ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

京都の地下鉄

2012-07-21 | Weblog
 京都人にとって、地下鉄といえばまず烏丸線、そして遅れて完成した東西線でしょう。
 烏丸線は昭和56年(1981)に京都駅と北大路間がまず開業し、後に延伸して北は国際会議場と南の竹田間。さらに近鉄に乗り入れて新田辺までつながりました。
 東西線は平成9年(1997)に醍醐から二条間。そして後に東の六地蔵から西は太秦天神川まで伸びました。
 しかし昭和56年の烏丸線開通をもって、京都はじめての地下鉄とするのは間違いです。実は昭和6年(1931)から京都には地下鉄があるのです。区間は短いですが、西院駅から大宮駅までのひと駅間。いまの阪急電車京都線ですが、この線は大阪の淡路経由で天神橋、そして十三と大宮の終点を結んでいました。
 もともとの経営は京阪電鉄でした。京阪から阪急が引き継いだのは戦後、昭和24年です。それまでは京阪電車だったのです。当時をご存じの年配者は、阪急電車のことを新京阪といまでもよびますがその名残りです。

 ということで戦前から京都には地下鉄があったのです。大阪の地下鉄の開通はそれより2年遅れでした。関西はじめての地下鉄は、京阪電車のこの区間だったわけです。
 阪急はその後に延伸して、十三終点を梅田に、また大宮から地下で四条河原町までつなぎました。河原町までの地下貫通は昭和38年(1963)です。それまで新京阪、すなわち阪急電車の京都始発は大宮駅だったのです。

 経営が京阪から阪急に移ったころ、京都にはアメリカ軍が進駐していました。当時もアメリカは世界最強の軍事経済大国です。国力は日本が足元にも及ばない超先進国でした。
 しかしアメリカは広大です。米兵の多くが田舎の出身者です。GHQ京都司令部にテキサス州の片田舎出身の青年がいました。「京都を案内してほしい」と、彼は司令部のある大建ビルにつとめるある日本人に頼みました。アメリカの田舎者からすれば、京都は驚くばかりの先進の大都会なのです。空襲被害もわずかしか受けていませんでした。
 行きたい先は清水寺か金閣寺、あるいは嵐山か? しかし意外なことに、彼が望んだのは「京都には地下鉄があるそうだな。平原を走る汽車は故郷でみたことはあるが、サブウェイは聞いたことしかない。土産話しに一度乗ってみたい。案内してくれないか」
 大宮駅と西京極駅の間をふたりで往復したそうです。アメリカはとてつもない超強大国ですが、兵隊たちは文明を享受していない田舎出身の素朴なひとたちが大多数でした。
 GIの彼が語った言葉は印象深い。「日本はこんなに技術の進んだ国なのに、なぜ戦争でアメリカに負けたのか。不思議だ」
<2012年7月21日>
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