三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

子どもの貧困 6

2011年06月20日 | 

多くの人は貧困問題にあまり関心を持っていないようで、自己責任論を振りかざす人も珍しくない。
阿部彩『子どもの貧困』に、2008年、「現在の日本の社会においてすべての子どもに与えられるべきものにはどのようなものがあると思いますか」を1800人に質問した調査について紹介されている。
「12歳の子どもが普通の生活をするために、○○は必要だと思いますか」という設問が26項目ある。
一般市民の過半数が「希望するすべての子どもに絶対に与えられるべきである」と支持するのは、
「朝ご飯」91.8%
「医者に行く(検診も含む)」86.8%
「歯医者に行く(歯科検診も含む)」86.1%
「遠足や修学旅行などの学校行事への参加」81.1%
「学校での給食」75.3%
「手作りの夕食」72.8%
「(希望すれば)高校・専門学校までの教育」61.5%
「絵本や子ども用の本」51.2%
の8項目。
医者に行くことや給食すら「絶対に与えられるべき」とは考えない人がいることに驚く。
以下の項目なんて半数も支持していない。
「お古でない文房具(鉛筆、下敷き、ノートなど)」42.0%
「誕生日のお祝い(特別の夕食、パーティ、プレゼントなど)」35.8%
「少なくとも一組の新しい洋服(お古でない)」33.7%
「自転車(小学生以上)」20.9%

私は子どもたちに「クリスマスのプレゼント」26.5%は一度もしなかったし、「絶対に与えられるべき」とは思わない。
しかし、新しい洋服やお古ではない文房具が「絶対に与えられるべき」とは考えないのはどういう理由からなのか不思議である。
予防接種はOECDで最低で、任意の予防接種は自己負担、外国で無料の接種が日本では有料のことがあるそうだ。
阿部彩氏は「子どもに対する社会支出が先進諸国の中で最低レベル」で、
「日本の一般市民は、子どもが最低限にこれだけは享受するべきであるという生活の期待値が低いのである」と言うけれども、どうしてそんなに薄情なのだろうか。

またまた母子家庭について。
2007年、約99万人が児童扶養手当を受給しており、母子世帯の約7割になる。
2002年、政策の大幅な改革を行い、児童扶養手当の支給要件が厳しくなり、支給期間に5年間のタイム・リミットを設けた。
「5年たっても所得制限以上の所得を得られないのは、母親が児童扶養手当をもらい続けたいがために、故意に勤労所得が制限以下となるようにおさえている」
つまり、福祉に依存している人がいるから、政府からの援助を必要としない「自立」生活を目指すということらしい。

しかし、阿部彩氏は次のように批判する。
「日本の母子世帯の所得の低さは、「福祉依存」に起因するものではなく、母子世帯の母親の就業機会が長時間仕事をしても賃銀が低い仕事に限定されていることに由来する」
「すでに精一杯働いている母親たちに「もっと働け」と迫ることは、母親自身の健康や幸福に悪影響を及ぼすのではもちろんのこと、なによりも、母子世帯に育つ子どもたちに、さらなる負担と犠牲を強いることとなる」
おまけに、政府の言う「自立」は逆に自立する機会を失うことになりかねない。
「母子世帯の子どもが、低所得状態にある家庭で成長することで、社会人として自立するために必要な教育や技能を身につける機会を逸したり、習得する意欲を失ったりすると、その子ども自身も低所得の労働者となり、彼ら・彼女らの結婚や子育てに影響してくる恐れがある。「貧困の世代間の連鎖」である」

そして、阿部彩氏はこう言う。
「貧困撲滅を求めることは、完全平等主義を追求することではない。「貧困」は、格差が存在する中でも、社会の中のどのような人も、それ以下であるべきでない生活水準、そのことを社会として許すべきではない、という基準である。
この「許すべきでない」という基準は価値判断である。人によっては、「日本の現代社会において餓死する人がいることは許されない」と思うかもしれない。また、「すべての子どもは、本人が希望して能力があるのであれば大学までの教育を受ける権利があるべきだ」と思う人もいれば、そう思わない人もいる。だからこそ、「貧困」の定義は、社会のあるべき姿をどう思うか、という価値判断そのものなのである」
朝ご飯を食べれない子どもがいる社会は「あるべき姿」とは私には思えないし、朝ご飯を食べれない子どもがいるのは仕方ないと許容する社会も「あるべき姿」ではない。
青砥恭『ドキュメント高校中退』にある、
「貧困とは所得の問題だけとは限らない。人間として必要な文化、習慣、そして尊厳をもって育てられていない子どもたちが、社会の隅の見えないところで生きている」という事実を知ること、そして「社会のために働くことに生きがいを見いだす若者を育てることなしに、日本の未来はない。社会が決して見捨てないという姿勢を見せれば、必ずあの若者たちも社会のために働く一員となろう」という社会を作っていかないといけないと思う。

コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする