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ギネスブックに載った(中山雅史)

2012-10-31 18:56:32 | 他チーム
今年は札幌がJ1だったので、中山雅史選手が持っている最多得点の更新が期待されましたが、出られない理由が負傷なだけにそれは難しそうです。中山雅史といえば、日本人のサッカー選手としてギネスブックに載ったおそらく唯一の選手ということを思い出します。

その記録は1998年に達成した4試合連続ハットトリックというもので、この中山のゴールで得失点差を大幅にプラスにした磐田が最終節に勝てばほぼ前期優勝決定という状況にした価値あるゴールです。中山本人はフランスW杯で骨折して優勝の瞬間のピッチには立てませんでしたが、チームメイトがこの得失点差を「中山貯金」と呼んで頑張って優勝を手にしました。

中山と聞いて思い出すのはもう1つあり、それは1993年W杯予選のイラン戦で1点を返したゴールの後、ボールを持ってセンターサークルまで走って戻ったことです。今ではリードされたチームが時間稼ぎをされないためにこうするのは知れ渡りましたが、当時サッカーがお茶の間に流されたばかりの頃だったので、この行為は日本代表の意地を示すものと大いに称賛されました。

中山本人は、このゴールを意地というよりは得失点差に貢献できたと比較的冷静な受け止め方をしていました。ただ、やはりドーハの悲劇のイラク戦では交代してベンチにいた中山が同点ゴールの瞬間叫びながら寝転ぶ映像が残っており、一躍有名にはなりましたが、W杯に出られなかった心の傷は残ったと思います。

中山という選手は駆け引きしてスペースを作って、そこに泥臭く飛び込むゴールを得意にしていました。そのプレースタイルを受け継いでいるのは今の代表で言えば岡崎慎司で、岡崎本人も「生涯ダイビングヘッド」を口にしています。岡崎と中山の対戦は静岡ダービーで何度かありましたが、そこではまだ中山の方が格上だった時代です。

また、中山といえば軽妙洒脱なジョークと、ちょっと面白い父親もドーハ以降、有名になりました。あの当時、中山が話せば何か面白いことを言うのではと、マスコミが期待していた頃です。実際、フランスW杯の予選の最初の数試合、中山はリポーターでテレビに出ていました。当時は加茂監督の構想に入っておらず、代表監督が岡田監督に変わったことでジョホールバルの歓喜のときに代表入りして、中山本人も「ちょっとおいしいところを持っていった。」と自ら認めています。
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