三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

パール判事と東京裁判

2011年02月01日 | 戦争

半藤一利、保阪正康、井上亮『「東京裁判」を読む』を読んで驚いたのは、東京裁判で無罪判決を出したパール判事の評価が低いこと。

井上「東京裁判否定論者はことあるごとにパールを引き合いに出しますが、彼のことをかなり誤解している節もありますね」
保坂「客観的な事実認定について、間違った判断をしています。それに予断と偏見もあるし……」
井上「満州事変についても「日本の謀略とは限らない」というようなことを書いています」
半藤「それから、日本での言論弾圧は当然だったと言ってるんだね。これはちょっと、いくらパールさんでも言い過ぎじゃないのと思いますね」
井上「東條をえらく持ち上げていて、「東條は正直な意見を抱き、その意見を述べるについてはなんら躊躇せず、その信念の鞏固なことを示した」なんて言っています」
保坂「宗主国を批判するときに使う材料として日本を論じる際、彼はかなり恣意的な便法を使った。そこの検証をきちんとやらなきゃいけないんだよね」
保坂「彼は基本的には全インドを代表する司法人じゃなかったんですよ。世界的なレベルの国際法の権威だなんて言われていますが、全然違う。日本では彼はオーバーに言われている。もともとはベンガルの一司法人です。インド司法界の大物が出て来れない事情があって、それで彼が出て来た」


どうなんだろうかと思い、中島岳志『パール判事』を読む。
東京裁判を否定する人は、無罪判決を出したパールのことを持ち出し、日本の行為を正当化する。
早とちりな人はパールが大東亜戦争肯定論者なのかと思うようで、靖国神社にはパール判事の顕彰碑まである。

しかし、パールは日本には戦争責任はないと言っているわけではない。
日本の植民地政策を正当化したり、「大東亜」戦争を肯定する主張など、一切していない。

パール判事は東京裁判を批判し、アメリカによる原爆投下に対しても痛烈な批判をする一方、南京虐殺を事実と認定し、フィリピンでの虐殺を「鬼畜のような性格」をもった行為だとして非難しており、日本の行為すべてを免罪したわけではない。

パール自身も「あの戦争裁判で、私は日本は道徳的には責任はあっても、法律的には責任がないという結論を下しました」と語っているそうだ。

パールは、検察が提示した起訴内容のすべてについて、「無罪」という結論を出した。しかし、これはあくまでも国際法上の刑事責任において「無罪」であるということを主張しただけで、日本の道義的責任までも「無罪」としたわけではない。


パールは「戦勝国が戦敗国を裁く」という構図を批判したのである。
戦勝国が戦敗国に対する復讐として裁判を行うことは、平和と秩序を維持するという裁判本来の目的を崩壊させ、意義を損ねる。
パールは、戦勝国の戦争犯罪についても、戦敗国と同様、平等に裁かれるべきであるとした。

彼ら(連合国)は、日本の帝国主義を断罪し、その指導者たちを「平和に対する罪」で裁こうとする一方で、自らの植民地を手放そうとしないばかりか、日本が撤退した後の植民地の奪還を図り、再び帝国主義戦争を起こしている。そのような状況が、裁判と同時進行的に繰り広げられていることの欺瞞と矛盾を、パールは冷静に指摘した。

もっとも保阪正康氏たちによると、インド人であるパールの宗主国イギリスへの反発ということもあるそうだが。

では、なぜパールは無罪だとしたのか。

罪刑法定主義、そして無罪推定の原則からである。

罪刑法定主義とは、いかなる行為が犯罪であるか、その犯罪にいかなる刑罰を加えるかは、あらかじめ法律によって定められていなければならないとする主義である。

パールは通例の戦争犯罪を裁く意義を積極的に肯定するが、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」は事後法であり、そもそも国際法上の犯罪として確立されていないため刑事上の「犯罪」に問うことができないとした。
東京裁判の時点で、国際法は「侵略」を犯罪とするまでに整備されておらず、いかに道義的・社会通念的に問題があろうとも、戦争の当事者を「平和に対する罪」で処刑することはできないということである。

そして犯罪が立証されないと、被告は無罪という推定無罪の原則がある。

パール判事は南京虐殺や他の虐殺事件、あるいは捕虜の虐待は事実として認定してはいるが、A級戦犯がこれらの事件の遂行を命令した証拠、もしくは不作為の罪に問うことができる証拠も存在しないと論じた。
彼らがしていないとパールが考えていたのではなく、証拠不十分のため立証されていないから罪を問えないとしたのである。

東京裁判を否定し、日本の侵略を認めたくない人たちはパール判事の判決を自分の都合のいい文脈で利用している。

たとえば田中正明氏は、田中正明編『日本無罪論』(1952年刊)の解説文に「この裁判とは別に、われわれ冷静に反省してみて、たしかに日本は侵略戦争の意図も実践もあったと思う」と書いている。
ところが田中はのちに、「パール判決書」を利用しつつ独自の「大東亜戦争肯定論」を展開している。

東京裁判の東条英機を主人公にした『プライド』という映画に、パールの長男は「傷つけ、憤らせている」として、抗議の手紙を書いた。

当初、映画関係者などから「パール判事とその判決がメインの映画を作りたい」という企画を提示されていたという。

しかし、出来上がった映画は、東条英機の生涯が中心で、父とその判決は二次的な扱いだった。父の判決が、東条の人生を肯定するための都合のいい「脇役」として利用されていることに、彼は納得がいかなかった。


パール判事は非暴力主義の信奉者であり、世界連邦実現を推進する立場だった。
日本に招かれて各地で講演をした時には、「平和憲法の死守」と「再軍備への反対」を強く訴えている。

パールの言説を利用する右派論壇は、このようなパールの思想を一切無視している。彼が日本に対して発した渾身のメッセージから目を逸らし、都合のいい部分だけを切り取って流用している。


何を語るかということは大切だが、どういう立脚点から語るかはより重要だと思う。
東京裁判に関するパール判事と靖国神社の意見は、東京裁判批判は同じようでも、まるっきり違った土俵での話なのである。

それにしても、保阪正康氏や半藤一利氏がそこまでパールに厳しいのかと不思議です。

コメント
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