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パリーグの一番長い日(1988年10月19日)

2014-10-21 21:05:08 | 他スポーツ
カレンダーを見て、「そういえばパリーグの伝説に残る一戦、10.19は26年前の今頃だな」と思い出しました。当時は全日程を終了した首位西武に対し、追う2位近鉄がロッテとのダブルヘッダーを連勝すれば逆転優勝できるという天王山でした。

当時のロッテは、今の千葉マリンスタジアムではなく、川崎球場を本拠地にしていました。この川崎球場は土のグラウンドで雨天中止が多く、かつては日本シリーズ中に消化試合が残ったこともあります。その雨天中止がもたらした結果が近鉄とのダブルヘッダーでした。

当時、近鉄が逆転優勝をするには2連勝が絶対条件でした。一つでも引き分ければ優勝の望みは断たれます。しかも、当時はダブルヘッダーを消化するために、第1戦が9回で同点なら引き分けというルールでした。その条件は、実際に第1戦が同点で終盤まで来たのでクローズアップされました。

しかし、優勝に執念を燃やす近鉄は、このシーズン限りで引退を表明していたベテラン梨田(元日本ハム監督)の決勝タイムリーで勝利して、望みを第2戦につなげます。西武ファンの私は複雑な思いで見ていましたが、レギュラー番組を飛ばして急遽中継したテレビ朝日の映像を見ていた方の多くが近鉄を応援していたでしょう。

第2戦も同点で終盤まで来る、しびれる試合になります。当時のルールでは、4時間を超えると新しい回に入らず引き分けというものでした。微妙な判定を巡り、ロッテの有藤監督が抗議した時間は、近鉄のファンにはジリジリする時間だったでしょう。

当時、テレビ朝日は看板番組のニュースステーションを放送していましたが、当時のキャスター久米宏の決断で近鉄対ロッテを放送します。しかし、当時はちょうど政財界を震わせたリクルート事件の日でした。久米宏も迷いながら、野球とリクルート事件を交代交代で放送していました。

結果は延長10回引き分けで、近鉄は惜しくも優勝を逃し西武が優勝しました。西武ファンの私も、本当に喜んでいいか複雑な優勝でした。今は、この時代を知らない世代が現役のプロ野球選手なのですね。時代は確実に流れました。

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