ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

株価 乱高下

2013-05-25 | Weblog
 アベノミクス効果で、わずか半年で7割ほども急上昇した株価が、週末の2日間でめまぐるしい動きを見せました。わたしがブログで株価のことを書くのははじめてで、自分でも興味関心の変化に驚きます。
 株に目が向きだしたのは先月4月から。友人のKさんにお会いすると、いつも株談義でした。わたしは株に興味がありません。しかしこの数カ月、彼のことをわたしは「相場師さん」と呼び、熱心な話を聞くうちに「わたしも参戦してみようか」という気になってきました。

 実は数十年前、20歳のころから株式投資をやっていたことがあります。その時はたいして儲けることもありませんでしたが、視点が大きく変化します。世界は?日本は?これからどうなる? そのような目でニュースや情報を追うようになりました。確かにそれはおもしろい。
 ただ儲け至上主義になると、「東京電力という会社は許せない!」という決意だったのが、最近の急騰を見て「東電はまだ上がりそうだから買おうか」。などと助平根性を起こし、自分の正義観が揺らいでしまうこともあります。そうなると零細ですが株主です。原子力ムラの一村民として、東電の味方のような視点に立ってしまうようです。利益という目的のためなら、手段を選ばず、ですね。良心や正義も吹き飛びかねません。
 それから、頭のなかの回路が変化してしまいます。儲けを指向する回路が勝手に生まれるようです。ハニートラップ・サーキットでしょうか。わたしの脳など容量も小さく賢くもありません。新しく誕生した回路は幅をきかせ、他の既存回路を圧迫する可能性を感じます。
 

 そんなこんなで、株に熱中すると志が低下し、一段といやしく貧しい人間になってしまう危険性がある。かつての体験からの教訓です。
 だから相場には関わらない、という結論に行くべきですが、しかし株には人を魅了する魔力がある。そしてわたしには情報を収集し読み解くための自由な時間がある。だが金銭的余力は少ない……。
 えいやっ! 始めてしまいました。すると早速この乱高下です。人間も金銭も、貧困に落ち込まないか、試練の試験開始です。
<2013年5月25日>
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変わる妻たち

2013-05-18 | Weblog
 毎年2度ほど、夫婦で海外旅行に出かけるセレブな仲良し初老夫妻がおられた。うらやましい限りでした。わたしなどふたりで温泉に行ったことも長年ありません。しかし驚いたことに、理想のご夫妻が60歳を過ぎたばかりで離婚してしまわれた。なぜ?あまりに不可解です。
 ご本人には聞けないので、女性ふたりにこの話しをしてみました。答えは同じです。「夫と海外旅行! 国内の数日でも行きたくないわ! ほとんどの妻は夫とではなく、仲良しの女同士で旅や遊びをしたいのです。夫がよほどの資産家なら老後のことを計算して、いくらかニコニコしながら一緒に行くでしょうが、ふつうの経済力かそれ以下だったら、相手のお陰で疲労困憊してしまうような、楽しくもない旅には行きたくありません。常識ですよ」
 わたしは愕然としてしまいました。「海外旅行には行くまい…」。行かないのではなく、経済的に行けない、と言った方が正確かも知れませんが。それにしても「定年後の濡れ落ち葉など論外ですからね」。女性、中でも子育てを終えた妻たちを理解することはむずかしい。

 「東洋経済ONLINE」5月7日号の記事が興味深い。「『婦人公論』に見る、変わる妻たちの関心事――『婦人公論』三木哲男編集長に聞く」
 http://toyokeizai.net/articles/-/13856

 老舗月刊雑誌『婦人公論』の読者層は、45~55歳が6割を超えているそうです。三木編集長の中高年「妻分析」は見事です。まず1998年以降の号で、よく売れた特集タイトルを見てみます。(カッコ内はわたしの感想です)

1998年6月 もう一度、夫を見直してみよう(夫に不満はあるでしょうが、彼らもたいへんなんだ。やさしさをもって見直してあげましょう。そんな特集でしょうか。夫に対して好意的な様です)

1998年11月 子どものいる喜びと悲しみ(そうです。家族で大切なのは子どもと夫です)

1999年7月 嫁と姑はわかりあえるか(永遠のテーマでしょうね。しかしお年寄りは大事にしましょう)

2005年3月 家族と心が通じていますか(そろそろあやしくなる前兆を感じますが、まだ子ども、夫、姑など、家族と自分の関係性が中心にあるようです)

2008年5月 捨てて始まる、新しい私(大切に守るというポリシーが、捨てるに変化しました)

2008年10月 離婚しないでいる妻たちの本音(我慢して離婚しないのが異状かも?)

2009年5月 40代から備えるひとりの老後(離婚しなければ夫は先に逝去し、女性はその後も延々10年ほどは長生きします)

2011年2月 妻たちの婚外恋愛白書(三木編集長によると、読者モニターの2割ぐらいは該当者! 働く女性は異性と出会う機会が多い。またケータイの普及で内緒の連絡が容易です。またPCやスマホでさまざまの情報が収集できます。固定電話だけの時代が家族平和の一因だったのでしょうか)

2013年2月 夫を捨てたい妻たちの本音(ついに特集になってしまいましたか…。図書館に行って読んでみます。あまりにも切実ですよ)

 10数年で時代は大きく変化したようです。結婚したばかりの妻はまず夫ありき。子どもが生まれると、まず子どもそして夫。子育てが終わるころから、女性は家族から「自分」に興味関心をシフトするのだそうです。
 ところで『婦人公論』が過去5年間で最も失敗した特集は「いまから夫をいい男に変える」(2008年11月号)。読者の多数のご婦人たちからは「なんでこんなつまらないテーマなの?」。いまさら夫をどうしようもない、残念ながら手遅れです。夫を「捨てる」特集はうけるのだが、それ以外で「夫」とつけると失敗するそうです。
 ところでテレビCM「亭主元気で留守がいい」が大ヒットしたのは1986年でした。コケンにされながらも「亭主」と呼んでもらえたのです。古きよき時代ですが、この年の新語大賞の流行語部門を受賞しています。27年も前のことだったのですね…。
 ところで今回のブログは家族には見せられないというか、毎回誰も見ていないようです。
<2013年5月18日 タンスにゴン!>
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竹林整備再生

2013-05-10 | Weblog
 倒れた竹で足の踏み場もない竹藪を、苦労して見違えるほどの美林に整備したのですが、残念ながらタケノコは不作でした。どこでも今年は収穫に恵まれなかったのですから、嘆いても仕方ありません。来年に期待しましょう。
 さてこれからも竹林管理にはげまなければならないのですが、素人ながらこれまでの経験を記しておこうと思います。本で読んだり、竹の子栽培農家の方から教えていただいたり、試行錯誤の試練でしたが、同じような経験をされる方の参考になればという思いからです。
 幸いにブログ「タケノコ不作」シリーズは意外とたくさんの方に読んでいただいているので、伐採チャレンジャーの目にとまりそうです。

 まずノコギリです。最初は自宅にあったふつうの鋸を使ったのですが、繊維質の固まりのような孟宗竹は伐るのがひと苦労。ホームセンターでは、竹専用のノコギリを売っています。1本3千円ほどのを買いましたが切れ味は最高でした。替え刃は1枚千円ほど。
 チェーンソーが楽だろうと一万円そこそこのを買いましたが、これはダメでした。竹の繊維質に負けてしまい、10本ほど伐ったくらいでチェーン刃がはずれてしまった。買った店に持って行くと「竹を伐ったのですね。無理ですよ」。売り場にも使用説明書にも「竹刈り不可」との表示がないので不満でしたが、山仕事では常識だそうです。折角購入したのに、とほほです。

 面積はほぼ1反(10アール)ほどなので、孟宗竹は数百本もありました。枯れた竹、倒竹、黄色くて枯れかけた老竹棹を百本近くも伐りましたが、さてそれらをどこに移動するか? 結局は2~3メートルほどに切り縮め、隣の藪との境、四方の境界に積みあげました。青い竹がいくつも立っていますので、それらを衝立柱にすればいくらでも高く積みあがります。
 要注意は枝の先です。これで眼を突けば大怪我です。太い棹の枝はノコギリで切り落としましたが、細い棹先は大型の剪定ハサミで落とすのがよいようです。

 さて伐採の時期ですが、夏は不可能です。倒れて当たって、今年に誕生した若い竹を傷める心配もありますが、それ以上にやぶ蚊がたまりません。家の蚊と違って、蚊取り線香も効果なし。参考書をみても10~12月にやるものだそうです。年明けの2月くらいまでは大丈夫でしょう。

 肥料は冬2月の元肥、5月下旬のお礼肥、地下で竹の子の種が芽生える8月ころの夏肥。3度撒くのがいいそうですが、8月はやぶ蚊を思うと躊躇してしまいます…
 稲ワラや落葉や枯草などを敷きつめて藪の赤土を削ってかけていく作業もあります。伐採の晩秋から冬にやる作業ですが、これはまだやったことがありません。重労働を想像しただけで、ぞっとしてしまいます。
 いずれにしても、荒れた藪が美しい林に変身するのは楽しいものです。何日も要する作業ですが、家族や仲間に手伝ってもらって再生するのも楽しい。皆さんへのお礼は、大豊作のタケノコ掘り放題です。
<2013年5月10日>
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タケノコ その後 不作の真因

2013-05-05 | Weblog
竹林散歩をその後も続けています。京都西山の麓、大原野と大枝あたりを散策するのですが、出かけるのはいつも朝です。
 例年より大幅に少ないとはいえ、竹の子は相変わらず地面から顔を出しています。毎朝、栽培農家のみなさんは、早い時間から朝掘りに精を出しておられる。深く慎重に掘るので、1本に何分もかけている。筍の底には赤い小さな粒々が付いていますが、その位置より下の固いところで掘りとる。上部の柔らかい位置で切り取ると簡単に収穫できますが、中折れでは価値が下がってしまいます。そのために時間をかけてていねいに掘りとるのです。
 作業の終了はだいたい9時か10時ころの様です。獲れる本数が少ないので、早朝からの作業もそのころには終わってしまう。一仕事を済ませた頃合いが、インタビュー(?)には絶好の時間帯です。

 先日お話しを聞かせてくださったのは、50歳代の男性。息子さんらしき若者とふたりで作業しておられた。所有林は2反(20アール)ほど。ユニークなのは本業が植木屋さんなので仕事柄、樹木や土などの造詣が深い。
 「今年の作柄はどうですか?」と尋ねると「通年の半分以下ですね。不振の最大の原因は、昨年の8月から秋にかけての雨が少なかったからだと思います」
 気象庁のデータを下記に付けておきますが、確かに去年8月以降の降水量は例年の半分以下です。
 「タケノコは8月から9月のころに、土中で小さな芽を出します。このころから秋にかけて、雨が少ないとタケノコの生育が悪くなって翌春は不作です。今年は収穫量がいくらか少ない裏年なのですが、それにしても半減とか7割減とか、予想を上回る凶作になってしまったのは、やはり雨量が足りなかったからです」

 また彼の筍栽培法は、他の農家とはおおいに異なる。「どこの農家でも冬に稲ワラを敷きつめて、その上に赤土をかけます。わたしは植木屋なので、庭や街路樹などの剪定でいっぱい出る、樹木の枝葉をワラの代わりにしています。いい腐葉土になりますよ」。
 へぇ~と感心してしまいましたが、全国で山ほど出る剪定後の枝葉処理として、とってもいい方法ですね。いまはほとんどが産業廃棄物として処理場で燃やされているはずです。この植木屋さんの竹林産は、環境にやさしいエコ筍なのです。

 「日照の加減もむずかしい。わたしの畑は親竹の本数が少ないので、日当たりがよすぎるようです。今年はもう少し繁った林にして、日照量を減らす積りです。大切なのは土中の快適な水分ですから、土表面を乾燥させ過ぎずに適度な蒸発がいちばんです」。見渡すと数メートルに育った竹の青年が、竹皮を巻きつけて何本も勢いよく伸びていました。
 さらに「野菜は生育の状態が目に見えます。ところがタケノコの成長は土中なので、さっぱりわかりません。肥料の適量も、いまだに自信がありません。過保護はいけませんし、竹とタケノコはむずかしい」
 奥が深いですねえ。今年の正月からはじめた竹林とのお付き合いですが、どうもわたしは魅了されてしまったようです。目指すは1年後の大豊作です。


 参考:気象庁ホームページから「京都市の月別降水量」(カッコ内は過去30年間の平均降水量) 単位:ミリメートル

2012年
 8月  112 (132)
 9月   47 (176)
 10月  38 (121)
 11月  40 (71)
 12月  29 (48)
 合計  266 (548)

2013年
 1月   41 (50)
 2月   96 (68)
 3月   65 (113)
 4月   109 (115)
 合計  311 (346)
<2013年5月5日 竹の子どもの日>

追記:5月9日
 地元大枝(おおえ)の筍農家のプロからもお話しを聞きました。タケノコと柿と野菜をつくる専業農家の方ですが、やはり「昨年秋の少雨がいちばんの原因です。地中のタケノコの幼い芽が雨量の不足で育たなかったから、今年は不作になったのです」。日照や温度も大切ですが、最大の原因は昨夏から秋にかけての降水量不足である。納得しました。 南浦邦仁記
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竹の子不作の原因は?

2013-05-02 | Weblog
京都西山の麓、大原野や大枝あたりはタケノコ産地で有名です。自宅のまわりには美しい孟宗竹林が広がり、近くには市立竹林公園もあります。森林浴セラピーは有名ですが、近所では竹林浴とよび、林間の山道を散策する住民も多い。確かに青竹に囲まれ、風でさらさらと音する林は気持ちのいいものです。
 わたしも見事な竹林を時々訪れ、いまチャレンジしている故郷の竹藪再生の参考にさせてもらっています。先日は竹林公園近くのタケノコ農園で朝掘り作業をしているご夫婦に教えを乞うた。やはり1年がかりでたいへんな労力をさいておられる。肥料だけで年10万円以上かけているという。冬になれば稲ワラをまんべんなく敷き、林から削りとった赤土をその上にかける。ワラは枯れて養分になり、表面は竹の根にやさしいふわふわの土壌になる。
 その朝のわずかばかりの収穫筍を見つめながらご主人は「1年の間、丹精込めて育てた成果がこの始末。今年は完全な赤字です」。夫婦そろってため息をついておられた。

 過去の豊作不作を年ごとに追おうと、ネットで調べたのですが、全国生産量の資料が見あたりません。ただ生産高ではないのですが、中央市場の供給量がわかりました。
 ネット「ベジ探」(農畜産業推進機構)から、大阪府中央卸売市場の年ごとの取扱量を記してみます。毎年の3~5月間の国内産タケノコ。2011年が不作だったといわれていますが、この年の扱い高は 1194トン。これを指数100として、1984年以降昨年までを記します。

2012年  123(指数)
2011   100
2010   151
2009   134
2008   112
2007   107
2006   109
2005   109
2004   154
2003   146
2002   173
2001   162
2000   171
1999   173
1998   184
1997   212
1996   219
1995   164
1994   189
1993   208
1992   220
1991   229
1990   286
1989   266
1988   290
1987   284
1986   250
1985   250
1984   215

 長いリストになってしまいましたが、1997年の2531トン(指数212)をピークに、以降は毎年供給量が減っています。最盛期の半分以下になってしまいました。原因は安価な中国産の輸入増です。
 野中重之氏は「タケノコの缶詰工場の整備が進み、外食産業の急成長にともなってタケノコ消費も大衆化し、1980年には国内最高の生産量(全国計17万トン)を記録する。…ところが、国産タケノコだけでは消費量をまかない切れず、商社が和風料理用にモウソウチクの本場である中国から輸入を開始する。国産に引けをとらない水煮タケノコを1986年ころから量販店に納め、その後の大量輸入につながった」。日本の孟宗竹は300年ほど前に中国から移入された渡来竹です。まず1728年に、京都に植えられたと伝えられています。

 タケノコ栽培の竹林は1990年代と比較して、供給量に比例して面積も半減しています。手入れをしなければ、数年にして美林は荒廃した藪になってしまいます。
 筍には暖かい気温が必須なのは前回のブログ「タケノコ不作!?」でも見ました。同じく地面の日照も大切です。近所の筍農家の方も言っておられましたが、「隣接の南の竹林が栽培をやめてしまった。そのためにうっそうとした荒藪になり、わたしの畑に陽が当たりにくい。収獲量が少ないのはそのためもあります。気温と地面の日照はとても大切なのです」
 今年のタケノコ不作の最大原因は、春とも思えない肌寒い気候のようですが、荒廃した廃棄林も周囲に悪影響をあたえているようです。目には見えない藪の地下茎も、同様に作用しているのでしょうね。

 参考 野中重之著『タケノコ 栽培・加工から竹材活用まで』2010年 農山漁村文化協会
<2013年5月2日 南浦邦仁>
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