Kobby loves 埼玉&レッズ

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三浦知良(カズ)の記憶

2018-10-16 15:25:57 | 他チーム
今日は埼スタのウルグアイ戦に行くので、即日更新は難しいと思います。そのため、穴埋めネタは、現在も51歳という年齢ながらJ2の横浜FCでプレーする三浦知良選手(カズ)の記憶です。

今の若い人にとっては、カズといえば横浜FCのベテランというイメージでしょうが、私の世代では「セリエAに初めて挑戦した日本人」というイメージが今でも鮮明です。1994年に、V川崎(現東京V)から1年のレンタル移籍で、セリエAのジェノアに加入しています。もっとも、今は5つ以上あるEU枠外の外国人枠は、当時のセリエAではわずか2つでした。

そのため、ジェノア側にとっては主力選手になってもらわなければ困るという扱いだったでしょう。カズは開幕戦のACミランとのアウェイ戦で先発出場しますが、途中でベンチに下げられ、その後はジェノバダービーのサンプドリア戦で決めた1得点だけでシーズンを終えることになります。もっとも、カズ本人は、当時失敗と言われたこのセリエA挑戦を「今では21試合に出られたと思う」と振り返っています。

もっとも、チームで不振になると選手としての価値を落として代表から外されるケースもよく見られましたが、カズがそうならなかったのは日本代表に戻れば不動のエースストライカーだったからです。戻るところはある、代表で頑張るという思いが当時のカズを支えていたのでしょう。もっとも、ジェノア側は代表への合流を止めたことはなく、ジェノアでは戦力として考えていなかったのは寂しかったですが。

また、カズといえば1998年のフランスW杯最終予選での姿も印象的です。当時、初戦のウズベキスタン戦でいきなり4ゴールと派手な結果を残しましたが、その後まったく点が取れなくなりました。当時30歳と、全盛期だったカズですが、やはり代表は結果が出ないと叩かれるもので、その後岡田監督にフランスW杯の直前で代表を外され、念願だったW杯のピッチにはあとわずかな差で届きませんでした。

もっとも、その悔しさがあったから今でも現役でできていると思います。51歳でありながら、体力レベルは20代とほとんど変わっていないと聞きます。本人は仮に横浜FCを出されたとしても、「オファーがあればJFLでも地域リーグでも行く」と現役にこだわるつもりです。どこまでできるか、見る機会があれば楽しみにしたいと思います。
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ルヴァン杯横浜FM対鹿島

2018-10-14 17:51:04 | 他チーム
三ツ沢サッカー場で行われた、ルヴァン杯準決勝の横浜FM対鹿島をテレビ観戦しました。この試合はホームアンドアウエーの第二戦で、カシマスタジアムで行われた初戦は1-2でアウェイの横浜FMが勝っています。そのため、鹿島としてはただ勝つだけでは敗退の可能性もあるという、厳しい条件の試合となりました。

2点以上取らないと勝利の可能性がない、鹿島は両サイドを高く張らせて強気に仕掛けてきました。SBの位置を前に置いて、後ろは2バックにする時間さえあるほど、序盤から攻めに出ました。もっとも、今季から攻撃サッカーにモデルチェンジしている横浜FMは、こういう「出てくる」相手には強いサッカーです。この日の横浜FMは、4-3-3でウイングのスピードを生かすサッカーで、鹿島のCBがそのスピードについていけずファウルで警告を受ける場面も何度か見られました。

また、横浜FMの両サイドの守備も鹿島相手にはまりました。サイドの大津、天野が鹿島のSB相手に守れていたので、鹿島は攻めたい試合でしたが思うようにサイドからいいボールを入れられませんでした。FWの鈴木優磨も不在という事情もあり、横浜FMのペースで試合が進みます。サイドを崩してから、天野のミドルシュートのこぼれ球に反応したウーゴ・ヴィエイラのゴールで横浜FMが先制すると、さらに遠藤渓太のクロスから仲川のゴールで2-0としたときは、このゲームは終わったかに思えました。

しかし、一つのプレーで流れが変わります。後半、横浜FMのGK飯倉が、まさかのパスミスで土居に奪われてゴールを献上する、予想外のプレーで1点差に追い上げられます。総攻撃を仕掛けて、FWのセルジーニョや山口を投入していた鹿島は、これで元気が出てさらに攻撃を続けます。セルジーニョのヘディングで同点になったときは、横浜FMが受け身に回っており鹿島の逆転の可能性が高いとすら感じました。

それでも、横浜FMはギリギリのところで跳ね返し、サイドのウイングを使って攻撃しながら時間を使うプレーも見せていました。横浜FMのサポには長く感じたであろう、最後の20分を耐え抜いて、試合は2-2の同点に終わり横浜FMが決勝進出を決めました。

この試合は勝負所と見て、両チームとも本気で取りに来た試合でしょう。鹿島としては、最後の追い上げこそ見事でしたが試合運びのまずさも見せました。20日の浦和戦では、その試合運びのまずさを狙いたいところです。
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坪井慶介の記憶

2018-08-30 22:28:55 | 他チーム
今日はネタがないので、現在J2のレノファ山口に在籍するDF、坪井慶介選手の思い出です。坪井といえば、2006年ドイツW杯の日本代表で、日本にはあまりいないタイプだったスピード型のCBとしてジーコ監督に重用されたのが最も大きな思い出です。もっとも、せっかくの本大会も、豪州戦で足をつって途中交代という苦い思い出もあったでしょう。

坪井は、2002年にユニバーシアード金メダルの実績を買われ、福岡大から浦和に入団しています。当時はオランダに移籍した小野伸二の移籍金を使って、次世代の才能を集めていた時期で、坪井は当時のオフト監督が3バックマンツーマンの守備を採用するにあたって、足が速くどこまでも相手FWを追い回せるDFを探していたのにうまくマッチしました。

このプロ1年目は坪井が輝いた年で、フル出場して1枚もイエローカードをもらわなかったことが評価されて、新人王とフェアプレー個人賞を受賞して全国区に名乗りを挙げます。もっとも、坪井はこれだけのスピードがありながら、攻撃力はあまりなく、得点は2003年の駒場のG大阪戦で決めた1点だけという「守備の人」です。坪井がオーバーラップすると、ウイングのような切れ味があるのでスタンドは沸きますが、大抵横にいる鈴木啓太に短いパスを出して終わりというのがいつものパターンでした。

坪井が輝いた年は、ACL優勝に貢献した2007年も印象的です。当時は3バックの右ストッパーに入り、全北のマグノ、城南一和のイタマルなど外国人の長身FWと対峙していました。上背では勝てなくても、体をうまくつけて相手のバランスを崩す守りで、消耗戦になっていたACLを最後まで耐え抜く原動力になりました。この活躍で、世界はレッズで目指すと決め、当時では異例の「代表引退」宣言もしています。

しかし、その疲労で翌2008年にパフォーマンスを落とし、2011年のゼリコ・ペトロヴィッチ監督はついにスタメンから外すなど、浦和では輝きを失いかけていました。2014年に浦和を退団した後は、湘南、山口と渡り歩いていますが、39歳の今でも現役というのは素晴らしいです。

浦和にとっては功労者なので、引退後も何らかの形で浦和とかかわって欲しいと思っています。
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田中達也の記憶

2018-08-24 22:19:25 | 他チーム
知人経由で、現在J2のアルビレックス新潟に所属するFW、田中達也選手の写真が手に入りました。写真が手に入るとネタにするのが定番の当ブログなので、浦和レッズに長く在籍した田中達也選手の思い出を書きます。田中達也は、高校サッカーの名門、帝京高校で1年生からレギュラーのFWでした。エリートなのかと思いましたが、実際は帝京高校入学時には「100人中80番目の選手」から這い上がったと聞きます。

彼の才能は浦和在籍1年目から発揮されました。当時、浦和にいた名ゲームメーカーの小野伸二と最も感覚が合っていた印象が強いです。2001年5月の磐田戦、試合は0-2で負けましたが、途中出場の田中達也が小野伸二がパスが出しやすいような体の向きを徹底してボールをうまく引き出していた印象は今でも強烈です。小野伸二がオランダに移籍する最終戦で、田中達也が2得点を決めて花道を飾っています。

もっとも、田中達也はユース代表時代は候補に入ったこともないという遅咲きでした。そういう才能が浦和で育ったことは、浦和の環境は彼にとってきっと良かったのだろうと思います。1年目はサテライトの川越でサイン対応をしていた姿も覚えていますが、彼にとって本格的なブレイクは2003年のナビスコ杯(現ルヴァン杯)での活躍です。

当時、田中達也はエメルソンと2トップを組んでいました。このときに、エメルソンの良さをうまく盗んだようで、枠が見えたら打つ、ドリブルは点を取るために見せるなど、エメルソンのノウハウを身に着けました。その結果、雨の降る国立競技場で、鹿島アントラーズを4-0で破って浦和にとっての初タイトルを得た、このときの彼がベストだったと思います。

もっとも、彼にも弱点はありました。それは1トップに向いていないことです。横にいるFWと連携を見せて点を取るタイプの彼にとって、キープやポストプレーを要求される1トップというのは苦手な役割でした。2012年にミシャ監督が就任して、戦術が3-6-1に固定されると、1トップに不向きだった彼は出番を失い、アルビレックス新潟に移籍することになります。

しかし、それから6年経った今でも現役なのは素晴らしいです。新潟では試合に出るためにMFもこなしたと聞きます。もともと、プロ意識の高さは武器だったので、それを新潟の若い選手にも伝えているのだろうと想像しています。
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フェルナンド・トーレスのプレー

2018-08-12 17:27:17 | 他チーム
昨日の鳥栖戦、もちろん相手FWフェルナンド・トーレスの動きは注目していました。彼も34歳となり「欧州でやりたいことはすべてやった」というのが、日本に新天地を求めた理由とインタビューで話していました。確かに、欧州選手権優勝(2008年)、W杯優勝(2010年)、欧州CL優勝(2012年)など、欧州で取れるタイトルはすべて取っています。

Fトーレスは全盛期はスピード型FWでした。そういうタイプが好きなリバプールには適任者で、裏へ走るのが得点パターンだった時代は長いです。しかし、昨日のプレーを見ている限りでは、スピードは全盛期と比べるとかなり落ちています。日本の暑さも理由でしょうが、ロングボールを蹴って裏へ走れという動きを出すのは厳しくなっています。

それでも、Fトーレスには別の魅力もあります。それは足元のテクニックです。縦パスを正確に足元に止められるので、ポストプレーをさせると今でも上手いです。パスに反応できる金崎夢生と2トップを組んでいるので、Fトーレスがキープしてから金崎夢生を動かすのが彼の役割になってくるのでしょう。事実、青木からボールを奪った場面には彼の、抜け目のなさで欧州で生き抜いてきたノウハウの一端が出ています。

また、ヘディングも強いと聞きます。昨日はそれを発揮する場面はなかったですが、鳥栖がFKなどを得るとFトーレスの頭を狙って蹴っている様子が見られました。まだ来日初ゴールは出ていませんが、出るとすればそういうワンタッチのゴールではと思われます。

もちろん、チームを残留に導くのが彼の大きな使命です。これほどの大物なので、もちろんJ2ではプレーしないでしょうから、鳥栖をどういうチームに変えていくか、それが見られるなら楽しみにしています。他チームなので生で見るのは難しいでしょうが、こういう選手が日本に本当に来たというのはうれしいです。
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イビチャ・オシムの記憶

2018-06-12 21:40:09 | 他チーム
最後の日本代表監督こそ、脳梗塞で倒れて未完に終わってしまったものの、日本で指揮したことのある監督でベストなのはイビチャ・オシムだったという印象です。オシム監督時代のユーゴスラビア代表は華麗な個人技を誇り「欧州のブラジル」と呼ばれ1990年イタリアW杯で8強の実績を誇ります。

オシム監督の采配で印象的なのは千葉時代です。オシム語録として「ライオンに追いかけられたウサギは肉離れしない」など、選手の準備不足を叱るようなコメントが残っていますが、それでもプロのチームである以上、この監督についていけば試合で勝てるとなれば必然的に信頼を勝ち取れます。オシム監督が信頼を勝ち得たのは、開幕前の練習試合で勝てたことがきっかけと聞きます。

実際の試合でもオシムイズムはいろんなところに出ていました。まずは、当時は決して選手層の厚いチームではなかった千葉で、しぶといチームを作っていたことです。当時の千葉は、ミスも起こるチームでしたが、ミスは起こるものという共通理解が徹底しており、誰かがその穴をカバーする約束事ができていました。当時、ギドが率いていた浦和でも、千葉のミスにそう簡単には付け込めなかった印象です。

また、マンツーマンを軸にチームを作るという傾向もありました。当時の千葉では、阿部勇樹が一番オシム監督の信頼を勝ち得ており、相手のキーマンに阿部勇樹をマークさせる策を徹底してきました。浦和と対戦したときには、ゲームメーカーのポンテに阿部勇樹をマークにつけられ、苦しんだ試合の印象が強いです。

佐藤勇人、阿部勇樹、村井、坂本、水野、水本といった当時の千葉の主力選手が「オシムチルドレン」と呼ばれるなど、当時の日本サッカーに一大旋風を巻き起こし、事実2006年とナビスコ杯を優勝しています。上手くはないがしぶとい、本当に嫌な相手だった記憶は今でも色褪せません。

そのため、日本代表監督で病に倒れて任務を完遂できなかったことは今思い出しても残念です。オシムが日本代表を率いたら、どんなチームだったのだろうというのは、今でも時折考える空想です。
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イニエスタ、ヴィッセル神戸入り決定

2018-05-24 22:43:39 | 他チーム
今日は別ネタを考えていましたが、サッカー系ブログとしては優先順位トップのネタが来ました。元バルセロナのMFイニエスタが、J1のヴィッセル神戸に完全移籍で加入します。これまで、中国リーグに大物外国人選手が加入してきたのを横目で見てきた日本のファンにとって、久々の明るいニュースです。

イニエスタはスペイン代表MFで、2010年W杯南アフリカ大会の優勝メンバーです。プレースタイルはテクニシャンで、想像もしないような切り返しからパスを出す、MFとして必要な条件を全て兼ね備えた選手です。本来の攻撃的MFだけでなく、ボランチとしての出場も可能で、バルサではボランチで出場した試合も多くありました。

今回の移籍で、イニエスタに支払われる年俸は30億円を超えるという情報があります。Jリーグではこれまでに例のなかった高年俸で、同じ楽天が持つプロ野球の楽天イーグルスの選手が全員買えるほどです。楽天がバルサのスポンサーだったから実現した移籍なのは間違いないでしょう。イニエスタは既に来日しており、東京ドームで野球を見ていたのをカメラに収められています。

この加入で、神戸はどうやってイニエスタとポドルスキを両立させるかが問われることになります。ポドルスキが昔のように、左のウイングなら簡単に両立できますが、今のポドルスキはあまり動かないトップ下になっています。イニエスタとはポジションがかぶるので、イニエスタをボランチで起用するようなサプライズもあるかもしれません。

イニエスタの持っている高い技術力は見てみたいですが、不安があるとすれば34歳という年齢です。本人に、どこまでサッカーに対する情熱が残っているかにもよるでしょう。名門バルサを支えた選手を、こういう形で見ることができるのはラッキーで、埼玉スタジアムに来るなら是非とも写真を撮っておきたいと思っています。
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ポストプレーヤー2枚(3/21熊本対大宮)

2018-03-21 16:13:27 | 他チーム
今日は中野ランニングフェスタの疲れを取るために休養し、自宅でDAZNのテレビから、J2の熊本対大宮の試合を見ていました。結果は1-2と大宮敗戦です。大宮の1点と熊本の先制点がセットプレーからのヘディングシュートで決まっており、ゲームのポイントは見分けにくい試合ですが、両チームがどういうチーム作りをしているかはある程度見えてきました。

大宮は4-4-2で、攻撃的MFがワイドに開く布陣です。FWに199cmの長身、シモビッチがいるので、彼にアーリークロスを合わせるのは一つの狙いとして使えます。もっとも、この布陣ではトップ下を置けないので、シモビッチが落としたボールを誰が受けるのかが不徹底な印象を受けます。2トップを組んだ清水にそれが期待されているのでしょうが、思い切ってトップ下気味に引くなど、何か変化をつける必要がありそうです。

この試合で、大宮はサイドハーフを交代させたところを見ると、サイドからの崩しという意味で課題があると監督が判断しているのでしょう。アーリークロスも一つの武器ですが、それだけに頼っていてはシモビッチを消されてしまうので、深くえぐってマイナスのクロスを狙うなどの攻撃も必要になってくるでしょう。

対する熊本の方は、2トップが巻と皆川という、長身FWを二人合わせる形です。ポストプレーヤー2枚の2トップは合わせにくく、両方とも待ってしまうと攻撃が機能しなくなります。そのため、熊本がどういう合わせ方をしているかは注目でしたが、巻が引き気味の位置でボールに触り、「前線のゲームメーカー」として皆川を生かすという形を採用していました。

サイドハーフよりは縦の攻撃を生かすのが熊本の考え方で、事実巻がうまくボールを収めたりヘディングですらす形から何度かチャンスを作っていました。最後は37歳のベテラン巻に90分はきついだろうという判断なのか、巻を安ビョンジュンと交代させていましたが、その安が決勝ゴールを決める活躍で、熊本が2-1と勝利することができました。

大宮はJ2降格で、かなり主力選手が入れ替わっておりチーム作りはまだこれからと感じます。鹿島をクラブW杯で準優勝まで導いた石井監督ですが、今の時点ではやりたいサッカーを表現するには至っていないと感じます。
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盛田剛平、現役引退

2018-02-15 22:44:43 | 他チーム
今日は平昌五輪は日本のメダルはなかったので、サッカーネタからJ2群馬に在籍していた盛田剛平選手の現役引退を取り上げます。昨季、群馬ではほとんど試合に出ていなかったので、現役続行は難しいだろうと予想はしていましたが、息の長い選手だった盛田にもついに終わりが来たとの思いです。

盛田は、1999年に大学No.1ストライカーという触れ込みで浦和に入団しました。当時、浦和での期待は大きく、得点王のような過大な期待をする声もありました。しかし、当時の盛田はフィジカルが弱く、「利き足は頭」とヘディング一本で食っていくと言った割にはそのヘディングは強くなかった印象です。

その1999年は、浦和は低迷し、J2降格という苦い結果に終わることになります。これで、浦和サポの信頼は失われ、翌年の大原では誰も盛田のサインをもらいに行かないようになりました。翌年のJ2でも盛田は活躍できず、セレッソ大阪にレンタル移籍して活躍の場を求めることになります。

それでも、FWとしての盛田はなかなか芽が出てきませんでした。転機になったのは広島からのオファーです。本人はJ2で試合に出ていなかった自分にJ1からオファーが来たことに驚いていましたが、そこでCBに転向したことが彼の選手生命を延ばしてくれました。もともと持っていたヘディングに加えて、左足のテクニックを持っていたことから「うまいCB」として広島のDFラインに定着できました。

盛田のいいところは、たとえベンチスタートになっても腐らず、一年中ベンチ入りできるコンディションを維持できることです。そのため、広島を戦力外になっても甲府からオファーが届きます。その甲府では、意外にもFW再転向という活躍の場がありました。当時の城福監督からは「点を取ることはあまり期待していない」というポストプレー専用FWという位置づけでしたが、そこで自己最多の5得点を挙げて、38歳にして「最も成長した選手」と呼ばれるほどになりました。

引退後の進路は浦和レッズのハートフルクラブのコーチです。浦和ではほとんど活躍できなかった盛田にとっては意外ともいえる進路ですが、浦和が下部組織の充実に力を入れていたことで今回の話が実現しました。ハートフルクラブのコーチは、試合前の埼スタにいることもあるので、盛田に会えたら浦和時代の低迷は時効として許してあげたいと思います。
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ボール支配率40%の快勝(2/10川崎対C大阪)

2018-02-11 20:33:02 | 他チーム
今日のゼロックス杯、川崎対C大阪というカードでした。埼スタなので現地参戦も考えましたが、疲れ気味の体調を考えて自宅でテレビ観戦にしました。川崎はかつてのJ1得点王、大久保嘉人がFC東京から「出戻り移籍」した目玉がありますが、彼はベンチスタートで、川崎は昨年のチームをベースにしたスタメンで臨みました。

これに対し、C大阪もソウザがいなかった以外はスタメンは去年のメンバーで臨みました。そのため、去年のこの両者の対戦が参考になります。この両者が対戦すると、川崎がポゼッションして、C大阪は自陣に2ラインを深く引いて守る図式が予想できます。事実、ルヴァン杯の決勝では序盤の1点を得たC大阪がボール支配率33%で守り切ってタイトルを手にしています。

この試合は本当にそういう展開になりました。C大阪のコンディションが非常に良く、川崎が誇るトップ下の中村憲剛やFWの小林悠にほとんどボールを入れさせないという狙い通りの試合運びを見せます。この試合でもC大阪のボール支配率は40%と相手に支配されましたが、それでもほとんどがDFラインでの球回しで、決定的な形は作らせていない試合運びでした。

その狙い通り、先制点はC大阪に入ります。右サイドを崩してマイナスのパスから、ボランチの山口蛍が低く抑えたミドルシュートを突き刺して、C大阪にゴールが生まれます。川崎サイドは、この苦戦を見て、中村憲剛の位置をボランチ気味に下げたり、後半頭から大久保嘉人を投入したりと対策を打ちましたが、相手のロングボールの落としを田坂が処理ミスした2点目を食らって、勝負はほぼ決着しました。

C大阪のコンディションの良さが目立ったということは、川崎のコンディションが今一つという意味でもあります。特に、球際に寄せきれない弱さが出た、2失点目の形は気になります。そのプレーが出た、田坂の交代は当然とも言える判断で、これから長丁場になるACLの戦いで、どこまでそれを修正できるか、川崎にとっては練習が試されます。

逆にC大阪は、自分たちのサッカーに自信を持って良いという結果になりました。カウンター主体のスタイルが、アジアのライバルにどこまで通用するか、思い切って挑戦を目指していいと思います。もちろん、リーグが始まれば浦和主体に見ますが、そういうライバルの動向がわかった意味では面白い試合でした。
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