三日坊主日記

本を読んだり、映画を見たり、宗教を考えたり、死刑や厳罰化を危惧したり。

慰安婦問題 1

2007年11月16日 | 戦争

慰安婦問題を勉強しようと思い、吉見義明『従軍慰安婦』、吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』、秦郁彦『慰安婦と戦場の性』を読む。

意見の違いはどういう点なのか、私なりに考えると5点ほどあるように思う。
1,軍の関与があったかどうか
2,軍や官憲による強制連行があったかどうか
3,慰安婦は売春婦なのかどうか
4,慰安婦の証言はウソが多いかどうか
5,どこの国でも同じようなことをやっているかどうか

 1,軍の関与があったかどうか
吉見義明によると、そもそも慰安所には三つのタイプがあった。
「第一は、軍直営の軍人・軍属専用の慰安所、第二は、形式上民間業者が経営するが、軍が管理・統制する軍人・軍属専用の慰安所、第三は、軍が指定した慰安所で、一般人も利用するが、軍が特別の便宜を求める慰安所である」
いずれも軍と無関係ではない。
陸軍は岡村寧次参謀副長や岡部直三郎高級参謀が海軍にならって慰安所の設置を指示している。
つまり、最初から軍が組織的に関与して慰安所が作られたわけだ。

慰安所がどうしてできたかというと、性病防止と強姦防止のためである。、
①,性病防止
「性病予防等のため兵一〇〇人につき一名の割合で慰安隊を輸入す」(金原節三「陸軍省業務日誌摘録」)

②,強姦防止
歩兵第九旅団の「陣中日誌」の中にこういう記述がある。
「而して諸情報によるに、斯くの如き強烈なる反日意識を激成せしめし原因は、各所に於ける日本軍人の強姦事件が全般に伝播し、実に予想外の深刻なる反日感情を醸成せるに在りと謂う。(略)
右の如く軍人個人の行為を厳重取締ると共に、一面成るべく速に性的慰安の設備を整え、設備の無きため不本意乍ら禁を侵す者無からしむを緊要とす」(吉見義明編『従軍慰安婦資料』)
中国人にとって強姦は許すことのできない犯罪だから、反日感情が強まってしまう
それで軍部は兵士たちが強姦しなくなるよう、慰安所を作ったというわけである。

ところが、慰安所を作っても強姦が減るどころかかえって増えている。
第十一軍の岡村寧次司令官はこう言っている。
「現在の各兵団は、殆んどみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは、慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」(『岡村寧次大将資料』)
国府台陸軍病院付中尉早尾乕雄軍医
「軍当局は軍人の性欲は抑えることは不可能だとして支那夫人を強姦せぬようにと慰安所を設けた、然し、強姦は甚だ旺(さか)んに行われて支那良民は日本軍人を見れば必ず是を恐れた」
結局のところ、慰安所を作っても、強姦防止にも性病防止にもならなかったわけである。

ちなみに、中曽根元首相は軍慰安所を開設したことを記している。
「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった」(『終わりなき海軍』)

2007年3月23日に行われた日本外国特派員協会での記者会見で、
「海軍将校だった中曽根氏がボルネオ島で設営した「慰安所」で兵隊さん相手の売春が行われていたのではないか」
との質問に対し、中曽根は
「私は飛行場を作る施設部隊にいた。(相当な期間を要するので)、徴用した工員たちのための娯楽施設を設営した」
もしくは、
「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」
と否定しているが、いささか苦しい弁明だと思う。

陸軍経理学校で慰安所開設の仕方を教わった鹿内信隆の話はもっと生々しい。
「その時(慰安所の開設時)に調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの〝待ち時間〟が、焼香は何分、下士官は何分、兵は何分…といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要項」というんで、これも経理学校で教わった」(『いま明かす戦後秘史』)
鹿内信隆としては自慢話のつもりなんだろうと思う。

コメント
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