5月29日の毎日新聞に、奈良女児誘拐殺害事件の被告小林薫について中村敦茂記者の記事があった。
被告は公判で、「命がなぜ尊いか分からない」と述べ、以前起こした強制わいせつ事件についても、「別に悪いと思っていない」と抑揚のないトーンで言っている。
中村敦茂記者によると、「言葉の内容ほどの残虐さや迫力は感じられなかった。むしろ、人の痛みを感じとれず、本当に分からないという印象すら受けた」そうだ。
鑑定書では「感受性が未発達」などと指摘し、「反社会性人格障害」と診断されている。
被告は父親に幼少期から体罰を受け、小4の時に母親を亡くしている。
「心を凍らせた結果、命の尊ささえ感じなくなったのだとすれば、なんとも恐ろしく、悲しい人格である」と中村記者は書く。
光市母子殺人事件の加害者も、父親から暴力をふるわれ、中1の時に母親が自殺している。
もちろん、虐待を受けたから、母親が死んだからと、犯罪を正当化しているのではない。
ただ思うのは、こういう奴はさっさと死刑にしてしまえと断罪し、それで事件が終わった気になっている人が多いが、それでは問題は少しも解決しないということだ。
どうしてこういう事件を起こしたのか、事件の背景を明らかにしないと、同じような事件がまた起こるだろう。
日本では、殺人件数は増えていないし、20代の殺人は世界的に見て異常なほど少ない。
ところが、報道がすざまじく増えている。
広島市小1女児殺害事件での地検の論告に、次のようなことも書かれてあった。
マスメディアの過剰な報道によって不安と衝撃を与えたことまで被告の責任にするのは筋違いのように思う。
事件が起きてからしばらくは、地域住民よりもマスコミ関係者のほうが多く、通りかかった人にインタビューしたら同業者だった、という話があるくらいである。
被害者側が取材の自粛を要請することがあるが、マスコミのはしゃぎぶりは目に余る。
まずはマスコミの報道を何とかしてもらいたいものだ。
事件の根っこを見ようとする中村記者のような目は大切である。