冤罪だと言われている死刑事件はいくつもあるが、袴田事件もその一つ。
1966年6月、家族4人が殺された事件で袴田巌氏が逮捕された。
袴田巌氏は取り調べで自白しているが、後に否認。
物的証拠はなく、自白調書のみ。
その自白調書にしても、45通のうち、44通は任意ではなく強制されたとして証拠採用されなかった。
たった1通の自白調書によって、一審で死刑が下されたのである。
そして、1980年に死刑確定。
ところが、事件から40年経って、一審の裁判官だった熊本典道氏が「あの判決は間違いだった。袴田巌氏は無罪だ」と告白している。
熊本典道氏は講演で次のように語っている。
熊本典道氏は無罪の判決文を書き、それが法廷で読まれるはずだった。
ところが、2対1で死刑になってしまった。
なぜか。
自白調書がたくさん出たことと、「メディアの圧力」だと熊本典道氏は言う。
45通も自白調書を作った捜査官に対して「よくやったな」という気持ちと、メディアの圧力に裁判官が影響されたということである。
メディアが大騒ぎする事件と、あまり話題にならない事件とでは、裁判の結果に違いが出ることは今もある。
マスコミ報道によって判決が左右されるというのだから恐い話である。
一審判決は1968年、そのころでもメディアが裁判に影響を与え、裁判官ですら無罪と確信した事件が死刑になっている。
昭和40年代のメディアの圧力は、何か事件があると、テレビや週刊誌があることないこと垂れ流し、世論を煽り立てている現在の比ではあるまい。
裁判官はマスコミ報道に対する態度について、熊本典道氏はこう語る。
マスコミ受けを狙ったり、出世をまず考える裁判官が多いのではないかと心配になる。
鳩山法相がまたこんなことを言っている。
死刑執行については、刑事訴訟法475条で「法務大臣の命令による」と規定。さらに同法475条第2項は、執行は死刑判決の確定後6カ月以内に行わなければならないと定めているものの、実際は確定から執行まで数年かかるのが通例となっている。
鳩山法相は法律の規定と死刑執行の現状との乖離を指摘したうえで、「法務大臣に責任をおっかぶせるような形ではなく、半年以内に死刑執行されなければならないと自動的に進むような方法がないのかなと思う」と述べた。(2007年9月25日 産経新聞)
要は、法務大臣が死刑執行のサインをするのが嫌なだけだと思う。
何だかんだ言っても、人を殺すわけだから。
じゃ、誰が執行の責任を負うのか。
拘置所所長や現場の刑務官だって死刑執行に関わりたくないだろう。
まして、自分の責任でしたくないはず。
仕事だから仕方ないと、無理矢理納得させているのではないかと思う。
刑務官の気持ちを鳩山法相が考えているとは思えない。
それと、気になるのが、「半年以内に死刑執行されなければならないと自動的に進む」と鳩山法相は言ってること。
再審請求があった場合はどうするのか考えているのだろうか。
「自動的」というからには、再審請求があろうがなかろうが、とにかく執行するシステムにしたいということなのか。
あるいは、精神に異常をきたしている人も自動的に執行するのか。
おそらく鳩山法相は、袴田巌さんたち冤罪の死刑囚のことなどを考えておらず、ただ単に責任逃れしたいに違いない。
だったら、死刑の執行などしなければいいのに。
厳罰化で死刑判決がどんどん増え、死刑囚も増える一方である。
いちいち法務大臣がハンコを押すという手続きは面倒だから、さっさと処分するシステムにしたら楽だという効率優先の考えもあるだろう。
私としては、死刑執行には法務大臣、死刑判決を下した裁判官、求刑した検察官にボタンを押してもらい、そして遺体を棺桶に納めてほしい。