ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

2012-08-27 | Weblog
硫黄島は戦争末期に玉砕しました。島の地下に巡らしたトンネルなどに立てこもった将兵は2万人以上。新聞記事によると最近、同島地下壕の通信所で大型の無線発信機がみつかったそうです(8月20日付け京都新聞朝刊)
 米軍は2月19日に上陸を開始し、摺鉢山の頂上に有名な「硫黄島の星条旗」を立てたのが昭和20年3月23日。陸海軍守備隊総指揮官の栗林忠道中将が最後の電報を本土に向けて打電後、総攻撃を命令したのが3月26日でした。
長文の電報ですが、そのなかに「国の為 重き努を 果たし得で 矢弾尽き果て散るぞ悲しき」
 打電の4日後、大本営はこの電報全文を国民に向けて発表しましたが、文章は改ざんされています。散るぞ「悲しき」も「口惜し」に変更されています。
 「最高指導官ヲ陣頭ニ皇国ノ必勝ト安泰トヲ祈念シツツ全員壮烈ナル総攻撃ヲ敢行ストノ打電アリ。通爾後通信絶ユ。コノ硫黄島守備隊ノ玉砕ヲ、一億国民ハ模範トスヘシ。」
 硫黄島の海軍司令官だった市丸利之助少将も同様に、本土に向けて打電しています。この無線機は数年前に発見されていますが、電文は「本土ノ皆サン サヨウナラ」だったといいます。

 矢弾(やだま)尽きた後の無残な突撃ですが、「矢弾」が気になります。矢玉とも書きますが、いうまでもなく鉄砲玉です。しかし矢とは何か? 内地では当時、竹槍で本土決戦をとなえていましたが、弓矢まで準備したとは聞きません。
 戦国時代の言葉ではないでしょうか。種子島に伝来した火縄銃が国内で生産され、当時の戦さは刀と槍、弓矢そして鉄砲。矢弾なり矢玉は、江戸時代初期まで使われた言葉のはずです。
 ところが現在でも国語辞典に載る言葉であるのは、「矢魂」(やだま)の名残ではないかという気がします。万葉の時代から、幸魂という言葉がありました。さちたま、さきたま、さちみたま、さきみたま。幸「さち」は矢(さ)と鉤(ち)。獲物をとるための霊宿る呪的な道具です。
 静岡県や愛知県の方言では、猟師は幸を「しゃち」といいました。「しゃちが向いた」は、矢弾が命中した。「しゃちがきれた」は、矢弾が外れた。おそらく古くからの弓矢による猟の時代から、その後の猟銃による狩の時代、彼らは矢玉「しゃち」に霊の働きを信じていたのでしょう。

 硫黄島の激戦は、DVD映画を最近にみました。『硫黄島からの手紙』『硫黄島 父親たちの星条旗』『硫黄島 戦場の郵便配達』。「戦争に英雄などいない」という米兵のせりふが記憶に残りました。
<2012年8月27日 南浦邦仁>
コメント (2)

「幸」字考 (10) 青い鳥

2012-08-25 | Weblog
メーテルリンクの戯曲『青い鳥』は、幸福の鳥をさがして異世界を巡るチルチルとミチルの物語です。出版は1909年、その2年後には彼はノーベル文学賞を受賞しています。大正期、日本でもメーテルリンクは好評で、たくさんの翻訳書が出版されています。
 宮澤賢治もメーテルリンクの著作を何冊も読み、大きな影響を受けています。まず大正6年(1917)の短歌に「チルチルの声 かすかにきたり」と記しています。
 1921年に書きあげた「かしわばやしの夜」(『注文の多い料理店』所収1924)で、森の木の話しは『青い鳥』とそっくりです。『銀河鉄道の夜』にもメーテルリンクを思わせる記述がいくつも出て来ます。
 この連載の前回でみた『グスコーブドリの伝記』もしかり。まずブドリとネリの家族構成です。父親は木こりで、母と兄と妹の4人暮らしです。チルチルとミチルの父も木こりで、母と4人暮らしでした。ただ平和で仕合わせだった両兄妹の歩む道のりは、その後おおいに異なります。

 賢治がメーテルリンク作品を読んだのは、妹トシの影響だといわれています。トシは「私は自分に力づけてくれたメーテルリンクの智慧を信じる」と記しています。
 日本女子大学校に入学したトシは、同校の創設者である成瀬仁蔵の講義に深い感銘を受けた。成瀬は講義「実践倫理」で、メーテルリンク著『青い鳥』『万有の神秘』『死後は如何』などをテキストに講義しました。トシから兄賢治へ、成瀬が講じたメーテルリンクと著作は吸収されていきました。『タンタジールの死』も賢治は読んでいます。
 面識こそなかったけれど、成瀬仁蔵は宮沢賢治の師でもあったわけです。成瀬は1919年に亡くなりますが、神秘思想を極めた彼は最終講演会で「有限の肉体から無限の生命に入る」と語っています。逝去の2カ月ほど前のことでした。

 『銀河鉄道の夜』は「本当の幸い」を探し求める旅でもあったわけですが、メーテルリンクは『死後は如何』で「心霊は幸福以外のものには一切無感覚である」と述べています。賢治は、生者もまた「本当のさいわい」を求めることが大切であるとしました。
 ジョバンニは親友のカムパネルラと永遠の別れをとげるとき、友にこういいました。
「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く」
 賢治は昭和4年(1929)の友人宛書簡で「宇宙には実に多く意識の段階がありその最終のものはあらゆる迷誤をはなれてあらゆる生物を究竟の幸福にいたらしめやうとしてゐる」

 成瀬仁蔵は、メーテルリンクのいう宇宙意思から、自我の形成発展について述べている。まず身体的自我から家族的自我、学校的自我へ。そして国家的自我、人類的自我、さらには宇宙的自我へ。
 賢治は「自我の意識は個人から集団・社会・宇宙と次第に進化する」「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』)
 山根知子氏は『宮沢賢治 妹トシの拓いた道』(朝文社2003年)で次のように記しておられる。銀河鉄道の旅を通じてジョバンニは<「あらゆる生物をほんたうの幸福に齎(もたら)したい」という「宇宙意思」と一致する願いを自らのものとするに至ったのだと説明できる。>
 巨人の思想をみていると、凡人は頭がくらくらしてくる。今日は大阪に出かけて福島菊次郎さんの映画と、夜の飲み会で気分を一新します。梅田まで、銀河鉄道ではなく阪急電鉄です。
<2012年8月25日 南浦邦仁>
コメント

「幸」字考 (9) グスコーブドリ

2012-08-19 | Weblog
宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』がアニメーション映画になりました。グスコー家の少年ブドリは、木こりの父と小さな畑の世話をする母、そして3歳年下の妹ネリの4人家族。自然も幸福もいっぱいの恵まれた生活を送っていました。ところがブドリが10歳の年、不幸がはじまります。
 「お日さまが春から変に白くて、いつもなら雪がとけると間もなく、まっしろな花をつけるこぶしの樹もまるで咲かず、五月になってもたびたび霙(みぞれ)がぐしゃぐしゃ降り、七月の末になっても一向に暑さが来ないために去年播いた麦も粒の入らない白い穂(ほ)しかできず、大抵の果物も、花が咲いただけで落ちてしまったのでした。」
 秋になっても稲も栗も一粒も実らなかった。この年、ほとんどの家族は備蓄食糧でなんとか冬を越しました。ところが翌年も、すっかり同じでした。秋になるとほんとうの大飢饉がイーハトーブ地方をおそいます。冬になると多くのひとびとは、山の木の実や野草の根、木の柔らかな皮など、いろんなものを食べました。
 グスコー家の食糧はもう底をつきかけています。父親は「おれは森へ行って遊んでくるぞ」。よろよろと雪のなか、森に向かって出て行きます。翌日には母親が「わたしはお父さんをさがしに行くから、おまえたちはうちに居てあの戸棚にある粉を二人ですこしずつたべなさい」。押しとどめる兄と妹を振り切って、やはりよろよろと雪のなかを森に向かいました。
 父と母は、せめてふたりの子どもを救うために、自らの生命を絶ったのです。ブドリとネリの数奇な運命はこのようにはじまりました。

 そして何年もたちました。ひとりぼっちになったブドリは、クーボー大博士にその才能を見いだされます。博士の紹介でイーハトーブ火山局の技師として活躍します。
 ブドリ27歳のとき、またあの恐ろしい寒い気候がやって来ました。「こぶしの花が咲かなかったり、五月に十日もみぞれが降ったりしますと、みんなはもう、この前の凶作を思い出して生きたそらもありませんでした。」
 青年はクーボーに聞きます。「先生、気層のなかに炭酸瓦斯(ガス)が増えて来れば暖くなるのですか。」
 博士は地球の気温は大気中のCO2の量と相関関係にあること、またブドリが考えている大火山島を爆発させれば「瓦斯はすぐ大循環の上層の風にまじって地球ぜんたいを包むだろう。そして下層の空気や地表からの熱の放散を防ぎ、地球全体を平均で五度位温(あたたか)にするだろう」
 しかし人為的に火山を噴火させるというこの計画を実行するためには、最後のひとりが無人の火山島の火口近くに踏みとどまらなければなりません。当然ですが、そのひとりの命は失われてしまいます。
 子どものころに体験した、父と母を失い妹とも生き別れた悲惨。いまイーハトーブの住民に再来する不幸を、どうしても防ごうとブドリは決意していた。彼は実行し成功した。グスコーブドリの最期です。そしてこの年、秋の稔りは豊かだった。

 この連載の前回、幸い「さいわい」をみてみました。「咲き這う」から来た言葉なわけですが、植物、作物が繁り咲き実り栄える。そのためには太陽の正常な活動が必須です。「さいわい」の対語は、生命力の低下あるいは消亡を意味する「気枯れ」(けがれ)ではないかと思います。そして幸いの対極にあるのが「凶作」「飢饉」でしょう。
 現代世界では品種改良、安価な肥料や農薬、そういったもので収穫が安定しているのでしょうが、アメリカは今夏、大旱魃(かんばつ)に襲われ、トウモロコシや豆類の生育が危機的状態といいます。この凶作が来年も、またその翌年も続けばたいへんです。
 総合商社は来年に対する緊急施策として、アフリカの農場の整備と供給契約を結んだそうです。日本人はアフリカ産で救われても、現地の貧しいひとたちはどうなるのでしょう。もし来年が旱魃で、不作なり凶作がアフリカで起きたら、わたしたち日本人は当然の権利として、現地人から穀物を奪うのでしょうか。また深い井戸から盗み取る大量の地下水で、地元の人間を殺してでもトウモロコシを育てるのでしょうか。

 賢治は苛烈な気象と天候のことを詩『雨ニモマケズ』に記しています。グスコーの家族、イーハトーブの住民たちを襲った天候異変、そして飢饉の悲惨の記述と重なる思いがします。太陽の光が正常に射さないと、健康な人間であっても、たくさんの数の生命が奪われてしまうのです。
 なお詩の「ヒドリ」ですが、日照りの誤記だとされています。果たしてそうでしょうか。いずれにしろ太陽活動の低下あるいは活発化は、大気の状態とともに、たいへんな不幸を地表にもたらします。
 「ヒドリ(ヒデリ)ノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ………」
<2012年8月19日 南浦邦仁>

コメント (6)

「幸」字 考 (8) 「さいわい」

2012-08-17 | Weblog
 サキクについては前に書きました。『万葉集』にたびたび出てきます。また『古事記』では、コノハナノサクヤヒメの出産の「無事に」が<サキク>です。「産時不幸…幸」<産むとき幸(サキク)あらじ。…幸(サキク)あらむ>。古事記でも万葉でも「サキ」は無事、つつがなき、変わりなき状態をいいます。
 サキクは副詞で、名詞はサキ、動詞はサキハフ。サキハフの名詞形はサキハヒです。そしてサキハヒが転じて「サイハヒ」「さいわい」になったといわれています。

『岩波古語辞典』の解説がわかりよいと思います。
<さきはひ>幸ひ sakifafi
サキ(咲)・サカエ(栄)・サカリ(盛)と同根。
成長のはたらきが頂点に達して、外に形を開く意。
ハヒはニギハヒのハヒに同じ。
生命力の活動が活潑に行われる。
サキハヒは植物の繁茂が人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
対して、サチは狩猟(と漁労)の獲物の豊富さが人間に仕合せをもたらす意から成立した語。
<サキハヘ>幸へ sakifafe(e:乙類)
サキハヒの他動詞形
成長力の活動を盛んならしめ、それによって幸いあらしめる。

 サチは弓矢の「サ」矢と、釣針の「チ」鉤が合体した語で、猟と漁の獲物、収獲物をいう言葉に転じました。
一方の「サキハヒ」「サイハヒ」「さいわい」は、植物が繁り花咲く。<咲き>サキなどから来た語で、植物の豊かな稔り、収穫物の豊富をいう言葉に転じてきたようです。
 なおサキハフ、サキハヒの「ハフ」「ハヒ」は這う、這いで、這うように広がって行くこと。繁茂を意味するそうです。

 「幸魂」をサチタマ・サチミタマ・サキタマ・サキミタマといい、幸に「サキ」と「サチ」の両方が用いられます。幸魂は猟漁と作物に関する呪力・霊魂と考えるべきでしょう。
 猟漁のサチと、農作物などの植物性サキを本来は使い分けていた名残ではないでしょうか。
 いずれにしろ、幸は海山のサチ、そして穀物などのサキ。動物性も植物性も、豊富な食べ物に恵まれることを、ともにいう語であるに違いありません。
 「幸」字、<サチ>とサキ<サイワイ>の本来の原点はそこにあったに違いないと思っています。最後に、古い用例をいくつか列記します。

『万葉集』894(7~8世紀)
 「言霊 佐吉播布(さきはふ)国等 加多利継」 言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国と語り継ぎ

『佛足石歌』(753年ころ)
 「佐伎波比乃 阿都伎止毛加羅」 幸(さき)はひの厚き輩(ともがら)

『竹取物語』(900年ころ)
 もし、幸(さいは)ひに神の助けあらば

『伊勢物語』107(平安時代初期)
 身さいはひあらば、この雨は降らじ

『宇津保物語』祭りの使い(10世紀末)
 幸(さいはひ)なき君にもいますかるかな

『源氏物語』玉鬘(11世紀初め)
 さいはひの、あるとなきとは、隔てあるべきわざかな

『枕草子』181(11世紀初め)
 よろしき人の幸(さいはひ)の際(きは)と思ひて、めでうらやむめれ

『平家物語』祇王(鎌倉時代)
 さいはゐはたゞ前世の生まれつきでこそあんなれ

『太平記』長崎新左衛門尉意見事(14世紀)
 今コソ待處(まつところ)ノ幸(さいはい)ヨト思テ
<2012年8月17日>
コメント

「幸」字 考 (7) 梅ちゃん先生

2012-08-11 | Weblog
毎朝7時過ぎ、NHKの朝ドラをみています。昨年末までの月給取りのころは、朝の時間はあわただしく、前の「カーネーション」をみたのは年明けの後半だけでした。いまは時間に恵まれており、NHK-BSで7時15分から「ゲゲゲの女房」の再放送と、続いて開業医「梅ちゃん先生」を毎日楽しんでいます。時間は様変わりしました。
 つい先日のこと、往診に行った梅ちゃんが病に臥す老人、早野の脈をとってこういいました。
 「ご臨終です。みなさんに囲まれて、(早野さんは)幸せな最期だったと思います」
 早野の最期が「幸せ」だったのは、梅子先生の力が大きい。早野がかつて勘当したひとり娘が実家に孫を連れて戻り、息を引き取る父親の最後にもそばに寄りそい母娘孫ともに父の手を握りしめた。梅ちゃんの尽力があったからこそ、親子和解の「幸せ」です。

 さてこのシーンでは、「幸せな最後」であって、サチとかサイワイとか幸福とかの言葉は、この場面にはそぐわないのではないでしょうか。「シアワセ」がいちばん似合うように思えてなりません。
 「シアワセ」「幸せ」「仕合わせ」「為合わせ」とは、どのような意味を本来持っているのでしょうか。

 現代の日本語辞典をみてみます。
「しあわせ」為合・幸・仕合 「しあはす」の名詞形
①めぐりあわせ。運命。良い場合にも悪い場合にもいう。
②良いめぐりあわせ。幸運。
③事のなりゆき。事の次第。
④事のしよう。しかた。
⑤運が向く、幸運にめぐりあう。

 梅ちゃんのいう「シアワセ」は、良いめぐり合わせ、結局は恵まれた運命、良いように結実したこれまでの成り行きなどとして用いた「仕合わせ」なのでしょう。

 いまでもたまに「幸せがよい」とか「幸せが悪い」と聞くことがあります。もともと「仕合わせ」は良くても悪くても、運命なり成り行きとして使った言葉です。それが江戸時代にだんだんと、現代語の「幸福」の意味が強くなっていくようです。元禄時代の井原西鶴『日本永代蔵』(1688)や『世間胸算用』(1692)には、たびたび「仕合わせ」「幸い」が出てきます。どうもいまの幸福に近い用法です。西鶴のことはいつか書きたいと思っていますが。

 関が原の合戦の直後、1603年にイエズス会の宣教師たちがつくった『日葡辞書』は貴重な史料です。「仕合わせ」も載っています。
「Xiauaxe」 シアワセ (為合せ)
 好都合、よい折り。またはよい結果、あるいは悪い結果。
「Xiauaxe,suru,eta」 シアワセ,スル、セタ (為合せ,する,せた)
 物と物を整え合わせる。あるいはぴたりと合わせる。
 (裏と表を為合はする)
 着物の表地を仮縫いする。裁ち合わせる。または、きちんと会うようにする。

 西鶴作品の百年ほど前、安土桃山時代の日本人が用いていた語「仕合わせ」「為合せ」は、どうも着物の仮縫いから生まれたもののようで、物の表裏がうまく合うように願うことから来た言葉と考えられます。
 ぴたっと合えば「仕合わせが良い」。そうでなければ「仕合わせが悪い」。本来の仕合わせは、現代でいう「幸福」では、どうもないのです。良い幸せが幸福なのでしょう。

 平安時代後期から鎌倉時代の辞書『類聚名義抄』には「シアワセ」は載っていません。同書には「サイワイ」はたくさん記されています。またサチとサキは「幸魂」(サチ・サキ・タマ・ミタマ)に出る。「幸福」は名義抄にも日葡辞書にも西鶴にも見あたりません。
 サイハヒ(さきはひ)サイワイとサチ・サキはかなり古い語で奈良朝以前から使われていた。そして「仕合わせ」はどうも室町時代にはじまり、語「幸福」は上田秋成『雨月物語』(1776年)からはじまるようだ。断定はまだまだできませんが、近ごろそのように思っています。
<2012年8月11日 南浦邦仁>
コメント (2)

「幸」字 考 (6) 語源

2012-08-08 | Weblog
ふだん何気なく使っている言葉や地名など、たまにふと「なぜ?」と思うことがあります。語源なり本来の意味が気になったりします。またその言葉はどのように使われ方が変遷してきたのか? どうでもいいようなことが不思議になって、当然でなくなってしまうのが不可思議です。
 ナーガさんからコメントをいただきました。「幸」や「幸福」といった言葉の本来の古い意味を追うことに、確かにどれほどの意味があるのかしら。サチ、サイワイ、シアワセ、コウフクなど、現代のわたしたちはほとんど同じ意味で使っていますが、本当はどうなのか? また時代とともに、それらの言葉はどのように変化して来たのか? やはり気になります。

 京都には感謝の言葉、「おおきに」があります。大阪やほかの地方でも使う言葉で、ありがとうございますの意味ですが、語源ということで「おおきに」に寄り道してみます。「幸」とは直接の関係がありませんが、ちょっと道草食いの暇つぶしです。
 「おおきに」のひとつの意味は「おおきにありがとうございます」の省略形です。しかし古語「おほきに」の本来は「非常に」「たいへん」の意の副詞です。広辞苑では室町時代からの語とありますが、平安時代にも使われています。

 「年ノ程よりおほきに大人しう清らかに」源氏物語
 「天衆この事を見己りて、皆おほきに歓喜し」金光明最勝王経(平安初期点)

 『金光明最勝王経』は確認していませんが、1079年記のある『金光明最勝王経音義』でしょうか。
『竹取物語』にも「おほきに」が出ますが、「非常」によりも、サイズの大きさをいうようです。だいぶ前に、このブログで<かぐや姫と京言葉「おおきに」>を5回連載しました。そこで「おほきに」初出を『竹取物語』としたのですが、変更せねばなりません。

 現代における「おおきに」を考えてみましょう。祇園などの舞妓が席に遅刻すると「おおきに、おおきに、すんまへん」。残念ながら、舞妓さんから直接に聞いたことはないのですが、お茶屋での体験者の弁です。
 この用法は「ありがとう、ありがとうございます、すんまへ~ん」ではありません。「本当に非常にたいへん、すんまへ~ん」な訳です。ここでは本来の副詞として使われています。
 勘定をすめせて蕎麦屋から出るとき、別にうどん屋でも食堂でも土産物屋でもいいのですが、従業員がふたりおられれば、ひとりはわたしの背中に「おおきに」、もうひとりが「ありがとうございます」。両者は間髪を入れずにふたこと発します。
「おおきに、ありがとうございます」であって、その逆「ありがとうございます、おおきに」は聞いたことがありません。「おおきに」は副詞なのです。当然、省略してしまって、ありがとうを「おおきに」ともいいますが、本来の用法は現代でも副詞です。

 語源「幸」の話しから「おおきに」に寄り道してしまったのですが、幸福探しはどのような道を歩むことでしょう。チルチルとミチルの幸福の『青い鳥』はどこかに飛び去ってしまいました。
<2012年8月8日 南浦邦仁>
コメント

「幸」字 考 (5) 「サキク」

2012-08-04 | Weblog
 コノハナノサクヤビメ(木花之佐久夜毘売)が妊娠する話しが『古事記』にあります。「わが妊(はら)める子、もし国つ神の子ならば、産むとき<幸く>(サキク)あらじ。もし天つ神の御子ならば、<幸く>(サキク)あらん」
 原文をみますと「吾妊之子、若国神之子者、産時不幸。若天神之御子者、幸」。現代語訳は、国つ神の子であれば、出産のときその子は無事ではありますまい。もし天つ神の御子であるならば、無事に生まれましょう。
 ここに<幸>字が出ますが、幸は幸く<さきく>で意味は<無事>にです。
 『万葉集』には<サキク>がたくさん出て来ます。意味はやはり<無事>つつがなき、事故なく健在……。以下、日本古典文学全集『万葉集』全4巻(小学館)を参考にしました。

【30】 「雖幸有」 幸(サキク)あれど 
 サキクは無事健在の意味。

【648】 「奈何好去哉」 いかにサキクや 
 サキクやはお元気で。「好去」は中国の俗語でさようなら、お元気でなどに当たり、旅立つひとに向かっていう別れの言葉。好去と書いて「サキク」と読んでいます。

【894】 題「好去好来歌」(かうきょかうらい)
「都ゝ美無久 佐伎久伊麻志弓 速帰坐勢」 つつみなく サキクいまして はや帰りませ
ツツミ(怪我・事故)なく、サキクは題詞「好去」(無事に)。
題詞「好来」は、早く帰りませ。好去好来は別れの挨拶。

【1142】 「命 幸久吉」 命(いのち)を 幸(サキ)く良(よ)けむと 
 サキクは無事で。

【3227】 「好去通牟」 サキク通(かよ)はむ
 サキク(好去)は無事に、つつがなく。

【3253】 「辞挙叙吾為 言幸 真福座跡 恙無 福座者」 言挙(ことあ)げぞ我(あ)がする ことサキク まサキクませと つつみなく サキクいまさば
 「言挙げをわたしはする お元気に ご無事でいらっしゃいと つつがなくお元気であられたら」
言幸は、祝福の言葉の通りに平穏に。「いませ」は、いらっしゃい。「つつみなく」事故なく、恙無く(つつがなく)。

【3254】 「真福(マサキク)在与具」 マサキクありこそ
 ご無事でいらっしゃい。無事の帰着は疑いない。

【3691】 「佐伎久之毛」 サキクしも
 つつがなく、無事で。

【3927】 「多比由久吉美乎 佐伎久安礼等」
「旅ゆく君を サキクあれと」(比は女ヘン) サキクは無事で元気で。

【3957】 「和可礼之時尓 好去而 安礼可敝理許牟 平安 伊波比氐待登 可多良比氐」 別れし時に まサキクて 我(あれ)帰り来(こ)む 平らけく(平安) 斎(いは)ひて待てと 語らひて
 「別れた時に 元気で わたしは帰って来よう 無事でいて 謹んで待てと 語りあって」
好去はマサキク。元気で、無事で。


【3958】 「麻佐吉久登」 マサキクと
 マサキクあれ、元気であれ。

 「サキク」無事をみてきましたが、字は「幸」「佐伎久」「幸久」「福」「佐吉久」「好去」などがあてられています。いずれも「サキク」です。「幸」字のことはもう少し考えてみたいと、思っています。
<2012年8月4日>
コメント