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南海の黒豹(若島津)

2012-04-14 10:41:06 | 他スポーツ
今日は埼玉スタジアムに行ってくるので、即日更新はできない可能性があるので、穴埋めネタを用意して出かけます。特にサッカーのある日の午前中は一番ネタのない時間なので、ネタに困ったら昔の大相撲から引っ張ってきます。

今回、ネタにするのは元大関若島津(現松ヶ根親方)です。120kg台と軽量の力士でしたが、少年時代は千代の富士があれだけできるなら若島津も横綱になれるはずと応援していました。最近、その若島津の名前がよくNHKの相撲中継に登場していますが、ちょっと不名誉な記録です。

日馬富士、把瑠都と全勝優勝目前になった大関が出たので、大関の全勝優勝のリストが出てきますが「若島津以外全員横綱になっています」と若島津は全勝優勝までして横綱になれなかったんだと歴史に名前を変な意味で残してしまいました。島津の名前が付いているくらいですから鹿児島の出身で、軽量ながら正々堂々と立つ左四つの相撲で、色黒の体から「南海の黒豹」の異名をとりました。

全盛期は何度も横綱に挑戦し、大関としての責任は十分果たしたと思いますが、やはり軽量ゆえ無理に太ろうとしたのがたたり、糖尿病で力が出なくなった若島津は3勝12敗と大関としてはやってはいけない成績も残してしまいました。優勝2回と大関としては結果も残しましたが、急激に衰えた印象も残っています。

当時、北天佑、朝潮、琴風といったあたりが大関を張っていましたが、毎場所負け越す力士を出さず、きっちり帳尻を合わせるあたり、「大関互助会」という不名誉な言い方をされていたこともあります。今、これだけ八百長が騒ぎになっていますから、今はやっている力士はいないと思いますが、当時は怪しいような相撲もありました。

そんな「互助会」に風穴を開けたのが「黒船襲来」とも言われた小錦で、強烈な突き押しで上位を次々破り、人を助けてはいられない、自分が勝ち越すだけで精一杯という大相撲本来の姿に戻った瞬間だったかもしれません。
コメント (4)
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