③ 地球外生命を求めて -宇宙は生命にあふれているのか?ー

2011-11-28 08:31:30 | 日記
マーク・カウフマン著  ディスカバー・トゥエンティワン刊

本書は、先に紹介した①と②を全体的に俯瞰した本。但し、順序は②ー①となっている。
極限環境にいる生物から始まる。ヒ素を餌とする微生物(しかも、DNA、RNAにまでヒ素を取り込んでいる)、地球が吐き出す微粒子を食べて生きている微生物(100年に一度くらい分裂し、太陽光は300万年以上も浴びたことがない)。つまり、地球上でさえ今までの生命の常識を覆すものが存在している以上、宇宙にも我々が想像もしていなかった生命体が存在している筈だ、という論理である。こうなるとアプローチの選択肢も広がるという訳だ。しかし、本書でも知的生命体の存在を示唆する言質はない。
ところで、本書には前二書にはない一章が付け加えられている(私としては、俄然こちらの方に興味を持ったのだが)。
仮に、知的生命体が宇宙に存在し、何時の日か地球人が遭遇したとする。我々はどんな反応を示すのだろうか。著者は言う。「一番困るのはキリスト教徒だろう。イスラム教もユダヤ教も仏教も、地上以外に別の世界が存在していることを容認している。地球人以外の知性体の存在を認めていないキリスト教にあっては、神は人間のみを救済するために存在しているのだから……」。
イスラム教やユダヤ教のことはよく分からないが、仏教は地上以外の世界を肯定している。例えば「天の九万九千九百九十九由旬先には、兜率天があり、弥勒菩薩がいる。その先八万由旬(56万km)に須弥山があり、広目天・多聞天・増長天・持国天が守っている。その頂には高さ百由旬(700km)の円生樹があり、そのてっぺんに帝釈天がいらっしゃる」。どうだろうか? この距離観、現在の宇宙観に似ていないだろうか。しかも、仏教は砂粒も岩や山も「生き物」だといっているのである。
さて、宇宙のどこかにいる知性体と遭遇したら我々は……? こんなことを考えるのも楽しいかもしれない。

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