ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

島耕作の皿洗い

2008-01-13 | Weblog

 職場の近くに、よく行く中国料理店があります。神戸などでは中華ですが、京都では中国料理といいます。かつて都だった京ならではのライバル意識でしょうか。中国漢民族が自称する「中華」とは、いいません。
 ところで大好きな店の名は「餃子の王将」出町店。席数はわずか十いくつで、カウンターばかりのささやかなお店です。
 仕事を早めに終えた夜など、ビール一本と餃子一人前だけを注文して、いつもカウンターで本を読みます。ご主人の井上定博さんは、そんなわたしを学者だと勘違いされていて、「京大か同志社の先生でしょう?」。職業と本名はあかしておらず、いつも「はははっ」と、わたしは笑ってごまかしています。
 店の周辺は学生街です。客の九割ほどは、食欲旺盛な大学生ばかり。そんな学生向きの大盛りご飯をはじめて見たとき、仰天してしまいました。どんぶり鉢二杯分ほどの米飯が、いまにも倒れそうな姿で盛られているのです。おそらく日本一の大盛りでしょう。しかし大中小とも値段は同じ。小盛りを注文したひとは、損をした気になるかもしれません。
 またすごいのがポスター「めし代のない人、お腹いっぱいただで食べさせてあげます。但し食後30分間お皿洗いをしていただきます。18才以上の学生さんに限ります」。これはジョークではありません。本当に貧乏学生が皿を洗っています。
 店主の井上さんは、二十歳のときにいまの奥さんと結婚しました。親の反対を押し切っての駆け落ち同然だったそうです。そして六畳一間のボロアパートで暮らし、子どもも産まれました。安月給の八百屋勤めだった彼は「家族のため、こんな貧乏生活から抜け出さねば」と決意し、ラーメン屋の開業を考えます。
 彼のアパートのすぐ前に、創業間もない「餃子の王将」支店が開店しました。井上さんは早速出かけ、技を盗もうと店員の作業を観察します。「なんや、ラーメン作るのなんか簡単やないか。やっぱりいろんな料理が作れなあかん。」
 そして王将チェーンに就職し、がむしゃらに働きました。就職の一年半後には一戸建て住宅を購入、ローンは入居の一年半後に完済したといいます。わたしなど、いまだに賃貸住宅暮らしなのですが。
 入社のころ、王将の店舗は十軒もない時代でした。彼はすぐに、全店の模範店長になります。食材の吟味や大盛りサービス、皿洗いで無料提供などなど、新しいアイデアをどんどん商売で実行していきました。三十五年前、彼が二十三歳のとき、社長賞を受けます。副賞はなんと五十万円。そのころの五十万は、いまの二百万円くらいの値打ちでしょうか。全店の全員が、また客もが認めたからです。王将チェーンは、現在五百店。

 マンガ家の弘兼憲史(ひろかねけんし)さんの作品「島耕作」シリーズに皿洗いのシーンがあります。かつて中国から京都の同志社大学に留学していた貧乏学生、出発集団総裁の孫鋭。中国人の孫が20年後、中国で大実業家になり、思い出深い京都に商用でやって来る。彼は島耕作を連れて、学生時代に世話になった飯屋に行きそして突然、ネクタイ姿で皿洗いをはじめる。
 弘兼さんは、京都出町の無料皿洗いの話をひとから聞き、島耕作の名場面に取り込んだのです。
 「週刊新潮」2006年11月9日号「とっておき 私の京都―餃子の王将出町店―弘兼憲史」に、出町店で皿を洗う弘兼さんの写真と文が載っています。いい文章です。抄録で若干書きかえていますが、記事全文と写真は王将出町店でご覧ください。

 賀茂川と高瀬川とが合流し、京の町を南北に貫く鴨川になります。そのV字地点の西岸一帯が「出町」です。住宅街が拡がる界隈を歩いていると、面妖な貼り紙が目に飛び込んできました。<めし代のないひと、お腹いっぱいただで食べさせてあげます>。要は30分間皿洗いをすれば、ただ飯を食わせてくれるというのです。ただし、学生に限る。全国に500近い店舗網を持ち、日に120万個の餃子を売り捌く「餃子の王将」チェーンのなかでも、そんな太っ腹なサービスを提供しているのはここ「出町店」だけでしょう。
 カウンターの向こうで「ぼくは、皿洗いは大の得意です」とエプロン姿も勇ましく、腕をまくるのは、漫画家の弘兼憲史さん。代表作『島耕作』シリーズの愛読者なら、皿洗いの名場面を思い出すかもしれません。
 中国の大手電気会社との業務提携に向け、島は陣頭指揮をとっていました。ある日、調印のため来日した中国人の「出発」集団総裁・孫鋭は、日本留学中にバイトしていた食堂に島を連れて行く。そして孫鋭総裁が突然、「お金を持っていないので、皿洗いします」と背広を脱いで、ネクタイ姿で皿洗いをはじめます。島も連れ立って皿を洗い、厨房の大掃除に乗り出す。功成り名を遂げた実業家の意外な貧乏学生時代。思わずほろりとする名エピソードでした。
 皿を洗う弘兼さんは、笑いながらこういいました。「ここでの皿洗いは、作画のヒントをいただいたことへの、ささやかな恩返しです。」……この店では、学生とともに、みなが泣きそして笑う。古都の暮らしのよき伝統は、いまも健在。

アクセス/「餃子の王将」出町店/075-241-3708(月曜休)
 上京区今出川通河原町西入ル二筋目上ル
 東海道新幹線・京都駅下車~「河原町今出川」バス停から徒歩5分
原作/『取締役 島耕作 第3巻』弘兼憲史著 モーニングKC881 2003年4月22日発行 講談社
<2008年1月13日>

※ 追伸です。出町王将は近くに移転。新店名は「いのうえの餃子」です。

詳しくは「だいぽんさんのコメント」をご覧ください。<2024年7月28日>

 

 

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2 コメント

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出町王将 (だいぼん)
2024-07-22 19:25:19
数年前に出町王将は店を閉じました。
王将本部の意向で「FC70歳定年」ということによります。
しかし、井上大将は「若い子らの胃袋を満たしたい」という願望をお持ちで、
近くに「いのうえの餃子」を開店されました。
いま、そこではかつての「皿洗い」のイベントも健在で、
いくらか歳を食われた大将も、相変わらず元気です。
今こそ、弘兼憲史先生に取材に行ってほしいほどです。
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出町王将 (さんろく)
2024-07-23 07:01:46
お知らせ、ありがとうございます。
わたしは長いこと、出町に行ってません。
井上さんは、相変わらず頑張っておられるのですね。
久しぶりに応援に行ってきます。
返信する

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