ふろむ播州山麓

旧住居の京都山麓から、新居の播州山麓に、ブログ名を変更しました。タイトルだけはたびたび変化しています……

不当逮捕と東京新聞

2012-12-30 | Weblog
 前回に書きました下地真樹さんの不当逮捕ですが、28日に彼ともうおひとりが処分保留ですが、釈放されました。取りあえずよかったですね。
 釈放につながったのは当然、逮捕拘留に値しない行為であるからですが、なかでも憲法学者67名が連名で訴えた「JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する憲法研究者声明」の力が大きかったといいます。
 そしてたくさんの市民の抗議署名。もうひとつは東京新聞が伝えた逮捕記事だそうです。産経と東京新聞の2紙だけが報道しましたが、両紙記事を見比べてみます。産経が速報で伝えたのは立派な姿勢だと思いますが、客観性は後日報の東京新聞が数段上のようです。
 関西に住んでいると東京新聞は馴染みがありません。ただ関東の友人がときどきスクラップを郵送してくれ、前々から原発記事などを目にしていました。これぞクオリティペーパーだといつも感心していました。新聞の販売部数の落ち込んでいるいまこそ、全国の各紙はこの姿勢に見習って、良識ある記事を報じたらどうでしょう。数10万の読者ならすぐに増えるのでは。いまの全国紙に飽き飽きしている読者は多いはずです。
 来月、東京に行く予定なのですが、駅で新聞を数紙買って、見比べてみようと思っています。まず東京新聞から読みます。
 なおJR大阪駅事件では、仲間のもうおひとりが起訴されました。威力業務妨害だそうです。また釈放されたおふたりは処分が保留のままです。まだ解決はしていません。


2012年12月21日 東京新聞「震災がれき反対 また逮捕者」 <こちら特報部:ニュースの追跡>
 大阪市が放射性物質を含んだ震災がれきの処理を受け入れた問題で、JR大阪駅前で通行人に焼却や埋め立てへの反対を訴えた大学教員ら3人が逮捕された。「通行人の妨げにはなっていない。表現の自由を侵害している」と、憲法学者ら70人が抗議声明を発表する事態になっている。(出田阿生)
 大阪府警は今月9日、阪南大学の下地真樹准教授(40)ら3人を威力業務妨害と不退去の容疑で逮捕した。府警警備部によると、下地准教授らは、今年10月17日午後2時40分ごろから約1時間半、JR大阪駅の駅頭で演説をしながらビラを配ったり、駅構内の通路をシュプレヒコールを上げて練り歩いたという。駅員が退去するよう求めたが応じず、駅の業務を妨介した─としている。
当時、現場にいた人によると、子連れの女性など市民約40人が横断幕を掲げ、ハンドマイクで受け入れ反対を通行人に訴えたり、ビラを配ったりした。その後、市役所前で予定されていた抗議行動に向かうため、駅構内の通路を通過した。
 現行犯ではなく、約2カ月後の異例の令状逮捕だった。下地准教授らの救援活動をしている関係者は「募金活動や選挙での街頭演説のように、公共の場でマイクを使って訴えたり、ビラを配っていただけ。なぜこれが威力業務妨害罪や不退去罪になるのか」と憤る。
 訴えていた場所は駅を出たところの歩道。夜になると、若者が演奏することもある。歩道の半分は市道、駅寄りの半分はJRの敷地とされているが、当然境界線は引かれていない。JR西日本は「駅構内での演説やビラ配布などは困る。駅員が再三退去するよう注意したが、聞き入れられなかった」と説明する。
 駅構内を通過する際も「デモと勘違いされないように三々五々歩いていた。歩きながらマイクで訴えたり、ビラ配布をしたという事実はない」(前出の関係者)、「隊列を組んではいないが、反対を叫んだり、ビラを配ってデモ同然だった」(府警)と食い違う。
 抗議声明を出した憲法学者の一人、龍谷大の石埼学教授は「厳密に言えば、通行人にビラを配ろうとして、歩道のJR敷地に足を踏み込むことはあるだろう。だが、駅の業務を妨害するほど悪質とは考えにくい。市民が街頭でがれき処理について、政治主張を穏便な形で訴えた表現活動であり、威力業務妨害罪や不退去罪が成立するとは考えられない」と話す。
 大阪府と大阪市は岩手県の震災がれきの試験的な焼却・埋め立てを11月に実施、来年2月から本格焼却・埋め立てを開始する予定だ。11月には、住民説明会が開かれた区民ホールの廊下で抗議していた人たちが建造物侵入容疑などで逮捕(後に威力業務妨害罪で起訴)されるなど、反対活動への警察の介入が相次いでいる。今年9月からの逮捕、起訴で現在も8人が拘留されている。
 石埼教授は「政治的な問題は民主的に解決すべきこと。正当な言論活動に対して、恣意的に刑罰権を発動すれば、市民は委縮し、やがて政治的活動を差し控えるようになる。今回の逮捕は憲法が保護する表現の自由を侵害し、ひいては民主主義を害する暴挙だ」と厳しく批判している。

MNS産経ニュース 2012.12.9 17:03 <「がれき反対」無許可デモで大阪駅業務妨害 阪南大准教授ら逮捕> [westナビ]
 東日本大震災で発生したがれきの受け入れに抗議するデモ行進をJR大阪駅構内で無断で行い、駅側の警告に応じなかったとして、大阪府警警備部などは9日、威力業務妨害と不退去の容疑で、阪南大准教授の下地真樹容疑者(40)=大阪市西区新町=ら2人を逮捕した。下地容疑者は黙秘しているという。
 府警によると、下地容疑者らはハンドマイクを手に演説をしながら約40人の参加者を先導。構内を約250メートルにわたり行進した。
 逮捕容疑は10月17日午後2時40分ごろから約1時間半にわたり、JR大阪駅(大阪市北区)で「がれき反対」とシュプレヒコールを上げながら練り歩いたり、ビラを配布したりして駅側の業務を妨害したとしている。
<2012年12月30日>
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不当逮捕

2012-12-26 | Weblog
 世界をみわたすと、反体制活動家や政治犯が不当に逮捕され、自由が奪われています。何も隣国の中国や、はるか彼方の発展途上国だけではありません。日本も同様です。12月9日に大阪で逮捕された下地真樹さんたちの事件が示しています。
 わたしは震災がれきのことは、さっぱり分からず意見もありません。しかし不当逮捕には断固抗議します。まずウィキペディア「下地真樹」(阪南大学準教授・40歳)から。

 がれき広域処理への反対活動中に威力業務妨害と不退去の容疑をかけられ、2012年12月9日、大阪府警察警備部(=公安警察)に逮捕されている。警察発表によれば、“10月17日夕方、JR大阪駅構内で拡声器を使って「がれき反対」と声を上げながら約40人の参加者を先導、構内を約250mにわたりデモ行進し、通行人らに震災がれきの大阪府内への焼却受け入れに反対するビラを配布。その際、駅員の警告に応じず駅側の業務を妨害した”としている。
 これに対し、インターネット上では「不当逮捕だ」「思想弾圧」「口封じ」などという議論がおこっている。また、弁護士の紀藤正樹は、「勾留理由が無い」と批判している。市民団体「放射能拡散に反対する市民を支援する会」が、不当逮捕および弾圧だとして即時釈放と謝罪を求めており、川那部浩哉、小出裕章、岡真理、井戸謙一ら大学教授や弁護士など50人が呼びかけ人となっている署名に、開始から24時間で4000筆を超える賛同が寄せられている。
 下地は、12月12日拘置所内から「警察は嘘をついて私を逮捕した」との声明を寄せた。12月13日、「官邸前見守り弁護団」は下地ら5名の勾留者の釈放を求める「市民の表現の自由を尊重するように求める声明」を発表した。

<不当勾留中の下地さんからの「声明文」12月12日付け>
 逮捕状の被疑事実は、すべて、事実ではありません。当日現場にいた公安の警察官もすべてを見ていたはずなのに、堂々と事実と異なる被疑事実に基づいて逮捕を行ったことに、とても驚いています。
 なぜ警察がウソをついてまで私を逮捕するのか。それは私が、原発の再稼働に反対し、放射能の拡散に反対する市民運動に参加してきたからであり、とりわけ、運動の中で出会った警察の不正行為についても厳しく批判してきたからです。悪いことはなにもしていません。
 いま、私たちが暮らす日本は、そして世界は、危機的な状況にあります。福島の原発事故はいまだ収束せず、4号機の使用済み核燃料プールが倒壊すれば、日本だけでなく、世界が終わると言っても過言ではない大惨禍をもたらすことになるでしょう。放射能汚染への対応もまったくできておらず、食品その他の流通を通じて、汚染は拡大しつつあります。そんな中、「電気が足りない」とうそぶき、原発を使い続けようとしているのです。すべてが狂っているとしか言いようがありません。
 この半年か1年の間に、政府がどのような施策を行うか、それによって私たちの未来は大きく変わるでしょう。日々、学生たちの顔を見ながら思います。二十歳そこそこの彼らが私と同じ四十歳になる頃、どんな世界に暮らすことになるのかと。そのたびに、今回の原発事故を防げなかったこと、先輩世代として申し訳なく思います。彼らには罪はないのですから。せめて、少しでもマシな世界を残せるよう、微力を尽くしたいと思っています。事故はすでに起きてしまいましたから、時間はあまり残されていません。しかし、希望はあります。
 私は、いま、動くことができなくなりました。でも、諦めてはいません。こうして、私の声を外に届けることもできます。そして、もっと多くのみなさんが行動してくれれば、声をあげてくれれば、きっとまだ間に合います。
 私はとりわけ、私と同じように大学で教えている人、医師や科学者などなんらかの意味で専門家と呼ばれている人たちに呼びかけたいと思います。「無知で冷静さを欠いている」かのように見える市民にこそ学んで下さい。その声が無視され、軽んじられている人のために語って下さい。
 真実は、批判と応答を通じて初めて、姿を現します。政府をはじめとする権威が語ることではなく、その反対側に立ち、権威に対して反問することを通じて真実が明らかになるように行動して下さい。まちがってもいいのです。常に弱い側に立ち、その軽んじられる言葉や存在を擁護し、自らが仮にまちがうとしても、逆説的に、権威との言説の応酬の中で真実が明らかになるように、語って下さい。あなたの専門分野が何であるかは、関係がありません。勇気をもって下さい。
 最後に、私がもっとも深く関わってきた震災がれきの問題について述べます。大阪市は11月末に試験焼却を強行し、来年2月の本焼却開始に向けて着々と準備を進めています。
 何度もあちこちで述べてきましたように、震災がれきの広域処理は誰のためにもなりません。それは被災地支援どころか復興予算の横取りであり、かえって復興の足を引っぱります。同時に、放射能をばらまき、かつ、汚染地の人々に放射能を受忍させ、加害者である東京電力の責任を軽減するものです。代償は、私たちの、子どもたちの、そして、これから生まれてくる子どもたちの命です。こんなデタラメな施策が許されていいはずがありません。絶対に止めなければなりません。これまでともに学び、取り組んできたみなさん、諦めずに戦ってください。また、これまで震災がれき問題について知らなかったみなさん、是非、今からでも知って力を貸して下さい。これは、私たちの未来そのものを守るための戦いです。
 私はいつ出られるかわかりません。でも、いつかきっと出られます。姿は見えなくても、心はともにあります。この間、不当に逮捕されている他の仲間たちもきっと同じ気持ちです。みなさんに会える日をたのしみにしています。
2012.12.12 下地真樹
(抗議声明など関連記事は以下のサイトで見てください。) http://blog.goo.ne.jp/garekitaiho1113


<三室勇「ジャーナリストネット」より転載 12月26日付け>
 震災がれきの広域処理に反対する立場から大阪市の受け入れに抗議してきた下地真樹阪南大学准教授が12月9日に逮捕された事件は、産経、東京新聞以外の新聞はまったく無視しているようにみえる。この抗議運動では、すでに逮捕者が複数出ている。
 12月22日に下地准教授らの不当逮捕抗議の記者会見が行なわれ、朝日、毎日など記者が質問をしていたが、それが記事となっていないようだ。この記者会見では、石埼学龍谷大学法科大学院教授ら中堅の憲法学者らも参加していた。憲法学者67名の連名で「JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する憲法研究者声明」を17日に出している。声明文は以下のとおり。

「JR大阪駅頭における宣伝活動に対する威力業務妨害罪等の適用に抗議する憲法研究者声明」12月17日付け
 2012年12月9日、大阪府警警備部などは、同年10月17日のJR大阪駅駅頭で「震災瓦礫」の受入に反対する宣伝活動(以下、「本件宣伝活動」とする。)を行った下地真樹氏(阪南大学准教授)らを、威力業務妨害罪(刑法234条)および不退去罪(刑法130条後段)で逮捕しました。私たちは、日本国憲法の研究者として、本件逮捕は、憲法21条1項の保障する表現の自由を不当に侵害するものであると考えます。
 本件宣伝活動は、ハンドマイク等を用いて、駅頭で、大阪市の瓦礫処理に関する自らの政治的見解を通行人に伝えるものであって、憲法上強く保護されるべき表現活動です。また本件宣伝活動が行われた場所が、かりにJR大阪駅構内であったとしても、駅の改札口付近等通行人の妨げになるような場所ではなく、せいぜい同駅の敷地内であるにすぎず、公道との区別も判然としない場所です。このような場所は、伝統的に表現活動の場として用いられてきたパブリック・フォーラムに該当すると考えられ、施設管理者の管理権は、憲法21条1項の前に、強く制約されるはずです。
 そうであるとすると、本件表現活動に対し、威力業務妨害罪や不退去罪を適用することができるのは、当該活動によって相当の害悪が発生している場合でなければなりませんし、たとえそのような解釈をとらないとしても、少なくとも、害悪発生のおそれが実質的に存在することが必要なはずです。本件は、通行する市民に対して、穏健な方法で瓦礫処理に関する自らの政治的主張を訴えかけるものであり、このような表現活動から、刑罰に値するだけの相当の害悪が発生し、または、そのような害悪が発生する実質的なおそれが存在しているとは考えにくいと思われます。
 また、下地氏らは、本件宣伝活動終了後、大阪市役所に行くために、JR大阪駅の東側のコンコースを通過しました。この行為も、同コンコース内で立ち止まって宣伝活動をするといった態様のものではなく、単に、他の人と同様に、移動のためにコンコースを利用したにとどまります。そもそも同コンコースも、駅構内とはいえ、本件宣伝活動が行われた駅頭と同様に公道とほぼ同視できる場所だと考えます。この移動のためのコンコース利用によって威力業務妨害罪ないし不退去罪が成立するとは考えられません。
 下地氏らが、大阪市の瓦礫処理問題で活発に活動していたことは周知の通りです。政治的問題は、民主主義によって決着がつけられるべきですが、その前提として、表現の自由が十分に保障されなければなりません。前述のとおり、本件行為に表現の自由の保障が及び、その制約を正当化するだけの実質的な理由が存在しないとすれば、本件逮捕は、下地氏らの政治的主張を狙い撃ちにしたのではないかという懸念を感じざるを得ません。
 市民の正当な言論活動に対し、刑罰権が恣意的に発動されるならば、一般市民は萎縮し、政治的な活動を差し控えるようになります。そうなると、民主的な議論の結果も歪められることにならざるをえません。表現の自由は、そのような結果を防止するためにこそ存在するのであり、したがって、刑罰権発動には最大限の慎重さが求められるはずです。
 以上のように、本件逮捕は、憲法上強く保障された表現の自由を不当に侵害し、市民の表現活動を幅広く規制対象にする結果をもたらし、ひいては自由な意見交換に支えられるべき議会制民主主義の過程を深刻に害するものであって、憲法上許容されないと私たちは考えます。私たちは、大阪府警による下地氏らの逮捕に強く抗議するとともに、かれらの即時釈放を要求します。
2012年12月17日
<呼びかけ人>
石川裕一郎(聖学院大学)、石埼学(龍谷大学)、岡田健一郎(高知大学)、中川律(宮崎大学)、成澤孝人(信州大学)
<賛同者>
愛敬浩二(名古屋大学)、青井未帆(学習院大学)、足立英郎(大阪電気通信大学)、飯島滋明(名古屋学院大学)、井口秀作(愛媛大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、植木淳(北九州市立大学)、植松健一(立命館大学)、植村勝慶(國學院大學)、内野正幸(中央大学)、浦田一郎(明治大学)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、榎澤幸広(名古屋学院大学)、遠藤比呂通(弁護士)、遠藤美奈(西南学院大学)、大久保史郎(立命館大学)、大野友也(鹿児島大学)、大藤紀子(獨協大学)、奥田喜道(跡見学園女子大学)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、押久保倫夫(東海大学)、金澤孝(早稲田大学)、上脇博之(神戸学院大学)、君島東彦(立命館大学)、小竹聡(拓殖大学)、小松浩(立命館大学)、齊藤笑美子(茨城大学)、斎藤一久(東京学芸大学)、斉藤小百合(恵泉女学園大学)、阪口正二郎(一橋大学)、笹沼弘志(静岡大学)、佐藤潤一(大阪産業大学)、志田陽子(武蔵野美術大学)、菅原真(名古屋市立大学)、高作正博(関西大学)、高橋利安(広島修道大学)、多田一路(立命館大学)、只野雅人(一橋大学)、玉蟲由樹(福岡大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、寺川史朗(龍谷大学)、中里見博(徳島大学)、永田秀樹(関西学院大学)、長峯信彦(愛知大学)、永山茂樹(東海大学)、成嶋隆(新潟大学)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、福嶋敏明(神戸学院大学)、前原清隆(日本福祉大学)、牧本公明(松山大学)、松原幸恵(山口大学)、水島朝穂(早稲田大学)、三輪隆(埼玉大学)、村田尚紀(関西大学)、本秀紀(名古屋大学)、元山健(龍谷大学)、森英樹(名古屋大学名誉教授)、柳井健一(関西学院大学)、山内敏弘(一橋大学名誉教授)、和田進(神戸大学)、渡辺治(一橋大学名誉教授)、渡辺洋(神戸学院大学)
以上、62名。呼びかけ人と合わせて67名。

 三室勇さんは「この声明文は、市民の表現活動を著しく侵す今回の逮捕について、憲法上許されるものでないことを表明したものだ。この事実をマスメディアはなぜ伝えないのか。」
<2012年12月26日>
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春夏冬

2012-12-24 | Weblog
 秋がありません。飽きない、商いに掛けているのですが、「春夏冬」はいま制作中の本のメインタイトルのキーワードに決定しました。語り手、聞き書き手、アドバイザー。三人の協同作業のように進めている自分史本の制作ですが、ほぼ原稿が仕上がり、やっと書名が決まりそうになりました。あとがきもほぼ煮詰まり、今日の昼の打ち合わせで決着しそうです。本の発行は二月中が目標です。あとがきから語り手の熊井隆一さん(87歳)の思いを抜粋転載します。

 「春夏冬」などというケッタイな題名になってしまいました。わたしは春夏秋冬、四季おりおりの変化が大好きです。住まいは京都府庁前と、大文字山中腹の鹿ケ谷と、二カ所を日々行ったり来たりしていますが、四季の移ろいは京都市街を見下ろす鹿ケ谷徳善谷あたりもすばらしいです。すぐ麓には銀閣寺、法然院、霊鑑寺、哲学の道……。一帯の紅葉の見事さは格別です。春夏冬なら秋がなく、わたしの大好きな紅葉に申し訳ない気がしました。
 京都の春は桜、夏は祇園祭に大文字五山送り火。秋は紅葉、冬は社寺などの雪化粧。数え切れないほどいっぱいの魅力を詰め込んでいるのが京洛です。これほど美しい自然やすばらしい祭などに満たされた、世界に誇れる古都は珍しいでしょう。京都という町は、先人たちが長年にわたって延々と築いてきた偉大なる観賞観光装置です。わたしは八十八年間、この京都とともに歩んできました。実に幸せな日々でした。四季を八十八回も繰り返し楽しんだわけです。……
 (書名の決定は)結局はおふたりに押し切られ、「飽きない」「商い」、そして秋のない「春夏冬」に題名は決定してしまいました。「このユーモア感覚が絶対に面白い」と両人は確信しておられるのですが、さていかがなものでしょうか。……
 大切なのは飽きないこと。退屈な人生を送ることほど、もったいない生き方はない。失敗しても面白おかしく、変化を楽しみながら明日を信じて生き抜くことを、この本で記したつもりです。どんな人生でも、働く商いも飽きずにチャレンジするのが肝心だと、わたしは信じています。……

 メインタイトルは『飽きない春夏冬』に決まりそうですが、最終ではありません。「春夏冬」は関係3人がOKを出しましたが、「飽きない」にはまだ異論があり、今日の打ち合わせで何とかしなければなりません。それにしても本の題名を決めるのは大仕事です。表紙の帯文もやっかいですが、書名は二転三転、赤子の名づけよりもむずかしい。
 いずれにしろ、すばらしい本が年明けに誕生します。市販流通もします。完成が近づけば続報しますが、前評判は上々のよう。乞うご期待w
<2012年12月24日 クリスマスイブ>
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国民は自分の生活が第一

2012-12-19 | Weblog
 衆議院選挙のすさまじい結果はいったいなぜだったのか? 専門家はそれぞれの考え分析を述べておられますが、わたしも自分なりに整理しておこうと思います。
 まず政党別の議席増減です。自民+175、維新+43、公明+10、みんな+10。民主▽173、未来▽53、社民▽3、大地▽2、共産▽1、国民新▽1。

 毎日新聞の世論調査結果が興味深い。投票前の12月11日発表ですが、ネット毎日jpでみることができます。質問は<衆院選で最も重視する争点は何ですか?>
 景気対策 32
 年金・医療・介護・子育て 23
 消費増税・財政再建 10
 東日本大震災からの復興 7
 原発・エネルギー政策 7
 外交・安全保障 4
 行政改革・地方分権 3
 TPP 2
 憲法改正 2

 これをみて明らかな通り「景気対策/年金・医療・介護・子育て」の2項目だけで過半数を占めています。「震災復興/原発・エネルギー問題/尖閣・竹島/TPP……」、全部足してもわずかの比率しかありません。沖縄の米軍基地も北朝鮮の拉致問題も、どこにも見あたりません。それらはせいぜい「外交」でしょうか。
 自民・維新・公明・みんなも、どうやれば、何を訴えれば勝てるかを見抜いていたのでしょう。当然ですが、小選挙区と比例代表制の得失プラスマイナスも熟知しています。さらには3・11以降、電力と景気・インフレ問題はずっと世論操作され続けて来ました。

 国民の関心は「自分の生活向上」がいちばんであり、震災も原発も米軍基地も拉致、さらにはTPPも「わたしには直接の関係がない」。日々目先の生活が最も重要なこと、遠方の県民の苦しみはあるていど理解できるがそれは人ごと。自分の家庭の収入が増え、電気代などの出費が抑えられ、年金がちゃんと受け取れて、医療や老後の不安をしなくて済む。そして自分の子どもがふつうに育ってできれば大学まで行って、将来それなりに名の知れた会社なり役所に勤め孫もできる。そのとき祖父母になったわたしは、年金医療の恩典を受け老後の心配もあまりしなくて済む。
 かつて小市民という呼称がありましたが、現在の日本国民の大多数が「絶対に自分と家族の生活が第一」だと考えているのでしょう。さて当事者の3県、福島・福井・沖縄の選挙結果はどうだったか? 遠く離れた他所の県民から「人ごとですから…」、そのように言われても仕方のない結果であろうと、わたしは思います。震災原発の当事県の福島・福井も自民が圧勝。基地問題の沖縄でも自民が圧倒しています。

 福島県全4区 自民3勝、民主1議席。(比例:自民・維新各1)
 福井県全3区 自民3完勝。
 沖縄県全4区 自民3勝、社民1。(比例:自民・共産・未来各1)
<2012年12月19日>
 
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沢田研二「昔ジュリーでいまジジイ」

2012-12-15 | Weblog
東京8区から立候補した山本太郎さん。孤軍奮闘に近い選挙戦ですが、沢田研二さんが志でもって突然、応援に駆けつけたそうです。元ジュリーファンのジジ仲間として看過できず、あえて紹介します。

<スポニチ 12月15日>
 東京8区=杉並区=から立候補した俳優の山本太郎氏(38)が14日、JR荻窪駅前で街頭演説を行い、歌手の沢田研二(64)が応援に駆けつけた。
 沢田は「昔ジュリーで今ジジイ。選挙に出る勇気はないが、原発をやめるために、こんな立派な若者が立った」と聴衆1500に訴えた。「僕は別にしがらみはないから、応援に迷いはない」と話した。
 沢田はかねて反原発の思いを込めた曲をつくるなどしており、新聞のインタビューで山本氏についても語っている。たまたまその記事を見た山本氏が1日、立候補表明会見前に応援を要請した。
 山本氏は沢田のヒット曲「ス・ト・リ・ッ・パ・ー」の歌詞を引き合いに「自民を脱ぎ捨て、民主を脱ぎ捨て、維新を脱ぎ捨てたらおいで、と有権者に訴えたい。立候補後、円形脱毛症になったが、自身もこの替え歌を励みにする」と感謝した。
 8区からはほかに、自民党の石原伸晃前党幹事長(55)、民主党の新人円より子氏(65)、共産党の新人上保匡勇氏(28)が立候補している。

<津村喬ブログ「津村喬の気功的生活」12月15日>        
山本太郎は石原の息子を落とすために、東京八区から立候補した。
3.11以来、ほとんど役者としての仕事を捨てて反原発の活動をしてきた。
フクシマの被災者たちにずっと心をつないできた。
未来の党から立候補してもよかったのだが、私は自分でもやれる、自分が公認されて未来の党の枠がへってしまったら申し訳ないと、ひとりで立った。嘉田さんも応援に来た。
でも一番うれしかったのは、昨夜来てくれた沢田研二だった。俳優の友人たちに声をかけたが、皆ためらった。その中で沢田だけが喜んでやってきた。沢田は64、山本は38だが、同年代のように、兄弟のように響きあった。
この勝負にたとえ負けたとしても、このことは日本芸能史上に残る出来事だと思う。
むろん、勝ってノブテルを打ち倒せれば、それに越したことはない。沢田研二の心の底からの言葉に触れて、よかった。

<山本太郎 12月14日演説 荻窪駅前>
荻窪駅周辺ご通行中の皆様こんばんは、山本太郎です、よろしくおねがいします。
衆議院選挙東京8区杉並から立候補しました。
「どうして役者のお前が立つんだ?」って言う話なんですよね、
16歳から芸能界にいて、いま38歳、22年間芸能界にいました。
でも、もう今メッセージを伝えなきゃ、伝わらないんですよね、いろんな人たちに。
テレビ、新聞から本当の事が流れないのであれば、だったら自分が沢山の人達の前に出て、今この状況を説明する必要があると。
とはいっても、僕もただの役者ですから、そんな何か特別な事が出来る訳じゃない。
でも、そのままボッと見ておくわけにはいかなかったんですよね。
表現者、役者だったり歌手だったり、そういう表現者は芸能界には沢山います。
でもその中で社会的な事、特にテレビや映画や舞台や、そういう所にスポーンサーとして参加する企業に対して、不利益な情報を皆様にお伝えするというのは、これ、職業的にはもうアウトなんですね。これだけの事態になっても。
日本が終わるのか、それとも未来を切り開けるのか、そのような場面になっても、そう多くの表現者は声をあげられないような状況なんですよね。
僕も悩みました、最初は。自分の仕事が無くなるんですからね。
母親も食べさせなきゃいけないし、自分も生きていかなきゃいけないし、その中で声を大きく上げるという事は本当に自分の中でも悩みました。
でも、僕が声をあげるずっとずっと前から、この世の中に起こるいろいろな事柄、社会的な問題に対して勇気を持って発言されて、そして歌をつくり、それを世の中の人達にメッセージとして伝えている先輩がいるんですよね。
本当に尊敬します。
殆どの表現者たちが口を閉ざしている今、この事故が起こる前から、この事故が起こるずっとずっと前から、みなさんに対してメッセージを発信し続ける、そんな素敵な先輩が、芸能界の中にいました。
僕が選挙に出るといった時、この芸能界に今までかかわってきたいろんな方に声を掛けさせていただきました。
演説していただけませんか?
応援に来てもらえませんか?
でもそれはすごく難しい事なんですね。
その人たちもレッテルを張られてしまう。
その人たちも仕事が減ってしまう。
子どもがいる、家族がいる、そういう事になれば難しい話なんです。
でも、その芸能界の中で覚悟を決めていろんなメッセージをみなさんに伝えている大先輩がいます。
沢田研二さんです。
本当にありがとうございます。
沢田研二さんです、よろしくお願いします。

<沢田研二>
みなさん…沢田研二です。
杉並区のみなさん、そしてこの荻窪の駅前に集まって下さいましたみなさん、
本当にありがとうございます。
僕は…誰にも頼まれていないんですが、「九条を守ろう」という歌とか、
今回の「3.11の歌」とかを勝手に書いて歌っております。
そういう気持ちといういのは、気持ちが大事なんであって、それがどうなるか、っていうのは僕には大した問題ではないんです。
ただ自分がそうしたいからそうするんだ、という事でしかなかったんです。
で、今回、僕なんかもう64にもなって、こういう選挙に打って出ようなんていう勇気なんてありません。
もう、ただのジュリーです。
正確に言うと、昔ジュリー 今ジジイです。
でも、山本太郎のように、勇気のある38歳の若者が、ちゃんと打って出てくれました。
そして、その話を聞く以前から、僕は、あの、「テレビで仕事がなくなった」と言っていた時点で、言われた時点で、
僕は「何か力になれる事はないだろうか」といつも思っていました。
そしたら、今回声をかけていただいて、僕も思う事はいっぱいあるんで、とにかく今、選挙に出ている人はみんな「国難や」なんやと言っています。
でも、ほとんどの人は原発を止める事を、その事自体が一番大事なことなんだ。
それをやらない限りは他の経済の事もいろんな事も何もかもが始まらないのだ。
今日だって、地震が起こるかもしれないんですよ。
そういう国に私は住んでいるんです。
だから、騙された訳じゃあないだろうけれども、ちゃんと教えてもらえなかった、その結果が、今のこれだけ沢山こんなに地震の起こる国に原発が山ほどあるわけですよ、本当に。
これは、何とかしないといけない!
そう思ってみなさんも来ていただいたのだと思います。       
もちろんここに集まって頂いた方は、山本太郎に1票を入れようと思ってくれていると思いますが、悩んでいる方もいらっしゃると思います。
悩んでいる方はよーく考えて下さい。
そしてやっぱり原発NO!や!!という、山本太郎に、1票を入れて下さい。
お願いします。
ありがとうございます。
本当に選挙に出るなんて、大変な事をしでかしてくれたと思っていますが、ホントに応援したいと思っております。僕は杉並区民じゃなくて残念です。
1票でも僕は入れられたかもしれない。
だけど昨日、西荻窪の、夕方の演説をひそかに聞いていて、「どんなふうにやってるのか」と思ったら、ちゃんとチラシも渡されました、受け取りました。
封筒も渡されました。
すぐにコンビニに入って切手を買いました。
電話帳で杉並の知人友人全部送りました。
送るように封筒に入れて投函しました。
そして今日、こうしてこの場で、応援の言葉をちょっとしか言えないのが本当に残念です。
僕は2時間半ならしゃべってられます。
でも、聞く方が大変でしょうから、ともかく
くれぐれも、くれぐれも、山本太郎に1票を入れていただくように、
みなさん、区民のみなさん、どうかよろしくおねがいします。
ありがとうございました。

<山本太郎>
沢田研二さんに、沢田研二さんにもう一度大きな拍手をお願いいたします。
本当にありがとうございました
<投票前日 2012年12月15日 南浦邦仁記 津村喬さんほかの記載を引用しました>

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高齢老朽化社会

2012-12-12 | Weblog
 笹子トンネルの天井板崩落事故は大問題です。インフラの老朽化が、日本国民の高齢化と期を同じくしてはじまったのではないか。
 コンクリートの寿命は30~50年だそうです。戦後の高度経済成長期、1960年代以降につくられたインフラが、軒並みに耐用年数の期限を迎え出したのでしょう。トンネル事故はそのはじまりを予告したはずです。経済成長のツケはバブル崩壊だけでなく、インフラ崩壊でもあるのです。危険な時代に突入しました。
 
 人間は自らの健康と生命にかかわることですから、体調が悪ければ医院に通い、メンテナンスに励みます。健康のためにスポーツジムやプールに通ったり、定期検診を受けるひとも多い。医療と健康維持システムの進んでいる国ほど、国民の高齢化問題を抱え込む。貧困国にはそのような難題はありません。
 ところが国民の熱心な健康志向に反して、インフラの健康診断や早期治療は手薄なのが現状のようです。小槌でコンコンたたいて音を確認したり、目視ですましたりする。そのような簡単な診断で「大丈夫ですよ」と医者にいわれれば、人間なら「馬鹿にするな! こんなヤブ医者には二度と来ません!!!」。きっとそう思うはずです。脚気の診断ではあるまいし、膝を金槌でコンコン、そして相手をじっと見つめるだけで、健康かどうかを判断するわけです。笹子トンネルでは、コンコンもなく二階ほどの高さの天井を、それこそ一階から目視点検するようなものだったといいます。
 
 問題はトンネルだけではありません。橋も危険です。建築後50年を過ぎた橋梁は現在約1割。あと20年もすれば、橋の半分はいつ落ちてもおかしくない期限を迎えます。
 上下水道も法定耐用年数は40年。すでに1割以上が年限を過ぎており、20年後には約6割が危険な状態に突入するといいます。

 昨年の梅雨時のことです。わが家近隣の1万5千戸がインフラ崩壊の危機にみまわれました。住まいは京都西山の山裾、洛西ニュータウンですが、都市ガスが数日間とまってしまいました。数万人が調理や風呂に難儀したのです。幸い死傷者は出ませんからよかったものの、この大事故はあまり報道もされず、被災住民数万人だけがつらい思いをしました。
 事故の原因は水道管の破裂。地下の配管から高圧水が噴き出し、その水が並行して走っているガス管に穴をあけてしまったのです。急きょガスの供給は停止されたのですが、住宅のガス管口からは水が流れ出し、床が水浸しになってしまった家もありました。
 被害にあった洛西ニュータウンは、1976年から開発がはじまった京都最大の新興住宅地です。しかし新興のはずが、20年ほど前からは人口が減少しており、ニューでなく老化タウン。開発開始からまだ40年もたっていないのですが。
 上下水道の法定耐用年数は40年といいます。なぜそれよりも早く、決壊してしまったのでしょうか。原因は土壌が酸性だからだそうです。そのために水道管の腐食劣化が早く進んだ。

 近ごろどこに行っても、年度末恒例の道路の掘り返しがはじまっています。そのような無駄はもうやめて、道路側溝に太い配管トンネルをつくった方がよほど効率的だと思います。上下水道もガスも電気電話ケーブルもその地下通路を通し、地上部にはフタをしておく。後世のためにも土建業者のためにも、インフラはこの際つくり替え、メンテナンスを効率的にできるように工夫するのが正解でしょう。そのための公共投資なら、景気浮揚策でもありわたしは賛成します。
 笹子トンネルの犠牲者が訴えているのは、「同じような事故を繰り返さないで」という、われわれに向かっての悲痛な叫びではないでしょうか。
<2012年12月12日>
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若冲からGHQへ

2012-12-09 | Weblog
 伊藤若冲の年譜を作成していましたが、本日やっと仕上がりました。といっても若冲還暦までの前編です。それでもずいぶん長文になってしまいました。後編は後日にチャレンジです。メールで石峰寺に先ほど送信しましたので、ほっと一息です。
 ところでこのブログ連載のことを、すっかり忘れていました。若冲ばかりで近ごろの毎日を過ごして来ましたので、さっぱり発想がわきません。
 それと現在の宿題がもうひとつあります。京都在住の熊井隆一さんのことです。年明けに迎えられる米寿に合わせて、自分史の聞き書き本を完成させること。原稿はほぼ仕上がったのですが、タイトルもまだ決まりません。とほほ…です。
 本日は横着して、熊井さんが復員して京都GHQに勤めるころのことを、本の宣伝を兼ねて紹介することにしました。昭和18年12月、新兵の彼は知多半島の河和海軍航空基地に配属されました。彼は特攻隊の一員として国に尽くす覚悟でしたが、同郷の軍医から地上勤務を厳命され、基地食堂の洋食調理師に配置転換されてしまいます。そして敗戦後も基地にとどまり、武装解除の作業にかかわり復員は昭和22年春、桜花爛漫のあたたかい日和日でした。
 そして松竹映画京都撮影所の伊藤大輔監督の伊藤組助監督の配下として1年近く、華々しい映画の世界に浸ります。そんなある日のことです。


 町内の世話役さんから話しがありました。「進駐軍司令部が日本人従業員を募集している。各町内にひとを出すようにお達しが京都府から来たのだが、だれも行きたがらない。アメリカ兵はこわい、英語が話せない……。どうだろう? 行かないか?」
 わたしは府庁で開かれた説明会に参加しました。募集されていたのは、大工仕事、ガラス屋、ペンキ屋、営繕、電気、調理などなど、さまざまな仕事がありました。調理師としてすぐに申し込んだことはいうまでもありません。
 日本を占領した連合国軍、実態はアメリカ軍でしたが、終戦の直後に東京と京都に司令部を置きました。京都は四条烏丸下ルの大建ビル、後に丸紅ビルそしてCOCON KARASUMA古今烏丸ビルと名をかえますが、このビルを接収したのです。
 わたしは、面白いととっさに思いました。これからはアメリカ抜きでは日本の復興はない。市民であっても、米軍と密着するのが生きる道に違いない、そう思ったのです。「戦争では負けたけど、これからは米軍相手に正々堂々と対す」覚悟でした。
 松竹を辞めて、連合国軍総司令部GHQにつとめることにしました。京都司令部の大建ビルなら錦小路の自宅から徒歩わずか10分足らず。これほど近いなら余裕の時間もとれます。進駐軍の仕事だけでなく、ほかにも仕事をみつけて人の倍ほど働こうと決意しました。(父は亡く弟4人の面倒をみなければなりません)
 ところが配属されたのは伏見深草です。現在は龍谷大学、聖母女学院、京都教育大学、京都府警察学校などがある広大な土地は、もと陸軍第十六師団だったのです。師団街道という名がいまもありますが、陸軍京都師団にちなむ呼び名です。元師団司令部は聖母にありましたが、近くの藤森には有名な陸軍第三十七部隊が陣取っていました。あたり一帯は接収され、米兵がたくさん駐留していました。
 わたしのGHQ最初の仕事は藤森キャンプでした。配属されたのは調理場のコックです。帝国海軍基地では配置転換になり洋食の調理を習ったのですが、その腕が米軍基地で活きたわけです。深草で数カ月働きましたが、人生は不思議なものですね。
 次に配属されたのが岡崎公園の勧業館です。市立美術館は後にアメリカ軍の病院に、動物園は車両置き場。勧業館はいまの「みやこめっせ」ですが、武器や軍資材の置き場などでした。岡崎にもかなりの米兵が駐屯していました。わたしは勧業館のなかの食堂のコックをつとめました。
 そしてここで運命的な出会いがありました。日本人のミセスMです。彼女は謎の女性ですが、GHQの日常生活面の仕事を仕切るキャリアウーマンでした。ミセスMがわたしの仕事ぶりを認めてくれたのです。(彼女の名はあえて伏せます)
 岡崎での勤務も一年足らずで、こんどはGHQ司令部のある烏丸の大建ビルにつとめることになります。ミセスMにスカウトされたわけです。
 大建ビルでの職場は地下の調理場でした。料理は軽食スナックが多く簡単でしたね。メニューはサンドウィッチ、ハンバーガー、ポテト、サラダなどが多かったと記憶していますが、わたしはステーキでもスープでも何でもつくれます。海軍時代の調理師の腕前が活きました。
 ビルの一階がレストラン、二階はPXでした。PXはなじみのない言葉でしょうが、アメリカ人専用のスーパーマーケットです。昭和二三年のころ、日本人は食べることにも窮しているのに、PXにはそれこそ何でもありました。そして三階より上が司令部。わたしは入ったことがありません。一般人は立ち入り禁止です。
 そしてこのビルで働くことによって、わたしのその後の人生が大きく変わっていきました。「戦争は負けたがこれからは経済の戦争がはじまる」。復員するとき、河和基地を出て京都に向かう列車のなかでそう確信していました。
<2012年12月9日>
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