ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

伊藤若冲の生涯 (1)

2013-09-29 | Weblog
 伊藤若冲は晩年、四半世紀を伏見深草の石峰寺のために捧げました。いくらか小規模になっていますが、いまも残る石像五百羅漢たちは若冲下画によります。かつては百華あふれる天井画の観音堂、千体をこえる石造物群……。この地に若冲がつくり上げた世界は、佛教パノラマのテーマパークでした。
 命日である9月10日には若冲墓のある石峰寺で、毎年「若冲忌」がとり行なわれています。また昨年からは「石峰寺伊藤若冲顕彰会」も発足しました。詳しくは石峰寺ホームページをご覧いただきたいのですが、会誌に連載中の伊藤若冲年譜を分割して再録いたします。若冲ファンの入会をおすすめします。
 http://www.sekihoji.com/


一七一六年 正徳六年 丙申 一歳
○二月八日 若冲生まれる(一七一六~一八〇〇)。幼名は不明。京都錦小路高倉東南角の青物商「枡屋」、通称「枡源」の伊藤家長男。父は枡屋主人の三代伊藤源左衛門(一六九七~一七三八)。母の法名明誉清寿(一七〇〇~一七七九)は近江の武藤氏の娘。父十九歳、母は十六歳だった。枡屋は錦市場の中魚屋町南側。後の画名は汝鈞、字は景和。枡屋は錦高倉市場を代表する京有数の青物の大店であった。
○五月二二日 正徳は享保に改元。

一七一九年 享保四年 己亥 四歳
○五月九日 後に若冲の親友になる大典(一七一九~一八〇一)、幼名大次郎が生まれる。字は梅荘、諱(いみな)は顕常。号は大典、蕉中、北禅、東湖など。父は儒者医家の今堀東安。近江国神崎郡伊庭郷(滋賀県能登川町伊庭)

一七二六年 享保一三年 丙午 十一歳
○八歳の今堀大次郎は父とともに京都に移った。黄檗山萬福寺華蔵院に預けられる。兄たちはすでに萬福寺で黄檗僧になっていた。

一七二八年 享保一一年 戊申 十三歳
○大典十歳。相国寺塔頭の慈雲庵に移る。父東安と旧知の学僧、独峯慈秀和尚に学び、翌年に得度し名を大次郎から顕常に改めた。しかし将来を嘱望されていた大典だが三十年近い後、四十一歳のときに寺を退隠し、十三年間も自由気ままな文人生活を送る。そして度々の帰山勧告を受け、ついに本山相国寺に戻った後は京を代表する学僧として、相国寺百十三代住持すなわち住職をつとめる。

一七三一年 享保一六年 辛亥 十六歳
○売茶翁(一六七五~一七六三)は黄檗の寺、肥前龍津寺住持を法弟の大潮元昭に譲り、この年に京へ移り住む。五十七歳。姓は柴山、号は月海、諱は元昭。七十歳からは高を姓とし、号を遊外とした。当代有数の学僧で文人書家として知られた彼は僧籍を離れ、四年後の還暦の享保二十年から、ささやかな煎茶の店、清風「通仙亭」を東山に開く。売茶翁の呼称はこのときから。その二年後の元文二年ころからは天秤棒をかつぎ荷茶屋、移動式茶店を京の各地で営む。「茶を売りて飢を助く。凡そ春は花によしあり、秋は紅葉にをかしき所を求めて、自ら茶具を荷ひて至り、席を設けて客を待つ」「随所に茶店を開く、一杯一銭」。翁は佛法について「こころに欲心なければ、身は酒屋・魚屋、はたまた遊郭・芝居にあろうが、そこがそのひとの寺院である。自分はそのように、寺院というものを考えている」。清貧を旨とし仙人のごとき毎日を送る市井の文人宗教家は、後に若冲にも大きな影響を与える。

一七三三年 享保一八年 癸丑 十八歳
○五月一日 円山応挙(一七三三~一七九五)が丹波穴太村(京都府亀岡市)に生まれる。応挙と名乗るのは明和二年。園城寺円満院門跡の祐常法親王の庇護を受けたときである。後に有名人を一覧した『平安人物誌』の画家の部で、若冲と応挙は常に京を代表する双璧と評価されている。ふたりが在世中に人物誌は三度刊行されているが、明和と安永そして天明年間。
<2013年9月29日>
コメント (2)
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平壌の韓国国旗国歌

2013-09-19 | Weblog
 「スポーツの力」について前回書きましたが、北朝鮮のピョンヤンでは重量挙げ国際大会が開催されました。9月12日の開会式にははじめて、韓国選手団が国旗「太極旗」を掲げて入場。
 また14日には期待通り、韓国の国歌が演奏されました。重量挙げアジアクラブ選手権大会ですが、韓国のキム・ウシク選手(19歳)がジュニアの部85キロ級で優勝。南北分断後、はじめて韓国の国歌が北朝鮮で公式の場で流れたのです。
 ところでこの85キロ級に出場したのは韓国の二選手だけで、あらかじめ両名が金と銀のメダルを分け合うことは確定していました。表彰台には金銀の2名だけが登るという、いかにも不自然な出来レース風ですが、いずれにしろ画期的なスポーツ大会であったことは間違いありません。なお北朝鮮は重量挙げに強い国で、前回のロンドンオリンピックでは三個の金メダルを獲得しています。
 大会には15カ国200人余の選手が集いましたが、韓国からは22人の選手と関係者、あわせて41人が訪朝しています。参加国は韓国、中国、カザフスタン、ウズベキスタン、クウェート、インド、タイ、シリア、バングラデシュ、キルギス、ミャンマー、モンゴル…
 北朝鮮の朝鮮中央テレビは15日に大会の模様を15分間にわたって放送したが、韓国の両選手を「南朝鮮の選手」と紹介し、画面下段には記録とともに韓国国旗も表示された。しかし国歌「愛国歌」ははっきりとは聞き取れず、掲揚された太極旗は写らなかった。だが北朝鮮国民にとって、このテレビ放映は衝撃であったはずです。

 共同通信18日報道によると、5年近く中断している六カ国協議の再開を目指す中国は、半島の平和と安全を約束する「宣言」を米韓日北露中の全協議国が出すように水面下で打診しているそうです。宣言は「平和協定」よりも拘束力が低く、日米韓の理解を得やすいとの考えだという。
 中国軍関係者は、北朝鮮が経済的な原因から、核兵器の技術をテロリストに売り渡す危険性を指摘し「中国が制御できないほどの危害が起こりうる」と警告しています。
 ところでシリアは、ロシアの仲介でとりあえずの危機を乗り越えたようです。予断はまだまだ許されませんが、次は北朝鮮。中国の仲立ちで関係性が好転すれば、それに越したことはないはずです。平壌の重量挙げ大会が前兆になってほしいものです。
<2013年9月19日>
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オリンピック・スポーツの力

2013-09-11 | Weblog
 9月9日の早朝から、日本国民の気分は一転したようです。7年後のオリンピック・パラリンピックの東京開催の決定です。わたしのまわりでは先週から「東京に決まればどこの会社の株が上がるか?」。もっぱら話題は金儲けが主でした。一夜明けると確かに、建設や不動産、そしてスポーツ関連会社の株などが暴騰です。マスコミをみても「経済効果は3兆円。いや150兆円かも」とか、札束勘定に傾きがちですね。
 しかしオリンピックの最大の効果は、世界平和の実現であろうと思います。ブエノスアイレスでは「オリンピック・ムーブメント」という言葉がたびたび使われましたが、意味するのは「世界の人々が互いに手をつなぎ、世界平和を目指す運動」。あと7年、東京そして日本が舞台となって、世界の平和のためにわたしたちが力を尽くす。目標は経済効果より、世界平和効果かもしれません。7年もあれば、いろんなことができそうです。

 レスリングがかろうじて当選しましたが、国際レスリング連盟の迅速な対応がすばらしかったからだそうです。なかでも驚いたのがイランの行動です。イランはレスリングが国技のような国ですが、犬猿の仲で国交のないアメリカに共闘を提案しました。いわば北朝鮮がアメリカと組むようなものです。
 今年の5月、ニューヨークでイラン・アメリカ両国の選手が親善試合を開きました。関係者はレスリングには「政治的な障害を超える力があります。それこそがスポーツのすばらしさです」

 先週6日、北朝鮮は12日から平壌で開催される国際ウエイトリフティング大会で、韓国の国旗と国歌の演奏をはじめて認めると発表しました。5年前のサッカー・ワールドカップアジア予選では、北朝鮮は韓国の国旗掲揚を拒否しました。そのため会場は平壌ではなく中国国内に変更された。
 12日からのウエイトリフティング大会で韓国選手が金メダルを獲得すれば、歴史上はじめて北朝鮮で韓国の国旗掲揚と国歌演奏が実現するわけです。

 日本オリンピック委員会会長は、9日にブエノスアイレスで韓国オリンピック委員会会長と会談した。2018年に韓国平昌で開催される冬季五輪、そして2020年の東京五輪。両国は互いの成功に向けて、全面的に協力することで合意した。選手の交流も積極的に促進する。
 竹田恒和会長は「両国の関係がしっくりいってないときでも、スポーツは互いの理解を深めることに貢献できる」。韓国の金正幸会長は「われわれの交流と相互協力は現在の両国の関係を好転させることができると確信する」
 アジア・オリンピック評議会のアハマド会長は「冬季五輪と夏季五輪が続いて開催されることが決まり、アジアの平和構築にとって絶好の機会が訪れた」

 あと7年。期日設定された目標に向かって行動するのは楽しいものです。中学生アスリートたちも2020東京五輪出場を目指して、すでにスタートを切りました。
<2013年9月11日>
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シリア危機

2013-09-03 | Weblog
 今日あたり、本来ならばアメリカ軍が海上からミサイル攻撃を開始していたはずです。シリアはどうなっているのでしょうか。テレビや新聞をみていても、どうもよくは分かりません。
 米国の盟友、イギリスは共同での攻撃を取りやめ、フランスも及び腰になったようです。化学兵器使用の調査結果は国連の報告待ちですが、アサド政権側かあるいは反体制のいずれかのグループが使用したのか? さっぱりわかりません。
 もやもやしていたのですが、詳しく分かりよい記事に出会いましたのでご紹介します。今回は緊急号外版ですかね。

末近浩太<シリア「内戦」の見取り図>SYNODOS 8月28日
http://synodos.jp/international/5339
<2013年9月3日>
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