ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

飛翔する天狗とドローン

2014-09-05 | Weblog
 Eマガジン「LAPIZ」(ラピス)秋号に「天狗とドローン」を寄稿しました。読みごたえある記事満載です。購読おすすめ。販価わずか300円です。

 

<飛行する天狗>

 天狗は古代に誕生して以来、天空を飛行する怪物であった。中国で二千年以上も前に生まれた天狗だが、その正体は宇宙から飛来する隕石である。当誌前号で「元祖天狗は隕石だった?!」と題して紹介したが、古代中国において、爆音とともに宇宙から地球に到る。地表に達した隕石「天狗」は獣の姿を現す。犬に似た異空間からの未確認生物こそ地上の天狗、天空からの狗、すなわち宇宙から堕ちて来た犬類とされた。
 古代日本においても西暦637年、大化改新のすこし前に僧旻(みん)が語ったように、落下する隕石が天狗であった。彼は留学僧として隋唐で長年学んだ。中国天文学の常識にしたがって、「流れ星ではない。天狗である」と断言したのである。
 唐の玄宗皇帝の動物園に、見慣れぬ獣が飼われていた。詩人の杜甫が「天狗賦」に観察記を残しているが、その異形の犬類こそが、天空から地に到った天狗と信じられていた。異国から連れて来られた大型犬か獰猛な野獣であったのだろうか。
 しかし日本史においては、隕石であった天狗はその後、四百年間も消え去ってしまう。どこにも記述がない。再びやっと登場するのは平安時代の中期である。『宇津保物語』や『源氏物語』に記されたが、天狗は姿の見えぬ妖しい森の精霊である。
 深山はもともと日本列島人にとって、さまざまの霊が棲む畏れ多い不可思議な異界であった。日本人に根強いアニミズム思想が、姿をみせぬ山や樹木など自然の霊あるいは妖怪として、『日本書紀』に記述された流星天狗を復活させたのではないか。民族の意識の底に沈みこんだ「天狗」は、四百年間の熟成をへてやっと現れた。しかし身体は不明で宇津保でも源氏でも、天狗は姿を皆目みせてくれない。
 そして平安後期になって、日本の天狗はやっと姿形を持つ。語られ描かれた天狗はいずれも半鳥半人である。人間に似てはいるが背には鳥の羽翼を備え、顔面には鳥のクチバシがある。森に棲息する彼らは、空を自由自在に飛びまわった。その姿は天竺インドの迦楼羅(かるら)、ガルーダに似る。
 隕石から誕生した天狗たちは、長い歴史のなかで日本では双翼を獲得し、天空を思うがままに飛翔する鳥人類へと進化したのである。流星への先祖返りとみるべきであろうか。

 馬場あき子著『鬼の研究』に「天狗への憧れと期待」とういう名文がある。著者は天狗の「飛行」行動に特に注目する。
 天狗は「その原型に『大流星』という不可解な非生物的現象があったことはたしかである。流星、彗星など、星の変化を怖れたのは、それが天帝の意思に属することと考えたからであるが、天狗もまたこうした星の一つであったのであろう。……古い時代の、流星を天狗とする説がずっと意識の底流にあったことをものがたるものである。そしてまた、天狗が宇宙空間とかかわり、飛行(ひぎょう)をその性能のひとつとせざるを得ない発想も、ここにひとつの根があるといえる。/天狗の飛行も、もちろん現実の空間を縮めるためのものではなく、冥界や未来界との間をつなぐ飛行なのであって、天狗が形態の上に鳥の翼をもっていたこともそのためである。」

 戦国期から江戸時代にかけて天狗は徐々に堕落していく。背の翼は失われ、顔面の嘴は消え、かわりに鼻が伸びる。赤ら顔で羽団扇を手に、高下駄で地上を闊歩する彼らは地に堕ちた天狗の無残な姿でもあろう。近世になると飛行天狗はごくわずかが残ったが、ほとんどは地を歩くひょうきんな妖怪たちになってしまった。不思議なことに日本の天狗は、狗の姿をとったことが一度もない。
 中国では天空から飛来し、山中の犬のごとき獣として定着した天狗であった。天狗であるから姿は犬、すなわち狗である。ところが日本では、生い立ちこそ同じく宇宙からの飛来物であったが、森の妖精にまず変身し、つぎに山岳信仰とからまって自由に飛翔する半鳥半人へとその姿を進化させて行く。そして四百年ほどの昔、ほとんどの天狗は翼と嘴を失い、地表の異形へと変化して行った。


<飛行体の時代>

 そして二十世紀、天狗は再び天空を舞う。1903年にアメリカのライト兄弟が人間としてはじめて、動力飛行機で空を飛んだ。人類史上の画期であろう。地上のヒトが、半鳥半人に進化をとげたのがこのときである。現代における新しいメカ天狗の登場といえそうだ。
 その後、百年ほどにして人工飛行体はどんどん進化していく。ミサイルやロケットなど、そして最近注目されているドローン(無人飛行機)がある。それらは鋭敏なセンサーを持ち、コンピュータと組み合わさり、強力な推進力で宇宙へも飛翔する。
 人類が月にはじめて到着したのは1969年である。アポロ11号に搭乗するふたりの宇宙飛行士、アームストロングとオズドリンが月の地表を踏みしめた。ライト兄弟の快挙のわずか六十余年後のことである。
 先月の新聞で報道されたが、英国が日本と新型ミサイルを共同で開発することが決まった。空対空ミサイル「ミーティア」であるが、日本の兵器産業は本来、最新ミサイル技術という軍事機密を友好国とはいえ、海外に出すことなどありえなかった。ところが安倍政権は今年4月に武器輸出三原則を改変し、軍用装備品新輸出ルールとして「防衛装備移転三原則」を制定した。
 欧州の六ケ国が共同で開発中のミサイル「ミーティア」は、敵の強力な電子妨害にも負けない性能を持つそうだが、日本が提供する技術は標的物を識別し補足する三菱電機製の高性能センサーである。このミサイルが完成したあかつきには、日本由来の眼力センサーが天空で敵機をとらえて撃墜する。ところで英語「METEOR」(ミーティア)とは、「隕石・流星」の意味である。命名は偶然であろうが、天狗の遠祖ではないか。
 また米国には迎撃ミサイル「パトリオット2」PAC2用の三菱重工製センサーを輸出する。この新ミサイルはカタールが輸入することがすでに決定しており、イスラエルも入手を希望している。そして移転第三弾はオーストラリアへの大型新鋭潜水艦になりそうだ。

 近ごろ流行している新型天狗はドローンという無人飛行機であろう。アメリカ軍が多用していることで知られるが、米国防総省の定義では「無人機とは人間が乗りこまず、動力ケーブルなどなしに遠隔操作で動き、兵器も搭載できる航空機や船舶、車両などであり、ミサイルや魚雷、軍事衛星は含まない」。無人機の内の航空機が無人飛行機「ドローン」である。
またネット企業のアマゾンは、配達用無人ヘリ「Prime Air」を実用化しつつある。時速80キロ以上で飛び、重さ2.3キロまでの荷物を運ぶことができる。現在同社の扱う荷物の86%が2.3キロ以下だそうだ。アマゾンの担当者は「いつの日か、空を飛ぶアマゾンPrime Airのドローンは、道を走る郵便トラックと同じくらい日常的な光景になる」

 有名な無人攻撃機は「MQ-9 リーバー」と「MQ-1 プレデター」。アフガニスタン、イラク、パキスタン、イエメン、ソマリアなどに出撃し、これまでにおおよそ七千人を殺害したという。テロリストを標的とする小型ミサイルでの攻撃が任務だが、誤爆や巻き添えなどで民間人も多数が犠牲になっている。ステルス機能を備えており、レーダーでも機を捕捉しにくい。米軍のアフガニスタン侵攻の一週間前の2001年10月7日、まずアフガンに向かったプレデターがミサイルを放ち開戦の口火を切った。恐ろしい飛行体である。
 ところで「プレデター」(PREDATER)は、アーノルド・シュワルツェネッガー主演のSF映画のタイトルである。映画では宇宙から来た凶悪な肉食獣のプレデターは、光学迷彩装置を装着しているために体が透明状で人間の眼にはほとんどみえない。ジャングルを自在に移動し人間を喰う凶暴な宇宙人である。英語「PREDATE」の意味は、「獲物を捜す」「捕食する」。無人攻撃機の名はここから取っているのだろう。このネーミングは救いようのないブラックジョークだ。

有名な無人偵察機には「グローバルホーク」もあるが、いずれも世界各地の戦場や紛争地での実戦に投入されている。ところでドローンの有人操縦席だが、アメリカ本土の安全な軍事基地内にある。宇宙衛星経由の遠隔操作によって、アメリカから地球の裏側でも往復させることができる。本土米軍基地内の操作者はいつもデスクに陣取る。そして偵察やミサイル攻撃などの作業を終えると、そのまま自宅に帰る。平凡な日常と戦場を日々行き来するという異常な心理のなかで彼らは暮らしているのである。
 ところで「ドローン」(DORONE)だが、英語の意味は雄蜂。いつも巣にいて働かない怠け者のことだそうだ。戦場に出ずに安全な基地のデスクに陣取って、何千キロも向こうでミサイルを撃つ。そんな彼らを「怠け者の雄ハチ」と呼んだのだろうか。

 つい先日、7月17日の新聞に共同通信の配信記事が載った。見出しは「米無人機攻撃18人死亡 パキスタン北西部」。アメリカ軍はいまだに世界各地で、ドローンによるミサイル攻撃を繰り返しているのだ。
天狗たちはきっとこう断言するだろう。「残虐非道なドローンの殺戮行為は天狗の道に反する。軍用無人機は天狗の子孫末裔ではない。あれは魔の申し子に違いない」。
最後に共同の記事を紹介する。【イスラマバード共同 2014年7月17日】
 パキスタン北西部の部族地域北ワジリスタン地区で16日、米国の無人機が家屋や車両をミサイル攻撃し、地元メディアによると武装勢力メンバーとみられる少なくとも18人が死亡した。地元当局筋は死者の多くがウズベク人やアラブ人など外国人だとしている。/パキスタン軍は同地区を拠点とする武装勢力の掃討作戦に乗り出しているが、政府は米国の無人機攻撃について、パキスタンの主権を侵害していると反発している。
<2014年9月5日>

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イスラム国の魅力

2014-09-02 | Weblog
ISISイスラム国は、なんとも不可解です。しかし世界中から志願して戦士が集まって来る。不思議な集団です。広瀬隆雄氏がイスラム国の妖しい魅力を解析しておられます。


「イスラム国」の妖しい魅力の源泉について
2014年08月31日 http://markethack.net/archives/51935315.html


シリアとイラクで急速に勢力を伸ばしている過激派、「イスラム国」は土着の(indigenous)政治運動ではありません。

つまり「イスラム国」のメンバーを結び付けているものは、人種でも、地縁でも無いのです。

彼らはカリフ(最高指導者)によって治められる国家の設立を目指しています。ここで彼らの考えるカリフとはスンニ派のリーダーを指します。なおシーア派は、シーア派なりにカリフとは何たるか? に関する考えがあり、スンニ派の考え方とは一線を画しています。

いずれにせよ「イスラム国」はスンニ派のリーダーによる国家建設を目指していることから、ひとつの宗派の世界観に根差した共同体と言えます。

「イスラム国」の前身は、ヨルダンのストリート・ギャングだったアブ・ムサブ・アル・ザカウイが2004年に発足した、アルカイダのイラク支部です。

2011年にシリアで内戦が起こると、アルカイダ・イラク支部のメンバーは活躍の場を求めてシリアに入ります。

アメリカは、「アサド政権は圧政を敷いているので好ましくない」という考えから、シリア内の反政府勢力を応援します。アサドの側でも、割拠する四つの反政府武装グループ同士を反目、衝突させることで自分への攻撃の集中を避け、こっそり延命する作戦に出ます。

このような駆け引きの中で、ISISは毒を持って毒を制する戦術の急先鋒として、アサド政権からも欧米からも自由に動き回ることを黙認されました。この過程で、ISISはどんどん力をつけてきたわけです。そしてその暴れん坊ぶりと残忍さがアルカイダにすら手に負えなくなったことから、最近になってアルカイダとISISは袂を分かったわけです。

もともとアルカイダはサウジアラビアの大手建設会社を経営していた有力ファミリーであるビンラーデン家のウサマ・ビンラーデンが始めた運動であり、世界の情勢に通じ、常にジェット機でパリやニューヨークを往復するようなライフスタイルの人間が始めた組織なので、当初からジョン・ル・カレやケン・フォレットのスパイ小説に描かれるようなソフィスティケートされたスパイ活動の訓練を身上としてきました。

これと対照的に「イスラム国」は中東全体に散らばっているパレスチナ人などの、声なき人たち(disenfranchised)が、日頃の抑圧を跳ね返すためストリート・ギャング化したという背景から生まれた集団です。つまり公民権の剥奪や差別などの疎外が動機付けになっているのです。

従って統治が破たんし、市民がよりかかる権威や庇護の無くなってしまった場所を好んで巣食うという性質を持っています。もっとわかりやすい言い方をすれば「政治が悪いから、ならず者たちの庇護をうけざるを得ない」という状況です。

「イスラム国」は奪った石油施設から上がる収入、募金、人質に対する身代金の要求などを活動の財源にしていますが、その中でも最も大きい割合を占めるのが、ゆすり(extortion)です。つまりなす術のない無力な市民に「おれがおまえを守ってやる。だからお金を出せ」というわけです。

無抵抗な市民は脅されたらお金を出す以外無いわけですが、それは「イスラム国」の「国民」という定義からは程遠いと思います。つまり「イスラム国」が支配しているというシリアからイラクにまたがる広大な地域は、国家としての体裁を持っているのではなく、ギャングの縄張りに他ならないのです。そして巻き上げたお金や石油の密売から上がった資金を、再分配し、公共サービスや安全を提供しているように見せているわけです。

ただ、声なき人たちにとっては、これはある種のロビンフッド的な浪漫を感じさせる運動かも知れません。そしてそのような英雄神話は、同じように社会から疎外された英国、フランス、米国などに居る若者にも妖しい魅力を持つわけです。驚くほど多くの西欧の若者が、「イスラム国」に参加するのはそのためです。

これはナチス運動の中から出てきた突撃隊(SA)などに相通じる、民心の病理と言えるでしょう。
<2014年9月2日 南浦邦仁>
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