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ジョホールバルの歓喜の証言(1997年日本対イラン)

2016-08-28 13:44:26 | ワールドサッカー
昨日は、レッズ戦の敗戦のショックを癒すべく?、テレビ朝日で放送していた1997年フランスW杯予選の第三代表決定戦、日本対イランの映像と当時の選手の証言を見ていました。今、当時の映像を見て思うのは、当時の自分がまだまだサッカーのことをよく理解していなかったという事実です。熱くなってばかりだった、当時の自分のままでブログをやっていたら間違いなく炎上させていたと思います。

今回、当時の選手たちが語ったことで、明るみに出た事実は、当時の選手たちがプレッシャーで思うように動けなかったことです。井原が信じられないような凡ミスの空振りをしていたり、中山が「もらった」と思っていたヘディングシュートがミスになって、北澤へのセンタリングのようになっていたりと、当時の映像ではわからなかった事実が19年後の今に明るみに出てきました。

岡田監督の証言もあったので、采配の意図も理解できました。当時の試合、後半の頭の日本の動きが悪く、立て続けに2失点したことで何かショックを与えなければならないと判断したことが、中山、カズout、城、呂比須inという采配でした。当時、カズは日本のエースで、ほとんど途中でベンチに下げられることがなかったFWでしたが、岡田監督によれば「そこまで頭が回らなかった。俺は大変なことをしてしまったんだな。」と話しています。

また、城の投入の意図は、「中田英寿と最も感覚の合っていたFWだから」です。当時の日本は、カズのチームから中田のチームに、少しずつ変わってきた端境期でした。実際に、中田英寿の左クロスから城が打点の高いヘディングシュートを決めたので、その采配は的中しました。

岡野の投入に関しては「点を取るためには岡野しかない」という証言でした。事実、イランDFは不用意にスペースを与えるなどバランスが悪く、そこへ岡野を走らせるのは面白いように機能しました。しかし、岡野はプレッシャーから、何度も決定機を外してしまいます。サッカーを辞めたいとまで追い込まれた岡野ですが、最後のVゴールの場面ではスライディングして押し込み、日本は初のW杯出場を決めます。

当時の選手たちは、歓喜に浸るのではなく、「これで背負っていた荷物を下ろせる」という感覚でした。試合後に岡田監督と食事をしたところ、ほとんどの選手がすぐに部屋に帰っていた事実に現れています。今や、日本もW杯出場5回を誇る強豪になりましたが、初の出場にはこんなに苦しむのか、そんな歴史を思い出していました。

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