三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

桃源郷

2010年05月21日 | 日記

ユートピア国に住みたいとは思わないが、でもユートピアや桃源郷にあこがれる気持ちは誰にでもあると思う。
どの民族もその民族特有の楽園を語り継いできたが、それは楽園願望が遺伝子にインプットされているからじゃないだろうか。

『桃花源とユートピア』は、平凡社東洋文庫に収められている本の中から桃源郷に関わる文章を選んだアンソロジー。
江戸時代の旅行家の文章も収録されている。
鈴木牧之や菅江真澄は秋山郷、東北地方の山村の素晴らしさを表現するのに、「桃源に迷ふかと怪み」だとか、「桃源郷を訪れたような心地になっている」と、「桃源郷」という言葉を使っている。
日本に来たヨーロッパ人たちも日本の風景に桃源郷を見いだしている。
たとえば、イザベラ・バード『日本奥地紀行』のこんな文章。
「米沢平野は、南に繁栄する米沢の町があり、北には湯治客の多い温泉場の赤湯があり、まったくエデンの園である。「鋤で耕したというより鉛筆で描いたように」美しい。米、綿、とうもろこし、煙草、麻、藍、大豆、茄子、くるみ、水瓜、きゅうり、柿、杏、ざくろを豊富に栽培している。実り豊かに微笑する大地であり、アジアのアルカデヤ(桃源郷)である」
私も山間の小盆地を旅して、こんなとこで暮らせたらと思うことがある。
桃源郷のどこがいいのかというと、郷愁を誘う地(既知)であると同時に、あこがれの地(未知)だということだろう。
科学技術の発展や文明の進歩もいいけれども、人間は本来はこんなふうに暮らしていたんだろうなと思わせる。

だけど、旅行者として素通りするだけなら、桃源郷を彷彿とさせて、いいなあと思えても、そこで実際に生活するとなると話は別である。
現実はそんな甘いもんじゃない。
いかに桃源郷であろうとも、そこに住んでいるのは人間である。
食べていくためには日々の労働は厳しいだろう。
仮に自給自足できるだけの生産性があり、食べ物が十分で、腹つづみを打っても、それだけで人間は満足できるものではない。
それに、人間関係の難しさは古今東西変わらないわけで、近所づきあいでの苦労もある。

ラフカディオ・ハーンは日本人が照れるぐらい日本及び日本人を絶賛しているが、B・H・チェンバレンは「彼が見たと思っている想像の日本の姿を描いた」と批判している。
W・E・グリフィス『明治日本体験記』にも、「日本の住民や国土のひどい貧乏とみじめな生活に私は気がつき始めた。日本はその国について書かれた本の読者が想像していたような東洋の楽園ではなかった」とある。
そりゃそうだ。

どんな地形で広さや人口がどれくらいなのか、どのような産物を産するのかなどを細部にわたって具体的に描いていけば、桃源郷といえどもぼろが出てくるに違いない。
プラトン『国家』に「国家そのものを、輸入品の必要がまったくないような地域に建設するということは、ほとんど不可能である」とあるように、外部と全く交流のない閉ざされた小空間の桃源郷で自給自足できるわけはない。

桃花源がいつの時代にも魅力を保っているのはファンタジーだからだ。
秦末の争乱を避けて山中に隠れ住んだのが桃花源に住む人々だが、それから五百年がたっているにもかかわらず、「俎豆は猶お古法にして、衣裳には新製なし」と陶淵明は書いている。
桃花源では時間は停止しているわけで、つまりは不老不死の世界なのである。
桃は女性器であり、洞穴の奥に開けた別天地は胎内である。

だからといって、桃花源が夢物語というわけではない。
陶淵明が『桃花源記』を書いた動機は、政治批判、理想の追求、現実からの逃避がからみあっている。
『桃花源記』は『老子』の小国寡民の章を物語化したものである。
『老子』の解説で小川環樹氏は、政治の書だと言っている。
ということは、『桃花源記』は政治に対する批判の側面があることになる。
『中国詩人選集』の一海知義氏の解説によると、そもそも陶淵明が士大夫であるからには、その行動は政治への言及を避けることはできない。
陶淵明は政治を志す士大夫の常として、若いころから経国済民の志を抱いていた。
しかし、このようにありたいという思いはあっても、現実はそうはならないし、下級官吏である陶淵明には力もない。
かといって、現実に妥協して権力者に迎合することは潔しとしない。
そこで陶淵明は職を辞して田舎に帰り、自ら農業を営んだ。
隠遁とはこの世をわずらわしい厭うべきところとし、それとは没交渉の生活をすること、つまり日常生活から脱却することを意味するものと理解され、逃避と見られかねないが、小尾郊一『中国の隠遁思想』によれば、中国の隠遁はそうしたものではなく、士大夫が職を辞して仕えないことが隠遁であり、それは政治批判的な行動なんだそうだ。
一海知義氏は「おのれの抱いている信念の実現が現実の社会の中ではばまれていることへのいらだち」と書いている。
すなわち、政治への不満、反発が『桃花源詩』を生み出したわけである。

さらには、廖仲安『陶淵明』によると、「戦乱の災禍をのがれるために深山絶境に逃げこんで生活する者もあった。(略)集団で険要の地に逃避するやりかたはのちにはかなり一般化し、十六国の分裂割拠の時代には、この種のとりでからなる半独立的な小王国が数多く出現した」とあって、陶淵明はこうした事実に基づいて山中に理想社会を設定したのかもしれない。
となると、当時の人々にとって桃花源は空想上の場所ではなく、現実にある反社会的な共同体として受け取られていたのかもしれない。

そして、一海知義氏は「田園は彼にとっておのれにからみついてくる社会のきずなをふりほどき、人間本来の姿にたちかえりうる世界であった」と言うように、『桃花源記』には理想化された田園生活、すなわち働くことが喜びである楽園へのあこがれが表現されている。

しかし、陶淵明の実際の生活は厳しいものだったそうだ。
生活の貧苦、飢えという不如意、理想をいくら求めても得られないことの無力感、子供に未来を託す希望を持てぬ不本意さ。
陶淵明が『老子』の信奉者だとしても、施政者が何もせずにほっとけば自然にうまく治まるなんてことはあり得ない。
ままならぬ現実から目をそらして、桃花源という幻想の中に逃避する気持ちも陶淵明にあったことだろう。
せめて自らの理想を空想の中で実現しようと、自らの生活を美化する多くの田園詩を残し、桃花源郷を創造したと、一海知義氏は指摘する。
理想と現実との格差への無力感から見た白日夢が桃花源かもしれない。

政治や社会に対する不満、その上に立って人間は本来このように生きるべきだという理想を掲げたが、現実の厳しさに苦しんだ陶淵明は、こうありたいという生き方を『桃花源記』に描いた。
ということで、桃源郷もユートピア小説と同じように、現実社会の批判、理想の追求、現実からの批判という要素がある。
ただ単に、こんなだったらいいなという夢の国ではないのである。
読者としては、そんな難しい小理屈よりも、妄想にふけるほうが楽しいことは事実だけど。

コメント (29)
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