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オフサイドラインとの駆け引き(佐藤寿人)

2015-07-24 18:26:12 | 他チーム
今日はネタがないので、先日埼玉スタジアムに来た広島の選手から佐藤寿人選手を取り上げます。佐藤寿人はJ1J2合わせて200ゴール、J1得点数もトップの中山雅史氏まであと3点で更新は時間の問題というFWです。

佐藤寿人は以前はウェズレイと2トップを組んでいました。当時のウェズレイは名古屋でプレーしていた全盛期からはスピードが落ちていましたが、周りを使う動きができて、佐藤寿人にとってはやりやすいコンビだったでしょう。2007年、そのウェズレイが急速に衰えてしまい、佐藤寿人もまさかのJ2降格を経験することになりました。

そんな当時に、佐藤寿人を1トップに据えたのが、現浦和監督のミシャです。それまで、3-6-1の1トップは強靭なポストプレーヤーが務めるというイメージがあった私には驚くべき起用でした。おそらく、佐藤寿人の持っている、オフサイドラインをかいくぐる能力を評価しての起用でしょう。

当時の広島は、シャドーに入っていた柏木、森崎浩司、高萩あたりでボールをキープして、佐藤寿人は裏へ走る役割に専念してもらっていました。本人も「何回オフサイドにかかっても1回抜ければ1点取れる」と、決定力には自信がある口調でした。

広島でこの役割ができたことが、彼の歴史に名前を残す活躍の要因だったと思います。ミシャの後任の森保監督が、この佐藤寿人の決定力を生かそうとしたのも、ミシャの戦術をコピーした理由でしょう。ミシャがあまりやらなかった守備の練習を多く取り入れて守備を安定させ、Jリーグ2連覇と結果を出した森保監督の手腕は確かでしょう。もうゴン中山の記録更新は時間の問題ですが、彼も小さな挫折を味わったことがあります。

佐藤寿人は、当時育成では最強と呼ばれた、市原(現千葉)のユースの出身です。U-17代表にも入るなど有望視されていましたが、千葉のトップチームでは結果を出せず、当時J2の仙台に移籍しました。ここで20ゴールと結果を出して、広島からオファーをもらったので、人は一度くらいの失敗なら取り返すチャンスはあるということです。

中村俊輔も、横浜Mでジュニアユースからユースに上がれませんでしたし、本田圭佑もG大阪のジュニアユースから星稜高校に行く回り道をしています。あれほどのビッグな選手もそうだった事実は、きっと多くのサッカー少年に希望を与えたと思います。

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2 コメント

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Unknown (ツキノワグマ)
2015-07-25 11:03:09
ポイチは浦和の監督の戦術をコピーしただけではないですよ~

プラスアルファで守備を強化しましたよ~

追記しておいてくださ~い
確かに2連覇ですからね (kobby)
2015-07-25 16:06:58
ツキノワグマさん:

森保監督、Jリーグ2連覇と結果を出しているので、それは浦和サポの私も認めます。ミシャがやらなかった守備の練習をしたことが効果があったので、それを追記しました。

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