ふろむ京都・播州山麓

京都の西山&播州山麓から、気ままな雑話をお送りします。長期間お休みしていましたが、復活近しか?

電子書籍元年2010 №4 <7億・7億・2億冊>

2010-07-28 | Weblog
 何ともクイズのような数字の羅列です。実は、大日本印刷DNP常務の森野鉄治氏が、日本国内の書籍事情を説明するのに使われた数字です。
 まず本が書店で年間に売れる冊数が7億冊から8億冊くらい。そして全国の公共図書館の貸し出し冊数が7億冊以上(図書館購入は2000万冊ほど)。古本では、ブックオフだけでも年間2億冊から3億冊の売り上げがある。
 これを簡略して、紙本の売り上げあるいは利用冊数は、「7億冊+7億冊+2億冊」、合計のべ16億人の市場であるという見方です。実にわかりよい本市場の分析だと思います。

 しかし最新の本の現状をみていますと、新本を扱う書店の書籍売り上げは、7億冊を切ってしまったかもしれません。
 図書館は公共図書館のみの統計です。大学などの学校図書館や、公共図書館での館内閲覧などをいくらか加味すれば、8億冊をとっくに超えたであろうと思います。

 また古本のブックオフの売り上げは、3億冊に近づいているそうです。また既存の古書店古本屋での売り上げもあるし、インターネットでの古書古本通販もかなり伸びています。
 なかでもアマゾン古書・マーケットプレイスの利用者はかなりの数にのぼる。1冊1円の掘り出し物には驚く。わたしの自慢の秘蔵書が1円で出品されているのをみたとき、たいへんなショックを受けてしまいました。
 古書は本来、需要と供給で相場の値が決まると、昔からいわれています。かつては相場を覚えるのが新米古書店人の基本であった。ところが現代では値付けは、ウェブ情報の検索比較で決定するようになってしまった。素人でも値付けが可能です。
 かつてたくさん売れ、たくさんの読者がいっぱい自宅に持っている過去のベストセラーなどは、アマゾンではほとんどが1円。ただし送料の340円を1冊注文ごとに払うので、実質の購入価は341円になりますが(送料はその後、250円に値下げされました。251円が最低購入価。)

 1996年をピークにその後、毎年のように減り続けている新本書店の売り上げですが、十数年にしてついに3分の2ほどの規模になってしまいました。原因はいろいろいわれていますが、図書館利用者の大幅増加、ブックオフ店頭やインターネット利用の古本購入。この図書館と古書依存も、新本書店を苦境に追いやった大きな原因です。

 直近1年間のわたしの推計ですが、日本の年間の書籍推定統計は図書館貸し出しが8億冊、新本書店の売り上げが7億冊。そして古書古本売り上げは5億冊ほど。これくらいが直近の妥当な数字ではないかと判断しています。<8億+7億+5億=20億>
 成人の日本人は、決して心配するほどには活字離れをしていないようです。財布の紐が固くなったのでしょう。無料と安価に向かったのだと思います。ただ若者や子どもたちには危惧しますが…。

 DNPグループの紙書籍小売関連会社をみますと、公共図書館を主要顧客とする「図書館流通センターTRC」、大学図書館や研究教育機関を顧客とする「丸善」(書店部門は8月より分離)。一般客を主に商う「ジュンク堂書店」「文教堂」。そして古本の「ブックオフ」。
 公共と大学の図書館、新本書店、古本書店、すべての紙本屋に、DNPは盤石の基盤を築いたようです。8億・7億・5億冊、合計20億冊の紙本の世界に、DNPは着実に布石を打った、そのように思います。
 そしていま始まろうとしている電子書籍。紙本とIT世界の本、どのようにシフトし、また読者にとってベターなバランスがとれるのか? 紙と電子のハイブリッドとは? グーテンベルク以来の大革命が、書籍雑誌の世界に始まったことは確かなようです。
<2010年7月28日> [追記: 8月31日からアマゾン古書の送料は、250円に下がりました ]
追記2011年5月8日、アドバイスにより実名記載。南浦邦仁。
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電子書籍元年2010 №3 大日本印刷DNP創業

2010-07-26 | Weblog
 DNPホームページには、創業史がつぎのように記されています。

 文明開化まもなくの明治9年(1876)10月9日、秀英舎(大日本印刷の前身)が誕生。「印刷」を通して知識・文化を広めなければならないという情熱をもって、佐久間貞一ら4人が創業を開始した。仏教・神道布教のための新聞や一般日刊新聞の印刷をてがけた。
 また、秀英舎が印刷した『改定西国立志編』は、厚紙の開発から行った、日本ではじめての純国産の洋装本であった。新しい時代に迷う明治の人々の心を高揚させ、大ベストセラーとなる。こうして時代は、印刷技術の発展とともに、雑誌の創刊ブームへと移っていく。
 書籍・雑誌の印刷を軸に拡大していった秀英舎は日清印刷と合併し、昭和10年1935に、大日本印刷株式会社となる。

 「秀英舎」が最初の社名ですが、命名したのは勝海舟。初代社長に就任する佐久間貞一が勝を訪れた。新しく設立する印刷会社の名を、選定していただきたいと。
 海舟は「将来、英国の右に秀でる覚悟で、事業の発展に努力せよと激励した。そして筆をとって『秀英舎』と題して佐久間に与えた」。英国の右に秀でる会社の意である。<『七十五年の歩みー大日本印刷株式会社史』昭和27年 大日本印刷株式会社刊>

 DNPには、創業の勝精神がいまも衰えず、活きているのではないでしょうか。英国はさておいても、世界一流を技術でもヴィジョンでも「目指し発展に努力する」
 展望や戦略の揺らいでいる組織は弱い。ヴィジョンの無いに等しい組織などは問題外だが、DNPにとって、勝海舟が与えた世界一流を目指し努力せよという課題は、いつまでも永遠に不滅であろう。
 坂本龍馬に明け暮れる今年だが、DNPにも不滅の遺伝子として、龍馬同様にいまも勝海舟の精神が息づいているのかもしれないと思うと、実に興味深い。
<2010年7月26日>
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電子書籍元年2010 №2

2010-07-25 | Weblog
 出版業界で、いまいちばん注目されている会社は、大日本印刷DNPではなかろうか? DNPは、出版業界の駆け込み寺ともよばれている。傘下には、丸善・図書館流通センターTRC・ジュンク堂書店・文教堂書店・ブックオフなどを集結した。
 DNPの戦略は何か? なぜ本屋をそれほどまでに手中に求めるのか? これまで不明といっていいほど、ヴィジョン不鮮明な霞のなかのDNPだったが、近ごろやっとその姿がみえだしたように思う。
 今秋、DNPは電子書店を開業する。約10万冊のコンテンツを一堂に揃え、とりあえずTRCの通販書店である「bk1」で電子書籍の販売を開始する。7月8日の発表である。さらには来年中に、30万冊を揃えるともいう。
 DNPの狙いは、紙印刷とPOD(オンデマンド紙出版)、そしてデジタル電子書籍を複合した「ハイブリッド制作ソリューション体制」の強化である。
 おそらく絶版・品切れ本を中心に、出版社から預かっていた印刷用版下デジタル原稿をもとに、電子出版するのであろう。品切れ本は、これまで無用の長物であった。書店にも出版社にも著者にも、1円の利益も産まない。メリットは古書店にしかなかった。入手不可だった本が電子再版されれば、これからは古書店が苦しむのではなかろうか。
 これが電子版であろうが再度、陽の目にあえば、わずかでも著者には印税が届き、出版社には手数料が入る。DNPの作業は、出版社から預かっていた版下電子情報をbk1に流すだけであるといってもいい。せいぜい、あとはマージンを出版社に返すだけである。印税は出版社が著者に払う。
 そのためには確かに、著作権の問題をクリアする必要がある。しかし著者は、これまで絶版品切れ扱いで、印税を長年得ることができなかったのである。喜んで同意するであろう。ひとりでも多くの読者に読んでもらいたい、それが著者の本心である。
 本を出版するとき、出版社は著者と出版契約書を取り交わす。この数年、契約書には「電子出版を、将来行うことに同意する」という一文が記載されているという。この同意書がなくとも、絶版品切れ本の著作権者は、電子書籍出版に同意し、たいていの方が電子再版契約に押印するであろう。
 DNPは電子書籍をネット販売するだけではない。電子再版するにあたって、「この本はかなり売れそうだ」と判断すれば、数年ぶりに紙再版が決定する。おそらく500部か1000部か、あるていどのロットが見込めれば、紙印刷再版が決まる。
 しかし少部数しか見込めない場合は、読者からの注文にPODで対処する。だが最低でも紙で数10部、あるいは100部くらいは固いとなれば、読者からの注文を受けずとも、見込みでオンデマンド印刷し、丸善・ジュンク・文教堂に見込み送本するのではないか。店頭でそれらの本を目にした読者は、驚くに違いない。「えっ。長年品切れで、古書では○○円もするのに…。それが新本でたったの○円!」
 どのような本を再版すれば売れるか? あるいは売れないか? ジュンク堂書店と資本提携した昨春以来、ジュンク店頭での売れ行きをコンピュータ分析し、予測値冊数の結論を出したという。わずか1年間ほどの解析である。その成果を今回の再版本の選択決定に活かしたらしい。驚くべき会社である。大日本印刷DNPのことを、しばらく考えてみたいと思っています。
<2010年7月25日>
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

電子書籍元年2010 №1

2010-07-24 | Weblog
 近ごろ、書籍電子化の動きが急ピッチになったようです。特にこの6月以降、インターネット上には、関連情報が溢れだしたように感じます。

 ある図書館の方から聞いた話しをまず紹介しましょう。
 大日本印刷DNPにつとめる友人と、休日に会ったそうです。彼は「iPad」を持参。「なぜ印刷屋の君がiPadを持っているのか?」と聞くと、「仕事柄、これからは携帯端末のことも、知っていなければいけない時代です。DNPでは、本業だった紙の印刷比率はわずか20%ほどになってしまいました」
 そのiPadで雑誌「ヴォーグ」を開いたところ、画面は実にきれい。そして驚いたことに、モデルさんにタッチすると、「歩き出した!」。これには心底感動し、「紙は負けた!」。そう確信したと話された。

 ジャーナリストの片山通夫さんは「ジャーナリストネット」www.journalist-net.com 7月15日版に記しておられる。
 「iPad」ではPDFファイルで掲載できる。PDFなら、書体もレイアウトもそのまま表示される。それなら「電子雑誌」を日本語版をベースに、世界各国翻訳版も発信できると確信した。
 「わたしはいま、電子雑誌に向けて思案中である。いわゆる写真週刊誌的なマガジンの発行を目論んでいる。その昔、アメリカでもてはやされた『LIFE』のような雑誌だ。そこには調査報道や写真グラフはもちろん、時事評論も掲載したい。出来れば短編小説も挿絵入りで。四季折々の風景も世界に紹介できる。…次の課題は、編集とともに、コンテンツの提供者を探すことである。果たしてわたしの『真夏の夜の夢』とあえなく終わるかどうかは、まだこれからである」

 作家の瀬名秀明、桜坂洋、堀田純司氏ら9人が、iPadなどに向けた電子雑誌「AiR」エアを6月に創刊した。発刊の趣旨は、紙の「本や雑誌が読まれなくなったのは、提供する側のやり方に問題があるのではという疑問が出発点。電子書籍の登場で、出版は装置産業ではなくなった。テクノロジーが豊かな生活をもたらす可能性を提示したい」:京都新聞2010年7月23日
 電子雑誌の利点として、紙雑誌では制約を受ける原稿の枚数制限がない。またデザインで自由に冒険できることをあげておられる。

 これまでわたしは、紙の本について、読むこと、書いてあること、そのようなことばかりを、このブログで触れてきました。しかし本来、わたしにとって本は、売るものなのです。出版書店業界に、長年かかわってきたアナログ人間です。
 だが近ごろ、時代の激変のなか、電子書籍化の渦を傍観することは、なぜかできない、してはいけない、そのような思いが突然、湧いてきました。不思議です。
 デジタル音痴のわたしですが、学び考えながら、これから気ままに記していきたいと思っています。なお筆名は、片瀬五郎に一本化します。
<2010年7月24日>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都の新学舎

2010-07-17 | Weblog
 京の街中では、ビルやマンションなどの工事はめっきり減りました。ところが例外は、大学校舎の建築ラッシュです。全国的な傾向でしょうか。
 すごいなと感心するのが、まず京都府立医大病院です。決して広くはない敷地に、建物がびっしり詰まり、いまも大きな一棟を建設中です。空地は減ってしまい、これ以上の増設はむずかしそうです。敷地内の緑も少ない。ただ東に鴨川と東山、西に京都御苑御所があります。上層階からの眺めはいいのでしょう。入院されている方々の目を、和ませていることでしょう。

 仕事で大学をあちらこちら廻っていますが、宇治市の京都文教大学は大きな新学舎が完成し、この夏休みに引っ越し。その後、低層の古い建物を取り壊し、また新しい建築がはじまるそうです。
 京都薬科大も、造って壊しの繰り返しです。まもなく立体の駐輪場の工事がはじまり、完成すると現駐輪場にビルが建つ。
 京都光華女子大は看護学科を来春から開設。テニス場あとで突貫工事中。京都嵯峨芸術大は、古い建物の耐震強度の懸念から、新学舎建設を開始。京都大は長く続いた建築ラッシュはだいぶ落ち着きましたが、まだ工事は続いています。
 京都ノートルダム女子大も、旧舎を建て替えることが決定しているのですが、キャンパスに新設するためのスペースがない。そこで決定したのが、近くの国立京都工芸繊維大の構内に、ノートルダムの校舎を建てること。いくら徒歩数分とはいえ、よその大学に学舎とは前代未聞です。数年後に本校が完成すると、工芸繊維大KIT内の建物は、ノートルダムからKITに譲渡される。実にユニークな相互扶助です。

 ところでKIT工繊大にはごく最近、あいついで三棟が新築されました。同大学には建築家やデザイナーなどの先生方が、たくさんおられる。競作で建てられた三棟は、いずれも独創的な建築ばかりです。
 また古い建物にも文化財が多い。登録有形文化財では、本野精吾やヴォーリズ設計の近代建築があります。それらはいまも利用されています。
 正面の守衛室でひと声かければ、キャンパスに入れてくれる自由な雰囲気の学校です。建物めぐりも楽しい。
 それと美術館の「美術工芸資料館」もおすすめ。9月16日まで、クラシックポスターなどを集めた「近代日本のグラフィックデザイン」展を開催中。ただし日曜祝日は休館です。ところでこの美術館は、東の比叡山に向き合うことを前提に建てられたそうです。2階窓から眺める叡山は美しい。
<2010年7月17日 山鉾巡行の朝>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京出町「餃子の王将」

2010-07-15 | Weblog
 出町の餃子の王将。以前に書きましたが、いい店です。フランチャイズの店主は井上定博さん。ところが突然、先週の月曜日から店は臨時休業でした。玄関ドア張り紙に、「店主入院のためしばらく休業いたします」
 常連客はみな心配していました。そして今日、店に井上さんの姿がみえました。10数日ぶりのことです。
 「どうしたのですか?」と聞くと、
 「実は店の中で、夜なかに肩を骨折してしまって…」
 まだ痛く、完治していないのに、明日から店を開くといわれる。心配ですが、エールを送ります。

 以前に書いた王将出町店のブログ「島耕作の皿洗い」
 http://blog.goo.ne.jp/0000cdw/e/8b6f225dfa4afdccf410ccb5f2dccb1c

 とりあえず、心配していたみなさん、よかったですね。ただ井上さんはまだ完治していないようです。ぜひ応援に行ってくださいね。
<2010年7月15日>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都学派240年

2010-07-10 | Weblog
 近世美術史家の冷泉為人先生が、興味深い話しを京都新聞に寄せておられた。概略は、
 安永天明期(1772~1789)、京都にはそうそうたる画家たちが、雲霞のごとく現れ活躍した。伊藤若冲しかり、円山応挙、与謝蕪村、池大雅、曽我蕭白、長沢芦雪、呉春…
 また学者・文人では、売茶翁、大典、皆川淇園などなど、書き出せばきりがない。自由闊達で重密なヒューマンネットワークが、このころ京に築かれた。
 「独特の文化風土、芸術的風土があって、それが京都学派に連なる」
(京都新聞2010年7月8日「私のモノがたりー絵画史研究へつながる原点に」)

 この時代のことは、わたしも少しばかり、かじってみましたが、京都文化は百花繚乱。それが後の自由闊達な「京都学派」の原点であるという見方には、なるほどそうかと、眼からウロコが落ちました。

 ところで京都学派の巨星のおひとり、天才とよばれた梅棹忠夫先生が亡くなった。7月3日、90歳。
 梅原猛先生は「追悼・梅棹忠夫さん」(京都新聞7月7日)で、
 ー―あるとき、梅棹氏が私に「あなたは酒をたくさん飲むらしい。酒なんかくだらないからやめなさい」と言った。私はその忠告に従わなかったが、六十を超えてほとんど酒を飲まなくなった。しかし梅棹氏は五十歳を過ぎて酒を飲み始め、毎日ウイスキー一瓶を空にしたらしい。それを聞いて私は梅棹氏に、酒なんかくだらないからやめなさいと言いたかったが、遠慮して言えなかった。
 -ーそして梅棹氏に学んだことは、三点あるとしておられる。
1 独創的な学問。学問の創造を教えられた。
2 フィールド調査の学。今西錦司先生の流れ。
3 桑原武夫・梅棹氏は、学者は政治家に智恵を与え、よい仕事を政治家にさせるべきであるという考えであった。梅棹氏は国立民族学博物館を創設し、梅原猛先生は国際日本文化研究センターを開設。

 ところで、桑原武夫先生の七回忌、追悼シンポジウムが日文研で開かれた。ずいぶん前のことですが、壇上で梅原先生が「あれは確か、昭和○○年…」と発言されると、間髪をいれずに梅棹先生が「西暦年で言ってください。わたしはつねに西暦で記憶しています」
 梅梅論争とか梅梅対決などといわれていたころです。会場は一瞬、水を打ったように静まり返りましたが、その後どっと大爆笑の渦が巻き起こりました。20年近くも前のことです。

 18世紀の百花繚乱の時代から現代につながる京都学派。現代を代表する巨人であった梅棹先生に、こころよりご冥福をお祈りし、合掌いたします。
<2010年7月10日>
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ビール腹

2010-07-04 | Weblog
 夏になるとビールを飲みすぎ、樽のような太鼓腹がいちだんと、出張ってくる。ふつうはそうなのでしょうが、わたしは毎夏、体型がスリムになります。不思議な現象ですが、もう何年も続いています。原因は、夏の酷暑と多汗。
 そして秋ごろから次の夏前まで、脂肪はまた蓄積されていく。まるで、冬眠をひかえた山の熊などによく似ています。そういえば、冬場のわたしは、動きがにぶくなるようです?
 わたしの仕事は、京都府と滋賀県を毎日、車で走りまわること。配達営業をやっていますが、冷房をそこそこ効かせた愛車から降りると、外は熱帯。そして得意先の事務所は白クマさんの住まいのよう。
 このように寒冷地と熱帯の行き来を、夏場の毎日、何10回も繰り返します。汗まみれになりますので、車中ではミネラルウォーターをがぶ飲み。おかげでダイエットにつとめずとも、勝手自然に腹がへこむのです。

 「夏バテではないですか?」ともいわれます。たしかに、急激な腹脂肪減は、そうかもしれません。酷暑のこの時期、ガツガツと本を読むこともなくなり、駄文のひとつでも書こうかという気も失せる。
 バテルは辞書では「ばてる」であって、漢字がない。「果てる」が変化した語でしょうが、ぐったりし、元気がなくなる。果てるは「はててしまう」、すなわち失せる、死ぬ。

 「ケガレ」も関連語です。ケガレは「気が枯れる」。気(き・け)、元気、活力、気力が枯れる。生命エネルギーが減退することをいいます。
 「ケガレ」に汚れや穢れなどの漢字が、後世に当てられたために、本来の意味がわからなくなってしまったのだと思います。
 水が涸れるも同様。「離れる」(かれる)も同じく、霊魂が肉体から離れてしまうことをいいます。

 腹がへこむのは歓迎ですが、果て、気が枯れつつある状態では、つらいものがあります。
 ところで「果てる」「気枯れ」については、昨年の夏にこのブログで書いているのですねえ。ああ、やはりバテているのですね。
<2010年7月4日>
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする