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Kobby loves 埼玉&レッズ

埼玉と浦和レッズを愛する管理者のブログです。

大相撲名古屋場所総括

2025-07-29 22:25:59 | 他スポーツ
大相撲名古屋場所は写真の平幕、琴勝峰の優勝に終わりました。相撲の名門校、埼玉栄高校の出身で、当時は現大関の琴桜より将来性では上と言われていた才能でした。負傷がちだったのがたたり、幕内下位と十両を行き来することも多かったですが、今場所は技をかけるタイミングが良かったこともあり、横綱大の里から金星も得る活躍でした。来場所は前頭上位に上がります。ここで勝ち越すようなら、自身まだ経験のない三役も狙えるでしょう。

かつては「荒れる春場所」とよく言われましたが、最近では名古屋場所がよく荒れる展開になります。猛暑の中の本場所ということで力士の調整が難しいことから、意外な力士の優勝がよく見られます。今回も、大本命の横綱大の里が平幕相手に何番も星を落とし、14日目の段階で平幕優勝になることが決まる展開でした。

もっとも、今場所はもう一人の横綱豊昇龍が足の指の骨折で4日目で早くも休場に追い込まれ、大の里には新横綱でありながら一人横綱という重圧もありました。終わってみると11勝4敗とまとめましたが、大の里が横綱として強さを見せるのはこれからになります。既に大関以下で何度も優勝している実力者なので、それは可能だと信じています。

大関琴桜は8勝7敗と振るいませんでした。何とかギリギリのところで勝ち越してはいますが、強いと感じさせる勝ち方ではないです。今場所は安青錦(あおにしき)、草野ら若手が一気に伸びてきており、このままでは世代交代の波にのまれてしまいます。まだ老け込む年ではないので、もう一度優勝を狙うつもりで取って欲しいです。

また、40歳の大ベテラン玉鷲の活躍も光りました。横綱大の里を破る史上最年長の金星記録を達成し、来場所は最年長の三役昇進の可能性もあります。本人は「引いてはたいての記録では意味がなく、前に出るのが玉鷲という相撲を見せたい」とまだまだ成長意欲があり、相撲を楽しむ境地に達していることもあって、これからどこまでやってくれるか楽しみでもあります。

下位では新入幕、若碇改め藤ノ川の活躍もありました。伊勢ノ海部屋に伝わる伝統の四股名を、この20歳の新入幕がつけるのはプレッシャーもあったかと思いますが、見事10勝5敗の好成績で「四股名が人を作る」活躍でした。4代目藤ノ川は関脇まで出世し、上位キラーで活躍したので、それに追いつけるよう活躍を期待したいです。
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西武、ネビンと2年契約

2025-07-06 16:23:28 | 他スポーツ
西武ライオンズは、今日のソフトバンク戦は惜しくも敗れたものの、写真のタイラー・ネビン内野手と来季からの2年契約を結んだというのはいいニュースでした。昨年、レフトで起用したコルデロが守備の不安を露呈して早々と二軍落ちした教訓はライオンズに残っており、ネビンは一塁手としての守備が計算できる長所があります。

こういう、メジャー経験はあるものの誰もが知っている選手でない場合、メジャーでの成績はチェックします。ネビンは昨年、オークランドアスレチックスで87試合に出場して7本塁打を放ったものの、打率が2割ちょっとだったため、オークランド側としては他の選手にチャンスを与える判断がなされて放出されていました。

そのため、ライオンズでも打率という意味では当初は不安視していました。開幕からしばらくは2割5分を切っており、試合出場はできるものの来季の契約を保証するほどではないという成績でした。しかし、西口監督が我慢してクリーンアップで起用していると長所も見えてきました。それはチャンスに強く打点が多いことです。

今では打率も上向き始め、2割8分まで上がってきました。西武の外国人選手としてはメヒア以来となる月間MVPも受賞しており、他チームから引き抜かれる前に対応しようという判断がなされたことで、来季からの2年契約でチームに残そうという結論になりました。DHでなく一塁手で起用できることで、セリーグからオファーが来る可能性も検討しての結論でしょう。

もちろん、守備は計算はできるものの、誰もが認める名手というほどではないですが、それでもネビンは状況判断が良く、無理に送球して傷口を広げるようなミスがないのは評価できます。自分のミスで先の塁で刺せないときは一塁で確実に1アウトを取ってくれるので、そういうところも今回の契約の、一つの要因だったことでしょう。
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豊田清投手コーチの現役時代

2025-06-24 22:02:09 | 他スポーツ
オールドファンの昔話で、西武ライオンズの投手コーチ、豊田清さんの現役時代の記憶です。豊田は愛知県の無名の大学である同朋大学でプレーしていました。当時、対戦相手が練習試合を受ける条件として、チーム唯一の好投手である豊田の登板を条件にされたこともありました。そのため、豊田はダブルヘッダーを連投するような苦労もしています。

それでも、プロ野球のスカウト網はサッカーよりも全国各地に張り巡らされており、無名の大学の豊田も西武ライオンズからドラフト3位で指名されていますが、決して意外な指名ではなかったです。プロ入りしてからは先発ローテーションで投げており、当時のライオンズでは先発4番手くらいの位置でした。

当時のライオンズでは抑え投手が課題になっていました。豊田に抑えへのコンバートを東尾監督が指名したときは、投手は先発完投という哲学を持っていた豊田の説得は難航したと聞きます。しかし、この抑えへのコンバートは豊田にとっては良かったと思います。先発のときは142kmほどだったストレートの球速が、抑えになって1イニングだけ投げるようになってから150km近く出るようになったからです。

当時、8回を森、9回を豊田が投げる勝ちパターンをライオンズでは確立しており、豊田はパリーグを代表する抑えとして、2002年のリーグ優勝の大きな原動力になりました。残念なことに、その後出場した日本シリーズでライオンズは巨人に4連敗してしまい、豊田に晴れ舞台のセーブ機会を用意することができなかったことは今でも残念に思います。

その後もライオンズの抑えを長く務めましたが、FAの年に巨人から抑えでオファーがあったことで、移籍してライオンズを去っています。巨人では最後の方は中継ぎになっていましたが、巨人で引退し、西武ライオンズには投手コーチで久しぶりの復帰を果たしています。どうしても結果責任があるポジションなので、打撃コーチは何度か変わっているライオンズですが、投手成績が良いこともあって豊田コーチの信頼は確かです。

プロ野球のすごさに、投手コーチがマウンドに行って投球パターンを変えると、相当不安定だった投手が立ち直ることがあることがあります。豊田も、先日自分が見に行った試合で、荒れ球のウインゲンターに指示を出して連続三振でピンチを逃れた手腕があります。スタンドからだとなかなかわからないものの、プロはそういう世界なのだと、コーチの手腕も感じられますね。
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西武対中日2回戦

2025-06-15 20:16:08 | 他スポーツ
昨日の西武ドーム、西武対中日2回戦の観戦記です。西武先発はアンダースローの与座でした。今季は1勝止まりですが、過去には10勝を挙げたシーズンもある、先発型の投手です。こういう投手を見るときは、その投球術を見ます。与座の場合は、ストレートの球速は最速で133kmほどと決して速くはありません。

与座はかつてのライオンズのアンダースロー投手の牧田とよく似た特徴を持っています。それは、「球が遅すぎて打てない」ことです。中日打線は彼が投げる100km前後のカーブはいつでも打てそうと強振しますが、振るタイミングよりボールが遅いため、タイミングがずれて内野フライを打ち上げてしまいます。また、与座のノウハウに、ランナーがいない場面でクイックで投げるのもあります。

そのクイックで投げたボールが大抵ストライクゾーンに行くので、中日打線は準備ができていない段階で1ストライクを取られてしまいます。もっとも、与座もボール球は多いですが、そのボール球は計算して投げているのではと思うほど、その投球術が冴えて6回を村松のソロ本塁打による1失点で抑えます。

対する中日先発の高橋宏斗は、前日会見で「一番良いときの彼ではない(からチャンスはある)」と敵将西口監督に言われていました。確かに、ストレートの球速は常時150kmを超えていましたが、西武打線に捕えられるボールもあり、安打数を多く打たれる試合になります。もっとも、ネビンの内野ゴロによる初回の失点は、中日守備陣が「1失点はOK」と無理に前進守備を引いていなかったためでもあります。

4回の長谷川の本塁打で2-0とした西武ですが、その後は安打数が多い割には点が入らないシビアな試合になります。8回に登板したウインゲンターが2四球の後田中の犠打で1死2,3塁とされたときはしびれましたが、「この状況をしのぐには連続三振しかない」と思われた通り、上林と板山を連続三振に切って取り、この苦境をしのぐことができました。

最後は抑えの平良が、1安打は打たれたものの最終回を締めて、試合は2-1で西武の勝利に終わりました。野球はテレビでも見られますが、ここまで鮮明に覚えているのは生で見たからでしょう。そういうところが、生観戦の意義だったと思います。
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長嶋茂雄さん、逝く

2025-06-09 22:37:36 | 他スポーツ
先日、元巨人の「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さんの訃報がありました。89歳でした。もっとも、68歳のときに脳梗塞を患い、必死の思いでリハビリをこなしてきた様子を映像で見てきたので、よくここまで頑張ったと思います。昭和40年代の子供が好きなものに「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれた時代がありますが、その巨人の代表が彼だったと思います。

本人曰く「記録の王、記憶の長嶋」を目指すと、プロ野球に「見せる」要素を表現してきた選手でした。三塁手の長嶋は、遊撃手だった広岡の守備範囲のボールまで取って送球するなど、演出好きな一面がありました。三振しても必死でスイングしている様子を表現しようと、わざとサイズの大きいヘルメットをかぶって、ヘルメットが落ちる演出もしていました。

私は彼が引退した時はまだ物心ついていなかったので、長嶋の印象は背番号90をつけていた巨人の監督としての印象が強いです。当時、巨人はV9時代の主力選手を世代交代させなければならない難しい時期の采配だったこともあって、1975年には球団史上初の最下位という悔しい結果も出しています。翌年は優勝争いをするために、張本をトレードで獲得して王との「OH砲」で優勝を勝ち取っています。

監督としては用兵よりは育成が得意だった印象です。1979年のシーズン後に、当時若手だった篠塚や中畑を育てようと、オフに「地獄の伊東キャンプ」という秋季練習を行ったこともあります。結果的には、長嶋が育てた選手を、後任監督になった藤田元司氏が活用して黄金時代を作るのですが、次世代の才能に目を付けて鍛え上げる姿勢は彼の特技だったのでしょう。

また、二度目の監督就任となった1994年にドラフト1位で入団した松井秀喜に注目して、彼を徹底的に鍛え上げたことでも知られます。巨人の中心選手はちょっとしたことで休んではいけないと、長嶋に言われた松井はそれを守り、巨人時代は連続試合出場を続けていました。のちに松井がヤンキースで活躍したところを見ると、長嶋の目は確かだったのでしょう。

脳梗塞でアテネ五輪日本代表監督を途中で断念してからも、少年少女に野球を教えるなど、彼の野球に賭ける情熱は最後まで続きました。野球に賭けて、一生野球に関わり続けることができた、幸せな生涯だったと思います。
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浅村栄斗選手、通算2000本安打達成

2025-05-24 22:27:52 | 他スポーツ
今日、プロ野球の楽天イーグルスに所属する、写真の浅村栄斗選手がプロ通算2000本安打を達成しました。多くの選手がキャリアの終盤に辛くも到達する記録ですが、浅村はまだ34歳と、これからも記録を伸ばせそうです。西武時代は二塁手でしたが、楽天では三塁手にコンバートされ、守備の負担を減らそうとしているようです。

浅村と聞いて思い出すのは、西武時代に4番に抜擢されたときに「地位が人を作った」ことです。大阪桐蔭高校からドラフト3位で入団した当時は、高校時代でも1番打者だったので、プロでも1、2番を打つつもりで入団してきた選手です。実際、西武時代に中島裕之がメジャーリーグに移籍した時は、本気で彼が抜けた遊撃手を狙うとコメントしていたほどです。

西武で最初にポジションをつかんだ当時は、チーム事情で一塁手を守っていました。当時率いていた渡辺久信監督が、本来4番を打つ中村剛也の離脱時に、浅村を4番で起用した時期があります。本人は「慣れていません」とこの抜擢は驚きだったようですが、この年は3割20本と過去最高の成績を挙げて、見事に「地位が人を作り」ました。

その後は正二塁手だった片岡がFAで巨人に移籍した際に、田辺監督が彼を二塁手にコンバートしました。最初は守備で脆さを見せたこともありますが、キャンプで守備力アップを目指すなど努力してこのポジションをこなします。二塁手は山田(ヤクルト)がいるので侍ジャパンこそ難しかったものの、常にクリーンアップは外されない良い打者でした。

もっとも、その実績の割に、西武時代の年俸は2億1千万円と比較的安かったです。オフにFAになるタイミングだった2018年、この年の成績が悪ければライオンズに残ったでしょうが、この年の浅村は自己最高の成績を収めました。いわば「最も高く売れる」タイミングだったこともあって、彼はFAで楽天に移籍する道を選びました。

楽天でもクリーンアップを外されない打者ということは、西武と対戦する試合で見てある程度情報はありました。彼の強みとして、負傷が少なく安定してシーズンを稼働できるものがあります。それが続けば、まだまだこの記録は伸ばせそうで、西武ファンの自分にとって敵ではあるものの活躍を期待しています。
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元小結北勝富士引退

2025-05-15 22:03:19 | 他スポーツ
今日、写真の元小結北勝富士が現役引退と年寄「大山」襲名を発表していました。四股名は師匠の元横綱北勝海と元横綱北の富士から取ったもので、新入幕のときに本名の「大輝」から改名して大きな期待を感じました。相撲ぶりは突き押し一本で、立ち合いで突きを当てることができれば時には白鵬を破るほどでした。最後は腰痛とひざ痛で苦しみ、今場所は土俵には上がらなかったものの幕下3枚目とわずかな給料しか出ない地位でした。負けて悔しくなくなったのを引退の理由に挙げていました。地元所沢市で巡業もできるなど、地元の期待には十分応えたと思うので、次世代の若手を育てることを期待したいと思います。
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大相撲夏場所初日

2025-05-14 22:16:07 | 他スポーツ
日曜日に、両国国技館まで大相撲夏場所初日を見に行ってきました。国技館の席にちょうど着く頃、幕下に落ちていた朝乃山が土俵に上がっており、場内は結びの一番並みの静寂に包まれていました。初日ということで恒例の協会ご挨拶があり、私の青春時代の横綱、北勝海の姿を見ることができました。

十両では先場所、14勝1敗という圧倒的な強さで今場所十両筆頭まで番付を上げた草野の相撲が注目でした。初日の相手はベテランの英乃海でしたが、その上手さに寄り切られ、初日は黒星スタートになりました。それでも、十両筆頭という番付を考えると勝ち越せば入幕が濃厚になり、この逸材を幕内の土俵で見られる時期は近いでしょう。

上位陣は琴桜は前頭筆頭の王鵬と対戦しました。差して出る王鵬に対して、琴桜は両かいなをきめて前に出ますが、土俵際で回り込んでのはたきで王鵬の勝利に終わりました。大の里は前頭筆頭の若元春との対戦で、立ち合い一気にパワーをかけて寄っていくと若元春は残せず圧倒しました。横綱豊昇龍は小結若隆景が相手で、こういう小兵を攻略する定番の手と言える突き押しで一気に持っていきました。

今回の席は西方の椅子席Cと、後ろの方で、しかも東方力士の写真はいつでも撮れるものの西方力士はほとんどシャッターチャンスがないという場所でした。それでも、生で見る相撲は自分の感性に訴えるものがあり、国技館に行って良かったという思いはしてくることができました。
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横綱土俵入り

2025-05-13 22:04:33 | 他スポーツ
国技館で生観戦するときは、やはり横綱土俵入りが最大の楽しみです。照ノ富士引退後、すぐに豊昇龍がその地位に収まったので、横綱土俵入りを見続けることができます。豊昇龍が横綱として強さを見せるのはこれからですが、まずはこの写真が撮れたことが、生観戦の大きな成果でした。
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西口監督の現役時代

2025-04-30 20:52:51 | 他スポーツ
今季から西武ライオンズを率いている、西口文也監督の現役時代の記憶です。西口は入団時にちょっとした不運がありました。当時、逆指名ドラフトという制度があり、ドラフト上位指名が確実な選手は希望球団を提出することができました。しかし、この届の期限が、「所属チームの全公式戦が終了してから」でした。

当時、西口が所属していた立正大が、東都六大学野球の入れ替え戦に出場することになり、その入れ替え戦が終わったのがドラフトの二日前でした。これからではとてもプロ球団との話し合いは間に合わないと覚悟した西口は「12球団OK」と届けを提出せざるを得ませんでした。結果的には西武ライオンズからのドラフト3位指名となります。

しかし、この結果は西口にとっては良かったと思います。西武ライオンズが、ちょうど森監督時代の主力選手たちを世代交代させて、次の時代を担う選手を探していた時期だったからです。西口は二年目のシーズンからローテーション投手になり、右からサイドハンド気味に投げるフォームで安定して先発で投げることができました。

当時、西口のように毎年二桁勝利ができる投手はあまりいなかったこともあって、のちにメジャーリーグに行く上原も「尊敬できる投手は西口さん」と言っていたほどです。怪しくなってきた記憶をたどると、ストレートの球速はそれほど速くなかったですが、アウトコースを出し入れできるスライダーの切れが絶品でした。

昨日、西武ドームのオーロラビジョンで紹介されていた西口の記録に、2500投球回があります。これはライオンズでは東尾と稲尾しか達成していない記録で、それだけ西口が安定して先発で投げ、42歳まで現役を続けたからこその記録です。当時はまだメジャーリーグにFAで移籍する時代ではなかったですが、西口は西武にいたからこそ良くしてもらえたでしょう。

現役の最後の方はストレートの球速は130km台まで落ちていましたが、それでも中継ぎになってでも現役続行にこだわり、引退後は指導者として二軍監督も務めました。次期監督候補ではありましたが、昨年大きく負け越したチームを率いるのはちょっと覚悟も要ったかもしれません。何か、西武ライオンズというチームが西口監督になって変わったと、ファンに思わせて欲しいものです。
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