彼は庭に向かってつぶやいた。
 長老のコンチャンこと近藤は、小百合の引退の相談を内緒で受けていた。引退の理由は、ドクターストップである。また洋子の決意を聞かされてもいた。
 コンチャンは、「またべっぴんの女将ができた。初代と二代目の古井小町に乾杯やあ。」
 「カンパーイ」「カンパ~イ」
 小百合は涙ぐみながら、「ありがとう。ありがとうございます。今日はビールと日本酒、焼酎も飲み放題にしますよ。ただし、いまからのオーダーですよ。これまでの分は、ちゃんと頂戴します。だって、わたしのこれからの、老後の蓄えの心配もしてくださいね」
 全員の笑いがこだました。ここは、すばらしい商店街である。古井町商店街、古い町に洋子は革命を起こそうとした。
<2010年11月13日土曜。この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №6 <大改装>

2010-11-11 | Weblog
 未来書店は第三のスタートを切った。まず店の誕生だが、30数年前に故人の前川が創業した。彼の没後に親友である片瀬五郎が引き継いだ。1988年のバブル絶頂期であった。そして2011年、28歳の若者ふたり、息子の伸介と、チャパネットから出向して来た河野健が加わった。紅葉の季節であった。未来書店にとって第三の創業である。
 三人はまず店の改装を話しあった。若者ふたりはこれからの歩みを「G3計画」と呼ぶ。三人だから<3>だろうと片瀬は思ったが、「ジェネレーション3」だという。「未来書店の第3世代計画」だそうだ。
 いかにも若者の発想である。片瀬は苦笑した。「ジェネレーションか。年寄りはいつまで若手についていけるのか…。まだギャップはなさそうだが。」 1950年の寅年生まれで、昨年に還暦を迎えた彼だが、70歳の古希になったら隠居しようか、そんな思いがする。「しかしそれまでは、全力で全国書店のお役に立とう」 片瀬の本心である。親友、故前川の夢「未来」を叶えるまで。

 未来書店の二階には、伸介がひとりで住んでいる。彼はこれからは奥の六畳間を居室にし、残りの二間を事務所にする考えだ。狭いダイニングキッチンはそのままにするが、トイレは一階の客兼用のみ。風呂はなく、近くにアパートを借りた河野健も伸介も、いつも連れだって名湯「古井町温泉」に通っている。近くの白川ならぬ神田川のような風情である。

 一階の30坪ほどの店舗はずっと昔のままであった。前川から引き次いでから、ほとんど改装していない。三人の練った計画は、
 まずカウンターを大きくすること。E板・携帯タブレット端末を求める客には腰かけてもらい、内側に座る店員が応対する。そのため客用に4脚、店員用に2脚。これで2組の客を同時に相手できる。客は申込書に記入するのだが、課金やEブック購入や通販商品代金の支払いのため、クレジットカード№や銀行口座の自署捺印などが必要である。代理店である書店は、それらすべてを処理し、さらにE板の利用法をていねいに説明するのである。貴重な顧客情報を守るため、特殊な金庫も考えている。

 また客が向う正面の壁には、最近発売されたばかりの、大型のゾニー製ググール液晶テレビを吊り下げる。40インチ以上の大画面を考えているが、カウンター上のPCやE板の画面がそのままTVで見られる。視力の低下した高齢者のためにも、字の大きなスクリーンは必要である。
 当然だがふつうのテレビ受像機としても、作文用画面、Eブック閲覧、インターネット検索…。ググールTVは、コンピュータ・ディスプレイとして大変便利である。

 次に考えたのが、地域のコミュニティーセンターの働きである。時代から取り残されたような古井町商店街。周辺には町屋住まいの高年老齢者が多い。活気を呈しているのは銭湯の古井町温泉くらいである。
 だれでもが未来書店を訪れ、本屋のサロンで、また井戸端テーブルとして、腰かけわいわいと話しあう。コーヒーもセルフサービスで一杯50円で、自由に飲めないか? コーヒーメーカーの炭焼き豆は、厳選したい。紙コップは使わない。丹波の陶芸家の友人は、登り窯で焼くといってくれている。
 さまざまの会話や人と人の温もりを共有できる。そのようなヒューマンな空間に、この狭い店を作り変えたい。店の中央には、10人でもが腰かけ囲むことのできる大テーブルを設置することにした。パソコンも2台、マックドとウィントを1台ずつ大テーブルに置く。お試し用のE板も自由に使える。有志による「上手なE板活用講座」は、井上と片山と三室、三羽カラスのドボッツが中心になって開くという。講師役の全員が、無料ボランティアである。わずか10脚では、椅子が足りなくなってしまうかもしれない。予備用のパイプイスは、近くのホームセンター「かわばたニックス」で買って二階に置いておこう。話しだけはどんどん進む。

 さらに片瀬は、POD機を設置したかった。パブリッシング・オン・デマンド機。ごくわずかの時間で自動的に印刷と製本をこなすマシーンである。書籍1冊を10分か15分ほどで、印刷し製本製造してしまう高性能機である。
 2011年現在、外国の書籍は約200万冊、日本の本なら30万冊ほどが、データベースに収蔵されている。わずかの費用でアクセス可能である。無料のフリーアーカイブも増えた。著作権もすべてクリアしている。
 今回の改装計画では、本と本棚はかなりを撤去せざるを得ない。入店客は「本の少ない本屋ですねえ…」、一様に驚くことであろう。概算では、店在庫の紙の雑誌・書籍は四千冊ほどに激減しそうである。ただでさえ在庫の少ない小さな本屋がさらに狭く、品揃えが貧弱になってしまう。
 しかし新型の国産POD機「ティータイムE」が一台あれば、世界中の230万冊を在庫した巨大な本屋といえるのである。片瀬はやはり、紙の本にこだわる。500万円もする高額機械だが、設置したかった。だがサイズはバカでかく、畳1枚半ほどの場所を取られてしまう。
 2階の事務所に置きたかったのだが、メーカーの担当者は来るなり言った。「階段の幅が狭いので、2階に上げることはできません。2階の窓を壊してクレーンで入れましょうか? それとティータイムEは重い。たぶん床が抜けてしまうはずです。」 この社も、片瀬に全面協力を申し出た。アメリカ製のPOD機に負けている国産機。これからの未来書店での実績から、全国の中小書店に広げたいという作戦である。
 伸介も健も、1階に500万円マシーンを置くことに賛成した。「未来の書店のモデルとして、POD機は絶対に必要です。できたらスケルトン構造にしてもらって、本ができるまでを、みなさんに見てもらいましょう。それと自費出版が可能です。手作り絵本でも、孫の写真アルバムでも、俳句集でも、なんでもデジタル化させて紙で出版できます。未来書店は出版社にも変身できます。リースでいいじゃないですか」 若者ふたりは異句同音に、購入することに賛成した。

 閉店後の三人での打ち合わせは、近ごろ夜の恒例である。もう21時を過ぎていた。「こんばんは」 3人が揃って訪ねて来た。全員が片瀬と同年齢、団塊世代の本屋の主人ばかりである。彼らも本屋存続の危機を共有する同志である。21時集合で、商店街の居酒屋「藤島」での議論を約束していたのである。
 全員が居酒屋に向かう。歩きながら本屋の仲井が言った。「零細書店は絶滅危惧種なんて甘いものではありません。片瀬さん、われわれはもうすぐミイラ化し、数年にして化石と呼ばれます。そうなる前に、本屋革命を起こしましょう」
<2010年11月11日木曜 この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №5 <ネット通販>

2010-11-09 | Weblog
 片瀬が考えた未来書店のこれからは、紙の本でも電子の本(Eブック)であろうが、本はみな本であるということだ。読者にとって、紙R(リアル)も電子E本も、すべて本である。そして通販会社と提携できないか?
 彼のブログを見たといって突然、電話がかかってきた。「未来書店の片瀬さんですか? 通販会社の『チャパネットタカラ』の高田と申します」。高田がはじめて未来書店を訪れたのは、2011年の春、近くの岡崎公園の桜が満開を迎えようとしていたころである。
 
 五郎は息子の伸介と、高田と部下の河野、四人で京都岡崎の料理屋で昼食をともにした。店番はいつもの通り、妻の文子である。
 高田は片瀬のブログを読んだときのショックを、こう語った。「片瀬さんのいうE板、イーバンですね。タブレット型携帯端末のアイバットなどを無料で消費者にプレゼントする。ゼロ円携帯のE板流ですね。そして初期画面はチャパネットの広告。タッチすればショッピングが楽しめる…。当社の宝社長はこのアイデアに驚き、わたしたちもユニークなあなたの発想を、革命的ビジネスモデルであると感動し、そして確信しました。通信販売業界のこれからは、ネット通販しか生き残る道はないのですから」 E板はそのころ何種類も発売され、価格も1万円に近づくのは近いと言われだした。
 片瀬の息子、伸介は高田の話しを受けて力説した。「高田さん、E板を無料でばら撒くのは簡単なことです。タダならだれでも欲しいですよね。大切なのは利用者に対するフォロー、メンテナンスです。ぼくは28歳ですが、若者は簡単にE板を使いこなせます。しかし大切なポイントは、高齢者や主婦層などです。頒布後のアフターケアが大切です。全国の本屋が、E板を無料でもらったすべての人を、フォローケアできるようにする。アイバットなどの携帯型E板を手にした利用者すべてに、懇切丁寧に使い方をお教えする。機械を渡せば終わり、あるいは勝手に始まる。そのように考えてはいけないと、わたしは信じています」
 これまでに片瀬五郎が友人仲間たちと何度も話してきたテーマだが、確信をもって堂々と語る息子の伸介に、五郎は眼がしらが熱くなる思いがした。「いつまでも子どもだった伸介だが、ずいぶん成長したものだ…」 信用金庫を昨年に突然、辞めてしまった伸介だが、片瀬には無二の相棒、尊敬に値する同志ができた。熱い喜びが溢れそうになった。

 五郎は部長の高田と、伸介と同年齢の河野に話した。「全国に1万余軒の本屋がありますが、町の書店は絶滅危惧種と呼ばれています。危機を感じている彼ら仲間書店を巻き込めば、日本国中におそらく数千軒のE通販の代理店・書店が誕生します。これからの時代、インターネットや電子書籍の端末でもあるE板を使いこなせなければ、時代から取り残されてしまいます。数多くの国民が、文化の棄民になってしまうことでしょう。本だけでなく日本文化の将来は、<E化社会>に高齢者を筆頭に、老若男女の全庶民が、乗れるかどうかにかかっています。若者や中年でも、機械に弱い人は意外に多いですし。Eブック普及のため、ネット通販の代理店もつとめながら、全国の弱小書店が立ち上がるべきときが来た。わたしはそのように考えています」
 片瀬は、この考えを父子で何度もぶつけ合って来た。仲間の井上、片山、三室たちにも意見を求めた。そしておおよその構想が固まった。ネット通販会社と、全国の書店有志が代理店契約を結ぶ。代理店書店は、E板やPCの使い方の講習を受け、電子書籍Eブックについても、読者・顧客に十分なフォローやアドバイスをする力量をつける。そして店を訪れる客に、ゼロ円E板、無料のタブレット型携帯PCをどんどん配布する。
 彼は信頼する京都の本屋仲間の数人にも、このプロジェクトに対する意見を求めていた。全員が「通販会社がOKなら、われわれも乗る。いまのままでは、全国の零細書店は、坐して死を待つのみ…」

 代理店である本屋は、自店が配布した端末で顧客が通販商品を購入すると、手数料として成約額の3%を受け取る。またE板を配布するときの使用法説明、申し込み手続きの手数料として1件2千円を得る。書店が代理店業務を続ける限り、この報酬を受け続ける。 
 ただし、直近6ヶ月間の端末E板の普及配布台数が○○台を下回ったとき、正当な理由がない場合、通販会社は個店との契約を解除する。しかし店の改築、店主の入院など、やむをえない理由であれば、契約は更新される。

 何度も、高田と河野は京都に来た。そして2011年秋、はじめてチャパネットの宝社長が、未来書店を訪れた。祇園の料亭で宝は「わが社は携帯型タブレット端末、片瀬さんの言う<E板>を、一千万台でもメーカーから購入し、消費者にプレゼントしようと考えています。片瀬さん、伸介君。日本の文化のために、コンピュータ革命の真っただ中で一緒にやりましょう。当然、全国の本屋さんのために。ついでに、若干ばかり、え~、E通販のために…」 その場の全員が大(笑)した。
 五人は力いっぱい手を握り合った。「伸介君は28歳ですね。いつも打ち合わせに同席させていただいた、わが社の河野健も同じ齢。どうですか、これから忙しくなります。河野君を未来書店に出向させようと思っています」
 高田は「わたしも遠くからですが応援します。困ったことがあれば、何なりとおっしゃてください」、交渉窓口だった彼は、感慨深げにこれまでの父子との熱い激論を思った。やっと、この新構想の実現を宝社長が確約したのである。
 「お願いします」 伸介と健は、涙あふれる眼で互いに、これからの健闘を誓い合った。ふたりは度々の交渉を通じて、信頼できる友人関係をすでに築いていた。
 伸介は新しい活動は有限会社・未来書店の業務ではなく、NPO法人を立ち上げるべきだと考えていた。法人名は「NPO全国SNS」である。SNSは通常、ソーシャル・ネットワーキング・サービスの略語だが、彼が考えた名は「全国書店ネットサービス」である。
<2010年11月9日火曜 この物語はフィクションです。隔日集中連載。続く>
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SF「未来書店物語」 №4 <電子書籍>

2010-11-07 | Weblog
 本屋のオヤジの片瀬は、2010年からブログをはじめた。ブログのタイトルは「未来書店―片瀬五郎の京都から」 
 暇で小さな町の本屋である。レジ横で、パソコン相手に日記を書いて発信するのが、趣味習慣になってしまった。開店当初の1990年のころは、そこそこの売上もあり、妻の文子も店番をしてくれた。子どもふたり、娘の洋子、2歳下の息子の伸介も、小学生のときから店番を引き受けた。公立学校に通うふたりは学費も少なく、細々暮らす分には生活に苦労もない。
 ところがその後、日商がどんどん減ってきた。1996年までは全国統計と同じく、右肩上がりだったのが、20世紀の末ころから、売上は落ち込んでいった。最近では、食べていくのがやっとの状態である。雑誌の配達もはじめた。近所の喫茶店、美容院、医院などに発売日の朝に自転車で配達する。
 数年前、大通り三条街道沿いに開店したコンビニに、まず雑誌客を奪われた。相手は24時間営業である。未来書店は朝10時から夜8時まで。セブンイレブンは本来、7時~23時営業から「セブン~イレブン」なのだそうだが、実態は店名偽称だ。「ゼロ時~24時営業」である。煌々と過剰照明を浴びた店舗は、年中無休で瞬時も休まない。雑誌にたよる町の書店の受けたダメージは著しい。「少年ジャンプ」も「ヤングコミック」「モーニング」「ポスト」も女性誌も、ほとんどの雑誌売上が激減してしまった。
 超大型店もバブル崩壊のころから、都市中心部に進出してきた。片瀬は京都四条に出店した全国チェーン展開のジャンク書房をみて驚いた。巨大な象か鯨と、蚤か蟻をわが身に置きかえたほどのショックであった。

 「どうすればアリンコのような零細書店は存続できるのか…?」 片瀬は毎日のように考え考え、そして考え抜いた。得るものがありそうであれば、若者からでも請うて意見を求めた。誰からでも、斬新な考えを受けた。そして彼は、自分なりの結論に辿り着いたのである。
 「ITの時代、どんどん広がる電子書籍・Eブックの流れに、逆手を取って乗るしかない」 2010年のことであった。先代の前川が開いた「未来書店」を1988年に片瀬が引き継いで、すでに20余年が経っていた。
 2010年は電子書籍元年と呼ばれ、紙に印刷された新聞雑誌書籍ともに、無くなりはしないだろうがどれもが凋落し、その内に過半を電子媒体が取ってかわるであろうと、声高に叫ばれた年である。
 コンピュータの歴史をみても、メインフレームすなわち汎用機が曲折を経ながらもパソコンにとってかわられ、つぎに携帯電話のスマートフォンの時代を迎えた。そして机上型パソコンは<E板>携帯型タブレットPCに、翌2011年あたりから本格的に移行し出した。E板もスマートフォンのOSも、ググールのアンドロードが主流になりそうである。コンピュータの第4次大革命が始まった。メインフレーム=パソコン=ケータイスマートフォン=携帯タブレット型多機能端末(片瀬の言うEバン・イー板)。パソコンという言葉はついに死語になりつつある。

 本屋の片瀬にとって、電子書籍・Eブックは敵ではない。電子書籍云々が叫ばれるずっと前から、中小零細書店は苦境に陥っていたのである。「本屋は本をお客さんに提供するのが使命である。それが紙Rリアルであろうが、電子Eであろうが、そんなことはどうでもいい。お客さんに喜んでもらうのが、いちばんであり、それが生きがいである」 片瀬は自分なりの結論に達した。

 彼は店からの帰路いつも、すきな散歩道を歩く。三条白川の小橋から白川沿いに、祇園新橋近くの中古マンションの自宅まで南に向かう。ゆっくり歩いても15分ほどの距離だが、川沿いの柳の並木道、風に揺れる細枝の柳緑が頬をなでる。何とも心地よい。
 片瀬はつぶやいた。「前川さん。やっと未来の書店がをやれるという確信がわいてきたよ。見守ってください」 翌日、妻の文子に店を任せ、片瀬は北山山中の静かな谷にある前川の墓へ、久しぶりの焼香に行こうと決めた。
<2010年11月7日 この物語はフィクションです。隔日集中連載予定。 続く>
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