電話をかけてきた彼は、同志社大学の卒業生です。関係者までもが、この変更提案に反対しておられる。「実は母が多々羅(同志社田辺の現住所)の出身。昔、小学生のころ夏休みにはいつも母の実家に行き、都谷の継体天皇筒城宮碑あたりで、カブトムシやクワガタをよく捕った思い出があります。思い出はさて置いても、町名を変更したところで、何の得がありますか? 同志社の自己満足でしかないのでは?」
確かに、郵便物を送るにしても<京田辺市同志社大学○学部○○様>と記すだけで届きます。地名を書く必要もないのです。町名変更をしても、喜ぶのは印刷屋さんだけかもしれません。同大には何のメリットもありません。
御所の北、同志社大・同志社女子大の今出川キャンパスの地名をみますと、まず「相国寺門前町」。この町名が圧倒的に広く、敷地の半分以上を占めています。そして西から、御所八幡町、岡松町、玄武町、新北小路町、常盤井殿町。いずれも歴史を背負った地名ばかりです。隣接する重要文化財、冷泉家住宅も玄武町。京都御苑の北側対面はこの町名です。玄武は北を意味します。
これらすべての町名を同大は、「同志社」1丁目2丁目などと変更することを希望するでしょうか。ありえません。
京田辺も地名に関しては同様です。1500年の歴史を刻む土地であって、単なる雑木の丘陵地帯ではありません。もしも変更するのであれば、近鉄奈良線の興戸(こうど)駅です。先日のことですがある友人から「息子が同志社田辺に下宿しているのですが、近鉄電車で行くにはどこの駅で降りればいい?」。「興戸です」と答えると「コウド?」
JR片町線の最寄り駅は「同志社前駅」、近鉄は「コウド」駅です。興戸も地名ですが、せめて駅名だけを「同志社」駅とでも変更するのが、ベストあるいはベターな選択ではないでしょうか。おそらく近鉄も地元住民も、反対しないのではないかと思います。
近ごろの同志社はかつての立命館のように、自らを見失いつつあるのではないか? そのように思えてなりません。関西の私学でいちばんの評価、受験生が志望する大学ナンバーワンは同志社大学と、もっぱらの評判です。
外からの評価が高いと、組織であろうが個人であろうが、何が正しいのか見失ってしまうことがあります。歴史はたびたび同じことを繰り返してきました。トヨタ自動車は、豊田市と名付けたことがその後の蹉跌のはじまりかもしれません。本田は社名を「ホンダ」としたことが最大の失敗であったと、創業者自身が認めました。人名、町名、社名…すべてに共通する、奢りや過剰な自信、思い上がりを感じます。名を誇り、末代まで残そうとする利己的遺伝子かもしれません。
たぶん同志社はいま、頂点にあるのでしょう。あとは凋落かもしれません。かつて新島襄や山本覚馬らが築いた礎石は今出川にあります。そして京田辺では、継体天皇の宮の礎石のうえに建っているのです。
<2010年2月晦日>