昨日は、交流戦の横浜対西武を見るために、横浜スタジアムまで行っていました。連敗中の西武にはまったく元気がなく、一方的な展開を見た私は試合終了を待たず帰宅しました。しかし、荒れ模様だった昨日の天候の中、横浜スタジアムでは青空が見られ、野球観戦日和だったことは嬉しかったです。
この横浜スタジアムは、私がまだ子供だった昭和53年、当時川崎球場を本拠地にしていた大洋ホエールズが移転してきて、プロ野球の球場になりました。巨人戦のテレビ中継で流された横浜スタジアムの映像には、子供心に感動した記憶があります。
当時は、横浜スタジアムの色が港町横浜をイメージしたブルーで塗られていた(当時の野球場は暗い色で塗られていたスタジアムがほとんどでした)ことが感動した理由ですが、当時の横浜スタジアムは、野球場として最新の設備を備えていました。当時はまだ珍しかった電光掲示板に、両翼の長さは当時のセリーグでは長い95m、椅子も個席を導入し、当時は未来指向のスタジアムでした。
しかし、今では昭和53年は遠い昔になりました。必然的に横浜スタジアムも古いスタジアムになりました。今では、雨にも影響されないドーム球場が日本各地にある時代です。また、球場の広さも、大リーグ規格の両翼100mが当たり前になっています。
横浜スタジアムも、そろそろ時代に合わせて変わらないといけない時期なのかなと思いました。横浜スタジアムと同じ時代にできた西武球場にも、屋根ができたり確実に変わっています。そんな時代の流れを実感するあたり、自分も年を取ったなと感じます。
この横浜スタジアムは、私がまだ子供だった昭和53年、当時川崎球場を本拠地にしていた大洋ホエールズが移転してきて、プロ野球の球場になりました。巨人戦のテレビ中継で流された横浜スタジアムの映像には、子供心に感動した記憶があります。
当時は、横浜スタジアムの色が港町横浜をイメージしたブルーで塗られていた(当時の野球場は暗い色で塗られていたスタジアムがほとんどでした)ことが感動した理由ですが、当時の横浜スタジアムは、野球場として最新の設備を備えていました。当時はまだ珍しかった電光掲示板に、両翼の長さは当時のセリーグでは長い95m、椅子も個席を導入し、当時は未来指向のスタジアムでした。
しかし、今では昭和53年は遠い昔になりました。必然的に横浜スタジアムも古いスタジアムになりました。今では、雨にも影響されないドーム球場が日本各地にある時代です。また、球場の広さも、大リーグ規格の両翼100mが当たり前になっています。
横浜スタジアムも、そろそろ時代に合わせて変わらないといけない時期なのかなと思いました。横浜スタジアムと同じ時代にできた西武球場にも、屋根ができたり確実に変わっています。そんな時代の流れを実感するあたり、自分も年を取ったなと感じます。