三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

障害児殺しと青い芝の会(3)

2024年06月27日 | 日記
親が障害のある子供を殺す事件が起きるたびに減刑嘆願運動が行われ、事件の大きな要因として施設不足、福祉政策の貧困、国家の責任などがあげられていました。

横塚晃一『母よ!殺すな』に、1970年の横浜の障害児殺人での嘆願書が引用されています。
現在重症児(者)を受け入れる施設があまりにも不足している。毎日、施設を訪れ嘆願すれど受け入れがたく、様々な状況から発作的にやむをえずヒモで殺した。大人になっても不憫と思ってのこと。

青い芝の会が県民生部社会課、県議会の心身障害者政策懇談会、各党の県会議員と横浜市議、担当の金沢警察署などに対し、意向を話し、意見書を手渡して歩いた。
しかし、「あなた方の気持ちもわかるが、もっと多くの施設があればあのような事件は起こらないのではないか」「裁かれねばならないのは国家である」といった反発が返ってきた。
施設があれば事件は起きなかったということです。

1965年、総理大臣の諮問機関として設置された社会開発懇談会が「社会開発に関する中間報告」において、障害者への対策としてリハビリテーションとコロニーが言及された。
①心身障害者は近時その数を増加しており、障害者は多く貧困に属しているので、リハビリテーションを早期におこなって社会復帰を促進せよ。
②社会で暮らすことのむずかしい精薄については、コロニーに隔離せよ。

横田弘『障害者殺しの思想』は、障害者を施設に入れればいいという考えを批判しています。
多くの健全者が障害者の気持ちが分かるとか、障害児が殺されるのはやむを得ない、とか、施設をつくれとか、施設に入れてしまえば、とか考えるのはどうしたことだろう。
やはり、障害者(児)は悪なのだろうか。
「本来、あってはならない存在」なのだろうか。
本当に健全者は、障害者が憎いのだろうか。
障害者は殺してしまえ、という論理なのだろうか。

1972年に経済審議会は新経済五ヵ年計画の中で「重度心身障害者全員の施設収容」を謳った。
横塚晃一さんはこの計画を問題にしています。
「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません」という太田典礼の言葉こそ、「経済審議会が2月8日に答申した新経済五ヵ年計画のなかでうたっている重度心身障害者の隔離収容、そして胎児チェックを一つの柱とする優生保護法改正案を始めとするすべての障害者問題に対する基本的な姿勢であり、偽りのない感情である。

では、障害者施設はどんなところなのでしょうか。
1968年、府中療育センターが開設した。
一部屋に50人ずつ収容される。
入口は常に鍵がかけられ、職員の出入にもいちいち鍵をかけはずしする。
入口の内側に職員の詰所があり、そこから部屋が一望できるようになっている。
外来者は入口までしか行くことができない。
中にいる障害者はおそろいのパジャマ一枚で、私物はほとんど持たされない。
外泊、外出は親が二週間前に申し入れを行い、許可を得なければならず、保護者以外では許可されない。
まるで刑務所のようです。

入所者の訴えにより、青い芝の会が府中療育センターに運営方針を改めるよう再三交渉した。
しかし、いつも「私達は大事な子弟を預かっている責任上、当然のことをやっているまでだ。管理運営上これが好都合なのだ」と突っ放された。
http://www.arsvi.com/d/i051970.htm

横田弘さんは、親が障害児(者)を施設に預ける場合、最寄りの施設に入れるのではなく、なるべく遠いところへ入れようとする傾向が著しいと言っています。
施設に入れて後は知らん顔というのでは、重度者はますます疎外され、地域社会から隔離されてしまう。

横田弘さんが街を歩いていると、「どこの施設から来たのか」と言われ、ひどいのになると「どこの施設から逃げてきたのか」と言われたことがあるそうです。
親兄弟や地域社会から隔絶された施設が、障害者にとって、一般社会にとってどういう意味を持つだろうか。

私自身、正直なところ障害者は施設で生活すればいいと思っていました。
筋ジストロフィーの人が自立生活をしていると聞いて、食事から何から誰かに介助してもらわないといけないのに、それがどうして自立生活なのかと思いました。
障害者の不妊手術にしても、障害のある子供が産まれたらどうするのか、子供を育てられるのかといった、優生主義、差別偏見の気持ちもあります。

障害者の自立とはどういうことでしょうか。
大橋由香子さん。
障がいのある人がヘルパーさんに車椅子を押してもらってスーパーに行き、自分の意思で買い物をするような生活を障がい者解放運動では「自立生活」というのだと知り、人の助けを借りることと自立とは矛盾しないのかも、と発見しました。

小児科医で脳性マヒの熊谷晋一郎さん。
一般的に「自立」の反対語は「依存」だと勘違いされていますが、人間は物であったり人であったり、さまざまなものに依存しないと生きていけないんですよ。だから、自立を目指すなら、むしろ依存先を増やさないといけない。

施設よりも、親が相談できる機関、悩みを打ち明ける場所、在宅で世話ができるシステムが必要です。
ところが、今も状態は変わっていません。
障害者施設での職員による暴行、虐待が今も後を絶えません。
横田弘さんの「殺人を正当化する考えから作られた施設とは殺人の代替ではないか」という言葉はもっともだと思います。
障害者に限らず、困った時に肩身の狭い思いをせずに相談でき、助けを頼むことができる社会であるべきです。
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障害児殺しと青い芝の会(1)

2024年06月14日 | 日記
成田悠輔さんの発言が国会でも問題になりました。
どうしたら今のこの高齢化とさまざまな人生のリスクを軽減できるだろうかということを考えて、たどり着いた結論は集団自決みたいなことをするのがいいんじゃないか、特に集団切腹みたいなものをするのがいいんじゃないかということです。(略)ここで僕たちが議論すべき大義はいわば高齢化して永遠と生き続けてしまうこの世の中をどう変えて社会保障などという問題について議論しなくてもいいような世界を作り出すかということだと思います。そのためにはかつて三島由紀夫がしたとおり、ある年齢で自らの命を絶ち、高齢化し老害化することを事前に予防するというのはいい筋ではないかと。
横に座っている古川俊治さん(自民党国会議員)は成田悠輔さんの発言に笑っています。

(10分5秒のところから)
同じ趣旨の発言は他のところでもしています。

三島由紀夫は45歳で死んでいます。
1985年生まれの成田悠輔さんは10年以内に死ぬつもりなのでしょう。

成田悠輔さんは障害者について語っていませんが、主張していることは太田典礼や植松聖死刑囚と同じ社会的弱者の抹殺です。

日本安楽死協会を設立した太田典礼は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与しました。
植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない。(『週刊朝日』1972年10月27日号)
太田典礼は85歳で死亡しますが、安楽死ではありません。

もっとも、太田典礼や植松聖死刑囚のような考えは私の中にもあります。
石井裕也『月』は津久井やまゆり園事件をモデルにした映画です。
主人公は小説が書けなくなり、障害者の施設で働きます。
息子は先天性の心臓病で、胃瘻をし、寝たきりのまま3歳で死亡しました。
40過ぎで妊娠した主人公は障害を持った子供が生まれるのでは、と悩みます。

犯罪白書によると、殺人事件のうち家族間によるものは2019年で54・3%と、半数以上を占め、30年前から15ポイントも増えています。

家族が加害者という殺人事件には、介護疲れによる殺人、親子心中が含まれます。
介護を理由とした家族間での殺人は厚生労働省の統計によると年間20~30件起きています。
親子心中事件は毎年少なくとも30件以上起こり、40人以上の児童が親子心中によって死亡しています。
そのうち母子心中が65.1%を占めています。
多くは母親がウツ病だったり、子供に障害があって苦にしたりといったことがあります。

障害者や認知症の人たちが殺されるのはやむを得ないと思う人(裁判官や検察官も)が多いから、被告は情状酌量され、刑期が短かくなったり執行猶予がついたりすることがあります。

1970年、横浜で2人の障害児を持つ母親が下の女の子(当時2歳)をエプロンの紐でしめ殺した事件がありました。
横塚晃一『母よ!殺すな』、横田弘『障害者殺しの思想』に、この事件について詳しく書かれています。

事件が発生するや、マスコミは「またもや起きた悲劇、福祉政策の貧困が生んだ悲劇、施設さえあれば救える」などと書き立てた。
地元町内会や障害児をもつ親の団体が減刑嘆願運動を始めた。

神奈川県心身障害者父母の会が横浜市長に提出した抗議文。
施設もなく、家庭に対する療育指導もない。生存権を社会から否定されている障害児を殺すのは、やむを得ざるなり行きである、といえます。日夜泣きさけぶことしかできない子と親を放置してきた福祉行政の絶対的貧困に私たちは強く抗議するとともに、重症児対策のすみやかな確立を求めるものであります。

母親に同情が集まって減刑嘆願書が出される動きに、脳性マヒ当事者の会である青い芝の会は抗議しました。
横塚晃一さんと横田弘さんも青い芝の会の会員です。

横田弘さんはこう言います。
障害者は「殺されたほうが幸せ」という論理が、やがて、障害者は「本来あってはならない存在」という論理に変わり、そして、社会全体が障害者とその家庭を抹殺していく方向に向かって行く。

起訴までに1年1か月の時間を費やし、横浜地裁で公判が開かれるや、1か月で結審した。
起訴まで日時を費やした理由が「全国の施設の状況を調べ」ることにあった。
弁護側が情状酌量を主張するために行うのではなく、検察が起訴するか否かということで調査したという。

横浜地裁の判決は懲役2年執行猶予3年だった。
刑法に「人を殺したる者は死刑又は無期若しくは3年以上の懲役に処す」とあるのに、この裁判では検察の求刑は懲役2年だった。

横塚晃一さんはこう批判しています。
おざなりな裁判であった。検察側の被告を追及する態度がまるでなく、我々の提出した意見書、障害者としての体験文などを参考資料として裁判の席上にのせることを弁護側が拒否したのに対し、抵抗することなく従い、求刑に当たっては、殺人の場合、刑法上最低懲役3年なのに、懲役2年を求刑したことからも明らかである。
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『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(2)

2020年11月01日 | 

最首悟さんの41歳になる重複障害者の娘さんは、障害1級で、目が見えず、しゃべらず、自分で食べず、噛まず、排泄は無関心、動くことをあまり好まない。
『開けられたパンドラの箱』の談話で、最首悟さんは次の指摘をしています。

オランダの安楽死が日本で紹介された時、非常に印象的だったのが、家庭医の苦しみでした。60ほどある段取りを一つでも抜かすと刑事罰、訴訟の致傷になるので、そのことだけでも大変だということはわかるのだけれど、それに加えて、人の死に携わるということ、自分が最終的に死を与えなくちゃいけないというのは非常に厳粛なことで、ふざけてはいられない。家庭や友達と楽しむことができない、いやそういう集いから外される。安楽死の患者を年間3人もつとしたら、本当にひとりぼっちになってしまう。(略)
植松青年の問題提起の先にあるものを考えれば、与死法ができて、お医者さんが条件を満たした意識のない人たちに死を与えていくということになるけれども、果たして若者はそういう職業に就きたいのか。


松村外志張さんが提案した与死とは、社会が一定の基準を満たした人に死を受容させるというもの。
守田憲二さんの「死体からの臓器摘出に麻酔?」というサイトに、「移植学会 脳死概念を放棄か 松村氏の「与死許容の原則」を紹介“社会存続・臓器獲得のため、社会の規律で生きていても死を与えよ”」という記事がありました。
http://www6.plala.or.jp/brainx/2005-4.htm#20050410

松村外志張「臓器提供に思う-直接本人の医療に関わらない人体組織等の取り扱いルールのたたき台提案」(2005年)という論文について書かれたものです。
松村外志張さんは医者の負担なんて考えていないようです。

臓器移植法が制定されたが、脳死者からの臓器移植が伸び悩んでいるので、死者の生前の意思表示より、遺族や親密な関係者の意志を優先して尊重すべき。
ドナーカードで拒否している死者からの移植臓器の摘出もありえる。
臓器移植といった課題に対応するために、三回忌が済んでからでは間に合わない。
緊急の場に悔いない判断をするためには、日常的な訓練によって冷静な判断に到達する時間を短縮できる。

生きていても死んだものとなんら区別なく平気で扱うこともまた、人間を対象とした場合にはともかく、動物を対象とした場合には、少なくとも私にとっては、しばしばあるのが日常である。
 飛び跳ねている魚や蝦を見て「うまそう!」と口走る者がいてもあまり驚かないだろう。その時これらの生物は、脳の中では生命が無視された存在であり、なんの感情もなく殺せる「虫けらのごとき」存在ということとなる。(略)
与死は殺害と類似して、本人以外の者(あるいは社会)がある者に対して死を求めるものであるが、ここで殺害と異なるのは、本人がその死を受け入れていることが条件であるという点である。与死が尊厳死とは異なるのは、尊厳死は、死を選択するという本人の意志を尊重するという考え方であるに対して、与死は、社会の規律によって与えられる死を本人が受容する形でなされる。(略)
「殺」意を完全に非倫理的な観念として否定することはできず、限定した条件においては 、現在においても生きたその必然性があるもの(と)見るのが冷静な判断なのではなかろうか。


死を「与える」なんて究極の上から目線です。
本人の承諾がない、あるいは本人が拒否していても、臓器提供すべきだと主張する松村外志張さんにとって、人間は「虫けらごとき」のものかもしれません。
江崎玲於奈さんの優生思想的教育論もそうですが、頭のいい人の言っていることが正しいとは限らないといういい例です。

守田憲二さんは以下のように批判しています。

・臓器提供意思表示カードの所持者が脳死ではないにもかかわらず臓器摘出にむけた処置を開始され、臓器獲得目的で法的脳死以前にドナー管理を推奨する医師が多数いるため、与死の許容が現実には臓器獲得目的の 一層の殺人奨励となることに認識がない。
・時代に合わせて国民が決める条件で与死を許容するならば、脳不全(脳死)患者だけでく、臓器不全患者(移植待機患者)も「高額な医療費がかかる」として与死が許容されるだけでなく、脳不全患者がさらされているのと同じ生命を短縮される環境におきかねない。


最首悟さんの批判です。

問題は、人間の条件というのを自分でつくっていること。そしてその条件にかなわない場合、その人を抹殺する、廃棄するというところまで行ってしまう。


冲永隆子さんも「「安楽死」問題にみられる日本人の死生観 自己決定権をめぐる一考察」(2004年)も問題点を指摘しています。

もし、この医師の手による「慈悲殺」が認められたとすれば、患者と利害対立が生じる可能性のある家族に患者の生死を判断する権利を認め、結果として「安楽死」は、格好な殺人の手段となってしまうのではないだろうか。この点は、「安楽死」反対派が最も恐れる問題点でもある。なお、容認派は「厳しい条件付け」を主張している。

https://appsv.main.teikyo-u.ac.jp/tosho/tokinaga24.pdf

ジョセフ・フレッチャー、太田典礼、松村外志張たちは、障害者、認知症・寝たきりの人たちへの安楽死(殺人)を主張しています。
結局のところ、社会の負担を減らすための手段としての安楽死であり、個々の人より社会の利害を優先しています。
このことは優生思想につながります。

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『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』(1)

2020年10月18日 | 

神奈川の津久井やまゆり園で、元職員が19人の障害者を殺し、26人に重軽傷を負わせたという事件がありました。
なぜ障害者を殺したのか。

月刊『創』編集部編『開けられたパンドラの箱 やまゆり園障害者殺傷事件』を読み、この事件はさまざまな問題を提起していることを教えられました。

植松聖死刑囚の手紙(2017年7月21日付)

私は意思疎通が取れない人間を安楽死させるべきだと考えております。私の考える「意思疎通がとれる」とは、正確には自己紹介(名前・年齢・住所)を示すことです。(略)
私の考えるおおまかな幸せとは〝お金〟と〝時間〟です。人生は全てに金が必要ですし、人間の命は時間であり、命には限りがあります。重度・重複障害者を養うことは、莫大なお金と時間が奪われます。(略)
3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信をもつことができました。


本人の同意なしの安楽死(殺人)、社会の負担となる障害者の抹殺(優生思想)という問題がここに示されています。
こうした考えは植松聖死刑囚だけが持っているのではありません。

『開けられたパンドラの箱』で、最首悟さんが松村外志張さんの「与死」、そしてヨゼフ(ジョセフ)・フレッチャーに触れているので、ネットで調べました。

大谷いづみ「J.フレッチャーとバイオエシックスの交錯 フレッチャーのanti-dysthanasia概念」(2009年)と「「尊厳死」思想の淵源 J・フレッチャーのanti-dysthanasia概念とバイオエシックスの交錯」(2010年)の要旨を読むことができます。
http://devita-etmorte.com/archives/oi091115-1.htm
http://www.arsvi.com/b2010/1003oi.htm

ジョセフ・フレッチャー(1905年~1991年)は中絶、産児制限、安楽死、優生学、およびクローン作成の支持者であり、アメリカ安楽死協会の会長を務め、アメリカ優生学協会と産児調節協会の会員。

euthanasia(安楽死)との対比でdysthanasia(悪しき死)という概念を創出し、のちにdysthanasiaに対する否定の意をこめ、anti-dysthanasiaという概念が創出された。
従来の安楽死とanti-dysthanasiaとの相違は、患者の同意を必要としない点にある。
同意するに足る能力がない場合には、憐れみによって死がもたらされる(慈悲殺 mercy killing)べきであると考える。

人間性を自己意識をもって決定し、理性的な一貫性のある行動をなす能力のある人格的存在であることを最重視する。
自己意識をもたず、理性的な能力のない者は、新生児であれ病み老い衰えた病者であれ、人間ではない「怪物」であり、また「植物」であるにすぎない。
フレッチャーはこれを「人格主義の倫理」と呼ぶ。

優生主義と「人格主義の倫理」を基本とするフレッチャーの論理構成と、産児調節運動を牽引し、日本安楽死協会を設立した太田典礼の論理構成は酷似している。

太田典礼について、大谷いづみ「太田典礼小論 安楽死思想の彼岸と此岸」(2005年)を要約します。
http://www.arsvi.com/2000/0503oi.htm

太田典礼(1900~1985)は、戦前から産児調節運動を行い、衆議院議員として旧優生保護法の施行(1948年)に寄与した。
1969年、太田典礼は「老人の孤独」(『思想の科学』)で以下の指摘している。

社会にめいわくをかけて長生きしているのも少なくない。ただ長生きしているから、めでたい、うやまえとする敬老会主義には賛成しかねる。(略)
ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。(略)
老人孤独の最高の解決策として自殺をすすめたい。(略)
老人はなおる見込みのない一種の業病である。まだ、自覚できる脳力のある間に、お遍路に出るがよい。老人ぼけしてからでは、その考えも気力もなくなってしまい、いつまでもめいわくをかけていながら死にたくないようなことをいうからである。


1972年の立法化提案では、延命処置を中止・軽減する消極的安楽死を適用行為に加え、これに付随して適用条件に「死期の遠い不治」を挙げ、しかもその範囲を「中風、半身不随、脳軟化症、慢性病の寝たきり病人、老衰、広い意味の不具、精薄、植物的人間」に拡大している。

太田典礼の安楽死運動はしばしば心身障害者と真っ向から対立した。

障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。(『死はタブーか』)

安楽死の対象にはならないはずの障害者が安楽死と関連して語られる。

人格の疑わしい人間存在に対する合法的な処置を提案する。

ひどい老人ボケなど明らかに意志能力を失っているものも少なくないが、どの程度ボケたら人間扱いしなくてよいか、線をひくのがむずかしいし、これは精神薄弱者やひどい精神病者にもいえることですが、むずかしいからといって放っておいてよいものでしょうか。(略)
人権審査委員会のようなものをつくって、公民権の一時停止処分などを規定すべきではないか、と考えます。(『死はタブーか』)

「社会の負担」となる「半人間」の排除の論理が貫かれている。

中絶、産児制限、安楽死、優生思想はそれぞれつながっていることがわかります。

稲子俊男『産む、死ぬは自分で決める』によると、太田典礼は安楽死を希望するというリビング・ウィルをしていませんでした。
晩年に脳梗塞(脳血栓?)で倒れ、さらに糖尿病が悪化した。
昭和60年、昼食にそうめんを食べている最中に気分が悪いと訴え、そうめんをのどに詰まらせての急性心不全で亡くなる。

「見事な死に際である」と稲子俊男さんは書いています。
太田典礼の老人についての発言との齟齬を稲子俊男さんはどう考えているのでしょうか。

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帚木蓬生『安楽病棟』

2016年07月30日 | 

帚木蓬生『安楽病棟』(1999年刊)は、病院の痴呆病棟の看護婦が主人公の小説です。
看護婦は先生の「オランダにおける安楽死の現状」という講演を聴きます。
こういう話です。

安楽死には〈積極的安楽死〉〈医師の幇助による自殺〉がある。
患者の意志に基づくのが〈自発的〉で、患者の意志によらないのが〈非自発的〉。
治療を中断して死に至らしめるのが〈受動的〉、医師の手で致死量の薬剤を投与するのが〈積極的〉。

オランダにおける安楽死は、本人の同意があってもなくても医師が決定できる。

患者の意志がないのに医師の判断で致死剤を投与して死に至らしめるのが〈非自発的積極的安楽死〉である。

オランダでは〈安楽死〉という用語をあまり使わず、〈生命終結行為〉という表現をする。

その対象となるのは、重篤な障害をもった新生児、長期の昏睡患者、重篤な痴呆患者。

痴呆患者に対しては〈生命短縮行為〉という用語をあてている。

なぜなら、積極的に生命を終結させるのではなく、患者の要請にもよらずに生命を縮めるから。

具体的にどういう行為を指すのか。

1 狭い意味での〈生命終結行為〉
致死的な薬を患者に与えて死に至らしめる行為。

これが許されるのは次の二つの状況のとき。

① その患者が重症痴呆になったときは死なせてもらってもいいという了解を書面で書いていたか、あるいはそういう意志をもっていたことを周囲の人たちから確認でき、さらに重症痴呆に別な重篤な病気が加わったとき。


② 書面も周囲の証言もないものの、その患者が人間の尊厳を損なうほどに痴呆が進行している場合。

これこそが〈非自発的積極的安楽死〉。

2 治療の副産物として生命を縮める方法

ある症状に対して強力に治療すれば、その結果として生命を縮めるかもしれないとわかっていながら、そのまま強行してしまう方法。

3 治療中止

治療中止と対極にある行為として、延命のための治療がある。
痴呆患者の場合、延命治療が容認されるのは、患者の意志がそうであり、治療に耐えられ、治療の効果が期待でき、患者にとって利益になる、という4点が条件となる。

〈殺すこと〉と〈死なせること〉は違う。

治療中止は〈殺すこと〉ではなく、〈死なせること〉。

オランダにおける年間死亡数の約4割が、医師の判断によってなされる積極的安楽死と消極的安楽死によるもの。
患者の意志によらず、医師が生命終結させる〈非自発的積極的安楽死〉は年間約6000例で、日本だと年間5万人に相当する。
実際の安楽死の数字はもっと高いものだと思われる。

オランダで安楽死の対象となる病気
各種の癌、心臓病、肺疾患、脳卒中、神経病、精神病、重篤な児童の病気、未熟児、二分脊椎、ダウン症など。
重い病気を背負った新生児は、生まれても食事を与えられず、脱水か餓死で〈安楽死〉させられる。

オランダで実施されている安楽死の具体例
1 ダウン症だとわかった新生児
ミルクを吐くので診てもらうと、十二指腸狭窄という診断がついた。
手術で治る病気だが、両親と小児外科医は手術しないことで意見が一致した。
驚いた家庭医は児童権利保護委員会に申し立てをしたが、委員会が介入する前に赤ん坊は栄養失調で亡くなった。
家庭医は小児外科医の行為が殺人にあたるとして裁判所に訴えたが、裁判所は即座に無罪の判決を下し、逆に家庭医は患者の秘密を第三者に暴露したとして、小児外科医や両親から激しく批判された。

大学病院の麻酔科のなかには、ダウン症の子供が心臓病にかかって手術が必要になったとき、麻酔を拒否するチームが少なからずある。

子供の両親は麻酔をしてくれる病院を探さなければならない。

2 妊娠32週で生まれた未熟児

頭蓋内出血を起こしていたので、貯留した血液をドレナージで抜かなければ死は確実。
しかし、両親はその処置を断り、未熟児は生まれて30日目に小児科医のてでモルヒネを注射されて死んだ。

3 二分脊椎と水頭症をもった3歳の男児

両親がドレナージを認めないので、水頭症は悪化するばかりだった。
子供が腹痛を訴えたので、両親は安楽死を依頼する目的で、総合病院に入院させた。
担当した看護婦は子供の安楽死に反対で、自分がその患者を養子にしても構わないと思い、夫と相談のうえ、その両親に申し出た。
両親はこれも拒絶し、結局は両親の主張と小児科医の意見が一致し、子供は点滴の中に致死剤を入れられて死んだ。
そのあと、病院はその看護婦を呼び、夫に患者の秘密を漏らした、看護婦として失格だと、警告を発した。

4 知的障害をもつ6歳の女児

女児が小児糖尿病を発症し、インスリンの注射が不可欠なので、家庭医は両親に許可を求めた。
ところが両親はインスリン治療を拒否した。
何十年にもわたり、死ぬまでインスリン注射をしながら生きていかせるのは忍びない、というのが理由だった。

5 72歳の未亡人で、心筋梗塞の既往をもつ患者

強心剤と利尿剤、抗血液凝固剤を服用し、薬のおかげでひとり暮らしができていた。ところが、新しい家庭医が、そんなに苦しんでまで生きなくてもいいのでは、と助言をしたので、彼女は薬をやめ、三日後に心不全で亡くなった。

講演の後に質疑応答がなされますが、これは帚木蓬生氏の安楽死に対する疑問でしょう。

・30代半ばの内科医
安楽死に対する患者の意志は本当に信頼に足るものだろうか。「殺してください」「死にたい」と患者はよく口にするが、額面どおりに受け取ると大変な間違いをしでかすのではないか。
答え オランダのように安楽死容認の歴史が長くなれば、理性的な判断がより濃厚に加わるのではないか。

・70代の元新聞記者

ナチスの尊厳死とオランダの安楽死とは考え方が本質的に同じではないか。
答え ナチスの尊厳死では本人の意向はまったく考慮されていなかった。
オランダでは、医師に報告の義務があって、社会の眼にさらされている。
すべてが秘密裡に処理されていたナチスの尊厳死と同列に論じることはできない。

・障害児をもつ中年の女性

日本でも「あんな子供がよく生きているわね」「あんな子、社会のお荷物ね」といった声が浴びせられる。
オランダであれば、障害児を眼にした一般市民が、「あんなの、早いとこ注射で眠らせたらいい」と排斥するに決まっている。
障害をもつ人や病人が健常者からサービスを受けるばかりで、健常者の足を引っ張ると考えるのは間違い。
弱い立場の人たちに優しい眼を向ける長女や次男を眺めて、長男のおかげだと思う。
障害者や病人に対して施しているだけのものを、わたしたちもその人から施されている。

・70歳過ぎの男性

老人に対する安楽死がその国の財政を救うのだという風潮があると、無言の心理的圧力が老人に加わるのではないか。
元気なときに安楽死を希望する旨の書面をきちんと書いておかないと、周囲から暗に非難されるのではないか。
すべての老人が、痴呆や重病になったとき、安楽死を望む書状によって処分されるようになるのではないか。
書状をしたためておかなかった老人は、国家の財政を食いつぶす厄介者として、社会から白眼視されるのではないだろうか。
オランダのようになると、老人は社会に迷惑をかけているのではないかと肩身が狭くなる。
本人の同意がなくても安楽死が行われるようであれば、年寄りはおちおち病院に入院もできない。

・60歳のクリスチャン

80年も90年も生きた年寄りが、いつまでも生き続けるのは、神の意志だろうか。
まして重篤な痴呆や末期癌、植物状態にある患者が、まだ生きさせてくれと神に頼む権利があるのか。

以上です。

長々と引用したのは、障害者施設「津久井やまゆり園」で45人が殺傷された事件が起きたとき、たまたま『安楽病棟』を読んでいて、この事件は、加害者としては一種の「積極的安楽死」のつもりではないかと思ったからです。

『安楽病棟』では、痴呆病棟の患者が8人、死亡します。

痴呆病棟は動ける患者が収容されており、患者は寝たきりや植物状態ではありません。
ネタバレですが、犯人は担当医である先生です。
しかも、同じ行為を終末期医療研究会の会員たちもしているらしいとわかります。
『安楽病棟』を読んだ人は、担当医の行為に複雑な思いを抱くでしょう。

殺傷事件の容疑者は「重複障害者が生きていくのは不幸だ。不幸を減らすためにやった」と供述しているそうですし、容疑者の衆議院議長宛て手紙にはこんな文章があります。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。


小説と実際の事件とを比較すべきではないですが、片や医者による〈非自発的積極的安楽死〉という殺人、片や医者ではない者による〈非自発的積極的安楽死〉という殺人と言えるんじゃないでしょうか。

『安楽病棟』に、「マーシィ・キリング(慈悲ゆえの殺害)」という言葉が『安楽病棟』に出てきます。
馬が骨折したら、その時点で殺すことです。
痴呆患者を殺したのも本人のためなのです。
今回の殺傷事件でも、重複障害者の安楽死を認めるべきだということに限れば、加害者の主張に賛成する人は少なくないと思います。

ただし、先生が主人公の看護婦に「動屍」、すなわち痴呆患者は一種の屍だ、屍が動くから動屍だ、という話をします。

先生は痴呆患者を生きている人間として見ていません。

日本安楽死協会(日本尊厳死協会の前身)理事長だった太田典礼は、老人・難病者・障害者たちは「半人間」であり、生きていても社会の邪魔になるだけだ、と公言しています。
麻生太郎も「高齢者はさっさと死ねるようにしてもらいたい」と発言しています。
この人たちと容疑者は、認知症の人や障害者に対して同じ考えを持っているわけです。

オランダではこの事件はどのように考えられているのでしょうか。

安楽死が法制化されていないために起きた不幸な事件、とみなされるかもしれません。

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麻生太郎発言と太田典礼と日本尊厳死協会

2013年04月12日 | 日記

旧聞ではありますが、今年の1月に麻生太郎副総理が「さっさと死ねるように」という発言をした。
知人によると、「しんぶん赤旗」が麻生太郎氏の発言を一番詳しいが、全国紙各紙は半分しか伝えていないそうだ。

“(高齢者は)さっさと死ねるようにしてもらいたい”
麻生副総理が暴言 社会保障改革国民会議で
 麻生太郎副総理・財務相は21日に開かれた政府の社会保障制度改革国民会議で、余命わずかな高齢者の終末期の高額医療費を問題視し、「政府のお金で(高額医療を)やってもらっていると思うと、ますます寝覚めが悪い。さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろ考えないと解決しない」と暴言を吐きました。
 麻生氏は「現実問題、経費をどこで節減するか」と述べ、延命治療には「月に1千何百万だ、1千500万かかるという現実を厚生省(厚労省)が一番よく知っているはず」だと発言。「私は遺書を書いて(延命治療のためにチューブをつけるような)必要はない、さっさと死ぬから、と(家族に)手渡しているが、そういうことができないとなかなか死ねません。死にたいときに、死なせてもらわないと困っちゃうんですね、ああいうのは」などと語りました。しんぶん赤旗2013年1月22日

ネットでは、麻生太郎氏は延命治療によってただ生きながらえているだけという状態になりたくないと言っているだけだ、それなのに新聞は言葉尻をとらえている、といった感想が多いように思う。

私もそこまで目くじらを立てないでもと思ったけれども、別の知人(障害者自立支援などをしている)に太田典礼という名前を教えてもらい、考えを変えた。
太田典礼氏は1976年に「日本安楽死協会」(「日本尊厳死協会」の前身)を発足し、理事長となる。

なぜ太田典礼氏が安楽死を主張するのかというと、老人・難病者・障害者たちは「半人間」であり、生きていても社会の邪魔になるだけだからである。
「半人間」には理性や知性などの精神がなく、人間の尊厳のかけらも見ることができないと、太田典礼氏は言っているそうだ。
麻生太郎氏の発言は太田典礼氏と変わらないと思う。

太田典礼氏の本を読もうと思ったが、どうせ腹が立つだけなので、ウィキペディアの「太田典礼」の項からコピーします。
太田は老人について「ドライないい方をすれば、もはや社会的に活動もできず、何の役にも立たなくなって生きているのは、社会的罪悪であり、その報いが、孤独である、と私は思う。」と主張し、安楽死からさらに進めた自殺を提案したり、安楽死を説く中で、障害者について「劣等遺伝による障害児の出生を防止することも怠ってはならない」「障害者も老人もいていいのかどうかは別として、こういう人がいることは事実です。しかし、できるだけ少なくするのが理想ではないでしょうか。」と主張した。
また、『週刊朝日』1972年10月27日号によれば、「植物人間は、人格のある人間だとは思ってません。無用の者は社会から消えるべきなんだ。社会の幸福、文明の進歩のために努力している人と、発展に貢献できる能力を持った人だけが優先性を持っているのであって、重症障害者やコウコツの老人から〈われわれを大事にしろ〉などと言われては、たまったものではない」と放言した。
太田のこうした言動から、安楽死が老人など社会的弱者の切り捨てや、障害者の抹殺につながるとして非難が起こった。太田はこうした批判に対して見当違いと反発したが、1983年8月には団体名を「日本尊厳死協会」に変更した。太田は「尊厳死」の用語を批判していたが、にもかかわらず「尊厳死」を採用したのは、「安楽死」が持つマイナスのイメージを払拭し、語感の良い「尊厳死」に変えることで世間の批判を和らげようとしたのが狙いと言われている。

ちなみに、太田典礼氏は85歳で死んでいる。
どういう死に方をしたのかはわかりません。

知人は、重度障害者や難病者には呼吸器の装着や胃瘻などの経管栄養の使用によって生きている人がたくさんいる、その人たちを「半人間」として切り捨てていいものか、と問いかけている。

麻生太郎氏は金のかかる重度障害者や難病者も「さっさと死ねるようにしてもらいたい」という考えなのだろうか。
麻生太郎氏の発言を支持する人は、自分の子供や孫が難病になって人工呼吸器を装着しなければいけない状態になったとき、「必要はない、さっさと死ぬから」と医者に断るのだろうか。

しかし、迷惑をかけたくないからぽっくり死にたいとか、延命治療をしてほしくない、と言う人は多い。
ということは、寝たきりやボケ老人は生きていても迷惑をかけるだけだから、さっさと死ぬべきだと、私たちは思っているわけである。
太田典礼氏や麻生太郎氏の無知、冷酷、残忍さを責めることはできないと思う。

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石光真人編著『ある明治人の記録』

2010年08月13日 | 

先日、江田島の旧海軍兵学校(海上自衛隊第1術科学校)を見学した。
海軍の史料が展示されている教育参考館を見て、この展示は海軍の美しい歴史だと感じた。
将軍や士官の写真や遺墨が展示されており、彼らの経歴を読むと、いずれも武勇、智略、人望を兼ね備えた方ばかりである。
それなのに戦争になってしまい、連合艦隊はこてんぱんにやっつけられて、結局は負けてしまったのはどうしてなのかと思った。
海軍に召集された新藤兼人脚本の『陸に上った軍艦』で描かれたしごき、いじめは教育参考館からはうかがうことができないし。

歴史は美しいことばかりではなく、暗部もあることは言うまでもない。
石光真人編著『ある明治人の記録』を読む。
柴五郎という人が残した遺書を石光真人がまとめ、解説を加えたものである。
柴五郎は安政6年(1859)会津に生まれ、のちに陸軍大将になっている。
明治元年、柴五郎10歳の時に官軍が会津を攻め、祖母、母、兄嫁、姉、妹は自死した。
その後、会津藩あげて下北半島斗南に移封されて開拓に励むも、寒さと飢えに苦しみ、辛酸の歳月をすごす。
そのために柴五郎たち会津人の薩長に対する恨みは深く、西南戦争には競って従軍している。
西郷隆盛の自刃、大久保利通の殺害の際には喝采をあげたという。

明治政府のこうした扱いは会津藩に対してだけではない。
たまたま結城昌治『森の石松が殺された夜』を読んでたら、「博徒さむらい」に、黒駒の勝蔵が相楽総三の赤報隊の一員として戦ったとあったのにはいささか驚いた。
黒駒の勝蔵は清水の次郎長の敵役にされているが、実際は次郎長よりもはるかに立派な親分だったらしい。
結城昌治氏はこう書いている。
「戦争に一人でも多くの手兵が欲しい事情は倒幕派も幕府側も同じで、双方ともさかんに各地の博徒を集めて即成の一線部隊をつくった」
「官軍について命がけの戦いをした博徒も、もはや厄介者でしかなかった。利用価値がなくなれば捨て去るのが権力政治の論理」
「彼ら博徒の多くは、時代の流れに乗ったつもりで、結局は権力に利用されて捨てられるという運命を辿った」

黒駒の勝蔵は明治3年、休暇届の期限内に帰隊しなかったというので脱走と見なされて斬首された。
結城昌治氏は、次郎長に関する資料を読みあさるうちに、次郎長がいよいよ嫌いになったという。
「次郎長のように要領のいい者だけが、新しい権力に取り入って、後の世までうさん臭い名声を博している」
赤報隊については、長谷川伸『相楽総三とその同士』に詳しいが、読み直すのが面倒なので省略。
「yahoo!百科事典」には、「総督府は農民層を多く編成したこの隊が、民衆と結ぶことを恐れて弾圧し、相楽らは3月に「偽官軍」の名の下に信濃国下諏訪にて処刑された」とある。
東山道軍の先鋒として活躍した相楽総三たちも、結局は利用されて捨てられた厄介者だったのである。

ついでに書くと、明治政府の宗教政策も無茶苦茶で、神仏分離、廃仏毀釈を強制したため、各地で一揆が起きている。
岐阜県東白川村と奈良県十津川村では寺が破壊され、今でも寺院がないそうだ。
安丸良夫『神々の明治維新』によると、竹生島では弁財天をもって都久夫須麻神社と改称せよと命令した強引なやり方に寺院は抗議したが、県庁はそれに対して「左程迄に仏法を信ずるなれば、元来仏法は天竺より来りし法なれば、天竺国へ帰化す可し」と強要している。
熱心な仏教信仰を続けた山階宮晃親王は明治31年、その死にさいして仏式の葬儀をするように遺言した。
しかし、「仏葬式の可否は枢密院に諮られたが、皇族の仏葬を許すことは「典礼の紊乱」をもたらす恐れがあるという理由で、山階宮の仏葬式は認められなかった」そうだ。
面白いと思ったのが、慶応4年、山陵稜汚穢についての審議である。
「その趣旨は、山陵は天皇の死体を葬ったものであるから穢れたものとすべきかどうかということであった。死体によって穢されたとすれば、僧侶にその管理を任せなければならないことになるのである。この問題の検討を命ぜられた国学者谷森種松は、天皇は現津御神であるから、現世でも幽界でも神であり、穢れるということはない旨を答えた。そうして、天皇霊は、寺院と僧侶から切り離されて、べつに祀られることになった」
サギを烏だと言いくるめるこういう御用学者はいつの時代にもいるものである。

柴五郎の遺文を読んだ石光真人は「いったい、歴史というものは誰が演じ、誰が作ったものであろうか」という疑問を『ある明治人の記録』に述べている。
「古事記以来、私どもはいくたびか数えきれないほど、しばしば歴史から裏切られ、欺かれ、突き放され、あげくの果てに、虚構のかなたへほうり出された」
「一藩をあげての流罪にも等しい、史上まれにみる過酷な処罰事件が、今日まで一世紀の間、具体的に伝えられず秘められていたこと自体に、私どもは深刻な驚きと不安を感じ、歴史というものに対する疑惑、歴史を左右する闇の力に恐怖を感ずるのである」
歴史とは事実を叙述したものではなく、恣意的に作られるものだなと思った。
『「東京裁判」を読む』のあとがきでも、井上亮氏は「歴史とはある意味、勝者によって刻まれた史観であり、地下には必ず敗者の歴史が埋もれている」と書いている。

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